第7話 花嫁の嫉妬

 控えめにドアがノックされ、次いで、部屋の扉がゆっくりと開かれた。

 そして、湯上りのベルが部屋に入ってくる。


 上気した頬に、ほっそりとした身体つきが分かる薄い夜着。

 髪はわずかに濡れていて、それが、幼い顔をした彼女に色気を与えている。


「お待たせいたしましたわ、コルベット様」

「い、いや、全然」


 ベルは微笑んだが、すぐに表情を硬くした。


「……この香り、どうしましたの?」


 今日、初めて聞く冷ややかな声だった。


 なんでだ? これ、好きな香りなんだよな?


「い、いや、さっきジゼルがきて、ベルの好きなお香だって言うから。その、緊張が解けるんじゃないかと」

「……ジゼルが?」

「ああ」

「この部屋に入ったんですの? 彼女と二人きりに?」

「いや、これを受け取っただけだから、部屋には入ってない」


 俺がそう言った瞬間、ベルが笑顔になった。

 ほっとしつつも、疑問が胸の中で広がっていく。


 部屋に入っていたら、なんで悪いんだ?

 ジゼルと二人きりになるのが、そんなに気に入らないのか?


「コルベット様」

「どうかしたか?」

「わたくし、コルベット様には、ジゼルと二人きりになってほしくありませんの」


 かなり直球な言葉に驚きつつも、俺はすぐに頷いた。

 思っていることがあるなら、こうしてちゃんと言ってくれる方がありがたい。

 俺には、女の子の気持ちを推測するスキルなんてないのだから。


「分かった。そうする」

「ありがとうございますわ。その、ジゼルって、美しい子でしょう? ですから二人きりになられると、わたくし、やきもちを焼いてしまうの」


 俺の目をじっと見つめ、ベルは頬を膨らませた。わざとらしくあざとい仕草だが、可愛いベルにはよく似合う。


「心配する必要なんかないから! その、俺はベル一筋……だし」


 自分で言っていて恥ずかしくなってくる。ゲームでは幾度となく美少女たちと恋愛してきた俺だが、実際にこういう台詞を口にするのは初めてなのだ。


「それは安心ですわ」


 嫉妬する、ってことは、ちょっとは俺に興味があるってことだよな?


「それでこのお香が、わたくしのお気に入りだとジゼルは言いましたの?」

「え? ああ、そうだけど……違ったのか?」

「いえ。大好きな香りですわ。ただ、お気に入りの香りはいくつかありますの。

 たぶんその中でも、癒し効果のあるものを選んでくれたんだと思いますわ」


 確かに、強すぎない香りには癒し効果がありそうだ。

 俺の知っている匂いでたとえれば、ラベンダーのような匂いである。


「ねえ、コルベット様。ベッドへ行く前に、少しお話できないかしら?」

「もちろん。俺も、そのつもりだった」


 俺たちは会ったばかりなのだ。二人きりでろくに話もせずベッドへ行く、なんてつもりは元々ない。

 部屋の中央にあるソファーに並んで腰を下ろす。


「ベルは、お香が好きなのか?」

「ええ」

「好きな物があるなら、今度取り寄せようか? その、金のことは気にしなくていいから」


 喜んでくれるかと思ったが、ベルはゆっくりと首を横に振った。


「お心遣い、ありがとうございますわ。でも大丈夫。お香はジゼルに用意してもらうことにしているの」

「……ジゼルに?」

「ええ。お香が好きなのはあの子なの。もちろん、わたくしも好きだけれど」


 そう言うと、ベルは微笑んだ。今まで見てきた笑みとは少し種類の違う、おとなびた笑い方だ。


「出逢ったばかりの頃、ジゼルがお気に入りのお香をくれたの。

 安値で買ったっていう粗悪品だったけれど、すごくいい匂いがしたのを覚えてるわ」

「……そうだったのか」

「ええ。その後も、悲しい時や嬉しい時に、気分に合った物をジゼルは焚いてくれたわ。

 たまにしかできない贅沢だったけれど。そのためにわたくし、お金を必死に貯めたりもしたの」


 ああ、そうか。

 俺の金があれば、お香なんて好きなだけ買える。

 でも、それじゃだめなんだ。


 少ない金をやりくりし、ジゼルが用意してくれるお香。

 きっと、ベルが好きなのはそれだ。


「ジゼルのこと、本当に大事に思ってるんだな」

「ええ。わたくし、ジゼルが大好きなの」


 優しい顔で笑って、ベルは力強く頷いた。


「コルベット様のお話も聞かせてほしいわ。コルベット様は、何が好きなの?」

「俺は……」


 話そうとした瞬間、大きなあくびをしてしまった。

 慌てて謝ろうとするが、またすぐにあくびが出てしまう。


 なんなんだ? 急に、猛烈な眠気が……。


 ついに目を開けていられなくなってしまう。そしてだんだん、意識が遠のいていった。

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