ネニウネニオ

金団頓

本編

 僕にとってなんの思い出もないラブホテル。

 知らないうちに、また潰れていた。


 夜。不意にもやもやとした気持ちが身体の中でぐるぐると巡る。あぁ、またか。何も楽しくない僕の人生は時々不満を訴えかける。この感情を放置してもただ眠れずにむしゃくしゃするだけなので早めに対処したい。こんな時は家にいても仕方がないから、とりあえず宛もなくどこかへ彷徨く。知った街並みを眺めながら進んでも気分は晴れないが、僕は冷まし方をこれしか知らない。

 車はそれなりに走っている。大通り沿いの店はどこも閉店の時間で人の気配も少ない。目立つのはコンビニと車だけで、こんなさみしい大通りに僕は少し親近感を覚える。そんなどうでもいい感情が浮かびながらも歩き続けると、後ろから迫る車に何度も責められているような気がして嫌気が差す。背中を照らす光は僕の穢れをさらけ出し、これがお前だと笑いかける。気分は何も晴れやしない、むしろ悪化しそうだ。だから僕はヘッドライトの光を避け、薄暗がりの路地へ逃げる。打って変わって音も光も少ない道、これならもやもやも解消されるだろうか。ほんの僅かな疲労感を感じつつさらに進む。

 ふと、空気の変化を感じ取る。街並みはまだそこまで変わらないけど、なんとなく香る赤紫の大人な匂い。どうやらラブホ街まで近づいていたようだ。僕は不気味なネオンの浮かぶラブホ街を時偶散歩で訪れる。漂っている異質な雰囲気がなんとなく好きで、その空気を身に纏いたいから。生活圏から隔離されるように密集したラブホテルでないとこの雰囲気は生まれないし、人々が性をタブー視することで生まれた産物だけにありがたく思っていいのか悩ましい。僕の名誉のために補足するが、決してラブホテルに入り浸っている乱れた人間ではない。空気感に魅せられただけの一般人だ。などと心で唱えながらそぞろ歩く。

 車の台数を意味なく数え、客の入りを予想していると、1つのホテルが目に留まった。すでに柵で封鎖されたホテル。当時の姿を残し、悲しく佇んでいる。使った覚えはないが、記憶にある外装。そうか、ここも潰れたのか。しばらく前にも1つ潰れ、今はもうこの街に跡形もない。ここは駐車場になるのだろうか、家が建つのだろうか。廃ホテルの未来など知りもしないが、なんとなく足が止まり眺めてしまう。こうして1つずつ潰れていくことでラブホ街独特の雰囲気も薄れていくのだろう。最近の物価高などもあり経営は残っているどのホテルも厳しいものはあると諦めに近い納得をしつつ、寂しさに近いを感じてしまう。今後も増えることはなく減る一方で、ラブホ街という存在そのものが消滅するときが来るかもしれない。それは地域にとってまちづくりとして喜ばしいことかもしれないが、空気も色も香りも記憶も全てが失われより性が迫害を受けていくのだろう。そんな事を考えながら立ち尽くしていると、不意にホテルへ意識が吸い込まれた様な気がした。


20X号室

 人生最高の歓びが人生最大の緊張によって浸食されていく。システムは事前に調べてきたし、流れも学んだはずなのに。どうにも思考がまとまらずおぼつかない。ふと隣の体温に意識が向くと心音が加速し、全身がはち切れそうなほど熱くなっていることから、もはや正常でないと自覚する。あぁ、この心音が熱が緊張が君には届いてほしくない。せめてこの場だけでもいいカッコでいたい。ただ、好きになった人と明確な目的をもってこの場にいられる事実が勇気を与えてくれる。

「どう……しよっか?」

「うん」

 彼女も緊張しているのだろうか?意味のない返事が静かに響く。

「そろそろ……」

「うん」

 つないだ手に自然と力がこもる。残る不安を覆い隠すように彼女への愛が増幅し、気づけばもう片方の手が頭へと伸びる。ここからはもう思うがままに任せよう。僕は愛の育みを求めて彼女といた訳では無いが、これからの育みがより彼女を特別なものに演出すればと願う。真に彼女のすべてを愛するために。

 忘れられない初めてを今日このホテルで。


40Y号室

 ショッピングも楽しかったし、ディナーも美味しかった。こいつとはいつも一日中一緒にいても飽きないし疲れない。かれこれ1年半、偶の喧嘩はあれどお互いを尊重しながらうまくやってけていると我ながら思う。ここまで相性のいいやつを知らないから、そろそろプロポーズなんかも考えていたりする。

「映画でも見る?」

「うん、今日はいいかなー。」

「そっか」

 いや、今宵は少しでも長く楽しみたい。いつも楽しんでるでしょ?と言われてしまえばそれまでだが、なぜか今日はこれまでよりも深く楽しみたい気分だ。ノーマルが足りないわけじゃない、日常がつまらないわけじゃない。それでも知らない彼女をたくさん引き出すためにも新しいなにかを試したい。もっと多くを識り、多くを愛するために。

「ねぇ。偶にはコスプレでもしてみない?」

「えー。いいけど、何にしよっか?」

 今晩の味付けはミニスカサンタなんてどうだろうか。季節外れだが、それもまた1つのアクセントになる。あー、でも嫌だったりするかな?それなら味変にアメリカンポリスも試してみようかな。

「んー……じゃあ、」

 この変化は彼女の魅力をずっと色褪せさせない。こんな日々をこれからもずっと続けたいとは思うが、結婚すると変わってしまうのだろうか?もし大きく変わってしまうなら、こいつへのプロポーズを渋りたくなってしまう。当然冗談だが、それほどに今が楽しく離し難い。願わくばどんな関係になってもこんな変わらない日々を。

