第五討 図書室ノ怪

「異界散歩はどうだったね」


 特に危険もなく、ヨーコは無事に元の世界へと帰還した。散歩とは名ばかりで周囲を警戒しながらの探索であったため、帰ってきたと同時にヨーコはその場にへたり込んだ。


「つ、疲れましたぁ…………」

「おや、そうかい。随分と楽しそうな声が聞こえていたが」


 ゲンジョウはそう言うが実際の所、感嘆四割、悲鳴六割である。街並みは二人がいる元の世界、元界げんかいとでも言うべきか、と全く同じ。しかしそこに、人間は誰一人存在しない。


 代わりにいるのは、何とも不可思議な幻魔たち。道を闊歩する牛と見紛う大きさの鼠や二本の足で海から歩いて上がってくる鮫、道端で寝ころんで時折ボリボリと腹を掻いている何とも親父臭い人間大の猫などなど。不可思議で友好的な者たちがいた。


 その反面、屋根の上を飛び回る人面蜘蛛や空を舞い飛ぶ骨の鳥、顔面が十字に割れて獲物を捕食する白兎などなど、どう考えても危険な幻魔もあちらこちらで動き回っている。そんな世界であった。


「楽しくは…………無いとも言い切れないですけど、恐ろしさというか、背筋が寒い感じがするというか」

「ふぅむ、人間が入り込むような場所ではない故に、という感覚なのかもしれんな。これはまだまだ検証が必要であるようだ」

「え、それってまた行けって事ですか?」

「当然だろう。現時点ではキミしか奇心持ちがいないのだからな」


 さも当たり前のようにゲンジョウは言い放つ。研究助手であるヨーコは、馬車馬の如く使われるのが宿命さだめなのだ。


 その日から連日の異界探索が始まった。


 研究所周辺、港周り、商店街。路地裏、曲がり坂に女学院前。友好的な幻魔の頭を撫で、敵対的な幻魔の目を躱し。暗がりを避けつつも、時には大胆に駆け抜けて。


 数日の後、ヨーコは遂に女学院の門前まで辿り着いた。


「異界で見ると学院も不気味に見えるなぁ」


 何度も異界に赴いた事で、ヨーコも大分と異常な環境に慣れていた。そんな彼女の目をもってしても、鉄の格子門の先に建つ我が学び舎は暗く感じる。何者かの影が学院の庭を蠢いているのも、敷地外から認識できていた。


「ふむ、では中に入りたまえ。目指すのは図書室だ」

「ホント、簡単に言ってくれますね……。まあ、行きますけど」


 体重をかけて、ぎぎぎぃ、と大きな門を開く。そろりそろりと庭へと入り、周囲を警戒しながら奥に建つ高等教育学校の校舎を目指す。


「うひぃ、でっかい百足むかでが這いずり回ってるぅ……。」


 自身の身体を抱くようにして、ヨーコは身を震わせる。彼女が見たのは紫の体色を持つ大百足。その体が長いのは勿論の事、一つ一つのせつが一メートルはあろうかという大きさである。そんなものが、舶来式庭園の植栽の壁を乗り越え、巻き付き、這いずり回っているのだ。


「うおぅっ、首から上が骨の馬ぁ。首から上、どうやって繋がってるのぉ……?」


 悠々と敷地内を闊歩するは、鞍を背に付けた骨の馬。急に走ったかと思えば、いななくように前脚を掲げる。見つからないように花壇や石像に隠れながらヨーコは進む。しかし、どうしても道を塞がれてしまうため、向かって右手の瑞穂式庭園へと入り込んだ。


「あー、ここにも七不思議のカエルがいるって……うわっ、四本脚の鯉!?気持ち悪ぅ…………」


 白と赤の錦鯉。その体の側面から、人間のような脚が片側二本で四本脚。身から水を滴らせながら、ひたひたと陸上を移動する。あまりにも歪な存在に、生理的嫌悪が身を震わせた。


「ふ、ふひぃ。何とか辿り着いたぁ……」


 なんとかかんとか、ヨーコは高校の建物へ到着。内部にも動くが見えるが、危険性は外に居ようが中へ進もうが同じである。そう考えて、彼女は躊躇する事無く、ガラスがはめ込まれた木の扉を押し開いた。


