5 お手合わせ



 誰もいない個室で真っ白なテーブルの上に透明盤を置く。窓の外を見やるともう夕方。そろそろ終業時間なのでこの用事もきっかり時間通りに終わらせなければ。

 ペトラはぼーっと空を流れる雲を瞳に映した後できりっと眉を上げる。

 彼女の精神が整ったところで、見計らったように扉が叩かれた。


「どうぞ!」


 ペトラはガタッと立ち上がり、内側に開かれる扉に注目する。


「お疲れ様ですっ。ペトラさん!」


 扉が開くと同時に見えてきたのは人懐っこい笑顔だった。仕事の疲れも感じさせないままにラドミールはペトラに挨拶をする。


「お疲れ様です。えっと──ヴィーカ、さん」

「ラドミールでいいから! ヴィーカ呼びはくすぐったくて苦手なんです」

「そ、そうですか……ラドミール、さん」

「うんっ。お疲れ様」


 丁寧に扉を閉めたラドミールは机を挟んでペトラの向かいに座る。


「今日はお時間いただきましてありがとうございます」


 互いに席についた後で、ペトラは改めてぺこりと頭を下げた。ラドミールも鏡のように同じ動きを続ける。

 これから三十分の間、ペトラはラドミールと面談をすることになっていた。

 休暇も駄目。タスク管理も駄目。直接彼らに仕事の指導をすることができない立場のペトラはこの機会を待っていた。

 騎士団内の特別面談期間。

 定期的に行われる部署内の面談とは違い、これは普段かかわりのない部署同士の人間が集まって議論を交わす場だった。

 部署を越えた交流によって、様々なアイディアを得ることを目的としている。

 通常は数名で行うものだが、今回ペトラはどうにか懇願して単独でラドミールの面談相手を務めることになった。

 彼女が考案したタスクシートがやってみると思いのほか評判が良かったため、その成果を認めた上長が配慮してくれたおかげだった。

 ペトラは二人きりで向かい合うラドミールを見据え、少々緊張しながら空中像に映し出されたテーマシートの内容から話を進める。

 当たり障りのない仕事の話や、本人に不満や心配事はないかを尋ねていく。

 ペトラは今回議題として"騎士団で働くこと"を掲げたからだ。面談の主導も自分で握れるようにと積極的に話をする。

 ラドミールはペトラの思った通り、どの質問にもネガティブな返答はしてこなかった。朗らかな様子で楽しく仕事をしていると述べるだけだ。

 そこでペトラは思い切って空中像を切って彼と真っ直ぐに向き合う。


「ラドミールさん。あの、騎士団の仕事、楽しんでいるのはとても嬉しいです。でも、資本がないと仕事もどうにもなりませんよね? 私、人事の仕事をするとき、皆の体調もすごく気になるんです。ラドミールさんはどうですか?」


 ペトラはラドミールの表情を窺ってみる。ラドミールはきょとんとすると、少し考え込むそぶりをする。


「確かに、それはとても大事ですよね。前の職場でも、よく体調を崩してしまう人はいました。無理してたのかなぁって、心配になりますよね」


 思慮深い声を出して眉をひそめるラドミールに対し、ペトラはぐっと唇を噛んだ。


(それは! あなたのことですよ!)


 喉元まで来た言葉をどうにかして飲み込む。

 人事であるペトラがラドミールの健康診断の結果を把握していることは一定期間騎士団で働いたことのある人たちは知っている。しかしまだ歴の浅いラドミールが知っているかは分からない。

 あまり踏み込みすぎると気色悪いかと思い、ペトラはもやもやとしたままラドミールの話を聞く。


「俺、前は魔法管理局で働いてて──」

「えっ。中央機関の、ですか?」

「うん。そうです」


 思わず話を遮ってしまったペトラに対し、ラドミールはにこっと愛想良く笑いかける。

 中央機関の魔法管理局と言えば、エリート中のエリートたちが集まる場所だ。中央機関の管轄なだけあって、国家をまたいだ世界の中枢を担っている。

 魔法管理局はその名の通り世界に存在するすべての魔法の力の様子を監視する機関だ。魔法の力が個々人によって違うように、世界に点在する土地そのものがもつ魔法の力も偏ってくる。そこで魔法管理局は、個人単位はもちろん、地域単位でも魔法の暴走がないかを四六時中監視し、異常な動きがないかを見張っている。

