第一章 夕月女学院七不思議

第一節 図書室ノ怪

第一討 アルバヰト

―――遡る事、数時間前。


 ヨーコは教室で友人たちと談笑していた。


「はぁ~、お財布が寂しい……」


 頬杖を突きながら、彼女は一銭いっせんで買ったおにぎりを齧る。具の無い塩むすび、購買で売っている中でも一番安いもの。育ち盛りの十六歳、高等教育学校の二年生にとっては、なんとも侘しいお昼ご飯である。


「ヨーコ、アルバイトしないのかしら?」

「うーん、やりたいのは山々なんだけど……」


 たった一個のお昼ご飯を食べ終えて、水筒からカップにお茶を注ぐ。やっすい茶葉で淹れた緑茶である。それであっても一息つくには十分、彼女はゆったりと息を吐いた。


だが、その安寧はすぐに打ち破られる。


浦ヶ瀬うらがせ~、浦ヶ瀬陽子ようこ、いるかー?」


 引き戸を開けて小さな丸眼鏡をかけた女性が教室に入ってきた。ヨーコの担任教師である。彼女がわざわざヨーコの事を呼ぶ場合、要件は大体決まっていた。


「はいっ、なんでしょうか!」


 席から立ち上がり、教師の下へとせ参じる。目上の者に対して悪態をつくわけにはいかない、元気に手を挙げて。


「これを運んでもらいたい。持ち出しておいて片付けない者達がいてな……。あいにく、緊急の職員会議が入ってしまって対応出来ないんだ」


 教師はクイッと親指で背後を指す。そこには木製の台車に載せられた木の箱と、それに満載された本。どれにも背表紙に識別用の張り紙ラベルがされており、図書室から持ち出された物だという事が分かる。


「了解です!」

「いつも済まないな。では、よろしく頼む」


 ヨーコは元気のいい返事を返す。教師は申し訳なさげに頷き、彼女の業務へと向かって歩き去っていった。ヨーコがアルバイト出来ない理由、それは色々な形で頼まれごとをされ、律儀に全てを実行する為であった。


「ヨーコも損な役回りねぇ。たまには断ればいいのに」

「みんな困って頼んでくるんだし、断れないよ~」

「良い子ね、ヨーコは。っと、今日アルバイトだからそろそろ行くわ」

「おー、がんばれ~」


 肩掛け鞄を拾い上げ、友人は去っていく。本日は半ドン午後休講、すでに校内は静かになっていた。


 がらがら、と車輪が音を立てる。ごとごと、と載せられた木箱が揺れる。ぎしぎし、と木の床が軋む。それらが誰もいない廊下に響き渡った。まだ昼過ぎであるにもかかわらず人の声がしない校舎は、少しばかり薄ら寒く感じる。


「う~、さっさと終わらせて帰ろ、っと」


 台車を押す手に力を込め、進む歩みを速くする。ヨーコの教室がある教室棟の二階から渡り廊下を通って特別棟へ。図書室は特別棟の三階、階段を上って少しである。


「……ん?階段?」


 彼女は階段の前で立ち止まった。木板きいた張りのそれが、彼女の前に立ちはだかっている。そう、彼女と台車を阻むように。バリアフリィなスロープなど、あるはずがない。つまり。


「これを持って、上がれと……?」


 視線を台車へ移す。そこには、本が満載された木箱があった。






「お、終わったぁ…………」


 最後の一冊を書架へ納め、ヨーコは脱力する。多少の力仕事は覚悟していたが、まさかここまで体力を使う羽目になるとは。引き受けてしまった以上は仕方ないが、誤算も誤算である。


