理想

「今年の、出し物はどうしよっか?」

どこかで聞いたことがある言葉に、桃太郎を思い出した。

その場にいるのは各部署の新人で、ほとんど同期組ばかりだが、改めて自己紹介をした。二人見知らぬ女性がいた。一人は、最近一号館二階のさくらグループに配属された駒田莉子こまだりこ。数週間しか入社時期が違わないので、ほとんど同期みたいなものだ。

もう一人は、二号館一階太陽グループ田川麻衣たがわまい。月グループの宅間啓太たくまけいたは、毎年納涼祭の実行委員を仰せつかっているらしい。今年は、田川も実行委員として司会もするそうだ。

一号館会議室。会議用の長机は畳まれ、壁際の床に四脚立てかけられていた。パイプ椅子の詰め込まれたキャスター付きの台があり、物置になっていた。

とにかく暑い。冷房なんて、あってないようなもので、蒸し風呂状態だった。

宅間が溜息を吐いて背もたれに身を預けると、パイプ椅子が悲鳴をあげた。

「一応、毎年、新人は納涼祭で出し物をする決まりになっちゅうがよ。去年は、三代目やったけど。俺なんか、毎年やらされいうのに。今年で、新人十年目やけど」

同期の三上恵子みかみけいこが、クスっと笑った。

「やりたいこととか、あるがです?」

「うん。どうせこうなるろう思うて、もう決めちゅうき。俺、パーフェクトヒューマンやりたい。アイム・ア・パーフェクトヒューマン言うて」

首を傾げてポーズを決める。

「あっ、もう、あっちゃんのポジションは決定なんですね」

「あれが、やりたいんやから。じゃあ、もう決定でいい?」

他の案もないので、誰も反対せず無言で頷く。

あぁ、面倒だな。

ヤダな、恥ずかしいな。

そんな表情だった。

「誰が、藤森やるの?」

「そこは、じゃんけんしよ」

誰もやりたくないという気持ちを隠さずに漂わせる。

じゃんけんの結果、私がすることになった。そのお陰で、ダンスを覚えなくていいという役得を手に入れた。

介護はシフト制なので、皆のスケジュールを合わせるのは難しい。各自、YouTubeを参照して、自主練をするようにと言われて、その日は解散した。

「どうですか? 慣れましたか?」

三上さんが、なぜか言葉をかけてくれた。年齢が近いからだろうか。

「まぁ、ボチボチですね。嫌な先輩もいますけど」

「どこで働いても一緒ですよ。お互い、がんばりましょ」

快活な笑顔は、自信に溢れていた。

あんたは、一等級だもんなぁ。そりゃ、がんばれるだろうさ。

「はぁ、まぁ」

モゴモゴと口の中で、言葉は溶けた。


予定が合った少人数のみで練習することもあった。

「はいはい、みんな恥ずかしいんだから。もっと、きっちりとやって」

意外にも三上さんが、ダラダラとした空気に喝を入れる瞬間があった。なぜか、ベテランの宅間まで、背筋が伸びていた。


納涼祭当日。

メイン会場は、隣の福祉専門学校の駐車場だった。な屋台がズラっと並び、職員や学生が額に汗を流しながら、焼きそば、綿あめ、カレーなどを作っていた。

駐車場には、各グループから誘導されたご利用者様やそのご家族、職員や学生でごった返していた。

ご利用者様のカラオケ大会、職員による早食い競争、学生の落語などの演目でおおいに賑わっていた。

注文された商品を、國分早紀こくぶんさきが見知ったご利用者様に、配膳していく。食事介助のバイトで来ているためか、他の学生よりご利用者様との距離が近かった。

「悪いね。ありがと。毎年、こんなに人いっぱいになるの?」

大声を出さないと声がかき消される。

「そうですね。毎年、すごいですよ。あっ、楽しみにしてますからね」

「おい、サボんな」

同じ光風ユニットの藤田明宏ふじたあきひろが、面白くなさそうな顔で國分にちょっかいを出す。

「サボってないよ」

「さっさと、持って来いよ。ほら、利用者が待ちいうやんか」

「一度にたくさん持ってこれないでしょ。もう、手伝ってぇ」

「ったく、しょうがねぇ」

