4 正義の重圧



 昼食を庭で取ろうとお手製のサンドウィッチを手に外に出たペトラ。天気の良い今日は、いつも室内で食べている者たちも広大な敷地内の庭のあちこちへと繰り出しているようだった。

 ペトラは空いているベンチが見つからず、諦めて大きな木の下に腰を落とす。

 一仕事を終えた彼女のお腹は達成感による安堵から空腹に支配されていた。ペトラは包みを開け、待ってましたとばかりに口を開く。

 だが彼女の上下の歯は、虚しくも空気を噛んだ。


「ねぇ聞いたぁ? 騎士隊の補佐部隊たちの話」


 近くのベンチを陣取りお弁当を広げている二人の女性の声が耳に届いたからだ。

 彼女たちは見たところ制服を着ており、上役たちの秘書のようだった。秘書はごく一部の人間しか就くことが出来ない貴重な職。その恩恵なのか、組織で起こっていることに関する情報はすぐに彼らのもとに入る。

 騎士団で一番の情報屋といえば間違いなく皆が口をそろえて彼らのことを指す。

 だから今朝持ち上がった話題ですらすでに把握していることは何も不思議なことではない。

 ペトラは口を閉じて彼女たちの会話に耳を立てる。

 先程の溌溂とした金髪の女性の隣でお茶を飲んでいた黒髪の女性が彼女に向かって身を乗り出した。


「え? なになに? もしかして、補佐部隊の指導の話?」

「そうそう。びっくりだよね。しかも騎士隊の指示じゃなくて総務からだよ」

「まじ? それ補佐部隊にしてみれば余計なお世話じゃない?」


 黒髪の女性は口元に手を添えて同情するように笑う。


「監査の結果だって。補佐部隊のタスク管理が煩雑化してるから、分担とかちゃんと見直すようにってシートを渡されたんだって」

「うわー。それは面倒くさそう」

「三か月分のタスク振り分けを提出しないといけないって、頭抱えてた」

「かわいそう。ただでさえ忙しそうなのにね」

「ねぇ」


 二人はそう言いながらも顔を見合わせてくすくすと笑っている。

 ペトラは顔の前まで上げていたサンドウィッチを思わず膝元まで下ろす。今朝自分たちが科した補佐部隊への課題が早速噂になっていることに半分驚き、残りの半分は負荷をかけたことを悔いていた。

 ラドミールに関わらず、もしかしたら補佐部隊全体でなあなあなタスク管理が蔓延っているのでは。と、これまでの監査結果からも疑っているペトラが上司に提案したものだったからだ。

 補佐部隊は確かに花形の騎士隊の世話や管理で手いっぱいだ。それは理解している。しかしそれにかまけて肝心な部分を無視しても良いのか疑問が残る。

 これまでにもペトラは何度か彼らの仕事の管理体制自体を見直すべきではないかと訴えたことがある。同僚たちもそれに賛同はしてくれた。ただ毎回、結局のところは厳重注意で終わっていた。

 理由は簡単。実質的に騎士隊の意向がすべての彼らにとって、他部署からの口出しは不要だからだ。休みを取れ。過度な残業は控えろ。そんなことはいくらでも言える。直接的に彼らに何かを科すわけではない”お願い”であれば問題はない。