 きいぃ、と蝶番ちょうつがいが鳴る。多くの生徒がいる学校では気になる事すら無い、そんな音がシンと静まり返った校舎に響いた。


「暗くは、ない?といっても明るくもないけど。外と同じで青白い……」


 校舎内は青白い光で満ちていた。しかし影で満ちているような感覚も同時に認識する。それ故に、明るいのに暗い、という不思議な空間となっていた。


 一歩一歩足を前へと進める。目指す場所は渡り廊下を超えた先、特別棟の二階だ。


がささっ

「うおっ!?なになに!?」


 歩いているヨーコの隣、足下の至近距離で音がざわめいた。咄嗟に飛び退き、彼女は身構える。そこにいたのは。


「え、小さい女の子?市松人形?なにこれ」


 おかっぱ頭に赤着物、白い肌に白の足袋たび、そして赤い鼻緒はなおの黒色下駄。しかし大きさは手のひら程度、また能面のような顔ではなくしっかりと表情がある。そんな市松がヨーコに気付いて、驚いたようなハッとした顔を見せて走り去っていった。からころからころ、と小さな下駄の音がする。


「う、うーん。可愛い?」

「ほう、小さな市松人形とは面白い」

「うわっと!?」


 学院に入ったあたりからずっと静かだったゲンジョウ。その声が急に耳に入り、ヨーコは驚いて心臓が飛び出した。…………ような衝撃を受けて、ドキドキと拍動はくどうする胸を押さえる。


「急に声を掛けないで下さいっ!驚くじゃないですか!」

「どんな言葉を発してもキミは驚いて飛び上がったろうに。吾輩を非難するのはお門違いというものだ」


 声の向こう側で彼が肩をすくめている、それがヨーコにはハッキリと分かった。


「まあいい。先程の小市松、一体持って帰ってくれないかね?」

「いや、無理ですよ……。捕まえようとした手を持ってかれたらどうするんですか」

「その問題が有ったな。我が研究所には労働災害保険制度は存在しない、補償は約束できないのを忘れていたよ」


 はっはっは、とゲンジョウは笑う。対して、笑い事では無いとヨーコはげんなりした。まだ彼との付き合いは一週間程度で短いが、その滅茶苦茶加減と常識の一部の欠落は十二分に思い知っていた。だからこそ彼女は思う、彼こそが俗に言う狂人研究者マッドサイエンティストなのだ、と。


「それはそうと、さっさと進むべきだ。どこから何が出てくるか分からないからね」

「どの口が言ってるんですか……。はいはい、分かりましたよー、っと」


 警戒しつつも軽快に、ヨーコは通い慣れた校舎の中を歩き進む。階段横の通路から渡り廊下へ入り、特別棟の一階へ。そこには更に不可思議な光景が広がっていた。


「うおおぅ、さっきの子が一杯いる~」


 小市松が廊下を走り回り、部屋名ひょうの上に腰掛け、ふくろうの幻魔に乗って自由自在に飛び回る。小さな鞠を蹴り合い、どこかで拾ったのであろう硝子玉を愛でている。ヨーコが立ち入っても逃げる事無く、彼女の事を興味深げに見るだけだ。


「この子たちは友好的な幻魔だね。うんうん、ちょーっと失礼しまーす」


 小さな彼女達を踏み潰さないように避けながら、階段を上って二階へと至る。廊下を突き当りまで進めば、そこが目的地の図書室だ。


「んー。なんか、暗さが強くなってるような?」


 廊下の先、そこに図書室の扉が見えた。板張りの廊下と木の引き戸、しかしまるで黒インクで塗られたように暗く感じる。青白あおじろの世界である事は変わらない、感覚的に黒を捉えているのだ。


「うぅ、行きたくないなぁ」

「残念ながら、そこからでは帰還できぬよ。異界そちら元界こちらでは、距離の概念が希薄だとしてもな」


 異界探索中に検証して分かった事象。それは異界のどこからでも研究所へ戻ってこられる、という事だった。ゲンジョウが作り上げた腕輪は、研究所の輪とヱレキテルで繋がっている。だからこそ言葉を交わせているのだが、その繋がりが道となっている、彼はそう定義したのだ。


「え~、なんでです?今までどこからでも戻れたじゃないですか」


 ヨーコはゲンジョウと話しながら、図書室へと進む。


「分からぬ、どうもヱレキテルの状態が安定せんのだ。だが仮定は出来る」


 彼女は引き戸に手を掛け、がらり、とそれを横に開ける。


「ええと、それは?……ん?」


 図書室へ踏み入ったヨーコは気付く。先程まで足の踏み場もない程に遊びまわっていた、可愛らしい小市松が、梟の幻魔が、何一つ自身の周りにいない事に。


「幻魔だ。それも強力なヱレキテルを持つ者。それが近くに―――」


 ゲンジョウが仮定を解説し切るよりも前に、それはヨーコの前に姿を現した。


「う、うわわっ!!??」


 本を使って人を惑わし。

 運命天命全てを狂わす。


 人を殺すはおのが為。

 恐怖を根差すは我が為に。


 書架の森に潜むは幻魔。


 その者の名は、図書室怪。

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