 愛おしい日常とほんの少しの非日常を今日このホテルで。

 

50Z号室

「21,000円になります。」

 変わり映えのない日々の欝憤を吐き出すために、今日もホテルにデリを呼ぶ。扉の先にいた子は大して好みでもなく、あまり好きでない香りを纏っていた。そしてその子は事務的に僕からお金を回収る。1000円の定食を渋るような自分がたったの90分にこれだけの額を払ってしまえるとは。冷静に考えれば高いと判断できるだろうが、どうやらストレスにはそれだけの価値があるらしい。

「少しお話します?」

 あぁ今すぐにでもシャワーに行きたい。

「あ、はい。時間も十分にありますしね。」

 こんなやり取りにも1秒あたり約4円がかかっている。そう考えると無駄な時間この上ないが、うまく流れから抜け出せない。普段から話しかけると思わず乗ってしまい、「実はこういう場で話すのが好きなんですよー」と虚勢を張ってしまう。自分がいけないこともわかっているが、会話で時間を消費する嬢は相性的に地雷でしか無い。

「お兄さん、どんなお仕事をされてるんですか?」

 これは15分コースか?強く出ることを諦めた僕は会話の中で少しずつ服を脱いで抵抗するとしよう。これから失われていく時間には多少は目をつぶろう。このイライラすら1時間半後にはすべて消え、一瞬の快感と持続した虚無感に置き換わるのだから。

 煩わしい会話と束の間の快楽を今日このホテルで。


30W号室

「もう会えないかも。」

 そう告げられた私はすべてを悟った。

「最近、妻が怪しみ始めてるんだ。だから、もう……」

「えぇ、わかっているわ。」

 すべての始まりは約一年前。誘われるままについて行った私は気づけば白線の向こう側にいた。はじめはたくさんあった奥さんへの罪悪感も知らないうちにかなりと薄れていた。心の何処かで自分もまた被害者だなんて思い込んで現状に甘えていたのかもしれない。あぁ、未来もなければ得るもののないこの関係は、寂しさとほんの少しの興味で続いたのだろう。もちろんこれが永遠でないことも分かっていたし、なにか起きる前に関係を切ろうと考えていたが、かなりと深みにハマっていた。それでもいつか来る終わりを少しでも綺麗に迎えられるよう望んでいた私にとって、今回の話はいいタイミングだったと思う。あなたのことは会う度に好きになっていったが、結末ははじめから定められていたから仕方がない。これからのことは不安しかないが、これも好奇心の招いた結果だろう。

 すべて今日で終わり。身も心もあるゆる穢れを融かすような夜を経て、なんでもない他人ひとへと成り代わろう。エンドロールのその先で私が被害を受けないために。そしてまた私は新たな愛の拠り所を探そう。あなたの存在を本当に忘れさせてくれるような。次は少しでも報われるアイがほしいと心が鳴く。

 虚ろな泥沼あいの結末を今日このホテルで。


 すべてはあったかもしれない誰かの物語。ホテルとともに消えていく物語。初めてや別れ、日常や非日常、純愛、偏愛、不倫、お金の関係、あるいは人生の終わり。登場人物たちにとってはとうに薄れた記憶だとしても、すべては小説のような出来事ばかり。決して人に知られることの無い愛を心を覗き見た気分になり僕は少しゾクッとした。当然これらは僕の空想で誰でもない誰かの作り話でしかないが、それでも僕は背徳的な感情に浸る。あぁ、僕はそこまで何かに追い込まれていたのか。余裕のない自分とすでに仕事を終えたラブホテルとほんの僅かな気づきが空想を経て感情に色を加えていたんだろう。何でこんなことで……と思いつつも有機的な心は熱を持つ。一見意味を持たない幻は電気的なパルスとなり僕を再起させた。

 ラブホテルという密室を舞台に紡がれた人生の1ページ、僕は自分の人生が好きじゃないからキラキラ輝いて見えた。多様なアイとエロス、何の楽しみもない僕の人生にとってあまりにも刺激的で羨ましく映る。そんな面白さは僕にもあるだろうか?ふと他人から見る自分の人生を考える。笑われたことしかないような一生で、誰にも褒められたことのない一生。弱い自分が嫌いで、そんな環境が嫌いで。誰かに虐められている訳では無いが現代社会に虐げられているような僕は機能しているかもわからない社会のハグルマとしてこれまで生きてきた。お世辞にも華々しいとは言えないし、苦さしか残らない人生だろう。この廃ホテルのように忘れ去られていくだけの人生だろう。もしこれまでの人生が誰かにとっても価値のないものだったとしても、これからの人生が誰かに興味を抱いてもらえるようになれるだろうか。いや、そう思うことで何かが良くなる予感がしているのかもしれない。

 

 縁もないラブホテルの前でただ立ち尽くしていただけ、それだけで少し視界がクリアになったような頭が軽くなったような気がする。いつの間にか心の霧も晴れて、ここにいる意味はなくなったようだ。誰かの何でもない思い出に浸り、何故か心が動き、なんとなく内省する。潰れたラブホテルという非日常的なきっかけがこの循環を生み出し、僕の汚れを浄化する。このホテルは僕にとってのきこりの泉だったのかもしれない。精神世界から戻ったきれいな僕は汚れるためにまた社会へと繰り出す。そして、溜まった汚物は廃ホテルを眺めて洗い流そう。


 僕にとってなんの思い出もなかったラブホテル。

 知らないうちに、心の止まり木になっていた。

 何をすることもないし何でもない場所だが、たまにはここを訪れよう。次の工事が始まるまでは。

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