第四十六討 詭弁天

 どん、と背を押されて二人は異界へ到着。

 すぐさまサラが駆け出して、物陰に潜んでいたフタミを捕獲した。その顔をぐにりぐにりと揉みしだき、十分に満足した所で出発する。もはや慣れた道、特に障害となる幻魔も無く商店街へと到着した。


 先に二度も強敵相手に大立ち回りをした場所と同じだとは思えない、賑わい溢れる場所。ヨーコとサラに対して敵する心を持つ幻魔はいない。


 完全なる異物と見られた前々回、警戒心を持たれていた前回と比べると、多少なりと自然な形で受け入れられている、気がする。


「さあて、どっち行きますか」


 の右下交差点にてヨーコはサラに問う。


 掠手権現かすりでごんげんと戦ったのは交差点の南、卑脅権現ひおどしごんげんと刃を交えたのは東だ。未だ探索をしていないのは北と西、手掛かりも何もない以上はどちらへ行くも気の向くままである。


「こっち」


 サラが一方を指さした、西である。


「よし、じゃあそっち行こう」

「お~」


 特に反対する理由も無い、ヨーコはすんなりと同意した。


 幻魔たちの声と思しき音が、がやがやと騒がしい道を二人並んで進む。改めて見ても、この場所に集まっている幻魔たちは多種多様だ。手のひら程度の大きさの鼠が足下を通り過ぎたかと思えば、見上げる程の巨体を持つ牛頭ごずとすれ違う。


 行灯あんどんを頭に載せた二足歩行の犬がいたかと思ったら、背負子しょいこに載せたまきがごうごうと燃えている猿が歩いていく。めらめらと炎がさかっているが彼も周囲も気にしていない、どうやら平常の光景であるようだ。


 と思っていたら背中が熱い事に気付いた猿が跳び上がり、周囲の幻魔たちも驚いてワイワイと騒ぎ始めた。背負子の薪が燃えているのは異常事態だったようだ。


 先程の牛頭が炎を消そうと、炎上する物体を掴んで大地に何度も叩きつける。きぃきぃと上がっていた悲鳴がだんだん小さくなり、それが消える寸前で他の幻魔が牛頭を止めた。


 ズタボロになった猿が犬と猫に抱えられ、どこぞに連れていかれる。やりすぎた牛頭は正座させられ、妙に威厳のある鼠から説教を食らっている。


「しっかし、異常か正常か分かりにくいなぁ……」


 全てが異常な異界の風景、人間の常識で見るのは正解ではないのだろう。


「面白い、おもしろーい」


 ぺちぺちと手を叩いてサラは一連の騒動を楽しんでいる。先の事を比較的真面目に考えて行動するヨーコに比べて、彼女は今そこにあるものを自然体のままで受け入れているようだ。


 の横棒を更に西へと進む。井桁いげたの中央、元界では蚤の市が開かれていた場所。そこには見慣れない、何とも大きな建物があった。


 大きく立派な三門さんもん、その奥に頭を覗かせる瓦屋根の本堂。脇には五重の塔が立ち、その反対には人の背丈程もある釣り鐘を擁する鐘楼しょうろうが見える。それらが建つ敷地は漆喰しっくい土塀どべいでぐるりと囲まれており、正面の門以外の入口は存在しないようだ。


