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「とにかく! 受け取れません!」


 木葉君はお金を私のバッグに突っ込んだ。


「木葉君……もしかして怒ってるの?」


「怒ってますよ。俺は椿さんと二人で飲みたくて、このお店に誘ったのに」


「本当にごめん。二人きりで飲む自信なくて。木葉君は優しいから。ごめんね、じゃあ遠慮なく。今夜はご馳走さまでした」


「椿さん……」


 私はカウンターに座っている桃花ちゃんに手を振る。


「私もそんなに強くないから。あまり優しくしないで。桃花ちゃんはいい子だよ。おやすみなさい」


 店を出た私は、タクシーを停めて三軒茶屋に向かった。


 木葉君には大人の振りをしたけど、本当は全然大人なじゃない。年齢だけが毎年更新され、精神年齢は二十歳くらいで止まったままだ。


「お客様どちらまで?」


「三軒茶屋の隠れ蓑まで。ご存知ですか?」


「三軒茶屋の隠れ蓑を知らないなんて。タクシー業界では有名ですよ。高級老舗、常連しか入れない有名人や政治家御用達の店です。お忍びですか?」


「お忍び!?」


 確かに、誰かに見られては困るけど。

 お忍びだなんて。


「やはりそうですか。お忍びに利用される方が多いですよね。こっそり入店し、出口は方々に用意されてるらしいですからね」


 そんな店なの?

 まるで忍者屋敷だ。


 有名人が恋人や愛人と密会するのかな。


「私は堂々と入り堂々と出ます」


 タクシーの運転手はケラケラと笑った。


 そんな店に呼び出さないでよ。余計誤解されちゃうじゃない。



 ―隠れ蓑―


 立派な門扉、高そうな料亭だ。


 タクシーを降りて店に向かう。隠れ蓑の女将に出迎えられ、離れの個室に案内された。


 室内は十二畳、中央に座卓があり社長がどっかり腰をおろし、酒を飲んでいた。


「お連れ様のお料理をすぐにお持ちしますね」


 襖で仕切られた隣室。

 もしや布団が敷かれてたりしないよね?


 淫らな妄想が頭を過り、トクンと鼓動が跳ねた。


「遅い」


 いきなり何よ。

 そんなの知らないよ。


「あの……」


「なんだ」


「あのようなメールや電話はしないでいただけませんか?」


「何故だ」


「迷惑メールと勘違いしますし」


 だいたい迷惑メールだし。


「ごちゃごちゃ言ってないで座れ」


「……はい」


 社長と向き合い座布団に腰をおろす。社長はお猪口を私に差し出してお酌をした。


「今朝は上手く逃げたな」


「はい、あんずさんに小荷物用のエレベーターを教えていただき、そこから……っ」


 ついバカ正直に答えてしまった。


「小荷物用か、野良猫が逃げ出すにはちょうどいい」

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