31 祖父□今夜…/棕矢◆説明/祖父□ダミー

XX15年 1月 


一月一日。年が明けた。

「お粥、少し冷ましたけど…まだ熱いですから、気を付けてくださいね」

「ああ」

「ゆっくりで構わないので、食べられる物は、ちゃんと食べてくださいよ?」

「ああ、そうだな。ありがとう」

「じゃあ、また後で来ま…」

棕矢そうや

「はい?」


「今夜…恭が寝たら、ちょっと、ここに来てくれないか?」

「はい。分かりました」


棕矢は一瞬だけ戸惑った表情かおを引き締め、しっかりと頷いた。





   □ ■ □ ■ □




「今夜…恭が寝たら、ちょっと、ここに来てくれないか?」

祖父様じいさまに食事を届けた時。俺は、そう声を掛けられた。

……どうしたのだろう?

やけに、はっきりした声と神妙な顔付きのお祖父様に、不安を覚える。

が、まだ何も聞かない内から不安がっていても仕方がない。表情を引き締めて頷く。

「はい。分かりました」


  *


コンコン


恭に「おやすみ」と言って、妹が部屋に入ったのを確認した俺は、お祖父様の寝室のドアを叩いた。

「お祖父様、棕矢そうやです。入っても良いですか?」

「ああ」

静かにドアを開けると、起き上がったお祖父様がベッドの背にもたれるようにして座っていた。

「お祖父様、無理は…!」

「大丈夫だよ」

慌てて駆け寄る俺に、お祖父様は諭すように、とても優しい声で言う。

「…うん」

「恭は?」

「え? ああ、たった今、部屋に入ったのを見届けてきました」

「よし…」

一瞬だけ、静寂が訪れる。

「今から…大事な話をしようと思うんだ」

俺を見詰めるお祖父様の瞳は、とても とても真っ直ぐで。不安というもやを射抜き、一気に掻き消した。心なしか、お祖父様の身体からは〝術〟独特の緩やかな波動も感じる。


冷静になる。こんな状況、幼い頃にも経験した。

あの仕事部屋で…。

こうやって、お祖父様と二人きりで…大事な話をした。


俺の腕が半ば無意識に持ち上がり、部屋全体に結界を張る。

そして、どこか冷めた感情のまま静かに腕を下ろした。

まるで、心の一部分だけが氷…はがねとなり、強固に凍え固まってしまったみたいだ。

ぼんやりと立ち尽くす俺を、お祖父様は優しい瞳で見ている。

そして「ここにおいで」と微笑み、ベッドの上をぽんぽんと軽く叩いた。

「…うん」

俺は促されるまま、お祖父様の隣に腰掛ける。お祖父様の綺麗な碧い瞳が俺を映す。真剣で、少し淋しそうな目だった。

「そんなに身構えないでくれ。大丈夫だよ」

そう言って、お祖父様が俺の頭を撫でてくれる。ふっと全身の力が抜けた。

「…はい」


「複雑な話をするから、順を追って、ひとつずつ説明するぞ」

「…はい」


お祖父様は、ぽつりぽつりと話し始めた。


NidArgentアルジャンRenardルナール 表裏の世界・人物■

「工匠に伝わるくだんの口碑の通り、この世界の反対側には、もうひとつのルナが在る。

更に向こうでは、そっくりそのまま『表と同じ人間』が生活している。


この、二つの世界を〝お狐さま〟が支えている、というのも事実だ」


「同じって…反対側の世界にも、俺やお祖父様が居るって事…?」

「容姿や声は同じだが、彼等の世界にも彼等の生活、人生がある。だから、姿形だけが同じというのが正しいと思う」

「そ、そっか…。確かに、俺達だけじゃなく、ルナの人達と反対側の人達が、全く同じタイミングで、全く同じ言動をしているなんて流石に有り得ませんよね」

「はは、そうだな」

「はい」



■お狐さまと門■

「次に、守護神の『お狐さま』は実在する。

実は、一度だけ直接、お逢いしたことがあるんだ。


表裏の世界の〝境界〟には、たったひとつだけ『門』があって、その〝門番〟をしているのが、お狐さまだった。

ちなみに、この〝門の開閉〟は、門番である、お狐さましか出来ない。

…だから本当は、私達は『裏側の人物』に会う筈が無かった」

……会う筈が無かった?

