失踪
失踪1
時間が深夜〇時へ向かう。あれから警察を呼んで事情を話して処理をするのにかなりの時間を要した。とはいえ僕も季四菜も田澤由貴子の親族ではないのであとは遺族に任せることにする。
すでに電車も走っていない時間。歩いて帰るとなると足腰が持つかどうか、もしくはこの熱帯夜の中で干からびるか。だが、季四菜はともかく僕は野宿するのはまっぴら御免被る。どうにもならないので徒歩を選ぶほかなかった。やがて後ろからガラゴロとキャリーケースを引く音が追いかけてくる。
「なんで君も来るの」
後ろを歩く季四菜に問う。彼女は「うーむ」と唸って無言を貫いた。静かな住宅地に彼女のキャリーケースの音だけが響き渡り、なかなか近所迷惑である。
「悪いけど、泊めないからね」
どこまでついてくるのだろうと薄っすら不安になりながら言うと季四菜は白目を剥いて変顔をした。
「アホ。誰がお前んちに寝泊まりするか」
そう言って鼻を鳴らすと僕の横に小走りで来る。
「あのさ、田澤由貴子のことなんじゃけど」
「おぉ……どうしたの、急に」
あえて避けていた話題を急にぶち込んでくるので反射的に肩が上がる。そんな僕を見やる季四菜は茶化しもせず酒やけしたような低いトーンで語った。
「警察も自殺じゃと言うとったけどなぁ……あの人、自殺やのうて、殺されたかもしらんわ」
え、と声を漏らす間もなく彼女は「いや、ちゃうな」とすぐに改める。
「自殺なんじゃよ。しかしな、それはなんというか何者かにやらされとるような……もちろん自殺願望もあってな、じゃがそれは本意ではない。複雑なんよ。死にたいけど死にたくないっちゅー複雑な気持ち。生きんのが苦しくて死んだほうがマシじゃと思う時もありゃ、まだ死にとうないと言った具合に。じゃから……うん、死んで困惑しとったんじゃな」
それはあの短い時間でも田澤由貴子に取り憑かれていたから感じたことなのだろう。
「えっと……季四ちゃんはあそこで霊を降ろそうとしたの? 警察が言うには君が来た時刻にはすでに田澤さんは亡くなっていたって話だけど」
訊いてみると彼女は首を横に振った。
「我がついてすぐじゃ。あの部屋に入った瞬間に憑かれたわ。しばらくは抵抗したんじゃがな……あの人の思念が強すぎて動けんごとなった。それでもなんとか自我を保ったよ。それでしゃーないから話を聞こうと思って受け入れたけど、あんまし意味がなかったな。いっぺんに様々なことを見せられて船酔いした気分。こっちが混乱するわ」
あれを船酔いレベルだと感じるなんてどうかしてるんじゃないか。そう思ったが言わなかった。取り憑かれた季四菜の様子を思い出すだけで体感温度が二度ほど下がる。そんな僕に対し彼女はいくらかの重たさはあれど緩やかな口ぶりで言った。
「じゃから三紀人にぃが先に着いとったら危なかったじゃろうね。あんたは不意打ちに弱いし、何より一般人じゃ。取り憑かれたら対処が出来ん」
そして彼女は首を傾げた。
「でも、祓えの力が強い者に霊が取り憑くとどうなるんじゃろうな?」
「うーん……僕は降ろしたことはあれど憑かれたことはないからなぁ」
降ろしたことは過去一度か二度あれど、それもまぁ先祖の霊を降ろすというものだったので危険は伴わないものだ。ただあれをやると腹を壊すのでやりたくないけど。
「試してみるチャンスじゃったかもなぁ」
そう言って季四菜はケラケラ笑った。しかしその笑い声もすぐに枯れていく。
「あーあ。しばらくはブルーモードじゃ。生理前みたいな気分の悪さが抜けん」
センシティブなことを平気で口にするな。
それから僕が黙りこくったので季四菜も何も言わなくなった。しばらく歩いていく。二駅分ほど歩いても僕の自宅にはたどり着かない。途中、オレンジの常夜灯のある道路沿いの歩道で季四菜が僕の温いビールを奪った。開けられず飲めなかったもう一本だが、随分と外気にさらしていたのですっかり水滴も落ちて温くなっている。それにも関わらず彼女はプルタブを開けてゴクゴク喉を鳴らして飲んだ。
