7 甘党
外に出た二人は空いていたベンチに並んで座り、ペトラは早速ランチバッグを開ける。
「うわぁ、美味しそう! ペトラさんが作ったんですか?」
「はい。サンドウィッチ作りが好きなんです」
「へぇ。いい趣味ですね」
ラドミールはほわほわと笑いながらチョコクリームと苺を挟んだサンドウィッチを手に取った。
「俺、甘いもの好きなんです。こんな御馳走、今日はラッキーですね」
「ふふふ。作りすぎてきて良かったです」
(やっぱり、甘いものは好きなんだ……)
相槌を打ちながら、ペトラも自分のサンドウィッチを手に取る。
ペトラのサンドウィッチを食べるのは、いつもシエナだけ。
他の人にあまり食べてもらうことがないペトラは、彼の口に合うか分からず内心ドキドキしていた。
サンドウィッチには自信がある。あまり失敗する料理でもないし。
けれど万が一、自分の舌が一般的なものとずれていたら相手がどう思うかは分からない。シエナは優しいから言わないだけで、実は美味しくないかもしれない。
ペトラはサンドウィッチがラドミールの口に運ばれていくのをじっと見守った。
「────うん! 美味しい! ペトラさん、これ売れますよ」
だから彼が一口頬張るなり感嘆の声を上げたことが嬉しくて、ペトラはようやく心に平穏が訪れた。
「ありがとうございます。へへ……たくさん食べてくださいね」
思わず母親みたいなことを口走ってしまい、ペトラはハッと口を抑える。
ラドミールはそのことに気がついていないようで、「うん」とだけ明るく返事をした。
「ペトラさん、敬語じゃなくていいですよ。俺、後輩ですし」
「えっ。でも……不快、じゃないですか?」
「全然。こんな御馳走を貰った人に、どうして不快に感じる必要がありますか?」
「──ふふ」
サンドウィッチを一つ食べ終えたラドミールは、ペトラが照れくさそうに肩をすくめて笑ったのを見て目元を緩ませる。
「──やっぱり、騎士団はいいところだなぁ」
朗らかに芯の通った声でラドミールは呟いた。
ペトラは彼の声の調子が少し変わったことに気づき、そっと彼の表情を窺う。相変わらず、人当たりが良すぎる柔らかい笑顔だ。
しかしいつもとは僅かに様子が異なり、彼のあたたかな瞳からはいつになく大人びた覚悟を感じた。
「魔法管理局の話、面白かったですか?」
「えっ……と。面白いって言うと、語弊があるんですけど……あんまり知らない世界だし、そういうところでもやっぱり、抗争? って、あるんだなぁって思うと、なんだか身近に感じちゃって、興味深かった、かな?」
ラドミールの誠実な眼差しを見ていると、ペトラは先ほど咄嗟に言葉を走らせた自分の口が憎くなってきた。
魔法管理局の話が興味深かったのは嘘ではない。けれど、それでもやっぱり後ろめたさを感じる。
ペトラはどうにか笑顔をラドミールに向けて、またしても本意を誤魔化す。
「ははは。そんなに崇高なところでもないよ、中央機関だって。所詮は人間が動かしてるんだからさ」
「そうかもしれないけど。でも、やっぱり──魔力が少ない私にしてみれば、雲の上すぎる場所っていうのかな……本当にそんな場所があるのかなぁって、信じ切れなかったから」
言いながら、ペトラは肩身が狭くなって呼吸が細くなった。
隣にいるラドミールもかつてはその場所にいたのだから、自分とは魔力の差も雲泥のはず。魔力がものをいうこの世界で、ペトラは忘れかけていた自分のちっぽけすぎる存在を思い出してしまう。
自らの魔法を想い、ペトラはラドミールから視線を逸らす。
「──ペトラさん、どうして俺が騎士団を選んだか、聞いてもらってもいいですか?」
「え? う、うん……構いません」
黙り込んでしまったペトラにラドミールの落ち着いた声が届き、ペトラは反射的に頷いた。
ラドミールはペトラの返事に、にこっと笑い返すと、向こう側に見える騎士団本部の建物を見やる。
「管理局を辞めたのは、前に話した通りなんですけど──よし、辞めようって思えたきっかけっていうのがありまして……。俺、辞めようか悩んでいた時に、ちょうど魔力の制御が効かなくなった人の訪問してて──で、その時、彼女の暴走した魔力を抑えようとして、ちょっと事故っちゃったんですよね。結果として無事に彼女の魔力は落ち着いたんですけど。その事故で俺もしばらくの間自分の魔力が封じられちゃって。先輩たちのおかげで、徐々に回復はしてるけど、まだ本調子ではないんです」
「えっ! そうなんですか……!? だ、大丈夫、なんですか?」
ラドミールの話にペトラは思わず身を乗り出して尋ねる。
ハラハラとした彼女の心情が伝わってきて、ラドミールは思わず頬を緩めて笑う。
「大丈夫ですよ! 身体の方も怪我とかもないし。魔力もあと少しで戻ります。先輩たちは優秀ですから、回復魔法も失敗なんてしないみたいですね」
茶化すように明るくそう答えると、ペトラの表情に安堵の色が覗く。
