30 裏の棕矢◆タイプライター/祖父□道標を/裏の棕矢◆君に…/祖父□生きている間は/裏の棕矢◆代償?
XX14年 12月
コンコン
俺は窓を叩く。
ここは、反対側の
……?
いつもは、ノックして少しすると何かしらの反応がある筈なのだが…
「まさか…」反応が無い。今夜に限って。どうして…
胸騒ぎがする。いや正確には、今朝から何か嫌な予感がしていたから、こうやって様子を見にきたのだが…。
やむを得ず、俺は術で室内に入り、ベッドに近付いた。
「おじいちゃん…!」
……あれ?
いや「おじいちゃん」で間違いは無い。しかし、彼は反対側の祖父。
でも今、自然と口から出たのは「おじいちゃん」と呼ぶ俺の声だった。
「…大丈夫か?」
今度は、小声で声を掛けてみる。やはり反応が無い。
……そんな。
急に嫌な想像が膨らんで猛烈な不安感に襲われる。咄嗟にしゃがみ込み、祖父の顔を覗き込んだ。
……あ。良かった。
横たわる祖父は一応、目を開けていた。大丈夫。ちゃんと呼吸もしている。
そこでやっと俺を見詰め返してくれた、お祖父様。けれど、俺を映したのは、とても弱々しい瞳だった。少し痩せたかもしれない。前回来た時よりも、目元が落ち窪んでいる気がする。
「大丈夫か?」もう一度、訊ねる。
「…ああ」
今度は、辛うじて聞き取れる声が返ってきた。少し安心する。
…と、突然。彼は
「え?」
「そこにある、タイプライターを持って来てくれないか?」
彼は静かに言った。
「う、うん」
指差された方を見ると部屋の角、机の横の小さな木製の台に、タイプライターが置かれていた。近付いて見てみると、その台にも机の様に引き出しが付いていて、脚には
「この台は?」
「頼む」
「うん」
俺はベッドのすぐ傍まで、タイプライターを台ごと運ぶ。
「ありがとう」
そう微笑んだ〝おじいちゃん〟の声は、しわがれていた。
□ ■ □ ■ □
十二月になって数日経った、ある夜。
コンコン
突然、寝室の窓が叩かれた。どうやら〝彼〟が来たみたいだ。
近頃、裏の
そんな関わり方も少し増え、彼の人となりも知り始め…何だか私に、孫が増えた気分だった。
「もし
が…今日は、ちょっと困った事になった。ベッドから起き上がれないのだ。今朝から調子が優れず、特に食も細かった。流石に危機感を覚える状態だった。
私の中で、彼に「申し訳ないな」と思う気持ちと、「来てくれて良かった」という気持ちが振り子のように揺れている。もう一度、起き上がろうと心掛けてみる。
……駄目か。
やはり、今日は難しいみたいだ。でも彼は自由に出入り出来るから、どうしても、という理由があれば自力で入ってくる筈だ。心配はしていない。
暫く沈黙が続いた後。案の定、風と
「おじいちゃん…!」と聞き慣れた声がする。
続けて「…大丈夫か?」と小さな声がする。しかし結局、私は動けなかった。なぜ、ここまで動けないのか判らない。これでは、まるで金縛りだ…。
と、少年が突然しゃがみ込んで私の顔を心配そうに覗き込んだ。それに視線だけで答える。
「大丈夫か?」と少年は確かめるように、もう一度ゆっくりと言った。彼の深い碧色の瞳が私を見詰めている。
「…ああ」
何とか返すと、彼は少しだけ安堵の表情を浮かべた。
……丁度良い。ひとつ、お願い事をしてみようか。
私は重たい腕を持ち上げ、部屋の隅を指差した。
「え?」
「そこにある、タイプライターを持って来てくれないか?」
*
前述の通り、今日はベッドの上で何もする事も無く…丸一日、ぼんやりと色んな考えを巡らせていたら、ふと閃いたのである。〝遺言を残そう〟と。
兄妹に……いや。『表裏の世界に生きる棕矢』と『
これから必要になるであろう最低限の
大袈裟に聞こえるかもしれないが、実際、私が作ろうとしている〝必要最低限の道標〟とは遺言そのものだと思っている。
*
「う、うん」
