俺は左でお前が右で

智bet

俺は図書委員であいつは放送委員で

活字を夢中で目で追っていたのだけど、不意に鳴ったチャイムによって集中が途切れてしまった。


放送スピーカーから、何年使い回しているのかも分からないガビガビの音をした蛍の光が流れて来ていて、辺りを見回すと俺の使っているカウンター以外の席はだいぶ薄暗くなっている。


時計は17時55分を指していた。



『下校の時刻になりました。まだ、教室に残っている生徒は速やかに帰宅の準備をしてください。部活動をしている生徒も撤収作業を行い、速やかに下校しましょう。今日も一日、お疲れ様でした。さようなら、さようなら。』


いかにも業務的な感情に乏しい放送を聞き流しながら本に栞を挟み、後片付けをして撤収し図書室を施錠する。


職員棟3階のフロアにあるのは図書室と、空き教室と、放送室のみ。


俺は放送室の前に立ち、音の割れた蛍の光を聞きながら部屋の主が出てくるのを待つ。


やがて曲がフェードアウトしてプツリと音が切れると同時に、ガラリと引き戸が開いて中から冴えない顔をした男子が1人出てきた。


「おつかれ佐古田さこだ。」


「おつかれ右代谷うしろや。」


「帰りますか。」


「うん。」





18時に最終下校時刻ったって、運動部の陽キャ連中が黙って帰るわけもない。


どうせ30分くらいたむろって騒がしくダベってから帰るに決まっているから、俺たちはその隙を見て帰ることにしている。


右代谷と一緒に帰り始めたのも、話し始めたのも、2年の秋になってから最近のことで、クラスも違えば出身の小学校も違うからこれまで話したこともなかった。


秋になって委員会の3年生が引退し、俺が図書委員長になってからは放課後、毎日利用者のために残ることになっている。


もともと本を読むのは好きだし、誇れるのは同調圧力だけでくだらない内輪ネタでゲラゲラ笑っているクラスメイトの連中は好きになれないからこの一人の時間が俺にとって学校で唯一癒される至福の時間だった。


そして、現・放送委員長の右代谷にとっても学校やクラスメイトは煩わしいものであったみたいで、奴は奴で教師なんて滅多に入ってこない放送室であることをいいことに携帯ゲーム機を持ち込み一人プレイに興じているらしい。


