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 社長は私を一瞬見下ろす。私はバスタオルの胸元を両手で隠した。


 社長の足音が、恐竜の足音のように床を鳴らす。


 寄るな……。

 触るな……。

 近付くな……。


 私に指一本でも触れたら、舌を噛みきって死んでやるんだから。


 社長はそのままスッと出て行った。


 えっ?


 襲われてしまうと、身構えていた私。何もされなかったことに、拍子抜けした。


 目の前には二日酔いの薬。

 わざわざ私の様子を見に来てくれたの?

 あの社長が薬を持って……?


 少し苦い漢方薬を口に含み、一気に水で胃に流し込む。


「ふうぅーー……」


 社長は悪人なのか、善人なのか、冷たいのか、優しいのか、さっぱりわからない人だ。


 肉食獣が食べない私は雑草?


 ドレッサーの前で髪を乾かせながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。


 ◇


 五月になり、早苗さんは殆ど銀座店に出社しなくなった。フラワーアレンジスクールの開校準備と、役員の仕事をこなし多忙を極めているようだ。


 銀座店はフリーターを一人採用した。三つ葉小百合みつばさゆり、二十二歳。新しく加わった仲間だ。


 同じバイトでも凛子ちゃんのように、オンナのフェロモンを花の香りみたいに振り撒くタイプではなく、どちらかといえば早苗さんみたいにサバサバしたタイプ。


 大雑把な性格で、繊細な花を取り扱うにはちょっと不向き。女だてらに木葉君よりも男らしい。


 一人増えたことで、シフトが若干楽になり、久しぶりに二日間の有給休暇を貰えることになった。


 休暇中に行きたい場所が二つある。


 ひとつは不動産屋。

 もうひとつは……実家だ。


 葉子とのことが気になりながらも、新居が決まらず実家に帰ることが出来なかった。


「おはようございます。椿様」


「おはようございます」


 私はいまだに社長のマンションで暮らしている。


 一日も早く出て行きたかったが、都内で女性専用、オートロックマンションを探すことは、資金的にもかなり難しいと悟った。


 それにこんな贅沢な待遇の居候をしていると、一DKが兎小屋みたいに小さく感じる。


 このまま他人の財力の恩恵を受け、贅沢に溺れてしまうと、私はダメ人間になってしまう。


 身分相応な暮らし。

 オートロックマンションでなくても、女性専用でなくても、築年数が古くてボロアパートでも、雨露が凌げればいい。


 それが今の私には相応しいのだから。


「あんずさん、今日と明日お休みなんだ。朝食手伝います」


「本当ですか? でもこれはわたくしの仕事です」


「あんずさんの仕事を奪ったりしないわ。久しぶりに料理したくなっただけ。もうすぐ一人暮らしをする予定だから、あんずさん簡単メニュー教えて下さい」

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