 魔法の源のバランスが崩れないように各国のエネルギー配分も担当しており、管理局の持つ権限も大きい。

 魔法は悪用ができるもの。そして自らを滅ぼしかねない力の暴走も稀に起きる。

 単なる国際機関としてだけではなく、犯罪の抑制や魔法力により現れる疫病の発生を未然に防ぐためにも存在している。

 ラドミールの前職についてペトラはあまり気にしたことがなかった。

 確かに調べれば載っていたのかもしれないが、重要なのは今の彼だからだ。

 しかし魔法管理局出身という事実は、彼の有能さに更なる信頼が増すだけだった。騎士団も勿論優秀な人材が揃っているが、国際機関とはまた毛色が違う。

 国際機関にいたということは、騎士たちまでとはいかずとも魔法の力も他の本部スタッフより持っているはず。管理局の試験に受かったのだから、シエナのように意図して抑えることもなく、ある程度の力があるはずだ。

 ペトラがぽかんとしていると、ラドミールは話を続ける。


「それでね、その時の同僚が無理をして怪我しちゃったんですよね。俺の一番の先輩って人だったんだけど。で、お見舞いに行ったとき、彼はこう言ったんです。ずっと働きづめで、強制的に休むことになって、なんだか気持ちが晴れやかだって」

「忙しそうですもんね。魔法管理局」

「うん。まぁそうかもしれないです。俺、その時の先輩の顔が忘れられなくて」

「どんな顔だったんですか?」

「すーっごくスッキリした爽やかな笑顔でしたよ! 憑き物が落ちた、みたいな。俺が見てきた先輩は、いつもきびきびとしてて、かっこいいなぁって思ってたんですけど。本当は無理してたんですね。まぁ、ずっと休んでることに段々飽きちゃったみたいで、最後の方は早く働かせてくれ! って言ってましたけどね」


 ラドミールは頬を掻いてやれやれ、と笑う。


「俺もその時、やっぱり身体は資本だなぁって思いましたよ。入院する前の先輩は精神的に参っていたのを誤魔化していたはず。だから注意散漫で怪我をした。でも、今度は身体が動かないと無理していた仕事すら恋しくなるっていう。ははは。どっちも守るって、大変ですね」


 彼の話を聞いたペトラはまた疑問に思う。

 それならばラドミール自身はどうなのかと。今、彼はまさに先輩が怪我をする前の状態ではないかと言葉には出さず唇を尖らせた。


「どうして魔法管理局から騎士団に?」


 だが今は当たり障りのない質問から。

 ペトラはもう一つの疑問を口に出す。魔法管理局は多忙ではあるものの高給で、待遇も悪くないはず。正直、比べてしまえば騎士団よりも労働条件は良い。

 それなのに折角潜り抜けた狭き門を抜けてしまった理由が気になった。

 ラドミールはにこやかな表情を少し隠して自らを嘲るように眉を下げてペトラから視線を外す。


「うーん。嫌になっちゃったんですよねぇ。権力というか、そういう、欺瞞に満ちた環境に」


 ははは、と笑うラドミールに対し、ペトラは眉をしかめて考える。


「権力争い? やっぱり、派閥とか足の引っ張り合いとか、そういうのあるんですね。中央機関って」


 上に行ける可能性がある環境ほど周りのことなどあまり気にかけていられなくなる。ペトラは勝手な妄想で思い描いていたエリートたちのレースが本当にあるのだとほんの少しの感動を覚えてしまう。

 そこにいた当人であるラドミールにしてみれば、彼女の反応は中央機関の旧来からの環境に呆れているようにも見えた。

 ラドミールはまた恥ずかしそうに笑う。


「いい人もたくさんいましたけどね。ただ……仕事をしていても楽しいって思えなくなりましたし、モチベーションが続かなくなったというか……。氷山の一角があっけなく崩れてしまったような感じになっちゃって。ちょうど良い機会もあったんで、それで辞めたんです。でも、騎士団に来て今はとても楽しいですよ」