同じクラスに馴染めない陰キャ同士だからといって、放課後の時間に俺とあいつが一緒に遊ぶなんてことはない。


あくまで下校時刻まで図書室と放送室、別々で過ごしてから合流してから帰るまでの間、一緒に歩いて話すだけ。。


別に取り決めがあるわけじゃないけど、なんとなく2人の暗黙の了解になっていた。



______



薄暗い渡り廊下を2人歩きながら脱靴場へと向かう。


「そういやこの前佐古田が教えてくれた漫画のノベライズ版のやつさ、」


「うん。読んだ?」


「いや、あれ主人公全然出てこないじゃん?いつ出てくんの?止まってんだけど。」


「いや、あれは主人公でてこねぇのよ。原作の方で主人公たちが使ってる装備あるじゃん?」


「うん」


「あれを作った奴の話だから。時系列ちょっと前なんだよ。まぁ面白いから読んでみろって。」


「あー、分かったわ。」


会話だってこんなもん。青春らしいキラキラしたやりとりもなければ、お互いの素性にあまり踏み込むこともしない。


他人以上友達未満って感じ。


「今日も正門着いちまったな。それじゃ。」


「じゃーな。」


正門に着いた時点で俺は左、右代谷は右に曲がってそれぞれの家に向かう。


職員棟から正門まで適当に喋って帰るのが俺たちの習慣。


昼に互いのクラスを行き来することもなければ話すこともない、すれ違えば軽い挨拶をするくらいの間柄。


ライトなオタクであることと、お互い家が正門曲がって徒歩五分圏内であること、互いに陰キャであること。


これが俺と右代谷が互いに知っていることの全て。



______


だらだらと図書室で過ごしている内に秋が終わり冬になった。


下校の時刻を告げる放送は30分早まり、日の入りも冷え込みも早くなる。


明日から冬休みだ。ついでにクリスマスだ。


しかし正門まで一緒に歩く時の右代谷との距離感は相変わらずだ。


「佐古田はクリスマス何すんの。」


「…別に、推しの配信見て寝るだけ。」


「俺と一緒じゃん。」


「誰見んの。」


「みこち。」


「俺くろっきーだわ。」


「へー…。」


「じゃあ、うん良いお年を。」


「佐古田も良いお年を。」




秋から冬にかけて右代谷について知ったこと。


あいつはみこち推し。


そんでもって迷彩柄のマフラーを使っていること。


そんだけ。


______


新年を迎えてからのことだった。


放課後、一人図書室で読書にふけっていると放送室の方から笑い声が響いてくる。


甲高い女の笑い声だ。


誰か放送委員の女が遊んでいるのだろうか?


右代谷は何してんだろう?


その日は下校の放送を甲高い女子がやっていた。


右代谷と比べればたどたどしい読み方ではあったけど、頑張って読もうとしている感じだった。


なにより、萌え声系だった。


帰り支度を済ませて放送室の前に行くと、右代谷と女子が一緒に出てくる。


「ウチ、めっちゃ緊張しましたけど、多分次イケますから!明日もやらせてもらっていいですか!」


「いやまぁ、いいけど…」


いやにハキハキした喋り方の眼鏡の女の子が右代谷に絡んでいる。


胸の前で拳を握りしめながら話す様子がなんかわざとらしいけど、声はかわいい、そんな女。


俺の視線に気付くとその女子は大袈裟に髪を揺らしながらお辞儀をして帰っていった。


「あー、お待たせ、佐古田。」


「…何あの子。」


「後輩の子なんだけど、声優になりたいんだってさ。それで放課後放送もやらしてくれって。」


「…ふぅん。」


「さすがに見てる前ではゲーム出来ないじゃん?1人の方が気楽だからあんま居座られてもさぁ…アニメの話とかできたからまぁいいんだけど…」


なんだかんだ言って右代谷は女子と2人で放課後過ごすという状況を楽しんだようで、いつもより口数多く喋る。


別に俺と右代谷は下校時刻までは一緒に過ごしてるわけじゃないから誰と過ごそうがいいんだけど、なんとなく他のやつの話をされるのは気分が悪かった。


それからも放課後には最終下校時刻まで図書室の外からは賑やかな声が聞こえてくる日が続いた。


右代谷は後輩の女子を放送室で見送ったあと、帰る時は俺と二人っきりなんだけど放送室で楽しそうに話す右代谷と俺とふたりで歩いて少し静かになる右代谷、どっちが本当の右代谷なんだろうと思うとなんだか胸がじくじくする。


本当は、女と帰りたいんじゃないだろうか。


「それじゃぁな、佐古田。」


「また明日、右代谷。」


あの後輩とは1時間以上も話している右代谷。


正門で別れるまでの5分だけ俺と話す右代谷。



右代谷にとって俺ってなんなんだろう?



