第8話 気づいたら朝

 瞼が重い。目を開こうと思うのに、なかなか身体が言うことをきかない。

 何度か寝返りをしてから、俺はゆっくりと目を開けた。


「……って、昨日……!」


 目を開けると、ぼんやりとしていた意識も明瞭になっていく。

 昨晩のことを思い出し、慌てて体を起こすと、ソファーに座っているベルと目が合った。


 彼女はもう夜着姿ではなく、落ち着いたデザインのドレスを着ている。


「おはようございますわ、コルベット様」

「あ、えっと、おはよう」


 とっさに衣服を確認するが、乱れは一切ない。


「えっと、昨日は……?」

「話しているうちに、コルベット様がお休みになられましたの。お香に癒され過ぎたのかしら?」


 口元に手を当て、ふふ、とベルが可愛らしく笑う。


 しまった!

 せっかくの初夜に、俺はなんてことを……!


 いや、逆によかったのか? ベルも、心なしか安心しているように見えるし。


 覚悟はしているだろうが、会ったばかりの男と夜を共にするなんて、嫌に決まっている。

 そりゃあ、俺としては残念な気持ちはある。

 でも、ちゃんと愛し合ってからしたい、という気持ちだってあるのだ。


「コルベット様、そろそろ朝食の時間かしら?」

「え?」

「わたくし、とってもお腹が空いていますの。早く朝食が食べたいわ」


 ベルは立ち上がり、無邪気な笑顔を浮かべた。


「先に広間で待っていますわね、コルベット様」


 ひらりと手を振って、ベルは部屋から出て行く。

 呆然とその姿を見送ってから、俺は一つの違和感に気づいた。


 ベルは、一回この部屋から出たのか?


 昨晩、彼女は風呂上がりに、夜着でこの部屋へやってきた。一晩をここで過ごすために。

 しかし俺が目を開けた時、彼女はこの部屋にはなかったはずの普段着に身を包んでいたのだ。


「つまりベルは昨日、この部屋で寝ていない……?」


 俺が眠った後、この部屋を出て、朝方着替えてやってきたのだろうか。


「それに俺、ソファーで寝たはずだよな?」


 ソファーからベッドまで、俺はどうやって移動したのだろう。ベルが運んでくれたのだろうか?

 しかし、華奢な彼女にそんな力があるとは思えない。


「それに昨日、なんか、急に眠くなって……」


 違和感は大量にある。しかし、大きく腹が鳴ったことで、俺の思考は一時中断されてしまった。





 なごやかな雰囲気のまま、朝食は終わった。相変わらずベルは終始笑顔で、俺とも、母さんとも何の問題もなく話してくれた。


 しかし朝食が終わるとすぐ、ベルは自室へ引っ込んでしまった。


「……話そう、とか、部屋に行っていいもんなのか?」


 俺も部屋に戻り、ベッドに腰かけてベルのことを考える。


「俺のこと、どう思ってるんだろう」


 彼女は笑顔で明るく接してくれるが、実のところ、俺のことをどう思っているのだろう。


「いやいや、会って二日目のくせに、何言ってんだって話だよな」


 俺は一目惚れされるような要素は持っていない。好きになってもらいたいなら、日々の積み重ねが大切だ。

 分かっていたはずなのに、妙に焦ってしまう。


「……でも、昨日、嫉妬もしてくれたし」


 そう呟いた瞬間、俺はあることに気づいてしまった。


「……誰に嫉妬したんだ?」


 ベルは、俺とジゼルが二人きりになると嫉妬すると言っていた。

 そして俺がベル一筋だと言うと、安心したと笑っていた。


 でも……。


「ベルはもしかして、俺がジゼルと一緒にいたことじゃなくて、ジゼルが俺といたことに嫉妬してたのか?」


 幼い頃からずっと一緒にいたというジゼルのことを、ベルは特別に思っている。

 それは火を見るより明らかだ。でもそれはあくまで、友達としての感情だと思っていた。


 でも実は、そうじゃなかったんじゃないか?


「いやいや、俺の勘違いかもしれないし」


 なんだか落ち着かなくなって、部屋を出た。

 ベルの部屋の前に立ってみる。しかし、物音は聞こえない。

 彼女も、どこか別の場所へ行ったのだろうか。


 屋敷の中を歩いてみると、広間近くの廊下でベルの後ろ姿を見かけた。

 ベル、と声をかけようとして、慌てて口を閉じる。ベルが、熱心に何かを見ていたからだ。


 なんだ……?


 足音を殺し、ベルの背後へ歩み寄る。目線の先にいたのは、ジゼルだった。

 しかし、ジゼル一人ではない。屋敷の執事、ミカエルと一緒だ。


 深呼吸して、そっとベルの顔を覗き見る。


 彼女の目は、明らかに嫉妬で燃えていた。

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