11 手応え



 昼休みになり、ペトラは食堂へと向かう。今朝はルートゥが一時的に預かっている魔獣の世話に追われてサンドウィッチを用意することが出来なかったからだ。

 混雑を避けてピークからずらしたタイミングで食事を始めたペトラは、離れた席に前にラドミールの調子を強引に尋ねた医師がいることに気づいた。

 しばらくの間彼を観察していたペトラは、やはり我慢ができずにガタッと席を立つ。


「先生っ!」

「おー、ペトラじゃないか。相変わらず元気そうだねぇ」

「ありがとうございます」


 ペトラは早々に食べ終えて空になった食器と共に医師の隣の席に座り、にこっと笑いかける。

 白髪の紳士はゆっくりと食事をしているのか、まだ半分以上食べ物が残っていた。


「そうだそうだペトラ。前に君が気にしていた男がいただろう?」

「え? ら、ラドミール・ヴィーカのこと?」

「ああ。彼のこと」


 医師はパンをちぎり、たっぷりのジャムをスプーンでつける。


「彼がどうかしましたか?」


 医師の手元の誘惑に負けそうになりながら、ペトラは涎を飲み込んで話を続けようとした。


「うん。つい先日、定期面談があってねぇ……」

「あっ……!」


 医師の言葉にペトラは思わず声を出した。一度体調の問題を指摘された者は、その原因が仕事と関係がありそうであれば月に一回の医師面談がしばらくの間必須となる。ラドミールは当然、その対象に入っていた。


「ど、どうでした? 彼の様子……」


 魔獣園を騎士団に招いてから一か月がたった今。ペトラはその後、騎士たちの遠征に付きっきりになった補佐部隊には近寄れず、彼の近況をよく把握していなかった。

 この一か月の間にラドミールが仕事をセーブすることを覚えたらしいことはなんとなく分かっていた。しかしそれもあくまで予測で、ただの偶然ということもあり得る。

 医師はパンをもぐもぐと食べ終えた後で、ペトラに穏やかな微笑みを向けた。


「いい感じだよ。以前よりも余命が伸びているからねぇ」

「ほっ、本当、ですかっ!?」


 ペトラは一瞬にして興奮が足先から頭の先まで上っていくのを感じた。


「ああ。まぁそれでもまだ、ほんの少しくらい伸びただけだがねぇ」

「そうなんですか……」

「でもこれは立派な進歩。面談の時も彼は、最近は少しのんびりすることを覚えたって言っていたしねぇ。不眠症気味だったみたいだけど、家で寝る時間も増えたそうだよ」

「それは、良かった、です……」


 医師のゆるやかな口調にペトラは駆け巡っていった興奮が落ち着いていき、胸の中へとじんわり余韻が広がっていった。


「ま、またいつ仕事人間に戻るとも分からないし、様子を見るしかないねぇ」

「はい……」

「心配いらないよ。ちゃんと面談は続けるから」

「先生──よろしくお願いします」


 ペトラはぺこりと丁寧に頭を下げると、和やかな食事の時間を邪魔したことに断りを入れてから食堂を後にした。

 ラドミールの状態に明るい兆しが見えたことは素直に嬉しかった。

 それなのに何かが引っ掛かるのは何故だろう。

 ペトラは廊下を歩きながら答えの出ない問いを自らに送り続ける。

 彼の気を緩めようと試行錯誤をしてきたが、そのどれもがペトラにとって手ごたえのある物ではなかった。

 にもかかわらず、彼はペトラの求めていた方向へと舵を切りかけている。

 やはり自分のやってきたこととは関係なく、もともとしっかり者の彼の考え方が変わっただけかもしれない。

 ペトラは僅かな寂しさを胸にぽっかりと浮かべながら廊下の角を曲がった。


「あ! ペトラさんっ?」


 角を曲がるなり、声だけで愛嬌を表現する明るいオーラとぶつかった。


「ラドミールさん?」


 少しぶつかってしまった胸板から顔を上げると、目に入ってきたのは久しぶりに見たラドミールの笑顔だった。


「ごめんなさい。ぼーっとしてて……」


 ペトラはまずぶつかったことを謝罪し、おでこを撫でる。


「気にしないでください。でも、歩くときは気を付けてくださいね」

「うん……あ、遠征の方は、もう落ち着いた?」


 ラドミールの優しい注意に少し恥ずかしくなったペトラは話題を変えようと騎士たちの遠征のことを尋ねる。

 遠征は、一部の補佐部隊も同行することになっていて、今回、大男と女神がそれについて行ったようだ。

 ラドミールは本部に残って後方支援をしていたようだが、やはり忙しいのか本部内でもペトラは彼と顔を合わせることはなかった。


「はい。もうすっかり。皆も帰ってきて、後片付けの方も終わりました」

「よかった……」


 今回の遠征はあまり残業をせずに無事に終えられたようだ。ペトラはそのことに安堵して微笑む。

 まだ予断は許さない。ここで新たに残業を重ねられたら、折角伸びた余命も元に戻ってしまう。


「今日は食堂だったんですか?」

「え?」


 ラドミールが壁に描かれている矢印を見ながらペトラに尋ねる。


「うん。そうなの。今ね、魔獣が家に居て……サンドウィッチを作る時間がないんだ」

「そうなんですか? 魔獣は可愛いけど、なんだか大変そうですね」

「ううん。そんなことはないよ。ふふ。まぁ、騒がしくはあるけど……」


 ペトラが遠い目をすると、ラドミールは軽やかに笑う。


「遠征期間中は、他のチームの皆が色々お昼を買ってきてくれたんですけど、その時にサンドウィッチを買ってくれたことがあったんです。それも美味しかったですけど、ペトラさんのサンドウィッチをつい思い出しちゃいました」

「え?」


 ラドミールが恥ずかしそうにふにゃっと笑うので、ペトラはその柔らかな空気に一拍息が弾んだ。


「俺もペトラさん見習って、自分でなんか作ってみようかなー」

「ふふふ。ラドミールさんは魔力が戻ればそれで作れちゃうでしょう?」

「まぁ、そうなんですけど……」


 ペトラにからかわれ、ラドミールは頬を掻く。


「あ、ごめんなさい。もう昼休み終わるのに呼び止めてしまって……!」


 頬を掻いたときに時計が目に入ったのか、ラドミールは慌てて目を丸くする。


「ううん。大丈夫」

「それじゃ、俺はこれで」

「うん……──ラドミールさん」


 ペトラは時間を気にするラドミールをじーっと見上げ、ぽつりと言葉をこぼす。


「無理、しちゃだめですよ?」


 ラドミールはペトラの言葉に瞬きを二回すると、すぐにくすっと笑いだす。


「はいっ!」


 その爽やかな返事が耳に残り、ペトラは廊下を曲がっていくラドミールのことを見送りながらしばらくその場に佇んだ。

 彼に直接そんなことを言えたのは初めてだった。


(──……言えた──言えたんだ……!)


 ふつふつと湧きあがる喜びと達成感に、ペトラの頬はうっすらと温もりに染まっていく。


(やったぁーーーー!)


 小さくガッツポーズをして、ペトラはその場で小躍りする。


(この調子で、引き続きラドミールさんの気を仕事から離す計画を続けなきゃ……!)


 順調に彼の余命を伸ばすために、ペトラは改めて決意を固めた。

 微かな笑い声が口からこぼれてしまうけれど、ペトラは気にせずにそのまま午後の仕事へと戻っていった。


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