「っはー! 生き返るなぁ!」
「おっさんみたいなことを……嘆かわしいな。子供の頃ははんなりとしたお嬢様だったのに」
「あー? 今でもお嬢じゃ、たわけ」
「えー……はいはい」
時の流れの恐ろしさについ噴き出すとようやく日常の時間軸へ戻った気がした。しかし、しばらく道なりに歩いていくうちに僕はこの暗がりの景色にふと既視感を抱く。そして飲み歩く季四菜を無視して早足で先を歩いた。
「ちょっとちょっと、三紀人にぃ! なんじゃよー! 急にそんな早く歩かんでよ!」
子供のように声を上げる季四菜だが僕の足は止まらない。ここをまっすぐ行って狭い道に入れば──そう、あの廃校がある。
堅牢な鉄扉は厳重に閉じられており、僕はその前で立ち止まった。そこから見えるリサイクル回収の倉庫。そこに『天使ちゃんの呪い』を誰でも簡単に使える紙が貼ってある。思わず鉄扉に手を伸ばしてよじ登った。
「おいおいおい! 待った! 三紀人にぃ! 血迷ったか!」
気づいた季四菜が走って僕の足を掴む。その際、飲みかけのビールが足にかかったが気にせず鉄扉を乗り越えた。
「不法侵入じゃって! コラ、三紀人にぃ!」
季四菜は鉄扉の外から鋭い小声で牽制した。その声を背中に受けながらも僕はそのままリサイクル回収倉庫の前まで向かう。黒い影が蠢いている。三雲はこれをハートマークだと言っていた。いや違う。彼女はこの黒い影が視えていなかった。それをはっきりと確信する。あの時から僕と三雲は何かズレていた。いやその前からだ。僕と三雲のズレはもっと前からあるような──
この黒い影は一体なんなのだろう。くるりと振り返ると季四菜が鉄扉の向こうから僕をじっと見つめていた。そして訝しげに一言。
「なんじゃそのカツラみたいなんは」
「そこから視えるのか?」
驚いて訊くと彼女は「んにゃ」と曖昧な返事をする。
「でもすんごい邪悪なもんを感じるよ。執念深いビリビリしたもんをな。ここからじゃ静電気程度のもんじゃが、つーか三紀人にぃはそんな近くにおってもなんともないんか?」
「や……僕もまぁ、そんなに近くにいたくはないけど……これを視れば何かを得られそうな気がする」
「何かってなんじゃよ」
「うーん……」
具体的には思いつかない。でもこの紙を取り巻く強い執念や怨念に触れれば、すべての真相にたどり着けるのではないか。
夜と死が同時に訪れ、呪いを浴びている今、なぜだか妙に深淵へ触れたいと思う。強烈なショックのあまり感覚が麻痺しているのだろうか。まるで誘われるように指先をゆっくり近づける。
そして、
視界がぐるりと回り、景色が鮮やかに湾曲した。
***
「……おーい、三紀人にぃ? だいじょぶかー?」
遠くで季四菜の怪訝そうな声がする。目の前はとくになんの変化もなく、僕はただリサイクル回収倉庫の前に佇んでいるだけだった。大きな風に撫でられ、少し足がふらつく。まばたきを二、三度繰り返せばそこにある邪悪な黒い塊が点滅するように視えた。チャンネルを合わせる。それはまだそこに浮遊しており攻撃をしてくるわけでもない。触れたからといって一瞬意識が飛んだくらいで体に変化があるわけでもない。
これはなんなのだろうか。田澤梨香なのか、それとも高尾天愛なのか、あるいは全国に拡散された呪いの力が凝縮されたものなのだろうか。そのどれでも当てはまるような気がするが答えを導き出すことはできない。
「三紀人にぃ!」
季四菜がしびれを切らし、夜更けにも関わらず大声で怒鳴る。
「あー、はいはい! 分かったよもう」
喚かれたら近所迷惑で通報されかねない。不法侵入の僕はさらに悪いことになりそうだ。くるりと踵を返して鉄扉をよじ登って家路へ向かった。
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