第11話 鬼羅の返答

 奥の間の、御簾みすの下りた暗く寒い室内で、ひさぎが難しい顔をして腕組みをした。楸はその額に哀れなまでに刻まれた深い皺を、更に濃くして言った。


「同盟、ですか……果たして、あの鬼羅きらが受け入れてくれるものかどうか。恐れながら、女王陛下。あかつきはこれまで、どの国とも同盟を結んでおりませぬ。我が折衝府の密偵に探らせたところ、鬼羅の後宮には、現在三国からの側室……まあいわば、人質ですな……が囲われておりますが、そのいずれの国とも、奴は同盟関係を結んでおりません。その三国の中には焔も入っておりますが、鬼羅は、焔の王女を迎える際、東仁とうじんからの同盟要請を拒否したようです。まあ、その点は我らにとっては幸運だったと言えますが……とにかく奴は、自国の国力に相当の自信を持っておるようですな」


「けれど、楸。軍を動かすにも、お金が必要でしょう? 今回の一件、暁は交易を難なく受け入れたわ。我が国は小さいけれど、豊かな資源がある。彼らにそれを知らしめることが出来れば」


 楸は目を閉じて暫く唸っていたが、やがて頷いた。


「……確かに、暁のここ最近の戦事情を見ていると、我が国の隠れた財力は大きな武器とはなる……分かりました。陛下の仰る通り、暁に同盟を申し入れましょう! 早船を出して湾を渡れば、本日中に鬼羅の返答を聞けるやもしれませぬ。私が直々に、女王陛下の書簡を鬼羅国王にお届け致します」


「頼むわね、楸! 良い結果を、待っているわ!」


 楸は、その日の昼には、花月が慎重にしたためた書簡を胸に、護衛の官吏らに守られながら早船で旅立って行った。アズマ湾は、彼らが暁の海岸線に着くころ、ちょうど満潮を迎える。小型の早船なら、難なく着岸できるだろう。花月はおおとり門で彼らを見送った後、宮殿にある小さな祈祷殿に一人入って行った。古来より、何か重大事がある時には、王族はここで神に祈りを捧げて来たのである。花月は膝を折って床に膝立ちになり、一心に祈った。


「神様! どうか、万事滞りなく進みますように。父上、我が祖霊それいよ! どうか、この瑞をお守り下さい。わたくしに、力を!」


 祈祷殿の神聖な大気に触れていると、何か不思議な力が、体に満ちて来る気がする。それはこれまで、花月と同じように苦悩し、より良き世を求めてこの場で一心に祈っていた、弱き人間達、先祖の思念の、目には見えぬ結晶なのかもしれなかった。


「開戦まで、あと少し。……どうか、どうか、瑞を愛する全ての御霊みたまよ、わたくし達をお守り下さい!」


 翌日の昼前である。早船が戻って来た、との報せに、花月は宮殿の奥の間へ急いだ。そこには、一昼夜の旅で疲労の色を濃くした楸と折衝府の高官らが、暗い顔で居並んでいた。花月は、嫌な予感に胸ざわめかせながらも、楸の差し出した書簡を開く。そこには。


「同盟を、拒否する……!」


 楸が畳に頭を擦り付けた。


「申し訳ございません、陛下! 昨日夕刻に、折衝府の伝手つてを使ってどうにか鬼羅国王に直接面会することが出来たのですが、彼の返答は、否。暁は、どの国とも同盟関係を結ばないとのこと……」


 花月は書簡を握りしめる。同盟を、拒否。他に焔の背後をいてくれる可能性があるのは、東で焔と国境を接するともえだが、彼らは古くから穏健主義で、とても軍事力には期待できない。しかも、巴に行くには現状外海を渡らねばならず、湾を超えればいいだけの暁とは交渉の難易度が格段に違う。花月は顎を引いて顔を引き締めた。


「……いいえ。私の考えが甘かったのだわ。楸、徒労をかけたわね。他国からの助力を期待できないのであれば、自国の力で闘うのみ! この瑞には、他国の力など頼まなくとも、十分な兵力がある!」


「はい。少なくとも暁は、今回の半島での衝突については静観するようでした。そちらの書簡にございます通り、鬼羅国王は、暁は焔に対しても助力は行わない、と約して御座いますから、此度の戦、純粋に、焔と我が軍の戦力の差が勝敗を決するでしょう」


 花月は「ええ」と頷いた。そして、疲労困憊の体の彼らを下がらせ、ひとまず休息を取るよう命じる。薄暗い奥の間に一人残った花月は、鬼羅からの書簡を握りしめたまま考える。


(これで、もうどこからも助けが来ないことが確定した。あとは、護衛府の皆の力を、橘の力を信じるしかない……。いざとなれば、私が前線に出て、彼らを鼓舞してやらなければ。兵達は、前線で命をかけてくれているのだから)


 桐と牡丹が、楸に言われたらしく奥の間に花月を迎えに来る。彼らに御簾を上げてもらって廊下に出ると、空は一点の曇りもない水色だった。


「いいお天気ね……」


 花月が思わず目をすがめて呟くと、二人の侍女も空を見上げて頷いた。


「そうですわね……こんな美しい空の下で戦など……人は愚かですわ」


「もうちょっとで、春になるのに! 春にはまた、みんな揃って、お花見したいのに……橘長官も、護衛府のみんなも、大丈夫かなあ……」


 そう悲しそうに呟いた牡丹が、またもや「べくしょい!」といつもの盛大なくしゃみをして、花月と桐はこんな時なのに笑ってしまう。『また皆揃って、お花見を』。花月はその願いを噛みしめながら、背筋を伸ばし、戦を前にして緊張感の高まる宮殿を歩いて行く。

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