二人の後ろ姿を見送る。

あぁ、俺も、あんな青春送りたかったなぁ。

ちょっぴり、せつなくなった。

壇上から、宅間と田川の声が聞こえた。私は、仕事に戻った。


日が暮れ、最後の演目になった。

私の提案で、円陣を組み、大声を出した。

私たちは壇上に飛び出した。

宅間は気持ちよさそうに、サングラスにオールバックで、パーフェクトヒューマンになりきっていた。

客席で冷やかしに笑う職員。なんだかわかってはいないけど、楽しそうに笑顔になったり、手を叩いたりするご利用者様。

曲が終わり、温かい拍手で幕を閉じた。みんな、肩の荷が下りたという表情だった。

しかし、職員の悪ノリで曲がかけられ、二回目が始まった。

なんだか、グダグダだったけど、楽しかった。


一週間後。

宅間主催で、納涼祭の打ち上げに居酒屋に集まった。飲み会なので、未成年組は不参加。三上さんも、仕事や家庭の都合で不参加だった。

駒井と田川は終始つまらなさそうな表情で、最後まで心を開くことはなかった。



「クソが!」

「死ねよ!」

暴言が止まらない。

イライラする。

利用者が言うこと聞かないから。

わがままを言うから。

暴力を振るうから。

私を苦しめるから。

煙草の量だけが増えた。



九月。

光風グループリーダー明神由利子みょうじんゆりこが、産休から復帰した。

「おはようございまぁす」

底抜けに明るい声が、夜勤明けの脳天に炸裂する。食堂に入ってくると、思わず二度見した。

ベリーショートの短髪に面長の顔、小麦色の肌にひょっろとした体型に、一瞬男かと思った。

「キミが新人君?」

「あっ、はい。はじめまして」

「よろしく!」

満面の笑みを浮かべた。


明神リーダーは、一年間のブランクをまったく感じさせず、率先して介助にあたった。

職員にもご利用者様にも、常に笑顔で接していた。ご利用者様の不定愁訴も、真摯に傾聴していた。

完璧すぎる。斎藤さんですら、ペコペコしていた。

丁寧に介助をして、ご利用者様の話も聞いて、それなのに時間内に余裕を持って終わる。

私が理想とする介護士が、ここにいた。

あるとき、リーダーに尋ねたことがある。

「利用者に腹立つことないですか?」

完璧すぎる人間には少なからず裏の顔がある。

「もちろん、あるよ」

やっぱり。表に出さないだけで思うことはある。

「あるんですね」

なぜか、安心した。

「でも、一番辛いのは利用者だよ。言い方悪いけど、隔離されてるようなもんだしね」

一度入ったら、二度と出られない。施設を一歩出ることさえ、職員の付き添いがなければできない。

「俺なら、入る前に死にたいですね」

「そういう人ほど、長生きするんだから」

「たとえ生きてたとしても、認知があったら、どこにいても一緒かな」

「あら、今のはよくないぞ。ご利用者様は、認知症はあるけど、精神的には私たちと何も変わらない」

「まさか。認知症で性格変わる人もいるじゃないですか」

認知症を発症すると、暴力暴言を行う人はいる。

「それは、病気のせいでしょ。医学的なことは専門外だけど。うーん。キミは今、働き盛りの三十代だけどさ、そう思っているのはキミだけだとしたら?」

「はい? そんなわけないでしょ」

「でも、ここにいるみんなから、あなたは三十代ではないです。八十歳のおじいちゃんです。家に帰れません。衣食住なら、ここで揃ってます。ずっと、ここで生活するんです。そう言われたら、どう思う?」

「どうって、みんなが嘘を吐いていると思いますよ」

「あなたがそう訴えても、誰も耳を貸さず、違います違いますって否定されたら?」

「そんなの、ホラーじゃないですか。怖いですよ」

「私は、利用者にそんな思いをしてほしくないの」

「リーダーは、私が見てきた介護士の中で一番の理想です。完璧すぎます。そういう生き方は、疲れませんか? 利用者の悪口を言いたくなったり、愚痴ったりしたくなったりしませんか?」

