捨て子の王話

変若 茴人

第0話 それは生後2日目の出来事だった

あたたかい光、子鳥のさえずり、世界の端まで流れるたおやかな風。何をするにも最高の日に俺は両親に別れを告げられた。


それは生後2日目の出来事だった。


―――――――――――――――――――――


鏡国有寿きょうこくありす、高校2年の夏。

終業式の帰りに有寿ありすは母の病室へ向かった。


「最近学校はどう?上手くやれてる?」


心配性の母は見舞いに来る度に同じようなことを聞いてくる。


「うん。大丈夫だよ」


学校生活に不満はなかった。


「ご飯はちゃんと食べてる?」


「うん。昨日はオムライス作ったんだ」


自炊は12年続けている。


「お父さんとふたりじゃ大変でしょう?ねぇ?あなた」


窓に向かって母は問いかける。


「...うん。大丈夫。大丈夫だよ。」


一人暮らしにはもう慣れた。


「健康でいなさいよ。健康が1番だからね」


母の口癖だ。12年前から変わらない。


「うん。そろそろバイトだから、またね」


母の姿にいたたまれなくなって、逃げるように会話を終わらせた。


「うん、お父さんと仲良くね」


その声に答えることは出来なかった。


病院からの帰り道。目の前の少年が向かいの道路に犬を見つけた。好奇心旺盛な少年は道路へ飛び出す。大型のトラックがその道路を通過するところだった。幼稚児の背丈を大型トラックは視認できず時速55kmで直進する。このまま行けば確実に少年にトラックは突っ込む。有寿ありすは少年を助けるためその背中を突き飛ばし、その後衝突。即死であった。


鏡国有寿きょうこくありす

2020年7月31日12時32分 死亡

享年17歳


―――――――――――――――――――――


『助けられる範囲の人は皆助けたい。俺の信条だ』


久しぶりに聞いた父の声。これは、走馬灯だろうか。


『むつかしくてよくわかんないよ...』


父さんのあぐらに座る小さな俺。


『ハハハ。いつかお前にもわかる時が来るさ』


父さんと俺の会話を聞いて笑う母さん。あのころの幸せ。あぁ、父さん。あなたは褒めてくれるでしょうか。それとも、母さんを置いて死んだ俺を叱るでしょうか。

今の俺には、分からない。




有寿ありすが次に目を開けた時目に入ったのはすすり泣くふたりの男女だった。逆光で顔は見えない。


どうしたんですか?そう言おうとした。しかし、何度声を出そうとしても喃語なんごを発するばかりで言葉にならない。


立とうとしても、手を伸ばそうとしても、体が言うことを聞かない。そうしてもがくうちにふたりは行ってしまった。


─俺の体はどうなった?首の骨が折れたのか?声も出せない、体もまともに動かせない。俺はこのままどうなるんだ?

知らねば。分からねば。


ひとりぼっちの恐ろしさと味わったことの無い不自由がいっそう有寿を不安にさせた。


少しして、やっとわかった。自分が今赤ん坊になっていることを。そしておそらく、先程のふたりは自身の親で、1人では明日も迎えられないことを。ひどく、ひどく恐ろしくて彼は泣くことしか出来なかった。なぜ赤ん坊になっているのか、なぜ親は自分を捨てたのか、なぜ、なぜ、なぜ。


混濁こんだくする脳みそをどれだけ回転させても結論が出ることはなかった。疲れ果て、彼は眠りに落ちた。


不自然な揺れに目を覚ます。何者かが自分のことを運んでいるようだ。時々オオカミが草むらから飛び出してくることもあった。しかし、運び主が唸るとオオカミは恐れ逃げ出した。背後から聞こえるその唸り声はその主が人間では無いことを示していた。考えるにこの運び主も同種で自分の取り合いをしているのだろう。


おくるみの背を咥えられゆっくりと森の中央へ運ばれていく。彼は不安だった。弱い自分を運ぶ強いオオカミ。想像はマイナスの方向へ進むしかない。強く脳裏によぎる言葉。自分を運ぶ主は親で自分は今から子供の餌になる。そう確信していた。


もはや怯えることすらも出来ず、その時をただ待っていた。

トサと優しく降ろされる。有寿ありすが恐る恐る目を開けるとそこは木漏れ日の指す一際大きな樹木の目の前だった。少し横を見ると、恐らく自分を運んだであろうオオカミが大人しく座って、案ずるような目でこちらを見ていた。

しばしの静寂。聞こえるのは木々の擦れる音と鳥のさえずりだけ。そんな温和を一つの音が乱した。

ギギギギギ...パキッパキッ

目の前の巨木が徐々にその様相を変えていく。みるみるうちに巨木は人にごく近い姿となった。


「これは...珍しい拾い物をしたな...」


声が頭の中に直接響く。


「お主名をなんと言う」


ただ唖然とする赤子を巨木は優しく拾い上げ、およそ顔と思われる部分に近づけた。そして、老人のような声で優しく語り掛ける。しかし、有寿は今言葉を話せない。必死にその旨を伝えようともがく赤子に巨木はまた語り掛けた。


