34 棕矢◆対/裏の棕矢◆その為に来たんだ

XX15年 3月


ある夜。自室で、お祖父様から渡された〝やる事リスト〟要に、原本の方を眺めていた。

「……?」

ふと外の結界が解けた気がしたんだ。

それはほんの一瞬の事で、今は得に異常は感じられない。

「何だろ…」

俺はリストを置き、椅子から立ち上がる。外を確認しようと思ったのだが…

窓の前に来た途端、なぜかそこだけやけに冷えていて、カーテンに伸ばした手が止まる。気温が低いというより、寒気のする冷たさ…。一抹の不安がよぎる。

記憶が鮮明によみがえる。声がする。


『人間、動物、物体に関わらず『アラユルモノ』が、通り道を介し、好き勝手に表裏の世界を行き来する。』

手紙に書かれていた言葉も、お祖父様の声となって頭に響く。


アキラ達を創った経緯は『裏側の世界の棕矢君』から聴く事。

もう裏の彼には、この件を伝えてあるから。


この手紙を読んでいるという事は、もうすぐ、お前の所に彼が来るということになる。

……いや、いずれにせよ〝何か〟が入り込んでいたら、大変な事になり兼ねない!

「よし…」

勢い良くカーテンを引く。…が、何も無い。少し身を乗り出し、庭を見渡すが、やはり特に何も無さそうだった。視線を上げた先の朧月が俺を照らすだけ。

深く息を吸い…吐く。

穏やかな月光に安心したのか、自然と自嘲気味な笑みが零れる。

……何だ。気のせいか。

後ろを向こうとしたところで…カーテンを開けたままだった窓の向こうで何かが動いた。

……ん? 真っ白な…鳥?

見間違いでなければ、暗い中、とても目立つ純白しろだった。

俺は再び窓に歩み寄る。さっきの結界の違和感もあり、少し慎重になる。窓にあと一歩…

「うわっ!」

突然風が吹き、何かが視界を塞いだ。

思わず目をつむってしまったので、聴覚を頼りに警戒する。

「な、何で窓が開いたんだ?!」

風でバサバサと音を立て、顔に纏わり付くカーテンを、やっとの事で払い退ける。

「はあ…びっくりした」

溜息を吐き、顔を上げた先に…


……!!

初めて顔を合わせた〝じぶん〟は、まるで鏡を見ている気分だった…

瓜二つ…同じ…俺…


「……つい


そいつは、こんな高さの、こんな小さな窓を通り越して、室内に立って居た。

俺と同じ顔で、同じ声で、彼は躊躇ちゅうちょ無く言う。

「ふふ、本当に同じだな…こんばんは、俺は〝反対側の棕矢おまえ〟だ」

フードが付いた純白のマントが全身を隠している分、顔だけが不気味なほどに目立っている。何もかもが、そっくりなのに、ひとつだけ違ったのは瞳の色が〝昔のまま〟だった…両目とも碧かった事。物凄く奇妙な光景で、気味が悪い。