「キミが入ってくる前に、何度か休職したことあるよ。心の風邪ってやつかな」

リーダーに池田の姿が重なった。あいつが、あのまま働いていれば、こうなっていただろう未来の姿が、ここにいた。

がんばって利用者のために働いてる人間が、病んでしまうなんて、絶対におかしい。

「そんなに褒めてもらっても、裏では、この人手不足の時期に何人子供産むんやとか、何回鬱になるんやって言われてるしね」

「介護って、本当に妬み嫉み、足の引っ張り合い多いですね。うんざりします」

「キミも、辛くなったら、今みたいになんでも話してよ」

「俺が介護されてる気分ですよ」

「ここには、プロが何人もいますからね」

「あっ、斎藤さんだけは勘弁で」


前に夜勤中に全裸になり、私の右目に強烈な一撃を放ったご利用者様の排泄誘導。

私は、苦手だった。いや、はっきり嫌いだった。

日中、ソファに座り、周囲を威嚇するように見ていた。毎回、叩かれたり、暴言を吐かれたりされる。

リーダーの意見を取り入れて、対応してみる。

まず、にっこりと笑顔で、ご利用者様の視界に入る。かなり、引き攣った笑顔ではあったが、なんとかやってみた。

こちらに気付いた利用者は、威嚇するような表情が少しずつやわらいでいった。

近づくと、片膝をつき目線を合わせる。

「こんにちは」

いきなり本題を切り出すのではなく、まずは挨拶。

「どうも」

利用者は、はっきりと笑顔になった。

「今日は、いい天気ですねぇ」

窓の外は雲一つない快晴だった。

「ほんとにねぇ、そうやねぇ」

ここで、手を握る。

「良かったら、お出かけしませんか?」

「そらぁ、ええねえ」

私は、ソファから車椅子に移乗する。

廊下を進みトイレ前に来る。

「お出かけ前に、トイレに寄りましょうか」

「そやね」

驚くほど、穏やかに介助できた。

排泄介助を済ませると、玄関から表に出る。

「暑いですね」

「うん。でも、気持ちええ。夏は、こうやないと」

普段、話すことはない。こっちは、まともな会話もできない利用者だと思っていた。なのに、自分の昔の話を聞かせてくれた。化け物みたいに思えた利用者が、一人の人間として感じられた。

五分ほど施設前を散歩してから、食堂に戻った。

普段は水分も嫌がったり、イライラしたように撒き散らしながら飲むのに、にこやかに水分を飲んでいた。

「ありがとう」

お礼まで言われた。

嘘みたいだった。

まるで、魔法だ。


廊下から見ていたリーダーはニヤニヤしながら、

「できたじゃん」

ゴム手袋をした手で、頭をくしゃくしゃっとした。

「汚い」

「あっ、ごめんごめん」

私は、初めて介護を楽しいと思った。やり方と工夫次第で、人のありようは変わる。

初めての成功体験。

私は、明神リーダーを尊敬するようになった。



いつも優しいリーダーが、キレた瞬間があった。

ショートステイで小さいおばあさんが来ていた。褥瘡リスクや身体的なことから、特殊マットを使用することになった。通常のマットレスとは違い、かなり柔らかい。

私とリーダーは食堂の方にいたとき、ドンと重いものが倒れる音がした。

「すいませぇん。誰かぁ!」

同期の佐藤雄太さとうゆうたの叫び声が聞こえた。

何事か様子を見に行くと、ベッドサイドの床に倒れている利用者。佐藤は慌てた様子だが、パニックに陥っていた。

「あの、あのあの」

佐藤を無視して、リーダーは利用者に駆け寄った。

「大丈夫ですか?」

「うぅ、痛い」

覗き込むと、額から皮膚が裂けダラダラと出血していた。利用者の前には、小さな棚があり、角の部分にはべったりと血の痕があった。

尋常ではない状態に、私は「看護師呼んできます」と走った。

看護師が処置をして、頭部を打っていたので、看護師付き添いで受診することになった。

一段落すると、私は雑巾で血痕を拭いていた。殺人事件の犯人みたいな気分だった。

園田主任と明神リーダーが佐藤に詰め寄る。

「あの、離床介助をしようとしてて、端坐位にしたんですけど、車椅子を設置してないことに気付いて、そのまま車椅子を取りに行って」

「あんた、バカなの!」

主任が怒鳴る。

移乗介助をするときは、利用者の足が床に着いていないとできない。当然、宙に浮いたままではバランスを崩す。

「ベッドの高さも適切ではないし、これじゃ足届いてないよね。ただでさえ、特殊マットなんだよ。手を離したら、どうなるかわかるよね」

リーダーは厳しい口調で詰める。

「すいません。意識がそこまで…」

「もう、当分、この子に介助やらせないで。あんたも、なんでこんな新人に一人でやらせてるの。ありえないでしょ」

主任の矛先がリーダーに移った。

「私たちの仕事は、一瞬の判断ミスが大事故に繋がる。とても、怖いことをしているの。人の命を扱っているという自覚を持ちなさいっ」

リーダーは、必死に怒りを抑えようとしていた。

「…はい」

泣きそうな顔で佐藤は俯いていた。

リーダーは主任と少し話してから、ご家族に電話をかけ報告していた。


食堂で佐藤は項垂れていた。藤田がいつものように、冗談を言ってからかうが、落ち込んで取り合わなかった。

「とりあえず、落ち着いた?」

「…はい」

「主任はあぁ言ってたけど、リーダーが一人で介助を任せてたってのは、佐藤を信頼しているからだぞ。仕事ってのは、そういう信頼の上で成り立ってる。それが、わかったか? 失った信用を取り戻すのは、難しいけど、まだ若いんだから。時間はいくらでもある」

「すいません」

「ミスをしたら、たくさんの大人が頭を下げることになる。それで済むうちは、まだチャンスがあるんだから」

お前、人を殺すとこだったぞ。

うるさい。

賠償請求されたら、払えんのかよ。

黙れ!