「楽しい?」


 ラドミールの声色が明るくなったので、ペトラはふと顔を上げる。目に入るのは部屋に入ってきた時と同じ彼の屈託のない笑顔だった。


「はいっ! みんな良い人だし、やりがいも感じてます。仕事を楽しみたいなんて我儘な願いかもしれないけど、少なくとも俺は今、その贅沢を味わえていますね」


 彼の笑顔がキラキラとした光の粉をまぶしたように見えたペトラは面打ちを食らったように一瞬怯んだ後で首を横に振る。


「そ、それは──良かったです。人事としても、なんだか理想の言葉に聞こえます」

「あはは。そう言ってもらえて俺も嬉しいです。ペトラさん、人事の中でも有名ですよね。仕事をきっちりとこなしていて、ちょっと厳しいけど、すごく優しいって。補佐部のみんなは結構好き勝手に仕事してるんで、監査とか、そういうのに弱いんですけど……。でも、ペトラさんみたいな人にしっかり見てもらえるのって、俺にとっては頼もしいです! この前のタスクシートみたいに、またアドバイスくれると嬉しいな」

「…………あ、アドバイス、ね」


 (君にもっと油断していて欲しいって言いたいんだけど)


 ペトラは隙のないラドミールの賛辞に本音を隠した。

 他部署の人から褒めてもらうことなんてこれまでも滅多になく、むしろ煙たがられることの方が多かった。

 だからこそ、数少ない貴重な言葉に久しぶりに出会い、ペトラは胸がこそばゆくなる。

 この流れで彼に働きすぎ、このままだと死んでしまう、なんて言える度胸は残念ながら彼女は持ち合わせていなかった。


「仕事が楽しくて、なんでもやってみたいなーって欲張っちゃうんですよね。はは。前の先輩みたいに怪我とかしないように気を付けなきゃな」


 ラドミールは晴れやかな表情で自分に言い聞かせた。


「そうですね────身体は、大事にしてください」

「ありがとうございます。ペトラさん。お互い様、ですね」

「はは……」


 ラドミールは部屋に飾ってある時計に目を向け、「あ」と声を出す。


「そろそろ時間ですね。今日はありがとうございました、ペトラさん」

「えっ──あっ、はい」


 彼がすくっと立ち上がったのでペトラも少し遅れて席を立つ。


「今日はもう、仕事終わりましたか?」


 最後にさりげなく聞いてみる。ラドミールはペトラの控えめな表情を見てからまた口角を上げて爽やかに答えた。


「いいえ。あと少しだけやってから帰ります! あ、そうだ。ペトラさんもお身体には気を付けてくださいねっ」


 それだけを言い残し、ラドミールは部屋を出て行った。


「はぁ……」


 ラドミールの足音が遠くなっていくと、甘い香りが残った部屋の中でペトラはへたりと椅子に座り込む。


「手強いなぁ……ラドミール・ヴィーカ」


 頬杖をついて疲れた声色で暗くなってきた窓の外を見やる。

 転職理由を知った今、ペトラは彼のことがなおさら厄介だと思うようになった。

 仕事を楽しんでいるのは結構なことだが、この調子だとモチベーションに誤魔化されたまま彼は身のすべてを仕事に捧げてしまう。

 しかしやる気に満ち溢れた団員ほど他者の介入によるコントロールが難しい。

 本人は疲れなど意識する暇もないのだろうし、アドレナリンが出てしまって絶好調だと錯覚しかねない。

 魔法管理局のことをペトラは詳しくは知らないが、少なくともその時よりも今はしがらみのようなものもないのだと推測できた。

 窮屈な環境を抜け出し、求めていたやりがいを見つけた今の彼から仕事を取り上げるのは無謀なことに思える。

 どんな道をかいくぐっても彼は気づけば仕事を求めるはずだからだ。


「ううむ……」


 ペトラはしかめっ面で空と睨み合う。

 初めて向かい合って会話をした印象では、彼はやはり根が真面目で責任感もあって思いやりも持っている申し分のない性格。

 そんな彼の風船の空気を少しでも抜く方法。


「────やってみるか」


 無駄な結果に終わってもいい。どうせこれまですべてそうなっているのだから。

 ペトラは宙に漂う情けない自分の声を励ますように膝を叩いて気合いを入れ直す。



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