私の突飛な言葉に詰まりながらも素直に頷いた少年の姿を視線だけで、そっと追う。
「この台は?」
タイプライターを乗せてあった木の台をトントンと指で叩く音がする。
「頼む」
「うん」
そうして
「ありがとう」
私が微笑むと、彼も微笑む。
会話が途切れ、しんとしたところで少年が口を開いた。
「何に使うんだ?」
「な、何って…。字を打ち出すんだよ」
彼が真面目な顔で訊ねるものだから、私はつい笑ってしまう。
わざとらしい私の返答に「何だよ、それ」と言いたげな
「遺言を書くのさ…」
「え?」
一瞬で少年の顔が歪む。驚愕と不安が入り混じった、とても哀しそうな顔。
かげりを帯びて、どこか大人びてさえ見える、碧い瞳の棕矢…。
でも私が微笑むと、ゆっくりと小さく頷いてくれた。
そして「無理…しないでくださいよ…」と言って去っていった。彼が出て行った寝室の窓を、私は暫くぼんやりと眺めていた。
「不思議なものだな」
きっと生き物は、己の〝最期〟が近付くと、ちゃんと自覚するように出来ている。
「
……最後に。何としてでも成し遂げよう。
***
日が経つのはあっという間だ。十二月も残り半分を切った。
今、私の身体は、もう言う事を利いてくれないくらい弱っている。自分でも判るんだ。医者からは何度調べても、原因不明と言われているが〝原因〟が思い当たらないわけではない…。
「…何となくは、解っているんだ」
だから、この時〝原因を願った私自身〟に焦りや不安は殆ど無かった。
***
十二月も終わる、今年最後の晩。裏側の
……ああ。彼はどうして、こんなにもタイミング良く現れるんだろうか。
未だに不思議でならないが、きっと彼にも色々とあるのだろう。
今宵、私の前に再び現れた、純白を纏った不思議な少年。
「こんばんは」
「ああ」
「具合、どうですか?」
「はは…見ての通りさ」
「……」
「それで? 今日は、何だ?」
「え?」
「え、って。いや、君は私に用があるから来たんじゃないのか?」
「…きょ、今日は、用事があるわけじゃないです」
「そうか」
「…心配だったんだよ」
「……」
「……」
少年が黙ってしまった。横目で様子を窺うが、マントのフードの陰で表情がよく判らない。私は一息吐くと、少年に顔を向けた。
「
やけに、はっきりした私の声色に少年が一瞬ぴくっと身じろいだ。
「はい」
少し身構えた硬い声が返ってくる。
「君に…大事な役目を、お願いしようと思うんだ」
□ ■ □ ■ □
俺は大木の前に立っていた。冬の冷たい夜風がマントを緩く揺らしている。
頭の中で、ついさっきの光景が、何度も何度も繰り返されている。
『…用事、済みました』
ぼんやりと呆けていたせいか。はたまた、俺の〝個人的な用事〟に納得がいかないのか…。お狐さまからの返事が無いまま、純白の門が開かれた。
*
「
〝お
棕矢君ではなく、棕矢と呼んだ彼の声。それは、しわがれた声なんかではなくて、とてもよく通る声だった。
「君に…大事な役目を、お願いしようと思うんだ」
□ ■ □ ■ □
〝
そして、気付けば〝遺言〟を作り始めて、数時間。製作は順調だった。ベッドの上で、何日も考え尽くした
今宵は、朧月だった。半月の右側を更に削ったような、真夜中の月。これから三日月に向かって、どんどんと細くなっていく月。己の命の満ち欠け…もう欠けていくしかない、私の命を見ている様だった。
*
「出来…た」
長い夜が終わり、窓の外が朝焼けで淡く染まった頃。
遂に〝遺言の手紙〟と〝やることリスト〟が完成した。勿論、裏の
「よくもまあ、こんな身体で、これだけの量を打ち出せたものだな…」と、改めて思う。そろそろ
*
目が覚めると、棕矢…私の孫が、安堵の笑みを浮かべていた。少し瞳が潤んでいる気がする。
「お
「……」
段々、頭がはっきりしてくる。
……ああ。きっと、これは随分と眠ってしまっていたのか?