 だが今回のシート提出は違った。

 彼らに一つ、仕事を増やしたも同然だった。

 やるからにはちゃんとやった方がいいと上司に言われ、ペトラは苦肉の策で三か月分のタスク割り振りの提出と、それがちゃんと出来ているかのトレースを補佐部隊に依頼した。

 説明をした時、補佐部隊のリーダー陣が苦い顔をしていたことには気づいた。けれどもう後戻りもできない。

 結果としてラドミールに託しすぎているタスクを減らせればいいと思うことにした。彼が身体に負荷をかけていることをリーダーたちが知らないはずはない。

 ペトラは最後の切り札としてラドミールの健康診断の結果をほのめかし、リーダーたちの首を縦に振らせることに成功した。

 食欲の失せたペトラはサンドウィッチを包み直して自分のフロアへと戻る。

 隣の席のシエナはすでに昼食を食べ終えていて、読んでいた本から、しゅんとしているペトラの顔へと目線を移す。


「食べないの? サンドウィッチ」

「いまはいいや」

「じゃあ一つ頂戴?」

「いいよ」


 ペトラはシエナにサンドウィッチを一つ渡し、はぁ、と肩を落とした。


「私、おかしなことしてる?」


 突然の問いにシエナはサンドウィッチを一口食べた後で首を傾げる。

 ペトラはもぐもぐと口だけを動かすシエナにもう一度尋ねた。


「補佐部隊の労働環境を改善したい、って、おかしい?」


 シエナはぱちぱちと瞬きをした後で、ごくりとサンドウィッチを飲み込む。


「そうは思わないかな。ペトラと一緒で、私も皆にはできるだけ気楽に働いてもらいたいなーって思ってるし。実態調査は大事でしょ」


 今朝のことを気にしているのだと察したシエナは明るく見解を話す。


「確かに面倒なことしてるなって思うけど、その先に改善の道が見えているなら、やった方がいいと思う。おかしなことじゃないよ」

「……シエナ」

「まー。でも、ちょっとおかしいところもあるけどねぇ」

「え?」


 シエナはニヤニヤと歯を見せて笑う。


「彼が相当貴重な人材ってことは分かるけど、ここまでの原動力になるとはねぇ」

「……は?」


 ペトラはシエナの言っている意味が分からず口を開けたまま間抜けな声を出した。


「ペトラはなかなかに負けず嫌いなんだね。絶対にヴィーカのことを助けたいって思ってるんでしょう?」

「──だって、死んじゃうかもしれないんだよ? 見殺しなんて嫌でしょ」


 ペトラがシエナの問いに「なーんだ」と頬杖をついてあっけらかんとして言ってのけると、普段は聞こえてこないブーツの底が鳴る音がフロアに響いてきた。

 フロアにいた人間は一斉に開かれた扉の向こうに立っている人物に目を向ける。


「すみません。人事総務って、ここですよね?」


 にこにこと愛想良く笑っている彼の姿を見て、ペトラは「あっ!」と声を上げた。

 空中像を起動させる腕輪を付けたラドミールが、入り口近くにいた人に声をかけていたからだ。


「あれがヴィーカか。初めて見た」


 興味深そうに喉を鳴らすシエナを横目に、ペトラは立ち上がってラドミールのもとへと近寄っていく。距離を置いて見ていた彼を間近で見たのはペトラも初めてだった。彼の無邪気さを残した顔から想像できるよりも身長は高く、流石の補佐部隊といったところか、思ったよりも脂肪が少なくて無駄のない体型をしていた。