 単なる寺とは訳が違う。多くの建物を擁する大寺院、七堂しちどう伽藍がらんだ。


「こんなお寺、無かったよね」

「うん、無い」


 閉じられた門を見上げ、ヨーコとサラは再確認。

 今いる場所を元界に当てはめるならば、のみの市の入口となっていた場所である。井桁の中心部すべてが市という訳ではなく、ある程度の建物もあった。


 だが、それらが何一つない。

 土塀で井桁の中心部が囲われて、全てが伽藍となっているのだ。


「ふむ、ここまでの差異は今まで無かった事であるな。しかし、寺院か」


 女学院の七不思議を探した際は強力な幻魔によって一時的に変化した事はあれど、基本的には学院の形状と変わるものは無かった。完全に元界と異なる場所の発見は初である。


「よし」

「入りませんからね」

「まだ何も言っておらぬではないか」

「それは失礼しました、はいどうぞ」

「門を開けて進入したまえ」

「ほら、やっぱりぃ~」


 予測可能、回避不可能。ヨーコの読みは完璧だったが、避けられないのであれば関係無い話である。ゲンジョウからの指示を受け、ヨーコとサラは巨大で重い門を押す。


「んぎぎ……」

「むぅぅ……」


 身体能力が上昇している纏装状態。二人して全身を使って押し開こうとしても、門扉はビクともしない。


 ならば、押してダメなら引いてみる。丸い金属の取っ手をヨーコが握って、彼女の腰にサラが手を回して補助する。せーの、の掛け声とともに思い切り引いた。


バギンッ

「うわぁっ!?」

「むぎゅっ」


 取っ手が取れた、建造物破壊である。

 全力を込めていたヨーコは勢い余って後方へすっ飛び、彼女を支えていたサラにし掛かった。潰された彼女は小さく声を上げる。


「わわっ、ごめんっ」

「ヨーコ、重い……。すっごい重い、お相撲さんくらい重い」

「そこまでじゃ無いでしょ!……ないよね?」

「うん、冗談。でも私よりは絶対重い」


 人差し指を立てて、サラはヨーコの胸を突く。どずっ、と刺さった指は着痩せする彼女の胸に沈み込んだ。


「ちょ、何するのっ」


 刺してきた手を払って、ヨーコは自分の体を抱くようにして身を守る。


「今まで分からなかったけど、結構大きい」

「気にしてるんだから指摘しない!」

「大きい事は良い事じゃない、ヨーコ」

「運動する時に不便なの!って、博士、聞くな!」

「自分で喋っておいて何を言う。そも、吾輩はキミの身体の発育になど興味はない」


 面倒臭そうにゲンジョウは首を横に振った。

 危険危難、異常不浄が溢れる異界に在ってヨーコ達は軽口を叩く。心の内に寒気を生じる世界に居ればこそ、平静を重要として無意識に日常との繋がりを維持しているのだ。


 そんなささやかな心の日常も、異界の出来事に襲われる。


ズドォンッ!


「うわっ!」

「わぁっ」


 固く閉じられていた寺院の門とは反対側。

 道の向こうの建物を乗り越えるようにして、途轍もなく巨大な幻魔が現れた。鋭い牙が下から上に伸びた鬼の顔に、蜘蛛の如き八本の脚と紫色の胴体。開かれた鬼の口からは、瘴気しょうきと形容するべき黒々しい息が吐き出されていた。


「うっわぁ、ヤバそうな奴……」

「おっきい、でっかい、おっそろしい」


 口では怯えているかのような事を言いながらも、二人はすらりと剣を抜く。悪しき幻魔と戦い滅す、それが討滅士。もはや戦いなど慣れたものである。


 互いを一瞥してコクリと頷く、それだけで十分だ。ヨーコとサラは鬼蜘蛛へと駆ける。巨大で鈍重、そんな幻魔は二人を認識するも動きが追い付かない。


「はぁっ!」

「てやっ!」


 刃の煌めきが弧を描き、剣の輝きが線を引く。

 刀による斬撃と細剣による刺突、それが鬼蜘蛛の両前脚を捉える。


 かに思えた。


ビュンッ!

「えっ!?」

ヒュパッ!

「むぅ?」


 確実に斬り、突いた。

 ヨーコとサラは確実にそう考えていた。だがしかし、手には何の感触も得られず、目には幻魔の切断破壊された体は映らない。それはつまり。


ゴォォッ

ズガァンッ!

「くぅ……っ」

「わっととっ」


 咄嗟に後方へと跳んだ事で難を逃れたが、頭上から鬼蜘蛛の脚が振り下ろされたのだ。目標を捉える事が出来なかったそれは、大地を踏み潰して大きな穴ぼこクレーターを作り上げた。


「躱されるなんて、予想より素早い……っ」

「絶対に突いたと思った」


 鈍重と考えていた相手は、突撃からの剣撃を躱すほどに素早い。難敵となる事は必定、苦戦する事も確定的だ。油断していたつもりは無い、だが自分達の予想を上回ったのは間違いない。