けれど、ついさっきまで思い返していた「信じがたい情報」と「目の前の現実」とが結び付いてゆく。


祈りの日。口碑。

恭…存在カタチ

手紙…お祖父様の手紙…遺言。


『裏側の世界の棕矢君』

『時が…訪れた時は、これが役に立つさ』


瞬時に冷静になる。理解する…。

「そうか……。どうも、棕矢そうや君。君に、こんなにも早く会えるとは思っていなかったよ」

にやりと口角が上がるのが判った。いや…確かに、今の状況は、気持ち悪いとは思う。でも、こちらが動く前に〝ご丁寧に登場〟してくれた彼に感謝しよう。



◆ここから、俺と彼の不思議な人生が始まった。

再始動リスタートだ」


俺が言うと〝もうひとりの俺〟は真っ直ぐ俺を見据え「ああ」と答えた。

空気が張り詰め、しんとする。さあ。何が起こるのか…


静寂を破ったのは、対峙した彼の方だった。

「これ。お前のお祖父様から、預かっていたんだ」

彼がマントの内側から取り出したのは、封筒だった。

差し出されたそれは、確かに以前、お祖父様から貰った封筒とそっくりだ。

……また、白い封筒。


ふと、俺達の視線が交わる。

「…あの」と俺は言った。

「…はい?」

「君は、俺のお祖父様から何を聞いているんだ?」

「……?」

「俺は、お祖父様から一応、概要は聴きました…よく解らないことだらけですが」

「概要?」

「はい。そちら側の世界や、お狐さまが実在する事。

あの計画プロジェクトのせいで…世界ルナ釣合バランスが崩れて、各地で問題が起きている事。

…それから。君が俺に逢いに来る、という事も」


彼は、俺の言葉を聞いて「そうか…」とだけ呟いた。


「じゃあ…説明しようか」

彼が被っていたフードを外すと、マントが手品の如く、一瞬で消えた。

呆気に取られていると「魔性具ましょうぐみたいな物だから」と淡々と言われる。

魔性具…そうか。納得だ。同時に彼の、常人では不可能な不法侵入の謎も解けた。

「ああ。お願いします」


俺達は向かい合って、床に座る。


「言うまでも無く、俺達の世界は存在する」

「そうみたいですね」


NidArgentアルジャンRenardルナールという、表裏二つの世界の狭間はざまには〝門〟が在る。

『どちら側の世界ルナでも守護神とされる、お狐さま』が管理をしていて、門の開閉は、お狐さまにしか出来ない。


では、どうして〝門〟というものが在るのか。


一つ目は『お狐さま自身が、表裏を行き来する』為。

世界は二つでも、お狐さまは一柱。だから、狭間に創る門はひとつで充分だった。

二つ目は『お狐さまが見初みそめた〝少女達〟を連れ去る』為。

「祈りの日」と「天気雨」という条件が揃った時…そこで初めて、街の少女が、ひとりだけお狐さまに見初められる。そして、選ばれた少女は、不思議なことに〝自ら門に近付いてゆく〟という。彼女達の行動が自分の意思なのか。はたまた、お狐さまや、何らかの外因的な作用ものによって呼び寄せられているのかは判らない。

それから、一番の疑問は『なぜ、こんな事をしているのか』という事。

更に『亡くなった少女達の亡骸なきがら』は一体、どこにいってしまったのか…という事である。

お狐さまの目的が全く不明の、祟り染みた〝悪夢それ〟が起きれば、どんなに血眼になって探しても、どんな捜索方法を試しても、行方不明になった娘は見付けられない。彼女達は、肉体ごと消えてしまう。

だから街の人間は、昔から強引にも〝ナクナッタ〟という事にしているのかもしれない。

勿論、どこまでが本当の話かは判らない。

「本当の理由ことは、お狐さましか知らない」

「…ああ」


……見初められ、選ばれた街の少女。

頭の片隅に追いやっていた記憶が掘り起こされ、俺をじわじわと蝕む。


……恭。

裏側の棕矢おれの説明が正しければ、お狐さまが恭を連れて行って…命を奪ったことになる。

守護神と讃えられる神の正体は、まるで死神だ。天使の姿をした、死神だ…!