お祖父様の言い方が引っ掛かったが、訊ねる前に次の話が始まってしまう。



■アラユルモノと通り道■

「これから話す事は、今現在、起こっていることだ。

〝私達の禁忌〟…要に〝創造計画そうぞうプロジェクト〟を成功させた事によって表裏の世界の釣合バランスが崩れた。そして以降、弊害として突発的にいくつもの〝正門以外の門〟が出現するようになってしまった。

…いくら門番をしているお狐さまでも、流石に正門以外の『無数の予測不可能な門』を、全て管理するのは難しいみたいなんだ。

まだ出現する門の規模は小さいが、今後、確実に悪化していくのは目に見えている。


正門以外の表裏を繋ぐ門を、仮に『通り道』と呼ぶとしようか。

私の推測なのだが…

人間、動物、物体に関わらず『アラユルモノ』が、通り道を介し、好き勝手に表裏の世界を行き来する。

それは、つまり…。『自然現象のように、次々と〝禁忌が起き〟それによって必然的に、その都度〝代償が生まれる〟』という事なんじゃないか?」



禁忌…存在創造計画カタチそうぞうプロジェクト

禁忌の代償…色違いの瞳


そう。

お狐さまは、あの祈りの日に恭を連れて行かれた…。

連れて行かれた事で、恭は〝亡くなった〟筈だった…。

でも計画プロジェクトの結果〝連れ戻してしまった〟…甦らせてしまった。


……本当はもう、ずっと前から気付いている。

「こんな事をしてはいけなかったのだ」と。

あやまちだったのだ」と。

俺達は『世界のことわりを狂わせた償い』を、ちゃんとしなければならないのだ。


不意に、お祖父様がベッドの横にあった、タイプライターが乗った台の引き出しを開けて、何かを取り出した。そして、お祖父様が俺に差し出したのは封筒だった。

「封筒?」

「ああ」

何の変哲もない、真っ白な封筒。

「軽いな。中身は…紙?」

封筒を返し返し見ていると、突然、後ろから優しく抱き締められた。

「お祖父…様?」

俺を抱き締めた手は随分と骨張っていて、改めて、その衰弱振りを突き付けられた。

少し前までは大きくて、ごつごつした頼もしい手だったのに…。

……でも、温かい。

俺は、お祖父様の手に自分の手を重ねた。

「棕矢、許してくれ…」

「え?」

「おじいちゃんは、もう、そんなに長くは生きられないかもしれない…。だから、お前に託したい事があるんだ」

「……」

お祖父様は俺を抱き締めたまま、静かに話し始めた。

「一つ目。来年、アキラが五歳になる」

「アキラ? …去年の、二人の子供ですか?」

「ああ。その黒髪の方の『あきら』を、来年の十二月、引き取って来て欲しいんだ」

「確か、孤児院に引き取って貰った方の子です…よね?」

「そうだ」


……どうして?

「どうして、またうちで預かるんですか?」と、つい言い掛けた言葉を俺は吞み込んだ。密着したお祖父様の身体から、切ないほどに真摯な想いが伝わってきたから…

「劍を預けた時、院長さんと約束したんだ」

突然、寝室の空気が変わった。術を遣った時に似た、大きな波動が全身を…感覚を揺する。モノクロ映画のような映像が、はっきりと見える。会話が流れ込んでくる。俺は、思わず目をつむった。


