君を駄目にする方法

冠つらら

1 エラーの常連



 魔法騎士団本部がある大きくて四角い建物の二階。常に湿気を帯びているようなまとまらない小麦色の髪を三つ編みでどうにか抑えたペトラは、空中に映し出された表と睨み合う。

 カレンダーを模した表に描かれているのは、先月の騎士団本部スタッフの勤務状況を分かりやすく表したものだった。

 人差し指で空中像に触れ、集中しすぎて極限まで細めた目で拡大された名前を興味深そうに見る。


「──ラドミール・ヴィーカ」


 彼女が思慮深い声で呟くと、隣に座るペトラと同じくらいの年代の髪の短い女性が首を捻った。


「どうしたのペトラ。深刻な声を出しちゃって」


 キーボードとなる透明盤を叩いていたシエナが指の動きはそのままに顔だけをペトラに向ける。ペトラは空中像をじっと見つめたまま「うーん」と喉から声を出す。


「このラドミールって人、またアラートが出てる。もう半年の間ずっとだよ」


 ペトラがシエナに表を見せると、シエナは合点がいったように目を見開いた。


「ああ! 彼ね。最近転職してきたって聞くけど、同僚たちからは評判みたいよ。なんでも、すごく優秀で、仕事も早くて、皆のことまできちんと気にしてくれて、完璧すぎて神の使いみたいだって」

「神の使い? 私にしてみれば小悪魔みたいな不安因子でしかないんだけど……」


 すらすらと語るシエナを横目に、ペトラは空中像を消してため息をつく。


「彼、働きすぎだよ。このままじゃ過労で倒れるかも。まだ入ったばっかりでしょ? 頑張るのは悪いことじゃないけど、もし、もし彼に愛想尽かされて悪評が広まったらどうする? せっかく騎士団の功績が認められて評判も上がってきたところなのに、騎士団がブラックだって吹聴されるかも。しかも彼が優秀って話ならなおさら見放されたくないし」


 ペトラはしゅん、と肩を落としてうなだれる。彼女の騎士団での役割は、主に人事や総務。ペトラが所属する騎士団は国でも一、二位を争う巨大な組織となる。騎士団は前線に繰り出し街や人々の治安を守る団員に加え、彼らを支えるためにも多くの本部スタッフを抱えている。

 裏を支えるスタッフと前線の騎士の間にある明らかな違いは、個人の持つ魔力の差だった。当然、騎士たちは強力な魔法が使え、個々の固有能力を凌駕する魔法を扱うことができる。

 そしてペトラのような実戦のない本部で働くスタッフたちは皆、持ち合わせた魔力に少し難がある者たちだった。

 魔力のない人間はこの世界にいない。しかし、その差が天と地ほどにありすぎて、地に近い彼らは生まれた瞬間から将来の道が自動的に選択される。幼少期に訓練を重ねようとも、潜在的な魔力の器の差は埋まらず、皆はそれを受け入れて、ある意味で平穏な社会を築いてきた。

 まさに適材適所な世の中。ペトラは与えられた任務をしっかりとこなし続け、人事部では同僚たちからの信頼も得て、頼りがいのある存在となった。

 そんな彼女が今一番気にしているのが、騎士団の風評だった。

 騎士団は他の職業と違い、心身ともに厳しい状況に置かれることのある職場だ。国を守るため、人々を守るため、彼らは時に命を賭す覚悟で戦いに挑む。

 もっぱら、相手は人間ではなく魔物たち。近頃は落ち着いてきたものの、得体の知れない生物たちが時に人間界を襲う。その時、騎士団は真っ先に出陣し、皆を守るために働くのだ。

 そのため人材の中には過酷な労働環境に耐え切れず、辞めてしまう者もいる。彼らを引き留める権利などないし、魔力を豊富に持つ者たちは、騎士団でなくとも十分に働き口を見つけられるだろう。

 しかしそうやって人材が集まらなくなってしまうと、騎士団も成り立たなくなり、魔物たちは脆弱になった人間界をここぞとばかりに襲ってくることが容易に想像できる。

 折角築き上げてきた歴史が、騎士団の崩壊によって無に返されてしまう。ペトラはそれを恐れ、どうにか人材を集め、またすでにいる者たちには最高の労働環境を用意しようと躍起になっていた。


