第9話 「 予感 」
もしかしたら、この一連の記事について書けるのもあと一時(いっとき)かも知れない。そんな思いがこのところ私の胸を過る。根拠はない。ただそう思うだけだ。
昨日また一件の取材を終えてきた。今回は母親の失踪だ。ニュースにもなった幼児虐待事件。幼い姉弟は二階アパートの隅で変わり果てた姿となって発見、ひと月後母親の交際相手が逮捕された。母親は依然として行方不明。いつの段階で姿を消したのかもよく分かっていないと云う。
取材を申し込んできたのは、彼らが住んでいたアパートの最寄り交番に勤務している巡査(氏名・年齢、非公表)。彼は今でも発見当時の姉弟の姿をよく思い出すと言う。
「顔はきれいだったんですよ。まるで眠っているみたいに」
彼らの手には、一枚ずつ青いチケットが握られていた。鑑識の調査では特に何の変哲もないと判断され、その件は捜査調書にも記載されていないとのこと。
私がこの事件で当初から気になっていたのはやはり母親のこと。状況としては母親も交際相手の男から暴力を受けていた可能性がある。しかし、ならば何故子ども二人を連れて逃げなかったのだろうか?そうすれば最悪の事態は防げたはず。そう思えて仕方がない。
「母親とは云え人間ですからね、判断力が落ちていたのかも知れません。実際彼女には精神科への通院歴も見つかりました。一度きりでしたけど」
それにしても…。
「私が知りたいのは…、いや、私はただ自分の警官としての不甲斐なさを、誰かに聞いてもらいたかっただけなのかも知れません」
一通り話し終えた後、巡査は私に封筒に入った青いチケットを差し出した。
「二人のものではありません。アパートに残されていたものです。ひょっとして何かの手がかりになるかもと思いまして」
これは母親の…。私はそれを彼から受け取り、封筒から出してみる。そして指の触れた先から淡く色が移ろうのを見る。
「これは…」巡査も驚いている。「なるほど、これが…」
私は彼に頷いてみせる。そうなのだ。これが青いチケットなのだ。
「彼女は帰ってくるでしょうか?」
巡査は最後にそう私に訊いた。私はそれに明確な応えを出すことができない。ただ私は彼に言う。その姉弟は、今でもどこかで生きている気がしてならないと。やはり明確な理由はない。ただ、そう感じるだけだ。
ただ、そう感じるのだ。
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