 騎士たちよりも魔力の弱い彼らは身体の鍛錬も暗黙の了解で求められることだ。

 ペトラは近くの植物の後ろに隠れて彼のことを観察する。


「突然すみません。あの、今朝もらったタスクシートについて聞きたいことがありまして」


 ここが人事総務フロアであることが確認できたラドミールは、ぱぁっと瞳を明るくして話を続けた。

 近くで見ると、彼の大きめの瞳がキラキラと輝いているように見えてペトラは思わず目を奪われて意識が散漫になる。

 すると。


「あぁ! あなたがペトラさん、なんですね!」


 何故かその瞳が自分の方を向いてにこりと笑うように緩められていく。


「へ?」


 何が起きたのか分からないペトラは葉に隠れたまま冷や汗をかいた。彼の隣に目を移すと、先ほど声をかけられていた同僚の一人がペトラを指差しているのに気づいた。

 ラドミールは彼にぺこりとお辞儀をすると、不審に植物の裏に隠れているペトラの方へと歩み寄ってくる。

 ペトラは慌てて植物から離れ、状況を理解しないままぴしっと姿勢を正した。

 とりあえず、みっともないところを見られたのは事実だ。少しでも印象を巻き返したかった。


「はじめまして! 俺、ラドミール・ヴィーカっていいます。最近転職してきたんですけど、えっと、よろしくお願いしますね」

「? よ、よろしくお願いします……」


 ペトラは挙動不審にならないように気を付けながら差し出された手に握手を返す。

 彼はペトラが何故植物の裏にいたのか、などそんなことは気にもかけていない様子で、ただにこにこと笑っていた。

 どうして自分に話しかけてきたのかまだ分からないペトラは彼の愛想の良さに気まずさを覚えて首を傾げる。


「あ、あの……?」

「あ、ああ! ごめんなさい! 突然お訪ねしちゃって」

「いえ……。別に、いいんですが──何かありましたか? 私、に用事ですか?」

「はいっ!」


 ラドミールは嬉しそうに頷くと、腕輪から空中像を浮かび上がらせてペトラに見せた。


「今朝リーダーたちに渡されたタスクシート。これ、ペトラさんが考えたんですよね?」

「え──? はい、そうですが……」


 ペトラはぎくりと顔をこわばらせた。

 見てきた限り、恐らく仕事が大好きなラドミールのこと。余計なことをしやがってと思っている可能性は高い。ペトラは彼から苦言が飛んでくることを身構え、少し肩をすくめる。

 しかしラドミールはペトラの予想に反し、彼女が頷いたことに大層興奮した様子で楽しげな声を出す。


「そうなんですね! 俺、これ感動しちゃって……!」

「──へ?」


 ただでさえ輝いている瞳の輝きを更に強めて、ラドミールは朗らかな笑顔を向けてきた。


「転職して仕事をしてきた中で、管理体制の土台が意味をなしてないなって思うことが多々あったんです。だからどうにか出来ないかなって思ってたんですけど、なかなか難しくて。でもこれがあれば、タスクを整理して、どんな仕事があって、どのくらいの工数がかかって、どう改善が必要なのか、目で見てわかりますよね! そうしたら、もっと効率的にたくさんの仕事がこなせる! 素晴らしい試みだと、感謝を伝えたくて──!」 


 ラドミールは空中像をペトラとの間に浮かべたまま声を弾ませながらしっかりとした口調で話す。


「これがあればチームの抱えているタスクも見えるし、もっと皆と協力し合えます! いつでも共有できますしね。だから、書くのはちょっと大変かもしれないけど、すごく助かります。ありがとうございますペトラさん」

「い、いいえ……お礼なんて……」


 ペトラは頬を引きつらせながら弱弱しく笑顔を作った。


「これでもっと、今以上に仕事に注力できそうです!」


 最後に最高の笑顔と共に放ったこの言葉が、ペトラの心にぐさりと刺さった。


(ま、待って──違う違う違う違う! なんでそこでもっと仕事するってなるの!)


 ラドミールの抱えすぎているタスクを可視化することによって皆に改めてもらおうと思ったことなのに、なんとも逆効果だったようだ。

 ペトラは空中像が消えて直視できるようになった彼の柔らかな笑顔を目の前に言葉を失う。


「それじゃあ、また書いたら提出しますね」

「は、ハイ……」


 チームのタスクを書いて提出するのはリーダーたちの務めのはず。ラドミールはいつの間にかそれすらも請け負ってしまったようだ。

 ペトラは今朝見たラドミールのチームリーダーの顔を思い出してやるせなさを感じた。彼の状態を知ってもなお、この笑顔に甘えてしまうものなのか。


「お邪魔してすみませんでしたっ。では」

「はい……お疲れ様です……」


 力なく返事をするペトラ。颯爽と去って行った彼が残した風が空気を通し、消えかかった甘い香りが漂う。

 ラドミールが去った後、ペトラはがっくりと肩を落とす。

 リーダーに対して抱いていた不甲斐なさと情けなさは次第にラドミールへと向かっていく。

 なんでもかんでも引き受ける彼に対しても、そろそろ疑念が収まらなくなってきたところだ。

 自らの状態を一番よく知っていて、誰よりも労わなければならないはずなのに。

 席に戻ったペトラは残っていたサンドウィッチを乱雑に口に放り込んだ。

 ラドミール・ヴィーカ。

 今は彼に対する心情が心配よりも怒りの方が勝ってしまいそうだった。


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