第16話 花月の思い出

 二人が目を見張った。きょうが思案しつつ言う。


「瑞の女王と言えば……先日即位されたばかりの、花月女王ですね? 我々に、同盟を要請する書簡を寄越した」


「ああ、そうだ」


「第一王子……確か、瑞の第一王子の慈英様は、先代の慈円国王の治世で流刑に処されていたはずでは?」


「私もそう聞いている。一体、どうやって彼が故国の王都に舞い戻ったのかは知らんが、その慈英が現在、瑞の国王を名乗って宮廷に居座っているらしい」


 侠が、眉を寄せて言う。


「……それで、王座を剥奪された女王は? 現在、どうしておられるんですか。まさか、処刑などと言うことは……」


「いや。密偵の報告によれば、慈英は女王を追放したとのこと。女王が半島東の海岸に連行されたのを見た者がいるとの情報があるが、真偽は調査中と書かれている」


「そうですか……しかし、あの平和国家の瑞が、まさかそんな。先代の慈円国王の時には考えられなかった事態ですね。女王もお気の毒に。即位早々、侵略に政変にと、生きた心地もしませんでしょう。確かまだ、年若い方だったのでは?」


 そして侠は、ふと思い出したように鬼羅きらに顔を向けた。


「瑞と言えば……先代の慈円国王の治世で、一度ご挨拶に伺いましたよね? あの時は確か、鬼羅様が即位されたばかりで、慈円国王は、即位何十年の宴を開いていらして」


 鬼羅の脳裏に、あの日の記憶が鮮やかに蘇る。当時、まだ即位したばかりの自分は、内心ひどく緊張しながら、他国を挨拶行脚あいさつあんぎゃしていたのだ。幾つかの国を巡り、最後に、瑞を訪れた。あの桜舞い散る庭園で、賢王と名高い慈円に面会したことは大きな喜びだった。そして。


「花月王女か……」


 鬼羅は呟いて、知らず、右手を握りしめていた。あの時、咲き誇る桜のように愛らしく笑っていた少女は、屈託なく初対面の鬼羅の手を握りしめてくれた少女は、一体今どこで、どうしているのだろう。みなとが、鬼羅の言葉を笑って訂正した。


「王女じゃなくて女王だろ! ねえ、鬼羅はさ、花月女王に会ったことがあるの?」


 鬼羅は暫く無言で右手を見つめていたが、顔を上げると、笑って首を振った。


「……いや。ないな」


「へえ、そっか。どんな人なんだろうな。この辺で、他に女王っていないよな? 俺、女王様って一度会ってみたかったのに、残念だなー」


「下らないことを言っていないで、さっさと宮廷に戻れ、湊。まだ仕事があるだろう」


「分かったよ。もう、つれないなあ。せっかく、鬼羅の様子見に来てやったのにさ!」


「と言いながら、さぼっているだけじゃないか。早く行け」


 湊は「はいはい」と言って部屋を出て行った。鬼羅は大きな机に戻り、書簡の続きに目を走らせる。侠が、茶器を片付けながら言った。


「ところで鬼羅様。先日仰っていた戦勝の宴ですが、いつに致しましょうか」


「ん? ああ、そういえば」


 昨年から今年にかけて、おとの国、ごうの国、と、戦が続いた。前線に出ている兵士たちはもちろん、後方で支援してくれる民たちも、ねぎらってやらねばならない。侠が言う。


「宮廷の主計寮と民政寮の奴らが、いつになく盛り上がっておりまして。なんでも今回は、誰だかの伝手つてで、有名な楽団と踊り子を呼べたとかなんとか」


「ほう」


「ついては、宮廷の、玻璃はり殿でんの前庭をお借り出来ないだろうか、とのこと。民政寮の奴らは、踊り子の舞をそこでやらせたいそうです。あの玻璃殿は、外観が美しいですからね。先日、民生寮の官吏達が私のところに大挙してやって来まして、鬼羅様にお願いしてくれ、と懇願されましたよ」


「なんだ、奴ら、自分で私に言いにくればいいものを。いつも固まってゴチャゴチャ言って、つくづく気の小さい奴らだ」


「仕方ありませんよ。官吏にとっては、憧れの国王陛下ですからね。畏れ多くて、とても話など出来ないのでしょう。で、どうします? 使用させて宜しいですか」


「ああ、もちろん。宴をやるとは言ったものの、私はまだ何も考えていなかったからな。準備はお前達に任せるよ。主計寮と相談して、好きに進めてくれ」


「畏まりました。ああ、それと」


「なんだ、まだ何かあるのか」


 書簡を読もうとしていた鬼羅は、再び顔を上げた。侠が、眉を潜める。


「何かあるのか、ではないでしょう。後宮の件ですよ。どうなさるおつもりです」


「ああ……」


 鬼羅はうんざりした様子で、座っていた椅子を引き、侠に体を向けた。侠が言う。


「先日の焔に続き、北方のさいの国からも、王女を鬼羅様の側室に、と打診が来ています」


「全て断れと言ったはずだ。人質代わりに王女を寄越されても困る。大体、私は父上と違って、後宮を持つつもりなど無かったんだぞ。なのに、あの官吏共がうるさいから……。もう後宮は解体して、今いる女共も国に返せと言っただろう。この先の進軍がやりにくくて仕方ない。私は当面、妻を娶るつもりはないし、そういう目的だけなら、娼婦で十分だからな」


「お世継ぎはどうなさるのですか。鬼羅様の言いつけ通り、後宮の女達には粉薬を与えておりましたが……おかげで、結局お子が生まれなかったではありませんか。官吏の中には、鬼羅様の……申し上げにくいですが、その……能力を、疑う者までいる始末ですよ」


 鬼羅は、側室と夜を過ごす前には必ず、侠に言って避妊の粉薬を密かに食事に混ぜさせていた。おかげで側室は誰も妊娠していない。鬼羅は、主を馬鹿にされて憮然としている様子の侠に愉快そうに笑った。


「いいじゃないか。その噂があるおかげで、これまで世継ぎ問題について周りからうるさく言われなかったんだ。お前、薬のことは絶対に言うなよ」


「……しかし、鬼羅様のことをああ言われると、大変腹立たしいのですが」


「放っておけ。側室に子を産ませて、世継ぎ争いでも起きたら面倒だからな。彼女らはまだ年若いのだから、この先いくらでもいい男に嫁いで、子を産むことだって出来るさ。だからさっさと解放してやれと言うんだ」


 侠が苦笑する。


「あのですね。解放してやれ、と簡単に仰いますが、向こうから鬼羅様にしがみついているのですから、解放も何もありませんよ。あのお三方の、鬼羅様へのご執心は相当です。あなた様が誰か一人を贔屓ひいきするようなことがないからいいようなものの、下手をしたら血みどろの殺し合いです。そういう意味では、誰にもお子がいなくて、平等で良かったかもしれませんね」


「女は怖いからな……とにかく、後宮は可能な限り早く解体しておけ。侠、お前も分かっているだろう? 私達の大きな目的を。その足枷となり得るものは、可能な限り排除しておきたい」


「はい。よく存じております。後宮の件は、畏まりました。どうにか致しましょう」


「他には何かあるか? 焔と瑞の動向が気になるから、少し考えたいのだが」


「いえ。お邪魔して申し訳ありませんでした」


 侠はぺこりと頭を下げ、部屋を出て行く。鬼羅は再び書簡に戻った。


(焔は軍勢を引き上げたと言うが、あの東仁のことだ、このままでは終わらないだろう。暫く奴らの動きを見ておくか。あとは……瑞だ。慈英の動きと……行方知れずの花月女王は、一体どこに……)

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