閉じ込めていた記憶と、説明された言葉で頭が混乱している。

今、悲しいのか、悔しいのか、恨んでいるのか…俺は唇を固く結び、俯いてこぶしを握る。爪がてのひらに食い込む。それでも強く握り締める。

息を凝らすと、己の瞳孔が開いているのが判る。呼吸は浅くなり、胸が苦しくなって、鼓動がうるさい…鬱陶しい。


「妹…〝恭〟の事か?」

突然、彼から発された名に顔を上げる。首筋を嫌な汗が伝った。


「俺達は〝表裏一体〟なんだ…恭達も。君の妹のこと、少しだけ聞いたんだ」





   □ ■ □ ■ □




「俺達は〝表裏一体〟なんだ…恭達も。君の妹のこと、少しだけ聞いたんだ」

「だ、誰から?!」

驚愕よりも不信感をあらわにした視線が俺を射抜く。

そんな彼に向かって、俺は少し思案すると〝嘘〟をく。

「…お前のお祖父様じいさまから」

……〝お狐さまとの事〟は、まだ彼に伝える時じゃない、と思ったんだ。


「え?! そ、それじゃあ、やっぱり君は、お祖父様と面識があったのか…」

「少し、な」

「そうですか…」

「……」

「お祖父様は…何て?」

つい先程の露骨な反応とは打って変わって、とても静かな声だった。

俺は考える。「〝今〟彼に、どこまでを明かしても良いのか」と。

「〝ここ〟にも似て非なる俺達が、確かに生きている…って。それから……」

「…それから?」

「……」

俺が言い淀んでいると、彼はこう提案した。

「じゃあ…俺がお祖父様から聞いた説明で、よく解らなかったところを訊いても良いですか?」

知らずと口角が上がる。

「ああ。その為に来たんだ」

「まず、計画プロジェクトについて…君は、どこまで知っているんだ?」

計画プロジェクト?」

「……俺達の〝禁忌〟のこと」

「……」

俺は、言葉を慎重に選びながら返す。

「初めは、随分前に、お前の祖父母が始めたもので、『亡くなった両親を復活させる為』の研究だったという事。

今から四年前の『〝祈りの日〟に行方不明になった〝恭〟を復活させる為』に…〝計画プロジェクト〟を再開した事…それくらいだ」

「分かった。ありがとう」と、彼は真顔で頷いた。


「次に…。計画の影響で、先程、君が言っていた〝門〟の管理が難航している。

これは、合っていますか?」

「そうだな」

目の前の棕矢が大きく息を吸う。

「では、お祖父様の言葉を借りましょう。現在〝弊害〟が起こりつつあって…更に、それが今後、悪化する…というのは?」

「正に、その通りだ」

「…そうですか」

自虐しているのだろうか。少し気弱な声に聞こえた。

しかし、束の間。ぱっと視線を俺に戻すと、冷静な声でこう言う。

「その弊害…具体的には、どんな事が起こるのか。君は知っていますか?」

「ああ」


■本来の役割■

「お狐さまには、ちゃんとした〝役割〟がある。

〝本来の役割〟は『色んなモノが、空から零れないようにすること』なんだ。

街の人間を守る、なんて極端に言ってしまえば、二の次だ。

お狐さまは、たった一柱で、表裏の世界を支えて…大規模な二つの世界の狭間はざま釣合バランスを取り、崩壊を防いでいる。

門の管理は…両世界の〝釣合〟をとる為に行っているんだ。

『天秤の皿にかけた水の量が少しでも釣り合わないと、どちらかに傾き、零れてしまうように』

……そう。

要に〝零れてしまった水〟が『門を突破してしまった、有りと有らゆるモノ』と、その『往来』という事です」



■崩壊■

「アラユルモノの中には『見初められた少女達の魂』も含まれている。

今後、現状より悪化して、お狐さまだけで本当に門…いや、世界を支え切れなくなったとする。すると、両世界は常に繋がったままの状態となる。

開門されたまま同然の狭間はざまからは、もしかすると俺以外の人間が…物が…反対側の世界に雪崩なだれ込んできてしまうかもしれない…。

釣合バランスも何もなくなるだろう。そうしたら、どのような形にしろ〝理〟が崩れたルナは崩壊だ。

それに今のところ、俺が把握している限りでは、俺以外の人間が門を通った事は無い。流石に、遠い昔まで遡ったら御先祖様の一人や二人、行き来した人がいるかもしれないけれどな。

