8 行き詰まり



 次の失敗は許したくない。


 ペトラは情けなさと何度目かの誓いを胸にたててソファに倒れ込んだ。

 今日は休日。明日も休みで、明後日からまた仕事が始まる。

 折角のお休みの今日も、ラドミールはまた仕事のことを考えているのだろうか。

 ペトラは光を遮った手のひらを目の上から外し、ぼーっと天井に浮かぶ明かりを見つめた。


「ペトラっ! なに怠けてるの?」


 再び明かりが遮られ、代わりに丸顔なのに顎はしっかりとシャープな愛らしい顔が視界を占拠してくる。


「休みの日くらい怠けます」


 ペトラはムッと頬を膨らませながら恨めしそうに彼女のことを見上げた。


「いいじゃんいいじゃん。別に責めてないよ」


 ペトラの妹でもあるルートゥがソファの空いているスペースにどさっと座り込んできたので、ペトラは渋々起き上がった。


「最近ずっと難しい顔してるよね。仕事から帰ってきても。前はそんなことなかったのに」

「そんな風に見えてるの? そんなことないけどさ」

「いーや。そうだね」


 妹と二人で暮らしているペトラは自信たっぷりに首を横に振るルートゥを前に彼女に嘘は通じないと早々に心が折れた。


「まぁ──そうなんだけどさ」

「よっし認めた! 一体何があったの?」


 ルートゥはガッツポーズをした後で興味津々な表情で尋ねてくる。

 ペトラは妹の待ちきれない様子にため息を吐き、ラドミールのことを話した。

 ルートゥはこの世界のあちこちに生息する魔獣を見学することが出来る魔獣園で働いている魔獣使い。姉であるペトラとは違い、彼女は騎士そこそこの魔力を扱うことが出来る。

 幼いころから魔獣が大好きだったルートゥは、当然のように魔獣使いの道を選んだ。

 魔力が少ないペトラは昔はその力の差に納得が出来ず、日々自分を責め立てていた。しかし成長した今、妹のことは誇らしく思っている。

 彼女が夢を叶えるために自らが持つ力以上の魔力を求められてきたことも知っている。ルートゥはどうにかその試練を彼女なりにクリアしたのだ。

 魔力を増やすことはできない。だから、ルートゥは彼女にしかない個性を売りにして、魔獣使いの業界にエンターテインメントを盛り込み、成り上がっていった。

 魔獣園でのルートゥのショーは今や大人気となっている。


「へぇー。騎士団にそんな人がいるんだぁ」


 ラドミールの話を聞いたルートゥは、足を組んで八重歯を見せて笑う。

 目立つためにと染めた彼女の多数の色が混ざった奇抜な髪の毛ももう見慣れたものだ。ペトラはオーロラのような彼女の美しい髪を見やる。


「そう。なんか、前にも増して仕事に勢いあるし、余命、もっと縮まっちゃってるかも」


 ペトラは悲しそうに声を落とす。


「ラドミールって人は余命のこと知ってるの?」

「うん。医師が話してるはず。先生、そう言ってたし。でも彼にとってはそれすらも光栄なのかも。本望ってやつ。理解できないけど」

「はははは。そうだねぇ。私も魔獣に囲まれて死にたいけど、それとはまた違うもんね」


 ルートゥは乾いた笑い声を漏らす。


「はぁ……情けないなぁ。私、何もできないからこそ騎士団の皆のことは出来る限り守ろうって思ってきたのに。結局のところ、私は無力なんだ」


 ペトラは近くにあったクッションを抱え込んで顔をうずめた。

 ラドミールの状態を無理矢理にでも知ったのに、結果として何も改善できていない。このままだと見殺しも同然。ペトラはチクチクと痛む罪悪感で吐き気を覚える。


「もー! またそんなこと言って。ネガティブはやめようよ」


 顔を隠したペトラの隣でルートゥはソファに頭を預けて両手を広げ天を仰ぐ。


「でも。もう彼に何が効くのか分からない。もうこのまま仕事に埋もれていくんだ。私は彼を救えなかった。魔法管理局にいた方が、彼は長生きできたかもしれない」


 クッションから悲観の声が聞こえてきて、ルートゥはつまらなさそうにペトラの頭を見る。


「やっぱり私は、何者でもない──……」


 どんどん沈んでいく声に、ルートゥは痰が絡んだ呻き声を上げてからペトラが抱えているクッションを取り上げた。

 支えをなくしたペトラは悲しそうにルートゥのことを見上げる。


「もう! 慰めて欲しいの? ペトラは! ちがうでしょ! 今ペトラがやることは、どんなに失敗しても、どんなに惨めでも、どんなにくだらなくても、あらゆることを試してみることじゃないの!? 落ち込むのは絶対に違うでしょ!」

「ルートゥ……」


 間髪入れず弾丸のようにまくしたててくるルートゥに対し、ペトラは弱弱しい声を出した。


「ペトラは確かに何者でもないよっ!? このままじゃね。でもここで諦めなかったら、ペトラはラドミールのヒーローになるんだよ? 本人にその自覚がなくとも、ラドミールの寿命が延びればそれは彼の健康を救えたことになる。ペトラは影のヒーローになれるの! それ、めっちゃかっこよくない?」


 ルートゥはガシッとペトラの両腕を掴んで気迫に満ちた表情で迫る。


「魔力なんて関係ないよ! ペトラ。魔力があったって、余命は伸ばせないんだから。むしろもっと凄いことだと思うよ? 思わない? ペトラ」

「────ルートゥ……。うん──そう、だね……」


 ルートゥの切実な眼差しが胸に刺さり、ペトラは彼女の両手を力強く握り返す。


「そう! そうだよね! 魔力なんて関係ない! 挫折してる場合じゃないよね!」

「うん! そうだよその調子っ」


 ペトラの瞳に輝きが宿ったのを見たルートゥは嬉しそうに大きく頷いた。


「ありがとうルートゥ。私もすっかり精神が参っていたみたい。焦りすぎたね。なんだかすごく、元気が出てきた」

「なら良かった。ペトラの悲しい顔見たくないもん」

「ふふふふ」


 にぃっと笑うルートゥを見て、ペトラは心がぽかぽかとしてくる気がした。一番の味方である彼女を見ているだけで落ち着きを取り戻す。

 ふにゃふにゃと頑なだったものが溶けていくような気さえしてきて、ペトラは言い得ぬ幸福感に思わず頬が綻んでいく。


「ああ、本当、ルートゥの笑顔には癒される……」

「当然でしょう? 私はスターなんだから」


 ルートゥはわざと大げさに気取ってみせた。ペトラはまたくすくすと笑う。

 その瞬間、ペトラの脳裏には啓示を受けたようにある光景が想像されていく。


「あ!!!!」


 大声を出してルートゥの顔を真っ直ぐに見るペトラ。ルートゥは突然のペトラの目覚めに驚き、呼吸さえ慎重になりながら目を丸くする。


「ルートゥ! ちょっと相談があるの……!」

「ん?」


 完全に元気を取り戻したペトラのお願いを聞くために、ルートゥは彼女にそっと耳を近づけた。


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