金縛り

金縛り1

「折り入って話があるんだ」

 そう切り出すと、庭掃除をしていた壱清いっせいが顔を上げてまっすぐ僕を見た。

「なんだよ改まって。あ、新しい彼女できたか? 都会で一人暮らしなんて大変なだけだし、そもそもお前は朝が弱いだろ。さっさと新しい奥さん作って朝起こしてもらえよ」

 悪気なく快活な笑顔で言うものだから言い返すのも億劫になる。

 今年で三十八歳になる長兄だが、どうしてこうも前時代的な思考回路なのか理解に苦しむ。村社会というほどでもない地方都市の故郷。両親でさえこんな偏った思考ではないのに何故だ。

 僕は縁側に座ったまま兄の言葉を聞き流し、義姉の梨奈りなさんの登場を待つ。実家と言えどここはもうほとんど長兄家族の住まいなので言われるまま待っていたら、程なくして廊下の向こうからお茶と菓子盆を持ってくる小柄な女性が見えてきた。

「ごめんねー、三紀人くん。このバカは最近それしか言わないの。まるで壊れたラジオみたいねぇ」

 壱清と同い年の義姉は縁側に茶を置くと、わざわざ庭に出て壱清の頭をパンと叩いた。「いって!」とバカでかい悲鳴を聞きながらグラスに入った冷たい麦茶をいただく。壱清は何故叩かれたのか理解できておらず頭を掻いていた。

「それで折り入って話って何?」

 煎餅を取ってかじりる梨奈さんが訊いてくる。

「うん。呪いについて調べたいんだ」

 これに壱清は不服そうな顔をして腕を組んだ。浅葱色の袴だが貫禄たっぷりな長兄はそのガタイに似合わず訝しそうに顎をつまむ。

「ほう、呪いなぁ」

「呪いって三紀人くん、また何か変なものをもらってきたの? それともまた変な相談事?」

 梨奈さんが咀嚼しながらのんびりと聞く。そのどちらにも当てはまるので、この人にも霊感があるのかもしれないと疑ったが、彼女もその夫も霊感はゼロである。

「でもこの人に相談したところでなーんの解決にもならないよ」

「うん。だから壱清兄さんの意見はあまり当てにしてない。父さんがいれば良かったんだけど、いないしな……」

 僕は遠くの空をぼんやり見つめた。

 今、父と母は世界一周旅行の真っ最中である。神社の仕事をすべて兄に任せた父はこれまでかなり不自由な生活をしていたからと言うやいなや、母を連れてさっさと海外へ飛び立ってしまった。しかし旅行の最中にコロナウイルスの影響により帰国が遅れ、しばらく旅先から出られなくなったが、ようやく規制緩和されたら今度はついでに世界一周してくると言う始末。

 そんな状態で僕は離婚したことをトークアプリで知らせることになった。両親は兄よりも理解があり……というよりも霊感体質の僕を心配はしているようだが、結婚生活に対してはあまり関心がなさそうだった。上二人がすでに結婚して子供もいるからか、もしくは三男ともなれば新鮮な期待はしないのだろう。反対に壱清は次兄の結婚時よりも僕の結婚にかなりうるさい。離婚に最後まで反対していたのは壱清だった。話を戻そう。

「『こっくりさん』に似た遊びで『天使ちゃん』というのがあるんだけど」

 かいつまんで話せば、梨奈さんは興味深そうに聞いてくれた。一方、壱清は掃き掃除に戻り、聞いているのかいないのか分からなかった。

「『天使ちゃん』ねぇ。聞いてると『エンジェルさん』とは違うみたいだね」

「『エンジェルさん』ってなんだ?」

 梨奈さんの言葉に壱清が反応する。

「『こっくりさん』は紙に五十音を書いて、鳥居を真ん中に書くけど『エンジェルさん』はキューピッドの絵を描くのね。それで十円玉に指を置いて『エンジェルさん、エンジェルさん、おいでください』って唱える。私の時代はそうだったなぁ」

 梨奈さんが思い出すように言ってケラケラ笑う。

「懐かしいなぁ。『こっくりさん』は怖いけど『エンジェルさん』は天使を降ろすから怖くないっていう認識でね。どっちも同じなのに子供の頃ってなんでかそういう根拠のないことを言い切っちゃうんだよねぇ」

「そういえば、クラスの女子が『恋のおまじない』って言ってたなぁ」

 壱清も手を止めて話に入ってくる。

「こっちは『キューピッドさん』って言ってたけど、地域によって呼び名が変わるのか」

「そうかもね。ほら、お雑煮の餅が関東と関西で違うみたいな。それと同じく方法も地域によって違うのかな」

「降霊術をお雑煮と一緒に考えられる梨奈さんのメンタルが怖い」

 すかさず僕が言うと梨奈さんは、それもそうかと楽しげに笑った。

「でもなんでまた『使』って呼び名なんだろうね?」

 ふと疑問に思ったらしい梨奈さんがピタリと笑いを止めて聞く。

「だってほら『こっくりさん』はともかく『エンジェルさん』も目に見えない不気味な存在でしょ。そんな気安く呼ぶような相手じゃないと思うんだよね。だってこっちは好きな人のことを知りたいんだし、もう少し敬意を払って呼び出すものよ」