『つまり…今から数年間、アキラ君をお預かりして、お孫さんがいらした時は、アキラ君を、そちらにお返しする…ということで宜しいでしょうか…?』

『ええ。唐突で申し訳ないのですが…』

『いえ、とんでもございません! では。すぐに手配いたしますので…恐れ入りますが、後日、こちらに来て頂けますでしょうか?』

『分かりました。どうぞ、よろしくお願い致します』



『では。あきら君、確かにお預かり致します』

『はい。よろしくお願いします』

『すみません。急に無茶なお願いをしてしまって…』

『いいえ。そんな事ないですよ。私達は大丈夫ですから』

『…はい』



『劍…少しの辛抱だ。時が来たら、ちゃんと棕矢そうやが迎えに来るから』



「…解りました」

目を開けた俺は言った。お祖父様が、小さく笑って俺の頭を優しく撫でた。

「二つ目だ」

俺は、そっとお祖父様の腕を解き、向き合う。

「はい」

「棕矢は、おじいちゃんと最初に仕事部屋へ行った時の事を、覚えているか?」

「勿論です」

「その時、本を見せたのは覚えているか?」


……本。


『棕矢。〝本棚ここ〟には〝とても大切な本〟が在るんだ』

『この本…。何か宿っていますか?』

『この本にはな、〝ある計画プロジェクト〟の記録が載っているんだ』


辞典のように分厚くて、くすんだ赤色の硬い表紙。見た目はシンプルでも、ざらざらとした触り心地が独特な…


「うん」

「おじいちゃんは、あの本に、最初の計画プロジェクトの時から記録と日記を付けていたんだ。勿論…恭の時も」

「…うん」

「あそこの本棚の一番下の段を見てくれないか?」

「え?」

お祖父様が、指を差す。指先を追うと、部屋に入ってすぐ左にある大きな棚に辿り着いた。俺はベッドから降り、本棚に近付く。

「どれですか?」

棚の前にしゃがみ込み、記憶の中にうっすらと残る、赤い本を探す。しかし、端からざっと見ても、それらしい物は見当たらない。そう思った時だった。

ある背表紙が目に留まった。思わず手に取る。

『この本…。何か宿っていますか?』

あの時の感覚がよみがえる。明るい茶色のなめらかな表紙に浮出エンボス加工が施してあって、小さい鉱物が所々にめ込まれている。何だか、仕事部屋の扉に似ている。

「…これ?」

振り返ると、お祖父様が頷いた。


……記憶の中にある本とは全くの別物。でも「何か宿っている」のは同じだった。




   □ ■ □ ■ □




「…これ?」

棕矢が振り返り、訊ねる。私は頷いた。

彼が今、手に持っているのは〝私が作った副本〟だ。

〝あの本〟を孤児院の古書室に隠す前に作った、計画プロジェクトの記録の写本。

封印ロックを解いてごらん」

「封印…?」

「ああ。しっかり掛かってるからな」

「はい」

棕矢が目を閉じて、本の表紙に手をかざす。

少しするとパリン、と小さくガラスを割ったような音がする。封印ロック解除、成功。

それなりに解除しにくい巧妙な封印ロックを掛けたが、これでこの子でも解除できる事が判明した。一安心だ。

「開きました」

「ああ」

「これ…今、中を見ても大丈夫ですか?」

「ああ。良いよ」

「…はい」

こくん、と唾を飲み込んだ棕矢が、慎重な手付きで表紙を開いた。

それから数秒、彼の動きが止まった。

「…存在カタチの創造手順ですね」

「そうだ」

「でも、これだけですか? 殆ど白紙…」

ページをパラパラと捲っている彼の言わんとする事は判った。

「日記か?」

「あ、はい」

「あれは、敢えて写さなかったんだよ」

「そうなんですね」

「今後、恭が見付けても、困るだろう?」

「あ…そうか」

本を持った棕矢が、私の横に座る。

「俺は、この本をどうすれば良いんですか?」

「まず。さっき話した、表と裏の世界の事や、お狐さまの事。〝門〟や〝通り道〟についてだ」

「はい」

「それを全部、ここにまとめた」

私は、開けっ放しにしていた台の引き出しの中に手を入れ、あのタイプライターで打ち出した紙の束を取り出した。棕矢に渡す。

「これを、その本に書き写してくれ。その後、ちゃんと封印ロックを掛けるんだよ」

棕矢は一度、手に持った紙の束に視線を落とした後、顔を上げると「分かりました」と頷いた。

「書き写した次は〝大切なもの〟が奪われないように、敢えて〝目立つところ〟に置いてくれ」

「え?」

案の定、少年は矛盾する私の言葉に首を傾げた。

「奪われないようにするのに、目立つ処に置くんですか?」

「そうだ」

「……?」

即答する私に、少年は、ますます不思議そうにする。

「ダミーだよ」

「ダミー?」

「そう。これは、ダミーなんだ」

「ダミー…。あ! この〝原本〟は、どうしたんですか?」

「あれは、おじいちゃんが隠してきたんだ」

「隠したって…どこに?」

「それは、お前にも言えない」

「何で?!」

「棕矢。すまないな」

「…うん」

少年が、こぶしを握り締めて俯く。

「時が」

「え?」

「時が…訪れた時は、これが役に立つさ」

「…う、うん」


曖昧に頷くだけで、棕矢は、もう追究しようとはしなかった。


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