「大分時間経っちゃった、さっさと帰ろ」


 図書室には誰もいない、委員も半ドンでさっさと帰ってしまったのだ。そんな中で無関係なヨーコだけがいるのは、なんとも皮肉な話である。


「なんか怖いなぁ、ここ」


 いつも勉学に勤しむ者が溢れる場所なのに人がいない。違和感というか、少しばかり心寒くなる。いうなれば、幽霊でもいるんじゃないか、と考えてしまうのだ。


「…………さ、さてと、帰―――」


バサッ


「うわぁっ!?」


 誰もいない空間、その背後で急に音がしてヨーコは身体を跳ねさせた。彼女の叫びが図書室の中に響き渡った。


「な、なんだぁ、本が落ちただけかぁ……」


 書架から落ちた一冊の本が床に転がっている。理化学に関する図鑑、それなりに厚みのある書籍であった。落下時に大きな音がしたのも頷ける。それを拾い上げて、ヨーコは元の場所へと押し込んだ。


「理化学かぁ、こういう知識を活かす仕事なら力仕事とか少ないのかなぁ?まあ、力仕事も嫌いじゃないけど」


 最後の仕事を終えて、彼女は図書室を後にした。教師から預かった鍵で扉を閉め、職員室へと歩を進める。その道中で、ふと、彼女は思い出す。


「あれ?さっきの本、私が片付けた中にあったっけ?」


 それなりの数を色々な書架に納めた。だが、あの本がその中に有ったのかは定かではない。そんな事は考えずに流れ作業的に動いていたのだから、無理もない話である。


「まあ、いっか」


 大した事ではない、そう考えてヨーコは歩みを速くした。






 レンガ造りの建物に石畳の道、車道の左右を駆ける馬車と中央を走る電車。道行く人々は着物であったり、洋装であったり。二つを合わせたモダンな恰好も多い。今や瑞穂帝国は自国の文化と舶来の文化が混ざり、混沌としつつも艶やかに文化の華を開かせている。かくいうヨーコもまた、それにならっていた。


 薄手の白着物の上に羽織るは、青に黄色雪柄の腰丈羽織はおり。羽織は前を開いて涼やかに軽やかに。下は薄紫の袴を履いており、瑞穂の国の伝統を良い形で身に纏っている。百七十センチの背丈は、瑞穂乙女の平均値よりはそれなりに高い。


 だがその足元は黒のブーツ。伝統の草鞋や下駄ではない。モダンを取り入れた今時のお洒落、謂ふ所いうところのハイカラという奴である。帝都へ来て一年、随分と垢抜けたとヨーコは胸を張る。


 そんな彼女の赤が混じる黒髪はセミショート。昔ながらのい髪は最早古い、今は女性もショートヘアが流行りトレンドである。彼女の場合、癖の強い毛質であるために毛先がハネているが。ついでに言えば、どれだけ寝付けても頭頂部の毛だけが起き上がってしまう。その様たるや、軍で研究されていると噂される空中線アンテナの如し。


 不格好な髪など最早気にしておらず、薄茶色ライトブラウンの瞳には自信の光が宿っている。今や自分はモダンガールモガなのだ、と。田舎からのお上りさんは卒業なのだ、と。そんな事を考えている内は、まだまだモガへの道は遠そうである。


「アルバイトかぁ、何が良いかなぁ……」


 ぼんやりと考えながらヨーコは街を歩く。学校に限らず、色々な場面で頼まれごとをされる性質であるために、労働時間の決まったアルバイトは行いにくい。それを示すように、いま彼女の手には紙袋があった。港近くの喫茶店への届け物である。


「少し散歩するかぁ、イイ感じのアルバイト募集あるかもしれないし」


 配達を終えて、ヨーコは街を行く。アルバイトの募集は店先に貼りだされているのが一般的、それを探しに散歩がてらの探索である。いくつかの喫茶店を巡るも、流石に彼女の求める仕事は無い。時間に余裕がある時だけ入れる、そんな仕事は中々ないのだ。未成年である以上、夜間の仕事には就けない事も響いている。


「やっぱり難しいよね~。まあ、仕方ない……ん?」


 水路沿いを歩いていると、特徴的な張り紙に目を惹かれた。ヨーコは立ち止まり、それをしっかりと見た。


『アルバト募集!研究助手、求ム!