______


小さな悩みを抱えたまま2月を迎えたある日、いつも通り俺は図書室で読書に興じていた。


今日は放送室から賑やかな声が聞こえないなと思っていると図書室の引き戸が開けられる。


「いややっぱストーブあってもコンクリ床じゃ寒いですようっしー先輩。」


「いやまぁ図書室のがあったかいけどさぁ…」


「まーまぁ、どうせ下校の放送まで時間あるんですから。こっちの方が絶対いいですって。」


耳に障るキンキンした喋り方をする後輩女と右代谷が図書室に入ってきて、後輩女は適当な本を選んで座ったかと思うと開きもせずに談笑を始めた。


右代谷はといえば少し申し訳なさそうな顔をして俺に目配せをする。


別に互いに取り決めをしていたわけではないけど、右代谷の方にも互いの生活に干渉しないという考えは奴にもあったようだ。


俺はただ黙って、本の世界に逃げた。


逃げようとしたけど、女のキンキンした喋り方がそれを許さない。


俺は不愉快だった。


俺のテリトリーに侵入した右代谷も、結局は俺の方じゃなくて女の方を見て話し始める右代谷にも、俺の不愉快そうな顔を見て見ぬふりする右代谷も不愉快だった。


「うるさいな…」


小声で抗議をしたけれど、後輩の耳には届いてないようだった。


じきに下校の時刻が近づいて「行きましょ!」と言って後輩が図書室を出ていく。


右代谷が図書室を出る前に


「ごめんな」


と小さく俺に謝ったけど、俺は全部無視した。


そしてその日、俺は右代谷を待たず一人で帰った。


______


それから、右代谷は図書室に姿を見せなくなり、放送室の方からは再び賑やかな声が聞こえ出すようになった。


俺は帰りの放送が始まっても右代谷を待たなくなった。



春になった。


______


いつの間にか3年生になって、クラス替えもあったけど依然として右代谷とは別クラスだった。


廊下で顔を合わせることもあったけど、何故かうまく会釈することができなくて、お互い微妙な顔を向け合うだけになっていた。


あの時のことを気にしていないと言えば嘘になるけど、別に喧嘩するほど仲が良かったというか、深い付き合いがあったわけじゃない。


別に謝るようなことをされたわけでもないんだからさっさとひと声掛ければ済む話なのにどうして何も言えないんだろう。


俺は依然として図書委員長だったけど、3年生になってからというもの、スピーカーからはかわいこぶったあの声ばかりが聞こえてきて右代谷の放送を聞くことはなくなった。


右代谷は今、何をしているんだろう。


______


7月になって俺の委員会活動は終わった。


図書委員長は2年の地味な男子の後輩に引き継がれ、俺が放課後に図書室で居残りをする必要はもうない。


それでも最後の引継ぎがあるので終業式が終わってから放課後、少しだけ図書室に残って私物の整理や後輩への引き継ぎ作業をして、帰ろうとした時だった。


図書室を出ると、同じタイミングで右代谷が放送室の扉を開け、何やら手提げバッグを3つほど重たそうに抱えて出てくる。


今までは右代谷が出てくる前に帰っていたけど、なんとなく、なんとなく今は無視ができないなと、そう思った。


「持とうか?右代谷。」


「…ありがと、佐古田。」


______


右代谷の手提げバッグをひとつ持ちながら肩を並べてゆっくりと、階段を下りて脱靴場へ向かう。


「…なんか、久しぶりだね、この感じ。」


「…あー、冬以来?」


「…なんかごめん、ずっと無視してて。」


いざ話してみると、あっさりと謝ることができた。


「いや、あの子と図書室入ってきた時、佐古田、やっぱ怒ってたでしょ?」


「…ごめん。」


「…俺の方こそ、なんか、うるさくしてごめん。」


「………」


「………」


無言の時間が続いて、重いものを持っているせいかじっとりと汗が滲んでくる。


「…何入ってるの、これ。」


「…部室に置きっぱにしてたラノベ。」


「…その袋も全部?」


こくりと頷く右代谷。


中を少しだけ除くと、ロングセラーの名作や最近アニメ化して話題になった作品など多岐に渡ったジャンルの本が詰まっていた。


「佐古田は本いっぱい読んでるから、俺もこんくらいなら読めるかなって、そしたらハマってさ。佐古田とは話せてなかったけど、読んでた。」


「そう…」


右代谷は右代谷でなんか色々考えていたみたいで、無視ばかりしていた、というより右代谷から逃げていた自分がなんだか恥ずかしかった。


どうしよう。


ありがとうとか言えばいいのだろうか、


それともラノベの話に繋げればいいのかな。


右代谷に何を伝えよう。



そうこうしている内に正門に着いてしまった。


以前の通りなら、俺は左。右代谷は右に曲がってそこでお別れ。


今日から夏休みだから、会うことはまた暫くないだろう。


「あー、の、さ。」


右代谷は俺の顔をじっと見て次の言葉を待つ。


俺はと言えばまだ何を言いたいか出てこない。



「とりあえず、右代谷の家までこれ持ってくの手伝うよ。」



右代谷は少しだけ面食らったような顔をして、



「あー、ありがと。じゃあ、お願いしようかな?」




これで少しだけ考える時間ができた。


俺にとって右代谷っていったいなんなんだろ。



「ついでにさ、どうせ親仕事だから、家で遊んでかない?」


「じゃあ…上がっていこうかな?」



もしかしたら、それを俺は今から知っていくのかもしれない。


セミの鳴き声を聞きながら、人通りの少ない正門に2人並ぶ。


そして、俺は初めて正門を右に曲がった。


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