声の時差

バラック

第1話

私はその先生が苦手だった。


黒板に書く字が汚い。

給食をよくこぼす。

まるつけをよく間違える。


焼酎と煙草のせいだというガラガラ声で、よく笑っていた。


休み時間、一人で絵を描くのが好きだったのに、廊下の端から大声でドッジボールに誘ってきた。

仲間外れにされ、いじめられているとき、事を大きくしたくない私をよそに、私以上に怒っていた。

中学受験のときは、そのガラガラ声で私を励ました。別に頼んでもないのに。


私が困っているときに、いつもズケズケと心情に踏み込んでくるその先生が苦手で、反面、頼りにもしていた。


受験の時も、声優を目指したいと言った時も、東京に行きたいと親とケンカしたときも、その声に後押しされた。




同窓会の案内が来た。成人式の後その先生を含め、小学校の同級生で会おう、という誘いだ。


私は今東京で声優の専門学校に通っている。卒業までにどこかのオーディションに引っかからなくてはならない。


「お前の夢の為だ、頑張れよ」とあのガラガラ声で応援された気がした。


そもそも小学校時代の友達とは仲良くないしな。

同窓会の返信ハガキの欠席に丸をつけ、先生にもよろしくと書き添えた。




その後、一流の声優になれたとは言わないが、何とか仕事を続けられている。

こんなもんか。オーディションを受ける回数も減った。

不合格の知らせを受け取っても、涙を流すことはなくなった。

地元に帰りたいと、電話を握りしめることもなくなった。

でも、おなかの底から笑うこともなくなった気がした。


そんなおり、地方のCMで私の声を聞いてくれた先生から、事務所に手紙が来た。



「テレビを流しながらつけていると、あなたの声が聞こえて驚きました。あなたの活躍を知ることができて嬉しかったので、つい筆をとりました。声優を目指して頑張っていると10年前の同窓会で聞き、ある意味頑固だった小学生時代を思い返し、あなたならきっと自分の納得するまで努力を続けられるのだろうと信じていました。これからも健康に気をつけて頑張ってください。

追伸、私はあなた達が卒業してから徐々に声がおかしくなり、10年にはもう完全に声が出なくなってしまいました。やはりお酒とタバコはダメですね。あなたもお気をつけください」



少し、理解に時間がかかった。

卒業してから声が出なくなり、10年前には声が出なくなっていたという。


となると、東京に出たいと親に懇願したとき、納得のいく役をもらえなかったとき、もう声優をなんてやめてしまおうと思ったととき、私を励ましてくれていた声は何だったのだろうか。

声優として挫折を感じたときに応援してくれたガラガラ声は、現実にはもう存在していなかったのか。

実際には聞くことの出来ない声を私は聞き、励まされていたのだ。




「お手紙ありがとうございます。声が出なくなっていたのですね。驚きました。ですが先生の声は私の心の中でいつも……」


そこまで書いた便箋を丸めて、引き出しにしまった。


次のオーディションのチャンスはあるだろうか。



スケジュールを確認する私の背中越しに「頑張れよ」とガラガラ声が聞こえた気がした。

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声の時差 バラック @balack

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