第61話 聖なる夜には定時退勤を③

 シチューも完成して少し粗熱をとったところで大きめのマグカップに注いでいく。そこにパイシートを被せてカップの縁にしっかり貼り付ける。


 秋津は興味深そうにこちらを見ていた。


「あれ、普通のシチューじゃないの?」


「せっかくクリスマスだしちょっとだけ凝ったことしようと思ってな」


「え〜おもしろい!それ私もやる!」


 やはり何でもできる営業美人、手先まで器用らしい。俺のよりも綺麗に被さったパイシートに卵液を塗っている。


 200℃に予熱したオーブンで、カップに被せたパイシートに色がつくまで焼いていく。

 オーブンが頑張ってくれている間にもグラスは空になる。あれ、ペース早すぎじゃね?


 十数分後、焼き上がりのいい匂いと共にシチューを取り出した。


 リビングのテーブルに料理を並べると、俺たちは椅子を引く。今日は対面で座るらしい。


「「いただきます」」


 いつもよりちょっとだけテンション高めの合図、俺はチキンに手を伸ばした。というか猫舌だから熱々のシチューは少し冷ましたい。


 手に油塗れになることも厭わずチキンにかぶりつく。どうやって揚げたらこうなるのか、フワフワの衣に肉厚な鶏肉、塩味の強い味はワインに合う。


「あんた普段そんなタイプじゃないのに、ご飯食べる時だけはこの世の全てを置いて目の前の料理に夢中になるわね」


 優しく細められた秋津の目を見れなくて、誤魔化すようにグラスを傾ける。


「美味しいものは人を幸せにするからな」


 うんうんとひとりでうなづいていると、サラダを取り分けた秋津がこちらに皿を渡してくる。


「お、すまんありがとう」


「いえいえ〜いつもサラダ作ってくれる時ミニトマト入れてるよね」


「やっぱ彩りと味と栄養が詰まってる神食材だからな」


 ミニトマト大先生にはいつもお世話になっている。この摘んで食べられるところもお気に入りだ。


 秋津はカリカリに焼けたパイ生地を割ってシチューに手を付け始めた。


「ん〜〜!おいしい、いつにも増しておいしい!」


「俺も食べる」


 スプーンでサクサクとパイを崩す。真っ白の海に浮かぶ野菜たちはさながら彩り豊かな無人島、いい匂いが鼻を占拠する。


 ひと口、人参の甘さにシチューのコク、牛肉の荒々しくもまろやかな旨みがパイ生地にマッチしている。うーん、このメニューひとつで全部楽しめるな。


 彼女に目をやるとほくほく顔でシチューを食べ進めていた。作った料理の感想をもらえるのももちろん嬉しいが、やはり美味しそうに食べているところを見るのが1番うれしいな。


 じっと見過ぎたか、彼女がこちらを向いて首を傾げている。その仕草自体は子どもっぽいのに表情が年相応に大人っぽくて。


「んーん、なんにもねぇよ。美味そうにたべるなと」


「実際美味しいからね」


 あれ、前にもこの会話したっけ。あの時は台詞が逆だったけど。


 あっという間にお皿の中身は空に。お待ちかね、ケーキの登場である。別に俺たち誰の誕生日でもないのに、まるでお祝いかのようにケーキを食べられるのはありがたい。イエス・キリストに感謝しておくか。



 社畜の夜は遅い。あっという間に22時だ。現在秋津はシャワーを浴びている。

 意味がわからなくない?自分の家に帰れよ。徒歩数十秒なんだからさ。

 そうやって結局プレゼントも渡せずにいた。


 またソファで寝ることになるのか……この際ソファベッドに買い換えてやろうか。と思ったのも束の間、それじゃ同棲やないかいと考え直す。


 数十分後、ほかほかした秋津が風呂場から現れる。


「今日一緒に寝る?」


 いけしゃあしゃあと当然のように意味のわからない提案をしてくる。


「寝ません」


「こんなに髪の毛さらさらでもこもこのパジャマ着てる美女がいるのに?」


 そんな歯ブラシしゃこしゃこしながら言われてもな。おい髪の毛口に入りそうだぞ。

 指を伸ばして顔の近くの髪を払う。


「うーん、ちょっとそういうのは……。ベッド2人だと狭いし」


「わかった!じゃあお正月の初売りで大きいベッド買いましょう!」


「ズレてんのよ、そこじゃないんだって」


「サンタさん来るかもよ?」


 こいつ、まさかな。もう27だし流石にな。そういえば去年も一昨年もこいつクリスマスは実家に帰ってたっけ。


「そうだな、俺は今年残業にほとんど全ての時間を喰われたとってもいい子だから来てもらわないと」


「じゃあ、!」


「でもソファで寝る。暖かいうちに俺もシャワー浴びてくるわ」


 そう言い残して着替えを持ってドアをくぐる。なんであんなにいい匂いするんだろうな。そろそろ煩悩も消していかないと除夜の鐘で頭を打たれそうだ。


 さっさとバスタオルを準備をすると、俺はまだ湯気がたっている浴室のドアを開けた。

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