10 旗色
「何? ルートゥ」
「あの人がラドミールだよね? どうだった? 仕事のこと忘れられたかな?」
「わかんないよ! 大事なのはこれからなんだから……」
ルートゥと顔を合わせたペトラは、早速成果を知りたがるルートゥを横目に遠くなったラドミールをちらりと見やる。
すると彼は建物から戻ってきた大男と女神にちょうど鉢合わせたところだった。
立ち話をしそうな気配を感じ、ペトラはひとまずのところほっと胸を撫で下ろす。
「あ、二人とも発見」
こちらもぷらぷらと散歩をしていたシエナがやって来て、ルートゥは久しぶりに会ったシエナにハグをする。
「どう? 今回は上手くいきそう?」
シエナも計画のことを気にかけてくれているのか、ペトラのことを気遣うように見る。
「うーん……分からないんだけどね、でもね、なんか、今回は上手くいっている気がするんだ」
「ほう? その心は?」
「えーっと──完全なる直感なんだけど、ずっと観察してたところ、魔獣との触れ合いは本当に楽しそうだったし、本人もそう言ってた。だから、彼の心に仕事以外のことを挟み込むのには成功したと思う。あとは──ラドミールさん次第……だからなぁ……」
彼がこの後どう出るのかペトラにはまったく分からなかった。
これまでも、結局のところすべて仕事への意欲を増してしまうだけだったからだ。
傾向の違う今回の策。それがラドミールの心境にどのような変化をもたらすのかなんて、ペトラには未知の領域だ。
「でも、ま。少なくとも今日のところは大丈夫なんじゃない?」
「え? どうして?」
「そろそろ定時だし」
「彼に定時とか時間の概念ないよ?」
「あはははは! まぁ見てなって」
「は?」
「ペトラの想いは、全然無駄なことなんかじゃないよ」
豪快に笑うシエナのことをペトラはポカンとしたまま見ることしかできなかった。
ルートゥもくすくすと笑いだし、ペトラはなんだか知らない世界に置いていかれたような不思議な気持ちになった。
「ラドミール。魔獣たちはどうだった?」
一方のラドミールは、大男にガシッと肩を掴まれその場に拘束されていた。
「うん。すっごく可愛かったよ。間近で見れたし、魔獣使いたちから生態についても聞けたし。勉強にもなった」
「そうかそうか。そりゃよかった!」
大男は大層嬉しそうに笑うと、ぽん、ぽん、とラドミールの肩を叩く。
「あ、ところでラドミール。あんたはもう今日帰っていいよ」
「え?」
二人の様子を見ていた女神が、腕を組んだまま思い出したように呟く。
「でもまだ仕事、終わってないよ?」
「いいや。終わったよ。だから今日はもうやることなし!」
首を傾げるラドミールに対し、女神は力強く首を横に振って自信たっぷりに答える。
「え? でも、まだ外に出てくる前は──」
「おいおいラドミール! 見くびってもらっちゃ困るなぁ。俺もお前が来る前は仕事の魔術師だったんだからな?」
「は?」
大男が得意げに鼻を鳴らしたので、ぽかんとしているラドミールを横目に女神は大男の頭を小突く。
「調子に乗んないの。ラドミールが魔獣たちと触れ合ってる間に、私たちの方で終わらせておいた。今日の分の仕事は。残りはまた明日からやろう」
女神はラドミールに向かってウインクをすると、頭の痛みに悶えている大男のことを呆れたように見やる。
「──……いいの?」
「当たり前でしょ。何もすべての仕事を無理に詰め込むことはない。明日には明日の仕事があるんだから」
「……うん」
ラドミールはまだ状況がふわふわとしたまま返事をする。
「ラドミール。見てごらんよ」
「え?」
女神はテントの近くで話し込んでいる三人の姿を顎で示す。ラドミールはルートゥとシエナの賑やかな会話に笑っているペトラへと真っ直ぐに視線が吸い込まれた。
「あの人事ちゃんには感謝しないとだなぁ。大事なことを思い出させてくれた感じ」
「──は?」
女神の言葉に感慨深く頷く大男。ラドミールは二人の顔を交互に見た後で、その真意が理解できないままもう一度ペトラのことを見やる。
「ラドミール。私たちはチームなんだからさ、これからはもっと協力していこうよ。私たちのこともっと頼ってくれていいし」
「そうそう。あ、でも俺たち仕事詰め込むのは得意じゃないからさ、そこんところはペース合わせて行こうぜ」
「う、うん……? もちろん」
ラドミールは二人の提案に戸惑いながらも頷く。二人はラドミールの返事に目を見合わせてからにぃっと笑い合った。
「じゃあもう今日は帰ろうぜー。俺、最近見つけた店があるんだよな。一緒に行かない?」
「嫌だよ。なんでお供しなきゃなんないわけ?」
「えー。そう言わずにさぁ……」
「いやだ」
大男と女神はテントとは反対側にある本部の建物に向かって歩いていく。ラドミールは二人の会話が流れていくのを背に、ペトラのいる方向に視線を向ける。
女神の言っていた意味を知りたくて、ラドミールは彼女の横顔から目が離せなくなった。
「──……もしかして」
彼女が人事に所属していることを改めて思い直したラドミールの目が微かに開いていく。
「ラドミールー! こいつが俺をいじめるんだけどぉ……!」
ラドミールの神経が研ぎ澄まされた瞬間、背後からは大男の悲劇に満ちた声が聞こえてくる。ラドミールはハッとして彼らの方へと顔を向け、女神にタジタジになっている大男を慰めるために彼らのもとへと駆けて行った。
********
「あれっ?」
昼下がりの人事総務フロアで、ペトラの間の抜けた声が響く。
「どうしたの?」
シエナがペトラの空中像を覗き込むようにして顔を出してくる。ペトラは空中像を指差し、ラドミール・ヴィーカの欄をじっと見つめる。
「ラドミールさん、今月は超過勤務エラー対象になってない」
「あ、ほんとだー」
驚きすぎて淡白になったペトラの声に、シエナは棒読みで頷いた。
「知ってたの?」
「うん。ついさっき確認したところ」
ペトラは丸い目をシエナに向け、彼女が得意げに笑ったのを認識する。
「良い調子だよね。ヴィーカの勤務時間が減ったからか、馬鹿みたいに早かったチームの進捗は他のチームより少し早くなったくらいまで落ち着いたみたいだけど」
「そうなの?」
「うん。この前補佐部の人に聞いたよ。でも、それでも十分に仕事をこなしてるし、変わらない丁寧な仕事に騎士たちも満足してるってさ」
「ふぅん…………」
シエナはぬっと前のめりになり空中像に顔を近づける。
「でもまだちょっと多いねぇ。他の人と比べちゃうと」
「────うん」
ラドミールの勤務時間はエラーにはならないものの、まだまだ周りと比べると長い方だった。ここからの調整が大事になると呟き、シエナは身体を真っ直ぐに戻して背伸びをする。
「油断は大敵、ってね」
「そうだね……」
くつろぐシエナを横目に、ペトラは腑に落ちない様子で空中像を見やる。
シエナはそんな彼女をちらりと見ると、ふふふ、と笑う。
「どこかご不満?」
「ううん。まさか! ようやくセーブするようになってくれて嬉しい。けど──どうしてだろ。こんな急に」
「うーん…………どうしてだろうねぇ」
分析が足りないようで首を捻るペトラの隣で、シエナは欠伸をした後で頬を緩ませた。
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