第18話 抗い

 ────真夜中。

 仰向けの姿勢でふと目を開くと、赤紫の靄が漂う黒い空……。

 あぁ……夕べに続いて、この景色……。

 ということは、アイリが……。


『……当然、おりますわ。オホホホホッ♪』


 大の字になって暗い天を仰いでいるわたしの視界に、右手から入ってくるアイリ。

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、ブロンドヘアーを垂らしながら、こっちを覗き込む。

 ン……起きようと、しても……。

 手足が……動かない……。

 背中が地面に……張りついているかのよう。

 これって……金縛り……?


『ああオバサン、そのままでよくってよ? どうやらあなたとの繋がりが弱まって、昨晩のようにはいかぬ様子。わたくしもいよいよ、今宵限りのようです』


「えっ……? あなたとは、もっとお話ししたかったのに……」


『残念ながらわたくしは、あなたへの興味はさほど。ですがまあ、誉め言葉としていただいておきましょう。クスッ♥』


「ねえ……アイリ? あなた、世間で言われているほどの悪女じゃ、なかったんじゃないの?」


『さあ……どうかしら? 自由に生きようとすることが悪徳とされる、不自由なこの世界。そう感じたあなたの世界は、ここより少し自由な世界だったんじゃない?』


 ウインクをしながら、膝を曲げずに顔を近づけてくるアイリ。

 この子の体、本当に柔軟ね……。

 膝を伸ばしたままで、掌がべったり床につくタイプでしょ?

 朝起きたら、さっそく試してみよう……っと。


『ところであなたの元伴侶……あら失礼。あなたの夫、ね?』


「ええ。興貴がどうかした?」


『乳房が好きなのね。揺れる乳房を見るために正常位ばかり。単調すぎる独り善がりセックスでしたから、傍観でも退屈したわぁ……』


「あー……。それはわたしが一番よく知ってるから、感想は不要よ……。わざわざそれを言いに現れたの?」


『フフッ……まさか。あなたがわたくしの助言を理解できていなかったから、補足しにきたのよ。わたくしには珍しいお節介、ね』


「助言……? 補足……?」


『わたくしの秘密の遺品……。張形はりがた、見つけたでしょ?』


 張形……。

 ああ、あの非電動タイプの、アダルトグッズ……。

 あれが……アイリの教え?


『多様なサイズを揃えているから、飽きさせないわよ。空いてる手に別のを握ったり、口に咥えたりすると、大勢を一度に弄んでいるようで、楽しくてよ?』


「わ、わたしはそういうのは……ちょっと……。それ言うために……わざわざ?」


 ……ん?

 いろんなサイズの張形を、好きなように使え……って。

 それって、もしかして……。


『ウフフッ……そう! すべてはもう、あなたの掌中! 取捨選択で悩む必要なんてないの。アイリの美貌と権力を継ぐ者は、すべてを得る資格があるの!』


「そ、そんな……。わたしはただ、人並みの生活と、人並みの幸せがあれば、それでいいのに……」


『……オバサン? あなたはそれが許されない肉体へ転生したの。アイリ・ラモディールは、欲するものを、すべて得ることが宿命の女。その宿命に抗えば苦しむだけ。そこを履き違えないよう、最期の忠告に現れたのよ。ウフフフッ……♪』


 人並みの幸せを望めば、苦しむ女……。

 それがいまのわたし、アイリ・ラモディール。

 そう言うあなたは、きっと……。


「アイリ、あなたは……。人並みの幸せが許されない生い立ちに嘆き、その運命へ抗おうと生きた結果、悪女に……」


『フン……。オバサンって、いずこの世界でもお説教くさいのね。お返しに、わたくしからも一つ、苦言を差し上げるわ。ルドには気をつけなさい』


「えっ……ルドに? あんないい子の、なにに気をつけるの?」


に気をつけるのよ。あの子を、酒酔いの勢いで抱いたことあるの。男に飽き飽きしてたころの、ほんの出来心でしたけれど』


「はああぁああ~っ!?」


『それ以来あの子、わたくしへ色目を使うようになったわ。まだ自覚はないようですが、どうやら同性愛者のがあるわね』


 ど、どうりで……。

 きょうのお風呂では、不自然な態度だったわ。


『一度抱いただけなのに、執拗に干渉してくるようになったから……。イライラしているときについ、燭台で殴ってしまったの。あの子へ刻んでしまった額の傷は、わたくしの残心。できればオバサンに、フォローを託したいわ』


「って、言われても……。わたし、そっち系は全然……」


『……では、ほんの少し指南を。ン……ちゅっ♥』


 仰向けのまま金縛りのわたしの上へ、アイリが覆い被さってきて……キス。

 それを機に、アイリの姿が徐々に透けていく……。


『……アイリ・ラモディールは自由な女。ですから過去に縛られず、自由に生きてくださいな。わたくしが成しえなかった生き様を、貫いてほしいわ……』


 唇を離したアイリの顔は弱々しく、儚げな乙女そのもの。

 きっと、生まれながらに強く生きることを強いられ、それを演じ続けることに苦しみ、心のどこかで自害のきっかけを求めていた…………か弱い女の子。

 そうなのね、アイリ。


「……わかったわ。あとはこの、令和日本のオバサンに任せてちょうだい」


『ありがとう……クスッ。貴女の優しい顔……わたくしなぞ足元にも及ばぬ、美しい顔……。すてきよ、フフッ……』


 笑顔を浮かべたアイリの瞳から、涙が一粒。

 恐らく、残る己の存在をすべて注ぎ込んだ、最期の一滴ひとしずく

 それがわたしの頬に当たると、アイリの姿が透けながら消えていく……。

 さようなら、アイリ────。

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