あと。俺は、お狐さまと〝契約〟して、行き来する許可を貰っているから、平気なんだと思う」



■通り道■

「さて。話の順序が前後してしまったが、現在の弊害の話だ。

今この瞬間も、どこかで起きている異変。

それは『予測不可能な〝小さな門〟が、ルナの中で無数に出現している』という事。

仮に小さな門を〝通り道〟と呼ぶ。

通り道は、現状では完全に制御不可能だ。

更に、俺が一度だけ目撃したものからすると、どうやら『繋がっているのは〝ルナ同士〟だけではない』みたいなんだ。

だから、どこから何が、どれくらい、どうやって入り込んでくるのか…一切、予測できない。

規模が小さいのは幸いなんだが、これじゃあ逆に情報が少な過ぎる…」


「通り道…」

「え? どうした?」

「お祖父様も、その小さな門の事を話す時、同じ言い方をしていたんだ…」

「なんだ、そこまで聞いていたのか?」

「いや。あれはあくまでも〝お祖父様の推測〟だと言っていました」

「推測?」

「はい。正直、お祖父様が、なぜあそこまで〝世界ルナの理〟や〝異変〟について知っていたのかは、はなはだ疑問ですが…お祖父様は、俺にこう言いました。


『人間、動物、物体に関わらず『アラユルモノ』が、通り道を介し、好き勝手に表裏の世界を行き来する。

それは、つまり…。『自然現象のように、次々と〝禁忌が起き〟それによって必然的に、その都度〝代償が生まれる〟』

という事なんじゃないか?』


では、これ等を踏まえた上で、俺の〝推測〟です。


『規模』や『門の先が、どこに繋がっているのか』はどうであれ、

アラユルモノという言葉の中に、くだんの〝少女の魂〟が含まれているとすれば、

通り道なり、正門なりを通って『彼女達が戻って来てしまう』可能性だって生まれる。この〝戻る〟とは、結果的に〝計画の存在カタチの創造〟…恭の時と同じことを表す。

すなわち『彼女達がよみがえってしまう』と。

そして、禁忌が起きれば『禁忌それと同じ数だけの〝代償〟も起こり得る』

でも俺達の経験上、代償はいつ、どういうものになるのか、全く判らない。

だから、対処も難しい…」

「そう、だな。少女達が〝門〟を通って、お狐さまの縄張りに入っていく事は、ほぼ確実だしな…」

「そうだ!」

「…何だ」

今まで唇に親指を当てて考え込んでいた彼が突然、前触れもなく大声を出したものだから、つい不機嫌な声が出る。

「今まで見落としていたんだが、君の方の世界でも〝祈りの日が天気雨だと、少女が行方不明になるのか…?」

「…ああ」

俺が即答すると、彼の瞳に辛そうな痛みが滲む。

「やっぱり、そうなのか」

「工匠の口碑は…」

「はい?」

「〝こちら側〟の〝工匠の口碑〟を…教えてくれないか?」

俺の意図を読み取ったのか、彼は頷いて語り出した。

『此方側の世界に雨が降れば、お狐さまはすぐ近くで、わたし達を見ていらっしゃる。逆に、晴れている日には、そのとき雨降る地のお傍にいらっしゃる。そして。天気雨…〝狐の嫁入り〟の日には…〝全て〟を捧げるのです』


「言い回しは少し違うが、内容は〝俺達の世界〟と同じだな」

「そうか…。あ、話を逸らしてしまいましたね。すみません」

棕矢が体勢を変える。

「いや…構わない。互いの認識、情報は、ちゃんと合致させておいた方が良いだろう」

「ごもっともですね」

喋り疲れたのか、苦笑して肩をすくめた後、彼は黙ってしまった。

ほんの少しの休憩。


暫くすると不意に棕矢が、淡々とした声で言った。


「なあ…〝アキラ〟って言って、君は何の話か解るか?」

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