16 祖父□罪悪感/棕矢◆遂に?

八月末。

今宵の月は、とても美しい満月だった。

私は、棕矢そうやと二人で、仕事部屋へと向かう階段を上っている。

隣…いや、私より少し先を歩く少年。

今日は、何だかやけに、ご機嫌が宜しいみたいだ。

拍子テンポ良く段を踏み進めている。

仕事あの部屋を、最初この子は怖がっていた様だが、今は慣れてきたみたいで助かっている。

「何だ、棕矢。ご機嫌じゃないか。良い事でもあったのか?」

ちょっと、からかう口調で、背中に声を掛ける。


「…へへっ。はい! だって楽しみなんです!」

軽く振り向いた棕矢は、速度を緩め、私の横に並ぶ。


「あと少しで恭に会えそうだからか?」

「勿論です!」

「はは、おじいちゃんもだよ」


「僕、諦めません! 絶対に成功させます!!」


暗がりの闇を吹き飛ばしそうな、明るい声が響く。彼の瞳が輝いていて見えた。

この時、私はこの子に慰められたのだろうか。急に誇らしさが胸に湧き上がり、照れ隠しに、彼の頭を優しく撫でてやる。

「偉い偉い」

すると彼は、凄く嬉しそうな顔で恥ずかしそうに、はにかんだ。


「よし。おじいちゃんも諦めないからな」


口ではそう言った。本心だ。

けれど…


……本当は計画これが禁忌だという事を、

きっと、まだこの子は、完全には知らないのだろう。


ほんの少しだけ、胸の奥がピリッとうずいた。





   □ ■ □ ■ □





XX11年 9月


九月になった。

今夜こそは、本格的に〝本番の儀式〟を行うと、お祖父様と決めていたんだ。


   *


緊張するかと思っていたけれど、そこまでしていない。好都合だった。リラックスしていないと〝基礎〟だって始められないから。


仕事部屋に入ると、いつものように窓を開ける。

今夜の窓の向こうには、三日月をひっくり返したような形をしたお月様。残念ながら満月じゃないけれど、月明かりが少しでも入ってくれば大丈夫…って、お祖父様じいさまが言っていたから、大丈夫なんだよな。雲が掛かっていなくて良かった。


もう慣れた暗い部屋に、お祖父様が結界を張る。今までよりも、少し強度を上げているらしい。大事な日だから。


先にお祖父様が用意したのだろう。床には、必要な物が、たくさん並べられていた。


・木の器

蝋燭ろうそく

・多種多様な鉱物

・術で清めたルナの地下水

・ルナの鉱物いし


結界を張り終えたお祖父様が今度は蝋燭に火を点け、部屋の真ん中辺りに置いている。立ったままだった僕が「何か手伝いますか?」と訊くと「大丈夫だよ。棕矢そうやは蝋燭の傍に座って居てくれ」と、返ってきた。

たくさんの鉱物が入った籠を持ち上げる、お祖父様を横目に蝋燭と向かい合う形で座る。


お祖父様が、僕の周りに鉱物を並べ始めた。

最初は、僕から一メートルくらい離れた床に。それが終わると、更に、もう少し外側にも同じように置いてゆく。鉱物の種類や大きさに、順番が決まっているわけではないみたいだ。色も形も、大きさも、皆違う…


 *


暫くして。準備が整った。

部屋全体に、鉱物の力がうごめいている。流れるような漂うような、重いような…ここに在る、それぞれの鉱物達の息吹を感じる。それ等で出来た二重のに囲まれて、どこかの遺産や歴史的な儀式みたいだと思った。

今、僕の前の床には木で出来た器が置かれている。

古めかしいのは、お祖父様より、もっと前の御先祖様から、ずっと使い続けているからだそうだ。器の中は、まだ空っぽ。

「これから、この中に清めた水と、数種類の鉱物を入れていく」と、お祖父様が言った。でも、僕が「ある特定の鉱物いしに意識が向かないように」って…何を使うのかは、教えてくれなかった。