 二人は更に警戒を強め、剣を握る手に更に力を込めた。


「サラ、合わせて」

「ん、りょーかい」


 前方の幻魔から目を離さず、二人は短く言葉を交わす。

 ヨーコの動きを確認して素早いサラが補うように動く、合理的な戦法である。ぐっと足に力を込め、再度の攻撃態勢を取った。


「よし、いく―――」

「何をしているのだね、キミ達は!」


 語気強めのゲンジョウの声。分かり切っている事を問う、意味の分からない言葉。強敵と対峙する状況でそんな事を聞かれ、ヨーコは少しだけ苛立ちながら答える。


「見て分かりません?幻魔と戦っているんですよ!」

「見て分からぬから言っている。幻魔など、!」

「はぁ?」


 意味が分からない、それがヨーコの頭にある言葉。ゲンジョウの頭がおかしくなったのか、それとも目が腐ったのか。それくらいしか考えられないような、頓狂とんきょうな発言だ。


「何言ってるんです、遂に頭おかしくなりました?いや、頭おかしいのは元々か」

「馬鹿を言っている時ではない。キミは何と戦っている」

「見ての通り、鬼の顔のデッカイ蜘蛛ですけど!?」

「吾輩からは見えん、そこには何もいないのだ」

「え、それどういう事ですか!?」


 自分も目には映っているのに、第三者からは何も見えない。そんな事が有り得るのか。ヨーコは自分の目を疑うべきか、ゲンジョウの目を疑うべきかで混乱する。


「ふむ、論より証拠であるな。ユウコ君」

「はいはい、人使いが荒いわねぇ」


 促されたユウコが手元の盤を操作する。


ギャリィィィッ!!

「んん?」


 途轍もない速度で近付いてくる、寸胴型の何か。高速で回転する車輪が大地と擦れ、凄まじい音が響く。先に見た市松を模した、無表情で何とも不気味な異界を探る勇者。そう、それは。


「探索機!?」


 ビックリする程の速度でヨーコ達へと向かってきたそれは、リアカーとそれから零れた荷を台として、宙へと飛んだ。


 驚愕の表情をもってそれを見上げるヨーコと、ぽかんとした顔で見るサラ。彼女達の視線を集めながら、勇者は鬼蜘蛛へと突撃する。


 だが、しかし。


ダンッ、ダンッ、ダンッ!

キュキュキューーーッ、ジャァァァッ!


 探索機はそのまま大地へと降り立ち、数度跳ねた後に車輪を滑らせながら急停止した。ヨーコ達が戦っていたはずの鬼蜘蛛、その体をすり抜けたのだ。


「……え?」

「これで分かったであろう、やはりそこには何もいないのだ」


 ゲンジョウの言葉を今度はしっかりと理解する。と同時に、見上げる程に巨大だった鬼蜘蛛は、霧が晴れるように消え失せた。何が起きたのかは分からない、しかしながら戦っていた相手が幻覚のたぐいであった事だけは理解できる。


 その時。


「ヨーコ!サラ!後ろよ!!」


 探索機から二人を見ていたユウコが声を上げる。

 呆然としていた二人はすぐさま我に返り、背後を振り向く事なく前方へと飛び退いた。何かが後ろを高速で通り過ぎ、襟足えりあしを撫でるように風が吹き抜ける。


 大地に片手を突いて着地、それと同時に身体を捻って後方へと向きを変えた。そこにいたのは、鬼蜘蛛のように巨大な何かでは無かった。


 穏やかな表情を浮かべ、柳の様に立つは女神の姿。

 四本腕は銀杏いちょうかたちの琵琶を持ち、今にも音色を奏でるかのよう。纏う黄色の羽衣は天女を思わせ、粘土で作られた薄黄色の塑像そぞうの肌はきめ細やかである。


 だがしかし左足から腹にかけて、どす黒く変色していた。柔らかな表情に合わないそれが、言い知れぬ違和感を覚えさせる。穏やかでありながら、うすら寒さを与えてくるのだ。


ガキキ……


 塑像は天を見るように首を上に向ける。土で作られたそれの喉元がピシピシと鳴り、小さな亀裂が生じた。それは一気に腹まで伸びて、バクリと左右に口を開ける。


 でたるは紫色の醜悪な触手、まるで何かに寄生されて内から食い破られたかのようだ。それは蛸や烏賊いかの脚の様に獲物を求めて自在に動く。


 美しき弁才天べんざいてんに姿を偽り、幻覚を用いて他者を惑わす醜悪なる幻魔。

 その者に名を付けるならば、詭弁天あざむきべんてんであろう。


ザァッ!


