第9話 奸計

 焔の国の宮殿では、宮殿の最奥にある富貴ふうきの間で、東仁とうじん慈英じえいと面会していた。同席している零玄れいげんが、膝まで届きそうな白い髭を撫でながら笑顔で言う。


「慈英王子殿。瑞の女王より、貴殿の身柄引き渡しの書簡が来ておりますよ」


 あれから数日。楸は自分の職務を全うして、慈英が焔にいることを突き止めたようだ。零玄は、花月からの書簡をぽん、と畳の上に放る。慈英は鼻で笑った。慈英の頬は、4年に及ぶ流刑生活ですっかりこけ、別人のように鋭くなっている。


「この強欲爺が、よく言うよ。俺に感謝しろよ。4年前、東仁さんの失政と浪費で金が無かったのを、俺のおかげで瑞から金を強奪できたんだからな。取引は覚えているだろうな? 父が死んだ今こそ、あの約束を果たしてもらうぞ。俺の罪であんたらが大金を手に入れる代わりに、父が死んだら、俺に力を貸すって約束を」


 慈英は、そう言い放った。この傲岸不遜ごうがんふそんな男は、自分の血こそが王族の血だと信じて疑わない。慈英は続ける。


「俺は、島でこの時をひたすら待っていた。父が死んで、瑞の宮廷が混乱する時を。今こそ、あの卑しい血筋の女を国から排除して、俺と言う正当な王位継承者に王位を奪還する時。あの女を追放して、俺と同じみじめな目に合わせてやる。第一王子たる俺を散々コケにしやがった奴らの絶望した顔を見るのが、今から楽しみで仕方ない」


 自らの悪しき行いの数々を棚に上げ、慈英は狂気じみた声でまくしたてた。東仁はたるんだ頬を揺らして笑う。


「貴様も悪運が強い男だ。てっきり死んだとばかり思ったものを」


「4年前の財政難を救った恩人にひどい言い草だな、東仁さん。今回だって、俺の策が無ければ……!」


「ああ、分かった、分かった。うるさい男よ。元より、この焔は慈円じえん亡き後、瑞に戦を仕掛ける腹。焔が欲しいのは、瑞の財だ。貴様がそれをこちらに寄越すなら、半島の田舎の王座などくれてやる。もう既に、瑞との国交は断絶した。あとは攻め込むのみ。だろう? 零玄」


 戦は全て参謀に任せている東仁が傍らを振り向いた。零玄が、感情の全く読めない微笑みを慈英に向ける。


「慈英殿の策で瑞を落とせるのであれば、こちらとしては最小限の兵と資金の損失で済みますからな。慈英殿ご所望の早船は、既にご用意しておりますので」


「それでいい。あんたらの軍は、国境付近で適当にやっててくれ」


「貴殿の働き、信じておりますぞ……して」


 白髭の参謀は、ふいに真顔になって、主に向き直った。


あかつき鬼羅きらの動きは、引き続き注視しておかんとなりませんな」


「暁か……このところ内陸に進軍していたようじゃが」


「はい。鬼羅が遂に、北で国境を接していたごうの国を平定したようです。これで今年に入って奴らが落とした国は、既に3つ……」


 東仁が肘掛を打った。


「鬼羅の奴! 若造のくせに生意気な真似をしおって! おい零玄。奴らはまさか、こちらにまで仕掛けてきたりはしないだろうな?」


 口から酒を飛ばしていきり立つ東仁を、零玄は穏やかな口調で宥めた。


「ご安心を、陛下。暁には金銀含め、様々な品を献上しておりますゆえ。また、よもやお忘れではありますまい? ひと月前には、陛下の第三王女を、側室として鬼羅の後宮に送ったではありませんか。人質がいる以上、奴も容易にはこちらに攻めて来ないでしょう」


 東仁は、酒臭い息を吐いて腰を落ち着けた。激昂すると、前後の見境がすぐに無くなる男である。東仁は、ふん、と息を吐いて言った。


「……そうであったな」


「はい。今のうちに瑞の有する財をこの焔のものにできれば。我が国と東で国境を接するともえも、今はまだ中立ですが、こちらに付く可能性も高まります。巴の財政はお世辞にもいいとは言えませんから、エサをちらつかせれば簡単にこちらになびくはず。そうなれば、あの鬼羅でさえ、焔には容易に手出し出来なくなりましょう」


 東仁は満足そうに頷いた。零玄の表情が、再び上辺だけの柔和な笑みに戻る。


「とにかく、まずは瑞です。あの田舎者共らは、即位式を終えたばかり。今が好機です」

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