14 棕矢◆工匠の秘密

XX11年 8月


外は、ほんの数日前よりも随分と陽が長くなって、照り付ける陽光が強くなった。

まだ朝晩は少し涼しいものの、やはり日中、街に出れば熱気を感じる季節だ。


そんな八月のある日、お祖父様じいさまが僕にこんな事を訊いた。

棕矢そうや。お前は、また恭に会いたいか?」と。

「そんなの、当り前だよ!」

僕はつい大声で言いながら、身を乗り出していた。


「じゃあ、おじいちゃんが会わせてあげるよ」


突然の言葉にその意味が解らず、目を屡叩しばたたかせる。

「でも、そんな事…」

「大丈夫、出来るよ。おじいちゃんを信じてくれ」

お祖父様はそう言って、にっこりとした。


そして「棕矢も協力してくれるか?」と、僕に訊いたのだった。


***


「棕矢、ちょっと良いか?」


その夜。

僕はお祖父様に連れられ、ある部屋へと向かった。

先を歩くお祖父様の背中は、いつもとは違う魅力オーラを放っている。

僕達の横には二階の廊下に沿って並ぶ、たくさんの扉。

けれど、お祖父様はどの扉も開けず、どんどんと廊下の端へ端へ…西側へと向かっていく。

……一体、どこへ向かっているのだろう?


そして。ある場所で、やっとお祖父様は立ち止まった。

〝ステンドグラス〟

きらきらとした透き通った大きな絵は、僕の背丈では見上げるほどである。何度、見ても、やっぱり凄く綺麗だ。


……いや。でも、ここは廊下の端で、行き止まり。それに、僕だって普段から見慣れている場所の筈だし…第一、ステンドグラスと、その向かいに窓が在るだけ…

どこにも、部屋なんて無いじゃないか。

と、お祖父様が悪戯いたずらっぽい瞳で僕を見る。

そして迷い無く、ステンドグラスの前に在った傘付き洋灯ランプに手を伸ばした。

点けて…消して…点けて…三回、鎖状になった洋灯の紐を引っ張る。


洋灯が再び灯り、お祖父様が鎖から手を離し、ガチャリと大きな音が聞こえたのは、ほぼ同時だった。

その音に驚き、僕は一歩、後退あとずさりする。お祖父様は、吐息混じりに少し笑うと「ほら、棕矢」と僕の背中を押し、前へやった。

「押してごらん」

お祖父様がステンドグラスに手を添えたので、釣られて僕も同じようにする…。

お祖父様の足が一歩前に進む。僕も一歩進む。ステンドグラスが押されていく。

すると、見た目よりあっさりと動き出し……洋灯の灯りに照らされて、木漏れ日のような光と影が廊下に映し出された。

そして…。

ステンドグラス自体が巨大な扉みたいに、大きく開け放たれた時。


僕の目の前には…暗い階段が、不気味に上へと延びていた。

「さあ、行こう」


僕を見詰め、先を促すお祖父様じいさま

しかし、意外な展開に思考が追い付かず、僕はゆっくりと首を傾げた。

愉快そうに笑ったお祖父様が…少し真面目な表情かおになってから告げる。

「今から、おじいちゃん達の仕事部屋に行くんだ。棕矢そうや…お前だけ特別に」


僕とお祖父様は、薄暗い階段を上る。

一歩一歩、踏み締める二人の足音が、やけに響いている。

……でも冒険しているみたいで、何だかドキドキしてきた。

階段を上り切ると、今度は少し大柄なドアが現れた。その扉はちょっと変わっていて、扉の縁が絵画の額縁みたいな模様だったり、所々に綺麗な宝石がめ込まれていたり…

「お祖父様? ここが、仕事部屋ですか?」

「ああ、そうだよ。おじいちゃんと、おばあちゃんは、いつもここで仕事をしているんだ」


……そうだったのか。


「何だか、凄い扉だね…」

半分呟くようにして言うと、お祖父様は誇らしそうに「大切な仕事をする部屋だからね。厳重なんだ」と言った。

そして「ここに填め込んである鉱物いしは〝黒翡翠ひすい〟と〝瑪瑙めのう〟と言って、〝厄払い〟とか〝守護〟の力、あとは〝仕事を円滑にする〟効力があるんだよ」と教えてくれた。

……恭によく読んであげた本に書いてあるかな?

「後で調べてみよう…」


   *


重そうな扉が押し開かれると、室内は暗かった。

いくら今が夜だとしても…月明りさえ差し込まない、真っ暗な部屋。

そこに、ほんのりと自然を感じさせる香りが漂っている。部屋に閉じ込められていた、夏の夜の生暖かい空気と、第一印象が相俟ってか、少し不気味な肌寒さを感じた。この真っ暗闇の中から、何か得体の知れない恐ろしいものが飛び掛かって来そうで。本能的な恐怖感が、僕の背を這う…。


