暁の章

第15話 暁の王

 早春の冷たい空に、ウグイスの軽やかな声が響く。


「おーい、鬼羅きら! これ一緒に食おうぜぇ」


 あかつきの国の王都である。宮殿の私室で書簡を読んでいた暁の国王・鬼羅は、自身より8つ年下の側近、湊の声に顔を上げた。


「なんだ、みなとか。……なんだって?」


 湊は、一部だけ白くなっている黒髪を頭の後ろで一つ結びにしている、細身の青年だ。彼は、笑顔で私室に入って来た。相変わらず、平時だと言うのに、その背に二本の刀を背負っている。本人曰く、自分の命と同じくらい大切な刀だそうで、片時も手放したことがない。湊は、右手の麻袋を掲げて言った。


「だーかーら! お前、朝からずっと部屋に籠ってんだろ? 腹減ったかな、と思ってさ! 見ろよ、今、都で一番人気のサクラ饅頭。お前のためにわざわざ買って来てやったんだよ、感謝しろよな!」


「ああ……そうか。悪いな」


 鬼羅は黒檀の椅子から立ち上がると、窓辺に移動した。湊は、窓辺に置いてある来客用の机に無造作に腰かけて、片手にぶら下げた袋から饅頭を取り出し、かじりついた。


「すげえいい天気だな! なあ、鬼羅。次はどこ攻めんの?」


「おい、汚い尻で机に座るな、湊。……さあ、どこだかな」


「ええー! 決まってんなら、早く教えてよ。俺、また先鋒を任されてやるからさ!」


「恩着せがましい言い方をするな。お前は危なっかしい。次の先鋒は、きょうにやらせる」


「ええー?! なんで侠なんだよ、あいつより俺のが強いって、絶対!」


 湊は頬を膨らませながら、鬼羅に饅頭を手渡した。こんこん、と開いた扉を叩く音と共に、侠が姿を見せる。


「鬼羅様。戸が開いておりますが」


「ああ、侠か。今ちょうどお前の話をしていたところだ」


「俺の? どうせロクでもない話でしょう」


 侠は、書簡を何通か鬼羅の机に置くと、二人がいる窓辺へとやって来た。冷たい風が、黒檀の枠の大きな窓から吹き込んでくる。


「ああ。次の戦、先鋒は湊じゃなくてお前に任せようと考えている」


「次の? 進軍予定がもうお決まりですか」


「いや。まだ具体的には決まっていないな。とにかく、湊に先鋒をやらせるのは避けたい」


 鬼羅が肩をすくめて言うと、湊が「ええー」と不平を漏らした。


「やだなあ。俺、すげえ強いのに! 侠なんかには、負けないよ?」


 湊はそう言って優しそうに微笑んだが、その、黒と言うより灰色っぽい瞳の奥には、見る者をぞくりとさせる少しの狂気と残虐性が揺れている。鬼羅はため息をついた。


「こんな所で興奮するな、湊。ほら、さっさと茶を淹れてくれ。いつものやつだ」


「分かったよ、しょうがないなあ。鬼羅のためなら、とびきり美味しく淹れてやるよ!」


 湊は饅頭の袋をぽい、と机の上に放り、「饅頭! 侠にもやるよ」と言って、茶の支度を始めた。侠が、飾り棚の所で茶を淹れている湊を見ながら言う。


「鬼羅様。先日、王都の情報屋が配布していた紙面はお読みになりましたか」


「ああ、読んだ。焔が瑞に攻め込んだ、というやつだろう?」


「はい。王都の民の間では、その話で持ちきりです。戦の勝敗はどちらになるか、と賭ける者まで出ているようで」


 鬼羅は、椅子に座って屋外を見つめながら、侠の話を無言で聞いている。


「瑞は小国ながら、肥沃な大地と産物に恵まれ、実は隠れた国力があります。対して焔は、国王東仁に失政が目立ち、参謀零玄が支えているとはいえ、国土の割に国力は貧弱。とはいえ、瑞は慈円国王が崩御して新国王が即位したばかり。王都の民の賭けでは、焔に軍配が上がっているようですが、果たしてどうなるでしょうね」


 湊が、三人分の茶器を持ってやって来た。彼らは丸い黒檀の机を挟んで淹れたての茶を飲む。湊が二つ目の饅頭にかじりつきながら、話に加わって来た。


「なあ、瑞ってさ。この前、書簡寄越して来た所だよな? あの、人の良さそうなおじさん……なんてったっけ、名前忘れちゃったけど。同盟結んでくれ、って必死に頼んでたね」


「……暁は、どこの国とも同盟は結ばない。こちらは他国と共通の目的を持たないのだから、どの国とも同盟を結ぶ必要はない」


「けど、実は結構貧乏じゃん。暁は強いけど、武器や兵糧ひょうろうで金使いまくってるもんね。兵站へいたん部の奴らがいつも、金が無い金が無い、って騒いでるじゃん」


「うるさいぞ、湊。だからと言って、財政難って程じゃない。だろ? 侠」


「まあ、辛うじて。統合した国からの物資や金銀の供給がございますからね」


 侠は表情を崩さずに言った。鬼羅より一つ年上で、幼い頃から従者でもあった侠は、茶色っぽい黒色の髪をした背の高い男だ。鬼羅にとっては、人生で最も長く一緒にいる人物でもある。彼は鬼羅の側近でありながら、暁の国の財政面も管理していた。生まれは庶民だが、文武両道の優秀な男だ。


 冷たい春風が彼らの間を吹き抜け、暫し沈黙が訪れる。沈黙を破ったのは、鬼羅だった。


「……今朝、焔に潜ませている密偵から書簡が届いた」


 鬼羅の静かな言葉に、侠と湊は顔を上げ、真剣に耳を傾ける。


「それによると、焔と瑞の戦は五分。勝敗が決しないままに焔の軍勢は引き上げて来たらしい」


「はあ?! 引分け? 何それ、そんなのあんの?」


 湊の驚いた声に、鬼羅は頷いた。


「ああ。というのも、戦の最中に、瑞の王都で政変が起きたようでな」


「政変?」


「密偵の報告によれば、瑞の第一王子が、女王から王座を剥奪して宮廷を乗っ取った、と」



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