呪術師リラと自動人形

夜風

呪術師の夜明け

第1話 ディレクタ・フィリア

 もう嫌だ、もう、動きたくない。もう、殺したくない。つたが石壁を覆い、虫けらが這いずり回る、暗く深いあの人ダンジョン、その奥地で、私は血に濡れた刃を握っている。

 ポタポタと滴る紅い液体が、等間隔に設置された篝火かがりびに照らされて、その死を糾弾する。


「違う! 違う!」


 違う、違う、違う。自分の意思なんかじゃない、これは、違う。 もう馴染みすぎてしまった大鎌を、投げ捨てようと腕を振り上げる。


「――――っく、ぁぁあ!」


 しかし、行動は最後まで遂行されない。脳裏に焼き付いた命令が、脳味噌を殴りつけてくる。


『……この地を護って……』


 締め付けるような、焼けるような、灼熱で鮮烈な痛みが命令を再試行させる。拒絶し、逃れようと頭を振る、しかし命令は消去されることはない。爪が食い込み、血が滲むほどに自身の得物えものを握り込んで、何もない空中を一閃する。


 空間を切り裂く、疾風の空刃が、長く続く通路の先へと消えてゆく。


「ぐあぁ⁉」

「ぎぃ――――」


 姿も見えない何者かが、たった一撃でその命を散らす。 血飛沫ちしぶきが、通路を紅に染める。この壁が、滑らかな灰色をしていたのは、いったいいつまでだったか。


「こないで、こないでこないでこないで!」


 誰もいやしない、たった今自分が殺したのだ。しかし、口は言葉を発することをやめようとしない。願ったって仕方のないことを、口走っても聞き取ってもらえないことを。


「あなた達が来るから‼ 私は殺したくない! なんで⁉ なんでくるの⁉」


 赤黒く染まった刃を、振って、振って、振る。空刃が、壁を、床を、天井を穿つうがつ。崩れ落ちた石レンガが、粉々に砕け散る。破片が頬を切り裂いたが、そんなもの気にしない。


 強いて言うなら、なぜ胸に突き刺さらなかった、と破片を糾弾しかけただけだ。

 傷など、幾らでもできている。切り傷、刺し傷、この世の傷は全て受けたと豪語したっていいだろう。


 それでも自分の命が潰えることはない。


 幾ら人を殺しても、幾ら刃を血に染めても、何もかも変わらない。私はここに居て、ただ侵入者を狩るだけ。それがあの人の命令お願いだから。


 あの人は、王国の英雄だ。

 

帝国と王国による、100年続いた戦争を、たった一つの魔法で終結させてしまった大魔法使い。

 慈愛に満ち、敵である帝国兵さえも、戦争後に治療した。そのせいで、魔力不足で倒れてしまったほどだ。当たり前だ、王国だけでも数千、数万の兵を治療した後だ。


“終結の英雄”と呼ばれ、国王から直々に王国魔術師団団長に推薦されたこともあった。結局、あの人は断ってしまったけれど。

 そんな、最強で権威の象徴のような彼女でも、老いには逆らえない。日に日に力を失っていった彼女は、最後にこのダンジョンと、自動人形を創った。


 彼女はここに、全てを残した。あらゆる魔法についての史料、魔道具、禁忌と言われた呪術の類、そして、彼女の持っていた膨大な魔力。

 彼女は魔力を、このダンジョン内に開放し、閉じ込めた。一つは、彼女の身体が万が一にでも誰かに、奪われたとき、その力を盗ませないため。もう一つは、私が永遠に動けるように。


 自動人形オートマタは、魔力をエネルギーにして稼働する。人間の食事と似たようなものだ。


 それがなくなれば、動けなくなる。


 そうして彼女は、私の背後にある、ダンジョン最奥の一室で、その一生を終えた。最期に、私に言葉をかけて。


『この力は強大すぎる、だから、あなたが護って。ごめんなさいね、こんなことお願いして、でもね、きっといつか救われる日が来る。だから、その日まで、私と、この地を護って。愛してるわ、…フ…ア…』


 この地を護る。その命令は、次第に殺戮へと変換されていった。最初は、興味本位で訪れる人を追い返すだけだった。

 けれど、刃を向けてくる者には、同じものを以てもってして対処した。それからは簡単だった、毎日毎日、白銀の刃が私に向かって振り下ろされた。それでも私はここを護った。転がる死体を蹴飛ばして、迫りくる刃を迎え撃った。


 でも、もう嫌。殺したくない、違う、最初から殺したくなどなかった。勝手に入ってくるから、剣を向けるから。


 違う、護るために。違う、傷つけられたから。違う、違う、違う、血が………


「君か、動き続ける自動人形ってのは」


「――――っ!」


 気づけなかった、気配がしなかった。

 眩しいほど反射する、磨き抜かれた純白の鎧を身に纏い、煌びきらびやかな装飾の施された長剣を帯びている男。それは、王国騎士のものだった。


「……もう、終わりたいんだろう?」


 剣が抜かれると咄嗟とっさに判断し、大鎌を構え直した私は、目を見開いた。憐れみの視線、いや、哀しみの眼差しを向けてくるその騎士は、剣を抜いていなかった。


 代わりに、右手を差し出していた。


「僕が救ってあげよう、王国騎士団団長、シュバルツ・アーサー・メイデンの名において、君を救おう」


 意味がわからなかった。しかし、同時に理解していた。否、期待していた。この騎士は今、救うと言った。もしかしたら、彼がそうなのかもしれない。待ちわびた救い、もとい、自分を殺してくれる存在、、、、、、、、、、、


「今までの償いと共に、永遠に眠れ‼」


 ゆっくりと、私が頷いた瞬間、騎士は踏み込んだ。磨き抜かれた剣技を以て、探索者を殺戮する兵器を壊す。その瞬間を、その目で確かめるため、騎士は瞳孔を大きくする。


 しかし、結果を見れば、それは止めてやめておけばよかっただろう。


 白銀の剣閃が、少女の形をした殺戮兵器に触れる寸前、滑らかな一振りが、騎士の首を跳ねた。


 ボトッと、グロテスクな音がして、その頭部が地面に転がり落ちた。斬られたこともわからず死んだ騎士、格好つけた構えを、そのまま残した胴体は、バランスを崩してバタッと倒れた。


 そのくだらなく、とるに足らない実力に失望して、私は心を閉ざす。救いなんてない、待ったって無駄。


 それが自動人形の運命。

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