第69話

 目の前には丼がひとつ、あっつあつだ。


「よし、冷める前に食べるぞ」


「わーい年越し蕎麦だ!あ、これあれじゃない?忘年会でもらったやつ!」


 そう、忘年会の終わりに社長自らが蕎麦を職員に配っていたのだ。なんでもお付き合いのあるお蕎麦屋さんが、この時期になったらおすそ分けしてくれるらしい。


 去年までは社長家族分だけだったが、今年は売上が伸びたとか何とかでわざわざ社員分まで用意してくれたとのこと。

 どれだけ太っ腹なんだよ。むしろお金払わせて欲しいわ。


 さっき肉じゃがを食べたから2人で1杯。湯気のぼるそばつゆからは大変いい匂いが漂ってくる。


「「いただきます」」


 気持ち静かめの声が部屋に響いた。

 秋津の分を小さな器によそって手渡すと、自分の分も器に移す。


 まずはひと口。つるんとした舌触りに熱いつゆが絡む。

 あぁ出汁のまろやかな味に心が安らいでいく。


 今年も色々あったなと振り返りすする。


「はぁーおいしい」


 息を吐きながら思わず言葉が漏れる。


「ほんとに、優しい味でどんどんいけちゃう」


 何口かそのまま楽しみ、取り出したのはかき揚げだと七味。やっぱり蕎麦と言えばこれなんだよなぁ。えび天と迷ったが、彼女の希望により野菜のかき揚げとあいなった。


 大人だからそれぞれにかき揚げはひとつずつ用意した。あぁ社会人って最高だ。


 口が切れそうなほどパリパリのかき揚げをつゆに浸して少しふやかす。ひと噛みすれば様々な味が口を襲う。

 味の暴力が無くならないうちに蕎麦を再びすする。


 時刻はもう23時半過ぎ、今年ももう終わりだな。


「ねぇ、今年もありがとね」


 やけに殊勝なことを言うなと目を向ければ、かき揚げを口に含んだ秋津がこちらを見ていた。せめて飲み込んでからにしろよ、食欲モンスター。


「あぁ、こちらこそありがとな。おかげでハラハラし……楽しい1年だったわ」


「あーそういうこと言うんだ!」


「いやそうだろ、色々とびっくりさせやがって」


 春から後輩とのランチや地元の飲み会に突然現れたり、定時退勤したと思えば祭に連れていかれたり、出張先に着いてきたり、忘年会は言うまでもないだろう。


 まぁでも、楽しかったな。


 年末の静かな空気はどことなく気持ちをしんみりさせる。これも歳とったからか?


「来年もよろしくな」


「えぇ、来年も。来年こそはよろしくね」


 言ってる間に除夜の鐘。大きなお寺には大量の人が押し寄せているんだろうか。

 大学時代は夜更かししてそのまま初詣とか行ってたっけ。アラサーともなると……


「このまま初詣行くか?」


「絶対いや。今日はこたつと添い遂げると決めたの。天地がひっくり返っても私は家から出ないわ」


 この有様だ。しかし気持ちも分かる。


「んじゃ会社始まってからどっかで時間見つけて遅めの初詣するか」


「それいいわね!最近あんたから誘ってくれること増えたなぁと思うんだけど、そういう時期?」


 きらきらした目でこちらを見られると、照れて目を逸らしてしまう。


「そうそう、そういう時期」


「なら存分に甘えておこうかしら」


 食器を片付けると、ゆっくり年明けを待つ。そわそわしてたのは10代の頃までだな。


 時計が0時を指す。


「あけましておめでとうございます」


 ニットの裾を整えて正座すると、彼女は静かにこちらを向く。


「あけましておめでとうございます」


 その厳かな気に充てられて俺も思わず正座で応える。


 1年の始まりくらいは礼儀正しくありたいものだ。

 ふっとどちらからともなく笑い声があがり、雪解けもかくやと言わんばかりに空気が弛緩する。


 早速、とグラスに缶ビールを注いでこたつに舞い戻る。

 今年もいい一年でありますように。願ったことは同じか、笑顔の彼女をグラス越しに見ながら手を上にあげる。


「「乾杯」」


 先程より幾分明るい声が部屋に吸い込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る