2 恨めしい姿



 「────と、いうわけなのです!」


 えへん、と誇らしげに咳を払い、ペトラはシエナに向かって胸を張る。シエナは一仕事終えたような表情をしている彼女に対し、どうしたものか、と苦笑いをした。


「えっと……話をまとめてもいい?」


 昼休みの終わりと同時に戻ってきたペトラ。彼女は席に座るなり、まだ昼寝を楽しんでいたシエナを叩き起こし、昨日と今日で集めた情報を語った。

 シエナはまだ眠気が覚めない頭で、今聞いた話をどうにか思い出す。


「昨日、第一隊の補佐部の人と話をしたんだよね? で、そこで、ラドミールが健康診断に引っ掛かったことを知った、と。第一隊の補佐部の人たちは、働き者で優しいラドミールに甘えて、彼への仕事が増えすぎていたことは認めたのね? 加えて彼も進んで皆の抱えきれない仕事を手伝うとか言って引き受けちゃうと。……ふむ。勤勉なんだね」

「そんな誉め言葉で片づけない!」

「あ、はい……ごめんなさい。えっと、それで──?」


 シエナが思い出せたのはここまでだった。その後、ペトラが更に興奮して話していたことしか覚えていない。


「今日、人事部の権限でお医者様と面談してきたの! というか、お昼休みに会ったから、強引に聞き出したんだけど──」

「あら、ペトラも勤勉ね」


 肩をすくめて恥ずかしそうにするペトラにシエナはニヤニヤと笑いかける。


「そしたらね! ラドミール・ヴィーカ、思ったよりも負荷がかかっているみたい。本人も自覚はないらしいんだけど、お医者様によると、このままのペースでいくと余命あと一年も持たないって──!」


 ペトラは悲劇に満ちた声で訴えかける。騎士団に勤める医師は、国の中でも指折りの名医。勿論、魔力も計り知れないほど保有しており、特にペトラが今日話をした医者は、身体の状態を診断することによって相手の寿命までもを予知することができる。ラドミールはそんな医者から、今のような仕事を続けていると命が尽きると宣言されたのだ。もともと他に、何か原因があったわけでもない。とすると、自然と行きつくのは騎士団での過労の日々。

 にもかかわらず、彼は構わないと笑っていたという。

 騎士団に貢献することができれば本望だと、そう明るく言っていたのだそう。


「信じられないよね? まだ騎士団に入って一年も経ってないんだよ? 命が急展開を迎えているのに、なんで冷静でいられるの? そんなに愛着って持てるもの?」


 ペトラは額に手を押し付けて驚愕の眼差しをシエナに向ける。気迫に満ちた彼女の表情に、シエナは笑いそうになるのを堪えた。


「分かんないけど……彼には持てたんじゃない?」

「嘘だ。そんなに魅力的なところなら、こんなに人材募集に悩むことなんてないのに」

「ペトラだって騎士団は誇り高き存在で、騎士になるのは名誉なことだって言ってたじゃない」

「そんな建前なんて、いくらでも言えるよ!? だって人手不足なんだもん!」


 上司が近くにいることも忘れ、ペトラはつい本音をこぼす。彼女が騎士たちを名誉な存在だと思っていることも間違いではない。しかし同時に、過酷な現場も、壊れていった人たちも見てきている。手放しで称賛できない現実を受け入れていないわけではない。


「私、これ以上優秀な人材を失うのは嫌……! 皆には、心身ともに楽しく働いていて欲しいの!」


 ガシッとシエナの手を握ったペトラは、ギラギラと必死さが滲む瞳を向ける。


「しかも彼に関しては戦場に出るわけでもない。つまり、私でも救える可能性があるってこと! 過労で人を失うなんてとんでもないことだと思わない!?」

「ええっと──うん、そうだね。人事としてもそれは見過ごせないかな」

「だよね? だからね、私考えたの」

「おお。何だろう。聞かせて聞かせて」


 シエナは次第に明るくなっていくペトラの表情を興味津々に見つめ、手を握り返す。


「ラドミール・ヴィーカには、もっと自堕落的になってもらいます!」

「────は?」


 秘策を思いついたように、太陽のごとく笑うペトラ。シエナはその輝きから、彼女が本気でそれを言っているのだと理解する。けれど、一体何を言い放ったのかは理解に苦しむ。


「えっと…………それ、何をするの?」


 ついていけない彼女の構想に、シエナは控えめに首を傾げた。

 ペトラはそれでもこれ以上の答えはないとでも言いたげな瞳を揺らめかせて、ただ得意げに笑うだけだった。


********


 まずはラドミールのことをもっとよく観察しなくては。

 そう思ったペトラは上司に特別任務だと言い張り、抱えていた仕事をものの見事に終わらせて自由時間を確保した。

 ペトラの上司は懐が深いのか、無頓着なのか、そんな彼女の熱意をあっさりと受け入れてくれた。シエナはペトラの企みを密かに楽しみにしていて、フロアを出て行く彼女の姿を後ろ髪を引かれる思いで見送った。

 ペトラはすでにラドミールの姿は知っている。人事部の特権で、騎士団に所属するすべての人間の顔と名前の載った名簿が見れるからだ。

 頭に残ったラドミールの姿を忘れないようにずっと繰り返したまま、ペトラは六階へと向かう。ここは補佐部隊が使っているフロアで、どの隊の補佐だろうと皆、ここに自席を持っている。