「今から、おじいちゃんが言った通りの事をするんだよ」

優しい笑みで、お祖父様が言う。僕は頷く。お祖父様が一呼吸吐く…。


「よし。やってみよう」

「はい」

まず。いつもと同じく〝基礎〟から。つまり、精神統一。

目を閉じて集中する。


何だか、普段より研ぎ澄まされている気がする。

僕の呼吸が一定の深さで、一定の速さで繰り返す。

物音ひとつしないのが不気味だったが、おかげでリラックス出来る。


少しして。


カタ


小さな音の直後、水の揺れる音がした。


……お祖父様が、器に水を注いでいる音。

心が落ち着き過ぎている僕は、驚きもしなかった。


「両手を出して」


言われるままに、手を前に差し出す。

ごつごつした、お祖父様の手が僕の手に触れる。僕のてのひらを上に向け、そのまま両手をくっ付ける。両手で水をすくう時みたいに…。

と、手の上に、小さくて、ひんやりとした物が乗せられた。

あ。きっと、ルナの鉱物。


「そのまま器に、手を入れて」


僕は、意識を乱さないように注意しながら、ゆっくりと〝手と鉱物〟を下に降ろしてゆく。冷たい。無事、れる事なく、器の水に手の甲が触れた様だ。


「水に手、全体を浸して」


水中に、僕の両手と鉱物が呑み込まれていく。本当に、湧き出て来たばかりの水みたいに冷たくて…一瞬、本で読んだ事のある「みそぎみたいだ」と思った。


「もう一度〝基礎〟…焦るなよ」


『ここが一番肝心な工程だからな』という感情が伝わってくる声音だった。お祖父様との願いを。計画プロジェクトを成功させるって決めたんだ。

それに応えよう。


「…………」


心の奥底から込み上げてくる、強い感情。

僕の精一杯の…最大限の気持ち。

それが、こうやって何日、考えても…何度、想っても。

変わる事は無い。



……大切な、愛しい妹を、僕は一生想い続ける事が出来る。


つうっ…と温かいしずくが頬を流れた。

水の中。それを、両手で受け止める。


零さないように…

僕のに〝僕の想い〟と〝かけがえのない記憶〟をすくい取る…溜めてゆく。


   *


ふと目を開けると、器の中にはふたつの鉱物いしが足されていた。

気付かなかった…こんなに、すぐ近くに器があるのに、水音すら聞こえなかった。

熱い塊が、まだ僕の喉を、胸をじりじりと焼いている。

涙で濡れ、ぼんやりとした瞳は、半ば無意識にお祖父様を探していた。

「棕矢…目を閉じて」

諭すような声がする。優しい、お祖父様の声にも…懐かしい、お父様の声にも聞こえる。深くて優しい響き…。ひとつ息を吐き、再び目を閉じる。

と、微かに〝術の動き〟を感じた。その力が、僕の身体を包み込む…。

すると、ついさっきまで全身を焼いていた塊が小さくなっていた。

小さくなった塊は、ゆっくりと溶けて、今は僕のなかに広がっている感じがする。

……?!

その時、突然〝人影〟が見えたんだ!

目をつむっている筈の僕は、びっくりしたけれど、すぐに集中した。

〝その人物ひと〟を見ようと、心のを凝らす。


相手の輪郭が、段々はっきりと見えてくる…と、

その人は…


「あ…!」

きっと声に出ていただろう。

目に映った、その人……いや〝その子〟は…少女の姿をしていたんだ。


「僕達がよく知っている子」の姿を。

その子は、僕と目を合わせると、とても嬉しそうに笑ってくれた。〝その子〟のお気に入りだった、ふんわりとした輪郭線シルエットの白い薄手のワンピースが微かに揺れている。


「…恭!」

僕も笑う。少女と…妹と。



……本当に! 目の前に、本当に恭が居る!!



しかし。

つかの間、〝鮮やかな夢〟は一瞬にして、白い霧に呑み込まれた。

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