 確かに『天使ちゃん』だと友達を呼ぶような気安さがある。儀式めいたことをやるにしては呼び名が不自然か。

「でもあまり気にすることはないかもね。所詮は子供の考えることだし」

 梨奈さんはそう言って話を変えた。

「私はね、お母さんに習ったのよ。恋のおまじないだよって。あんたはやったことないの?って聞かれるくらいには身近だったんだよ。お母さんが子供の時代に大流行したらしくて、やっぱり身近な遊びよね。危険なんだって思ったのは『こっくりさん』をしてる友達を見た時だったけど」

 僕の顔色を見て言いたいことを悟ったのか、それまで軽快だった梨奈さんの口調が早くなる。淀みなく続ける彼女の目は遠い記憶を手繰り寄せる風ではなくあっけらかんとしたものだった。

「あれは忘れらんないなぁ。小六の時ね、昼休みに『こっくりさん』をやった友達が五時間目の授業中に具合が悪くなって帰っちゃったの」

 僕と壱清が渋い顔を合わせる。その隙間を縫うように梨奈さんは「ま、サボりたいだけだったのかもしれないけどね」と明るく締めくくった。


 壱清も神職に就いている身なので多少は空気を読むことはでき「うちの娘たちには絶対やらせない」と鼻息荒く言うだけで、あとはとくに実りある収穫はなかった。

「そういえば、今日は季四きよちゃんがいなかったね」

 何気なく言うと、兄は「あぁ」と真四角な顔を強張らせた。キレイな正方形だなとしみじみ思っていると、陽気な彼にしては歯切れ悪く口を開く。

季四菜きよなはまたどこかに消えたんだ」

「うわ……あれを野に放つのは危険だろ。僕以上に注意しないと」

 別に僕は朝が弱いだけであってあとはきちんと生活できているから注意は無用なのだが、兄にとってはそうではないらしいので付け加えた。これに壱清は、まぁなぁと頭をガシガシ掻いて困惑の声を上げた。

 従妹の季四菜は巫女である。実家の神社に居候していたがあまりにも物臭なので親族全員が彼女を持て余しているのだ。ポジティブの権化のような壱清や梨奈さんも手を焼いているらしいが、ついに追い出されてしまったのか。そう考えていると壱清は僕の肩をポンと叩いた。

「見つけたら構ってやってくれ。なんか食べさせてな」

 あいつは犬か何かか。そう思うと同時に絶対会いたくないなという気持ちが強くなり、僕は曖昧に笑って実家を後にした。


 ***


 自宅まで電車で一時間ほど揺られている間、スマートフォンに届いていたメールをチェックする。メルマガの中に三雲からのものはなく、代わりに副業の相談が舞い込んでいた。それを急かすかのようにSNSのDMに丈伍からのメッセージが届いていた。

【メール見て】と、それだけのものだが、君は姉の季四菜が行方不明になっていることを心配しろと言いたくなる。言わないけど。まだ自宅最寄りまで時間があるのでメールを開いた。


【匿名希望 はじめまして。ちょっと心霊相談といえるかどうか微妙なんですが、最近金縛りが酷くて寝付きが悪いです。金縛りってやっぱり霊の仕業なんですか?そうだとしたらお祓いしたほうがいいですか?】


 この手の相談はかなりあり、また短いメッセージなのでいたずらを真っ先に疑う。しかし丈伍がわざわざメッセージを寄越して急かすくらいなので、いたずらではないのだろうなと考えを改める。どうも丈伍は直感力に優れており、緊急なメッセージだったら僕を急かすようにDMをしてくるのだ。逆もあり、いたずら目的のメールなら一言入れてくる。季四菜同様、明るく元気で見た目はチャラついていて能天気な言動が多いが、仕事はマメだし余計な詮索はしないし干渉もしてこないし、金をせびってくることもないし自立した精神を持っているし何より優しい。タイプは違えど昔から気が合う従弟であり、霊能ごとに関しては家族親戚の中でも一番信頼を置いている。

 だから、今回のこの依頼は緊急性を伴うのだろう。スマートフォンを素早く操作し、依頼者にメッセージを返した。

 そうして何度かやり取りをしていき、匿名希望の依頼者が男性であること、都内在住であること、金縛りの質が通常ではないことが分かり、僕は三雲の顔を脳内の隅に追いやって対面相談の日取りを決めた。

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