ラドミールはその表情の変化に微笑み返した。
「それで、その事故をきっかけに管理局を辞めようって決意したんです。その後、どうしようかなぁとふらふらとしていた時に、俺、今度は魔物に出会っちゃって……」
「えぇええぇ?」
今度はペトラの顔から血の気が引いていく。背筋がゾッとしたペトラは、無言で叫ぶように手を頬に添えた。
騎士団がいつも対峙している魔物たち。魔物にも強さのばらつきはあれど、ペトラにとって恐ろしい存在であることは間違いない。
「不運にも魔力が全然回復してなくて、そのまま襲われそうになったんです。びっくりしました。魔力がないと、本当に何もできないんだなぁって。怖くて、ただ死を覚悟することしかできなかったです」
ラドミールは目を伏せる。当時のことを思い返したようだ。その瞳からは輝きが薄まっていく。
「でもその時、俺と魔物の間に立ちはだかった人がいた。あんなに恐ろしい魔物の前にたった一人で堂々と立って、怯むこともなく彼は魔物に向かって攻撃魔法を放った。あまりの動きの速さに、目がついていかなくて目が回りそうになりましたよ。魔物と交戦した彼は、あっさりと魔物を倒して俺に声をかけてきた。怪我はないか、って」
「──それって」
「はい。そうなんです。俺、騎士団に救われたんです」
ラドミールは瞳に光を取り戻して微笑んだ。
そのにこやかな筋肉の動きだけで、彼が騎士団に対して何を思っているのかがよく分かった。
ペトラは思わず口をつぐみ、彼との答え合わせを待つ。
「騎士団には、本当に感謝してるんです。俺が今ここにいるのもあの時助けてもらったおかげです。その時、思ったんです。こんな人たちと一緒に働きたいって。それで、騎士団員たちの一番近くで働ける補佐部を選びました」
ラドミールは少しはにかみながら騎士団への志望動機を教えてくれた。
ペトラは彼の騎士団への感謝と敬意に溢れた眼差しを受け止め、胸につかえていたものがぽとりと落ちた気がした。
彼が文字通りその身を騎士団に捧げる理由。それがはっきりした。
命を救われた騎士団に、一線級の騎士たちと同じように命を捧げようとしてくれている。
それが騎士たちの、いや、騎士団全体の繁栄のためになるならばと、彼の胸に秘めた志が燃えているのが分かる。
「それに、騎士団に入ってみて分かったこともあるんですよ。これは本当に、本部に来れて幸運だなって思ったことなんですけどね」
「騎士たちのことじゃなくて……?」
「はい。もちろんです」
ラドミールはペトラのポカンとした顔に敬意に満ちた笑顔を向ける。
「本部で働いている裏方と呼ばれる人たち。彼らもまた、優秀で、素晴らしい人たちだなって、思い知らされましたから。騎士団を支えているのは彼らなんだって、改めて尊敬しました」
「────へ」
間抜けな声を出したペトラは、ラドミールの嘘のない表情に思考のすべてを奪われる。
本部の裏方に対して目を向けてくれる人間などそうそういない。
騎士たちも上役たちも、あくまで騎士団の主役が誰かをはっきりと認識している。それが騎士団全体にも広がっていて、ペトラたちは自然とそれが当たり前だと思っていた。
だからこそ、自分たちの存在は表に出ることもなく、とりとめもない有象無象のことだと思っていた。
ましてや目の前にいるラドミールのように、想いを口にしてくれるなんて考えられないことだった。
「ペトラさん」
ラドミールはまだ彼の言葉を処理しきれずに固まっているペトラの顔を覗き込むようにしてにこっと笑う。
「皆さんは、唯一無二の素晴らしい仕事をしていますよ。俺も頑張らないとなって、焚きつけられます」
ペトラが何も言えずに口をぱくぱくさせている間に、ラドミールは残っているサンドウィッチを手に取り美味しそうに食べ始める。
昼休みが終わるまであと十分。
ペトラはラドミールから溢れてくる朗らかな優しい雰囲気に耐え切れなくなり、空になったランチバッグを片付け始めた。
「そ、そろそろ、昼休みが終わりますね……っ」
「あ、そうですね。戻りましょうか。ペトラさん、美味しいランチをありがとうございました。午後も頑張れそうです」
「そ、それは、力になれたようでなによりです……」
いそいそと片付けを終えて立ち上がったペトラ。胸がざわざわと慣れないさざめきに揺らぎ、彼女は早足で建物へと向かう。
風が髪の毛を揺らし、微かにバニラの香りが漂う。
ラドミールはその後ろからゆっくりと続いた。
(まさかまさか……こんな展開になるなんて……! あんなに褒められたら気まずいよ……ああもう! 作戦失敗だ──してやられた……!)
何も入っていないランチバッグをぎゅっと力強く抱えて、ペトラは昼休みが終わる三分前には自席に戻っていた。
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