オオカミとの対話

sousou

第1話

「マルコはとんまな奴だ。おいらがあいつの羊をじっと見ていたとき、銃を取り出したかと思えば、見当違いな方向に撃ちやがった」


 ぼくが丘の中腹に腰かけ、陽が山の端に隠れていくようすを眺めていると、そんな声が聞こえた。横を見ると、前脚を舐めて毛づくろいをしている、灰色のオオカミがいた。


「マルコって誰?」


「そこの牧場主さ」


 オオカミが鼻先を、丘の麓に広がる牧草地に向けた。そこではちょうど羊の群が、牧羊犬に導かれて、小屋へと帰っていくところだった。ぼくはしばし考え、オオカミに言った。


「わざと外したんだと思うよ」


「どうしてさ」


「オオカミはね、貴重な動物なんだよ。人は昔からオオカミを恐れて、見つけしだい退治してきた。だけどそのせいで今では、ずいぶんと数が減ってしまった」


「おいらたちが減ると、人間にとって何が不都合なのさ?」


「生態系ピラミッドって知っている?」


「知らん」


 だよね、とぼくは言った。


「簡単に言うと、オオカミがいないと、きみたちが食べるはずだった動物が増える。そうすると、そいつらに畑の作物を食べられて、それはそれで不都合なんだよ」


 オオカミが興味なさそうに、あくびをした。と、急に目を見開いて、耳をそばだたせた。


「そういえば、人間のなかには、動物を収集して楽しむ奴がいるんだってな」


「そういう理由もある。あとはそもそも、動物を殺すことに抵抗がある人は多い。牧畜をやっているマルコは、そんなことは思わないだろうけど」


 オオカミがぼくの顔を見て、絶句した。ぼくは荷物のなかから、晩飯用に作っておいた、サンドウィッチを取り出した。水筒を振って、まだワインが残っていることを確かめると、それをコップに注いだ。サンドウィッチに挟まっている、ハムの匂いに反応して、オオカミが鼻をひくつかせた。


「動物を殺すことを嫌がる奴は、何を食って生きているんだ? 食わなければ自分が死ぬのに」


 ぼくは数日前に、燻製肉の塊を買ったことを思い出して、その包みを取り出した。ナイフで端を切り取り、オオカミの足元に置いた。だが彼はぼくの回答が気になるようで、肉に手を出そうとしなかった。ぼくはナイフについた油をぬぐった。


「動物の肉をいっさい食べない人もいる。それでも生きていけるからね」


「信じられない。何のために?」


「だから、殺される動物がかわいそうだと思って……あるいは罪悪感からだろうか」


「傲慢な。人間は自分たちのことを、神だと思っているのか?」


「言いたいことは分かるよ」


 ぼくは肩をすくめた。


「人間はおそらく、知恵をつけすぎたんだ。罪悪感というのはなにも、動物を殺すときのみ生じるものではない。人を殺すときにも生じるんだ」


 オオカミはやっと、肉を口にする気になったようだった。すんすんと匂いを嗅ぐと、前脚で押さえながら、肉を噛みちぎりはじめた。


「だが、人間だって、おいらたちと同じように、縄張り争いをするだろう。そのたびにザイアクカンが出てくるのか?」


 ぼくはコップを両手で持ち、その中のワインをのぞきこんだ。まるで血のようだった。


「……そうだね。だんだんと慣れてしまう人はいるかもしれないけれど、それでも、最初は誰しも罪悪感をいだくだろう」


 燻製肉を呑み込んだオオカミが、呆れた目をした。


「人間は暇なのか?」


 ぼくは笑って、ワインを一口飲んだ。


「だいたい合っているよ。人間だって、心の余裕がなければ、あれこれ考えない。今みたいに、丘の中腹で、日暮れを眺めているような暇があると、罪悪感についてあれこれ考えてしまうものなのさ」


 鼻を鳴らしたオオカミが、身を起こした。


「なら、さっさと行ってしまえ」


 オオカミは森へ向かって歩きだした。ぼくはサンドウィッチを咀嚼しながら思い出していた。どこかの国では、オオカミのことを「大神」と呼ぶらしい。ワインで口に残ったものを流し込むと、「ちょっと待って」と言った。オオカミが足を止めて、振り返った。


「もっときみの話を聞きたい。しばらく一緒に旅をしようよ」


 オオカミが天を仰いで、考え込んだ。


「まあ、縄張りの範囲までならいいぜ」


 ぼくのそばに寄ってくると、隣に座った。


「それと、さっきのうまい肉を、もう少し分けてくれよ」


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オオカミとの対話 sousou @sousou55

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