「まぁ──たしかに、愛想尽かされるのは悲しい、かな?」


 シエナは斜め上に視線をあげて眉を下げた。


「だよねぇ……騎士団はいいところなのに……。私たちもどうにか働き方を改善しようと試行錯誤している最中なのに、ここに来てとんだ懸念が来ちゃったなぁ」

「あはは。ペトラ、そんな怖い顔しないで。世界が本当に終わりそうだから」

「終わるよ! このままじゃぁ!」


 頭を抱えるペトラ。シエナは自分の仕事に真剣に向き合っている彼女のことを尊敬しつつ、力が入りすぎている肩を優しくぽんっと叩く。


「そんなに落ち込まないで。えっと──ラドミール、まだ入ったばっかりだし? 加減が利かないだけかもしれないから少し様子見ようよ」

「そんな悠長なこと言ってていいのかな……」

「うんうん。すこーしだけ、あんま干渉しすぎるのも嫌われるかもよ」

「うううう……そうだけど……」


 腑に落ちない顔をしているペトラに、シエナはぎゅっと握りしめたこぶしを掲げて、とんとん、と反対の指でその手を叩いて見せた。

 すると、ぱっと開いた掌からは小さなキャンディーが現れる。


「これでも食べて、落ち着いてよね」

「…………わかった。ありがとう」


 ペトラは力なく頷き、シエナの手からキャンディーを拾い上げた。シエナはペトラがキャンディーを口に含むと満足そうに微笑む。

 彼女の魔力は、食べた人の感情を落ち着かせるお菓子を生み出すことだった。もう少し訓練を積めば、相手の感情をコントロールできる強力な魔法となる。しかしシエナはそれを望まなかった。

 魔法騎士団の本部には、こうして意識的に魔力を抑えた人間も多く存在している。ペトラもそれは承知の上で、だからこそ焦りを覚えていた。

 彼女は自分の魔力に大きなコンプレックスを抱いている。シエナとは違い、彼女が持つ魔力は本当に儚いからだ。

 だからこそ思う。自分にできるのは、騎士団の存続のために奮闘することだけなのだと。


********


 ラドミールの動向に注目してから一か月が経った頃、ペトラは昼食を終えて執務フロアに戻るために廊下を歩いていた。

 ネイビーの壁に並ぶ歴代の騎士団団長たちの肖像画を目で追いながら、彼女は今日もまとまらなかった毛先を癖でそっと撫でる。

 精悍な戦士たちの顔を眺めていると、額に反射した自分の情けない表情に気づき、ペトラはハッと顔を逸らした。すると、カツカツとした靴の底が床を叩く音が廊下の向こうから響いてくる。ペトラはこちらに向かってくる足音に、サッと道をあけた。

 目の前を通り過ぎていく五人の騎士たち。軽く会釈をする彼らに合わせて、ペトラも小さく頭を下げた。彼女はそのまま、特段鍛え抜かれたわけでもない彼らの背中を見送る。

 戦士だからと言って、皆が逞しい姿をしているわけでもない。着ている服こそ騎士ではある。けれど、魔力がすべてのものを言うのだ。体格や年齢など、ただの飾りにすぎなかった。

 廊下の角を曲がった彼らの名残りを見つめたままぼうっとしていると、今度は背後から賑やかな声が聞こえてくる。居酒屋から出てきたような砕けた声がいくつも飛び交い、ペトラは何事かと振り返った。


「はぁ。ああもう、やることが多くて困るよまったく!」

「まぁまぁそう言わず。あんたは魔道具を磨いてればいいだけでしょ」

「そうだよそうだよ! こっちの方がやること多くて困るんだから! 遠征とかほんと、目が回りそう!」


 やって来たのは騎士団の中でも精鋭が揃う、第一隊の補佐部隊だった。補佐部隊は、いわば騎士たちの付き人とされている。しかしやることと言えば騎士たちの身の回りのお世話。ようは、執事というのが正しいのだろう。

 大きな荷物を抱えた彼ら三人は、疲れた表情をしながら僅かな息抜きとなる愚痴の言い合いをしている。ペトラは立場の違う彼らを労うような眼差しで見た後で再び歩み始める。だが、彼らとすれ違った時、ペトラは聞き逃せない言葉が耳に入った。


「ラドミールが呼び出されてなければなぁ!」


 一人の大男が嘆くように声を上げる。ペトラはピクリと肩を震わせ、思わず彼のことを獲物を見つけた獣のように鋭敏な瞳で見つめた。


「あいつ大丈夫かな。医者に呼ばれたんだろ」

「あー。なんか、健康診断の結果が引っ掛かったらしいよ」

「うへぇ。何ともなく戻ってきてくれないかな。あいつがいないと仕事が回らないよ」

「ははははは! それはお前が休みたいだけだろ!」

「ああ、バレた?」


 大男は照れるように笑う。彼がちらりと舌を出したのを見て、ペトラは考えるよりも先に彼らに向かって想定以上の声を出して呼び止めた。


「あのっ! その話、詳しく聞かせてもらえませんか!?」


 大男たちは突然のお尋ね者の登場に目を丸くし、互いに顔を見合わせて瞬きをする。

 ペトラは負けじと彼らに近寄り、勢いよく頭を下げた。


「よ、よく分からないけど──いいよ。何が知りたいの?」


 大男の隣にいた背が高く筋肉質な女性がペトラの剣幕に戸惑いながらも気さくに笑いかけてくれた。ペトラは彼女のことを女神を崇めるように見上げ、手を合わせてお礼を言った。

 知りたいこと、こうなったら全部洗いざらい話してもらおう。

 ペトラはすぅっと息を吸い込んだ。


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