棕矢の様子から、そう思った時。ふと重要な事を思い出す。
……そうだ! リスト!
慌てて見回すが、私の目の前に置いてあったリスト…いや、私が打ち出した〝全ての紙〟が跡形も無く消え失せていたのである。更に、タイプライターは、机の横の定位置に戻されていた。
……もしや! 私が眠っている間に、棕矢が見付けてしまったのか?!
徐々に冷や汗が滲み、鼓動が速まってゆく。
あのリストには〝私が死んでから実行して欲しいこと〟が羅列されている。
だから、このタイミングで、あの子に読まれると私の目論見が、少しばかり狂ってしまうのだ。それに〝彼〟に託した役目も絡んでくるので、余計に…
いや、まず落ち着こう。
棕矢に「よく眠れたから、もう大丈夫だ」と告げ、ひとりにして欲しいと頼んだ。彼は、まだ不安そうだったが「はい」と素直に出て行った。
そこへ。入れ替わりに〝裏の棕矢〟が現れた。明るい内から姿を現すとは、珍しい。
「あの時、帰らずに引き返して良かったです」
彼は、いつも通り遠慮なく室内に入ってくると、マントの内側から〝紙の束〟を取り出した。それは間違いなく、私が打ち出した
彼は「ちょっと嫌な予感がしたので戻ってきた」と言い、「勘だよ」と付け加えた。
「起きる気配が無かったから。取り敢えず、タイプライターを片付けて紙も全部、回収しておいた。それに、遺言って…生きている間は、見付かっちゃいけないもののような気がしたんだよ」
彼はさらりと、でも少し自信なさげに言った。
私は「性格や口調は大違いなのに、やはり
「そうかも…しれないな。ありがとう」
*
そう言えば。ひとつ不思議な事がある。目が覚めた時、私はきちんと掛け布団を掛け、ベッドの中央で寝ていた。記憶では、ベッドの縁に腰掛けていた状態から寝てしまった筈。寝ている間に自力で、あんなに動く筈もない。
もしかしたら、裏の棕矢君が私を、きちんと寝かせてくれたのかもしれない。
□ ■ □ ■ □
朝日が差し明るくなった部屋に、いつの間にか緩やかな術の波動が漂っている。
その中で、ふと彼が呟いた。
「なあ…君が知っているか判らないが、ひとつ訊いても良いか?」
「はい」
「これは…。妻と私が倒れたのは〝代償〟なのか?」
「え?」
「私達が突然、あの世に送られるのは、アキラ達を創ったからか? それとも、私が〝願ったから〟なのか?」
「願った?」
「ああ…。以前、アキラ達を連れて、妻と丘へ行った事があっただろう?」
「そうですね」
「あの時。私は、お狐さまを見たんだ」
「そ、そうなのか?!」
「ああ。美しい狼みたいな姿をされていた」
「そうか。貴方には、見えていたのか…」
「ほんの少しだったがね」
「…うん」
「私は、お狐さまに〝もう街の少女を連れ去らないでくれ。私達はどうなっても良い〟と願ったんだ」
……代償。
多分、新たに
恭の時は〝甦らせた〟事が問題だったのだから。
それに、もし二の舞で害があるのなら、お狐さまが即座に創造を阻止しているだろう。
けれど俺には、それくらいの推測しか出来なかった。
「…ごめんなさい。俺も、そこまでは判らない」
「そうか。すまなかったね」
「いえ」
首を横に振り、俺は窓を開けた。部屋に冷たい風が入ってくる。
「棕矢君。君を信じているよ。本当に…ありがとう」
お祖父様が微笑んだ。
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