 就労日数及ビ時間ハ応相談!


 日数時間問ハズとわず、賃金ハ一時間二十銭ヨリ!』


 粗末な紙にデカデカと必要事項だけが書かれた掲示物。人を呼ぼうとしているとは到底思えない、なんとも乱雑な文字である。張り紙の横には木切れに黒の字で書かれた、研究所の名前があった。


平賀ひらがレキテル研究所……?胡散うさん臭ぁ……」


 顔をしかめてヨーコはその場から立ち去る。いや、去ろうとした。何かに気付いて彼女は後ろ歩きで張り紙の前へと戻り、その内容をよりしっかりと確認した。


「…………一時間で二十銭!?」


 思わず声が出た、無理もない。おにぎり一個が一銭、ちょっと良いお昼ご飯ランチが十銭。大体のアルバイトは、時給八銭から九銭が相場。その中で時間単価二十銭は破格と言えよう。


「い、いやいや、流石に無いでしょ、うん。どうせ一週間二十銭だった、とかそういう話だったっていうオチだよね。もし一時間二十銭だったら、そうとうヤバい事させられるに決まってるって」


 そうは言いつつもヨーコの手は、怪しい研究所のドアノブを握っていた。トタン張りでお世辞にも立派とは言えない建物、その扉も錆が目立っている。ぎぎぎぃ、と金属が擦れる嫌な音が響く。覗く内部は薄暗く、足元には様々な金属部品が転がっていた。


「あ、あの~、誰かいませんかぁ…………?」


 か細い声で問い掛ける。が、それに誰も応答しない。鉄のガラクタで埋められた室内の奥に、電気の灯りが見える。そこに人がいる事を願って、ヨーコはゆっくりと慎重に歩みを進めた。


「むむむ、よし、これで完成だ!ふーむ、及第点で良かろう、うむ!」


 突然響いた男の声に、びくりとヨーコは身体を跳ねさせた。ガラクタの壁から、そろりと顔を覗かせる。そこにいたのは灰色髪の男だった。


「おやぁ?そこに誰かいるのかね?」

「ぴぃっ!?」


 問い掛けながらゆっくりと振り返った男。ヨーコは思わず声を発してしまった。当然のごとく発見され、灰髪男は彼女の前に歩み寄る。


 肩に掛からない程度の長さの灰色髪は全く整えられておらず、ぼさぼさの状態。ほの暗い研究所の灯りに照らされた黒の瞳は、ヨーコを映して爛々と怪しく輝く。


 不自然に綺麗なワイシャツ、色々な汚れが付着して元の茶色が分からない荷役ズボンカーゴパンツ。それに多く付いたポケットには何かが大量に入れられて、随分と膨らんでいる。


 そしてその上から羽織るのはボロボロの白衣。袖や裾が千切れたように破れ、あちらこちらに焦げた跡があった。それを纏う彼の背丈は、ヨーコよりも五センチ程度高い。


 博士、というには随分とすすけている。だが、一般人とは絶対に言えないだろう。不可思議でなんとも怪しい、研究所の名前を体現するような男だった。年齢は三十を少し過ぎた位だろうか。


「見慣れないお嬢さんだねぇ、どちら様かな?」

「あうえ、ええと、は、貼り紙を―――」

「おお!そうか!」


 ヨーコの言葉を最後まで聞かずに、男は声を上げた。それに対しても彼女は身体を跳ねさせる。そんなヨーコの事など気にせず、灰髪男は怪しく笑った。


「ようこそ、我が研究所へ!」


 両腕を大きく広げ、彼はヨーコを歓迎する。呆気にとられる彼女の事を気にせず、男は高笑いするのだった。


 そして話は、冒頭へと戻る。

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