しかし、お祖父様は慣れた手付きで室内の灯りを点けると、部屋の中に進み…左手の中程に在る、焦げ茶色の本棚の前に立つ。そして、僕を手招いた。

みせの中の一室とはいえ、初めて入る所は、やはり怖くて恐る恐る進んで行った僕は…やっと手の届くところにお祖父様の姿が確かめられると、ほっとした。

小さな部屋だから扉からここまではほんの数歩の筈なのに、凄く長い距離に思えた。


ほんの暫しの沈黙。先に口を開いたのは、お祖父様だった。

棕矢そうや。〝本棚ここ〟には〝とても大切な本〟が在るんだ」と。

「どの本か判るか?」

そう問う強い瞳に、僕は圧倒されて中々答えられずにいた。

それから下を向き「…ごめんなさい。判りません」と、何とか小さな声にすると、お祖父様が僕の肩に手を乗せた。温かくて、大きくて、ちょっとごつごつとした頼もしい手。僕は、その温かさに力んでいた肩を下げる。

と、肩に乗ったお祖父様の手に少しだけ力がもった。

「これから話す事は、私達だけの秘密だ。絶対に、他の人に言ってはいけない事だからな」

僕をしっかりと見詰め、そう静かに告げる。

「おじいちゃんとの約束、ちゃんと守れるか?」

……約束を…守る。

それは、恭が居なくなってから一瞬たりとも忘れられる筈の無い言葉だった。

何度も何度も心で繰り返し、僕を縛り付けている言葉。

そんな科白せりふに戸惑いながらも、僕は「はい」と、お祖父様の目を見詰め返し頷いた…〝あの日〟と同じように。

同時に。

……きっと、これは〝跡を継ぐ為の話〟なんだ。そう感じていた。


僕の返答を聞いたお祖父様の表情が緩み、それから微笑んで「よし。よく言った」と、いつもより強く、くしゃくしゃと僕の頭を撫でた。

お祖父様の手が、ゆっくりと止まる。

一呼吸、吐く音。


「〝お狐さま〟は、〝この街の表裏〟を支えているのです」


「え?」

顔を上げると、お祖父様のは遠くの方を見ていた。

そして物語を語るように、すらすらと続ける。


「此方側の世界に雨が降れば、お狐さまは直ぐ近くで、わたし達を見ていらっしゃる。逆に、晴れている日には、そのとき雨降る地のお傍にいらっしゃる。そして。天気雨…〝狐の嫁入り〟の日には…〝全て〟を捧げるのです」


僕は慌てて「ちょっと待ってください! 何ですか? それ…」と訊いた。

語部かたりべは真面目な顔をこちらに向け…

「これが工匠わたしたちの秘密だ」と言った。


秘密の話って…そんな。


世界を? …支えて?


お狐さま? …あの守護神の、お狐さま?


僕が困惑していると、横から「これは嘘みたいでも、本当の話なんだ」と、お祖父様の重く低い声が聞こえた。

「じゃ、じゃあ…つまり…ルナは、お狐さまが支えている、って事なんですか?」

「ああ、そうだよ。だから〝御祈りの日〟に私達は祈るし、奉納品を作り捧げるんだ」

現実味の無い話を僕は、ぼんやりと聞いている。

「棕矢、この口碑はなしを忘れないでくれ。これからも…」


これからも、お前がこれを伝えていかなければならないんだ。


……ああ。やっぱり、僕が継ぐんだな。


現実を突き付けられた気がした。


……いや、こうなるって、分かってたんだ。

でも、こんなにも早く向き合う事になるなんて…「思ってなかった」


不意に、ギシギシと床板を踏み締める音がした。

見ると、お祖父様が本棚の下段から一冊の本を取り出しているところだった。

それから部屋の角に置かれていた机に近付くと、仕舞われていた椅子を引き出し、腰掛けた。傍に歩み寄った僕に、無言で本が手渡される。

……あれ?

「この本…。何か宿っていますか?」

本を受け取った瞬間、とても強い力を感じた。

例えるなら、突風が身体の中を一気に駆け抜ける感じ。

その本は…辞典みたいに分厚くて、くすんだ赤色の硬い表紙。見た目はシンプルでも、ざらざらとした触り心地が独特な印象を与える。

僕が感じた〝突風〟は今まで、お祖父様達に教わってきた〝術〟の感覚と似ていた。が、違う…似て非なるもの。上手く説明が出来ないけれど、そんな力を、この本から感じたんだ。たとえ、それが何か判らなくても、何となく〝宿る〟って表現が相応しく思えて…


再びお祖父様の顔を見ると、お祖父様は、こう言った。

「この本にはな、〝ある計画プロジェクト〟の記録が載っているんだ」

「ある計画?」

「ああ。実際には、まだ未完成なんだが…」

お祖父様の瞳に、一瞬だけ影が差す。

「どんな…計画だったんですか?」と、先が気になって訊く。


お祖父様の瞳が、僕を見詰める。

数秒…。

鉱物を使った〝存在創造計画カタチ そうぞう プロジェクト

これを、書いたのは…私だ。

言い切った、お祖父様の表情かおには、色んな感情が混ざり合っていた。

けれど…凛々しくて。深い綺麗な碧色の瞳に、僕は胸を打たれた様だった。

「…鉱物を使った カタチ創造プロジェクト?」

僕は文字を思い浮かべながら繰り返してみる。

優しく微笑む、お祖父様。

何かを決断したような、意志を持った声が部屋に響く。


「要に、これで〝恭を創り出す〟んだ」

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