「頭で言葉を考えるのだ、今お主の頭はごちゃごちゃとして読めぬ」


有寿は諭され、1度深く息を吸いゆっくりと思考を整理していった。


『俺は有寿ありす。死んだと思ったらこの姿で、何故か棄てられた。あなたは誰ですか?』


巨木はふむと一呼吸置き、ゆっくりと答えた。


「ワシの名はフォレスト。森林の大精霊じゃ」


情報。有寿ありすの脳がぐらつく。


「ワシが見るにお主は転生し、その体になった。残念じゃが元の世界に戻る方法は分からぬ」


濁流。17歳の少年が気を失うのには十分な状況だった。




少し希望を持っていた。次に目を開けた時周りは病院で、医者と看護師が自分の状況を説明してくれると。全ては夢で、自分はただ交通事故にあって少し脳が混乱していただけだと。だが、現実はあまりに非現実的だった。

有寿ありすが目を覚ました時、病院ではなく小屋のような場所にいた。見るからに古く、もう何年も使われていないような、そんな小屋だった。




チチチチチ...

小鳥の鳴く声に赤子は目を覚ます。

古ぼけた小屋に現実を突きつけられる。


『あぁ...どうしようもなくここは現実なんだ』


有寿ありすは2度目の目覚めを経てやっと理解した。逃れようのない現実。もう彼等との青春は戻ることは無いのだと。


「目を覚ましたか」


柵のない布団に寝そべる有寿ありすに木偶人形が話しかけた。木が動くことに驚きはない。


『はい...少し、落ち着いてきました』


「良し。ならこれからの話をしよう」


大精霊と名乗る巨木は陽だまりのような暖かい声で話し始めた。


「お主はこれからワシが育てようと思う。行くあてもないだろう。ワシの知る全てをお主に教える」


願ってもない申し出に有寿ありすは安堵した。1人では明日も迎えられぬ身、知らない世界でただ1人。その不安全てが解消された。


『ありがとう...ございます...これから、よろしくお願いします』


「それでは、お主に名をやろう。お主は今日から【アリス・ソロモン】じゃ」


そうして森の大精霊フォレストとアリスの生活が始まった。


​───────​───────​───────​


18年後〜


「森じぃ!今日はご馳走だ!」


「フォフォフォお主も随分狩りが上手くなったの」


自分の背丈ほどの大きさをしたイノシシを持ち、満面の笑みで駆け寄る。アリスはあの小屋でフォレストの形代と共に生活していた。


「いや、まだまだ。スコル・ハティ兄弟に比べたら俺なんて足元にも及ばないよ」


「人間とオオカミを比べていることに違和感はないのか...」


アリスはすくすくと育ち、今日はとうとう18歳の誕生日だ。


「アリス...」


少し、慎重な面持ちで声を掛ける。不安と一抹の寂しさを覚えるような声に、アリスは明朗に答えた。


「うん、分かっているよ森じぃ。準備は済ませた」


18歳になる今日、アリスは初めてこの家を出て独り立ちする。


─少し前まで吹けば飛ぶような命だったこの子が、今となっては立派な青年になった。人の成長はあっという間だ。特に我が子のようなこの子は。病める日も健やかなる日もワシの18年はこの子のためにあった。たった、たった18年。本当によくここまで...


「そうか...」


ゴツゴツとした手でアリスの頭をわしゃわしゃと撫でる。


「お主程の男じゃ、どこに出しても恥ずかしくない」


「やめてくれよ、今生の別れでもあるまいし」


アリスは笑いながら返した。

そうして、食事を終えたアリスは出発の準備を整える。


「じゃあ。俺、行くよ」


小屋の前に立つ形代に最後の挨拶を告げる。


「森じぃの魔法があればこの先どんな事があっても乗り越えていける」


アリスの目は、唇は、こぼれそうになる涙を抑えるのに必死に震えていた。

ギギギギギ...

あの時、初めて出会ったあの時以来聞くことのなかった音が鳴った。小屋の真後ろにそびえ立つ巨木が、本来の大精霊の形へ変貌していく。


「これを持って行くと良い」


巨木の手に包まれたそれがアリスの前に差し出される。150cm程の杖、先の方に美しい翠の球体があしらわれた魔法使いの杖だ。


「これには、ワシの力を込めた大精霊の断片が使われておる。この世界に2つと無いお主のための杖じゃ」


アリスはゆっくりと手を伸ばす。この森の生活が脳内を駆け巡った。


「まずは大精霊たちに会いに行くと良い。色々と教えてくれるじゃろう」


堪えていた涙は限界に近かった。


「それから、ソロモンという名は少し特別でな、あまり大っぴらに言うものでは無い。これからは【アリス・フォレスト】と名乗ると良い」


ようやく、杖を掴んだ。


「ありがとう、森じぃ。大好きだよ」


湧き上がる言葉を必死に抑え、震える声でアリスは言った。


「行ってきます」


その目に曇りはなかった。恐れも、不安も。ただあるのは感謝、そして未来への希望だけだった。


「行ってらっしゃい」


その声は今までで1番優しい声だった。


アリスは歩み始めた。振り返ることも無く、2度目の人生の第1歩目をアリスは踏み出したのだ。

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