 腹の口から長く伸びた、腕の様に太い触手がしなる。それが狙うは目前の二つの獲物だ。風を切ってうなりを上げ、鞭のようにヨーコとサラに襲い掛かった。


バヂィンッ!

「くっ」

ビュゥンッ!

「わっ」


 刀で止めたが衝撃で後方に飛ばされる。

 大きく避けたが僅かに掠って体勢を崩す。


 変則的な触手の動きは予測が難しく、更にしなりを威力に載せて放たれる。まともに受け止めれば耐えきれずに後方へと押され、回避を失敗すれば大きく体勢を崩して隙が生じてしまう。


 つまり、どういう事かというと。


「面倒臭いっ!」


 好き勝手に飛んでくる触手を右に左にバシンバシンと音を鳴らして捌きながら、ヨーコはじりじりと後退する。防御するだけで精一杯、反撃に移るなど無理だ。


「ふっ、やっ、わっ、たっ、たっ」


 屈んで、転がって、跳び上がって。仰け反って、そのまま後方宙返り。

 まるで曲芸のようにサラは触手を躱す。一発でも当たれば重傷間違いなし、危険すぎる大道芸である。かなり派手な動きの中で、サラは弁天の観察を続けていた。


「んん~」

タッ


 横に一歩。


ブンッ、パァンッ!

「ほっ」


 出した足に向かって鞭が飛ぶ。それを予測していたサラは身を引いて躱し、地を打った触手の上を飛び越えた。


ブワンッ!

「よっ」


 次は顔面を薙ぎに来る。大きく身体を反らせてやり過ごした。


 猫の様にしなやかに軽やかに、縦横無尽に飛んでくる鞭を全て躱す。直感に従った、流れるような回避行動だ。


 詭弁天あざむきべんてんの正面から側面へ。側面から更に進んで後方へ。


 触手が生じているのは体の前側、後方にまで至ればその動きは鈍くなる。弁天像を挟む形となったヨーコとサラは視線を交わす。


「うおおおおっ!!!」


 咆哮と共にヨーコが前へと歩を進める。詭弁天に近付けば、触手の攻撃は苛烈となるは必定。だがそれに怯む事無く、あえて攻撃を受けるようにして刀で鞭を捌き続ける。


バァンッ!ズダァンッ!ビシィッ!


 直撃を可能な限り避けてはいるものの、どうしても手数が違う。腕に足に触手の先端が掠り、刀で捌くのとは異なる音も響き渡る。


「ふっ」

タッ


 ほんの少し足に力を込めて、軽く地から跳ねるように。攻撃の主目標がヨーコとなった事で、自身の行動に自由が出来た。ならばそれを活かすだけ。


 見る、躱す、感じる、避ける。サラは乱れ来る触手の巣をすり抜けていく。


 そして彼女は辿り着く。


「とうちゃくっ」


 全ての鞭を背後に流し、細剣の切っ先をひゅぱりと天へ掲げた。


「せぇいっ!!!」

ザパンッ!


 柄を両手で持ち、上から下へ一直線。弁天の脳天から足元まで、一気に切り伏せた。


「はあぁっ!!!」

ズパンッ!


 背後からの一撃で触手の動きが止まる。その隙にヨーコは駆け、左から右に刀を振り抜いた。


 剣閃十文字。


 縦と横に切り裂かれた詭弁天あざむきべんてん、その体がバラバラと土塊つちくれになって崩れ去る。一瞬後には、砂粒が風に乗って彼方へと飛び散り消えた。


「よぉしっ!」

「わーいっ!」


 ヨーコとサラは同時に拳を握って天に突き上げる。ユウコが操作する探索機が二人の足下へと近付いて、彼女達にならうように両腕を上げた。


 喜びの中にある三者。


 彼女達とは異なり、ゲンジョウは顎に手を当てて何かしらを思案していた。


「寺、か……」


 彼は一言、そう呟いたのだった。

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