 あまり足を踏み入れることのないフロア。しかしペトラは人事部の中でも顔が知れている方で、何人かは彼女が通ると挨拶をしてくれた。

 定期監査をしに来る厄介な人間だと思われていないことを願いながら、ペトラは第一隊の補佐部隊がいるエリアを遠くからじっと見つめる。立ったままだと不自然なので、近くにあった空いている席に座り、まるで自分がそこにいるのは当然とでも言わんばかりに風景に溶け込む。

 すると、先日出会った大男と女神が仲良く笑い合いながらフロアに戻ってくる。どうやら冗談でも言い合っていたようだ。


「戻ったよラドミール。ほら、これお土産」


 女神が手に持っていたドリンクをずっと空中像にかぶりつくようにして作業をしていたミルクブラウンの髪にちょこっと当てた。


「ああ! ありがとう! 俺、これ好きなんだぁ!」


 ドリンクが冷たかったのか、少しびくっと肩を上げた後で、少年のような無邪気さの混ざった穏やかな声が沸き上がる。

 女神からドリンクを受け取り、横顔でも分かるくらい嬉しそうに笑う青年。

 ペトラは背筋を伸ばして彼の人懐っこい犬のような瞳とマシュマロみたいに柔らかすぎる笑顔に真剣な眼差しを向ける。

 彼こそがラドミール。ペトラが探していた勤勉すぎる命知らずだ。

 ラドミールは早速ドリンクの蓋を開け、一気に飲み干す。彼が飲んでいるのは、最近シエナも嵌っていたチョコレートを限界まで甘くしたような飲料。

 そんなに一気に飲んでしまったら、身体に毒だ。

 ペトラはハラハラとしながら彼らの様子を見守る。


「そうだ。これ、終わったから提出しておいてくれない? 俺から渡すと、また怒られちゃうからさ」


 ラドミールは大男に対して空中像から取り出した一枚の紙を差し出す。


「おお! もう終わったのか? ありがとよ。この仕事もお前に世話してもらえて幸せだっただろうな。俺のところに居たら、まだ燻ってただろうし」

「ははは。そんなことないよ。他に間に合わなさそうな仕事はない? 俺、まだ余裕あるから引き受けるよ」

「え、でもこの前もそう言って仕事渡しちゃったし……さすがに悪いよ」


 大男はラドミールの人畜無害な微笑みに申し訳なさそうに頭を掻く。


「そんなことないよ。俺たちチームだろ? 遠慮しないで」


 ラドミールはきょとんとした様子で首を傾げた。


「ラドミールが来てから、うちの補佐部隊は騎士たちからも評判なんだって知ってた? 痒い所に手が届きすぎて気持ち悪いって言われるくらい。全部ラドミールのおかげだよ。でもさラドミール、あんたちゃんと有給取ってる?」


 女神はラドミールの隣の席に座り、訝し気な眼差しを向ける。


「ラドミールが来てから半年以上経つけど、まだ一回も休んでないよね?」

「え? あ、そういえば……そうかも。でも転職してきたばっかだし、仕事覚えたくて。休むのが勿体ないなーって思っちゃった」


 ラドミールは照れ臭そうに頬を掻き、バツが悪そうに笑う。


「ほらやっぱり。そろそろ一回くらい休んでもいいんじゃない? 誰も責めないし」

「ああ、そうだよラドミール。休暇があった方がもっと良い仕事ができるようになるぞ」


 大男も女神に同意する。

 ペトラは彼らの会話を聞き、うんうん、と頷いていた。二人と話した時に、流石の彼らも健康診断に引っ掛かった彼のことを気にしていたのは知っていた。

 気心が知れているのか、ふざけたことも言っていたが、彼らも本心としてはラドミールに無理はして欲しくないはずだ。ペトラはしっかりと休みの催促をする二人に感心しつつも彼の返事をそわそわしながら待った。


「うーん……でも、休みって、することないし……」


 しかし肝心の当人はあまり乗り気ではないようだ。腕を組んで深く考え込んでしまっている。


「どうして──? どうしてよ……。休んで、休んでラドミール」


 ペトラはもどかしさから小声で願望を送った。近くに座っている第三隊の補佐員たちが不審な彼女の動向を気にしていることすら気づいていなかった。


「俺は、まだいいかな。休まなくて」


 朗らかに笑うラドミールとは対照的に、ペトラはガンッと頭を机に打ちつけた。

 周りの補佐員たちが彼女を気にかける言葉をかけても、ペトラはショックで何も言えなかった。


(どうして……? どうして休まないの? 有給休暇ほど優越なことはないのに──!)


 絶望の表情を浮かべるペトラ。彼女の頭の中では、ぐるぐると疑問と策が巡り続ける。どうにかして彼を休ませなければ。


(そう──そうだ! そうだよね! まずは休みを取ることから! そうしたら、仕事人間の思考もちょっと収まって、頭を冷やしてくれるかも!)


 思い立ったペトラは勢いよく両手を机に叩きつけて反動で立ち上がる。


(見てなさいラドミール・ヴィーカ。"義務"ってものを見せつけてやる──!)


 メラメラと燃える闘志を胸に灯したまま、ペトラはふふふふ、と不気味に笑う。最早周りの補佐員たちは彼女に近づこうとはしなかった。


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