「とりあえず、トイレ行ってこい。スッキリしてこいよ」

佐藤は、頭を下げてトイレに行った。

寮母室にリーダーの様子を見に行くと、電話は終わり、パソコンに打ち込んでいた。

「すいません。私が言えることではないのはわかってます。ただ、思いつめないでくださいよ。リーダーの判断は間違ってないです。ただ、ちょっと運が悪かっただけ。ヒューマンエラーってやつ」

リーダーの性格的に、きっと自分を追い詰めるだろう。ここで倒れられては困る。

「大丈夫。佐藤君は?」

「あんだけ落ち込んでりゃ、二回目はないでしょ」

技術や知識を付けたとしても、一瞬の気の緩みまでは、誰にもどうにもできない。大丈夫と思っている本人が、エラーを起こしているのだから。

「慣れた頃が一番危ないってわかってたのに。私も、気が緩んでた」

「ほら、そうやって、自分を追い詰める。光風全体の責任ですよ」

人は、物理的に被害が出ないと、気を引き締めることができない。易きに流れるようにできている。

「とにかく、軽症で、あってほしい」

「祈りましょう」

こういうとき、介護士は無力だ。



年が明けて、藤田は國分ではなく、二号館の女性職員と付き合っていると噂が流れた。私も見たことがある職員で、なんでアイドルにならなかったと思うほど、かわいい娘だった。他にも、さくらの駒井にもちょっかいを出していた。

「藤田は、いつ別れてもいいように、手当たり次第にツバ付けてんの」

おばさん職員は、そう揶揄した。


佐藤が退職した。

突然だったので、リーダーに尋ねると、

「友達に車を貸したそうなんだけど、飲酒運転だったらしくて、電柱に突っ込んで事故ったみたい。当然、本人は飲酒運転してるなんて知らなかったから、罪には問われない。ただ、あの子、前に、車のリアガラスが割れた状態で出勤してきたことがあって。そのときは、段ボールで塞いでたけど」

私は、原付なので、そんなことがあったとは知らなかった。

「危ないでしょ」

「普通に、整備不良で警察に止められるね。まぁ、主任が話を聞くに、付き合っている友達の素行が悪い。リアガラスが割れたのも、無免許の友達が遊びで運転して壊したようだし。ただでさえ、転倒事故を起こして、印象が悪いのに。とどめをさしたね」

「そもそも、なんでバレたんですか?」

「主任が、自転車で出勤してきたのを見かけて聞いたら、普通に喋ったそうよ」

バカが。

「主任が部長と相談して、自主退職という形で、切り捨てた」

頭の中は、まだ悪ふざけをしている高校生のままのようだった。

「あぁ、バカだ」

「真面目にがんばってたから、残念だけど」

「しゃーないっすよ。実害が出る前に損切りするのは、懸命な判断でしょ。リーダーが悔やむことじゃないですよ」

佐藤は、事故を起こしたとき、本当に落ち込んでいた。その気持ちがある限り、アイツはやり直せる。

いい社会勉強になったのではないだろうか。



私は、ずっと光風で明神リーダーと一緒に働いていたかった。

夜勤中も、イラ立つと、たった一回の成功体験とリーダーの顔を思い出した。

本当は自分でもわかっていた。

イライラするのは、自分に対応する能力がないから。利用者が暴れたり、不機嫌になったとき、どうすればいいのか正解がわからない。ただ、精神的に疲弊していく。

そして、職員の心無い言葉。

時間に追い立てられ、厳しい言葉を浴びせられる。

そんな、どっちつかずの自分の弱さにイラついていた。

気付いているが、見ないフリをした。


三月。

園田主任が笑顔で、光風の食堂に入ってきた。

「お疲れ様です。どうされました?」

「お疲れ。キミ、来月、人事異動で、二号館になったから。キミは黙々と働く癖があるから、二号館の方が合ってると思って」

ふざけんなっ‼

明神リーダーと離れることになるのが、一番イヤだった。介護が少し楽しいと思えてきたのに。もっと、リーダーの下で勉強したかった。

部署異動は、ほぼ一・二号館の男性職員が入れ替わっていた。


「主任が、一号館は若い女が多いから、問題を起こす職員がいるからって、部長に進言したそうよ。二号館は、ババアばかりだからって。失礼しちゃう」

「数年に一回の恒例の総入れ替えってだけでしょ」

「ババアと問題起きたら、意味ないじゃん」


様々な憶測、噂が流れた。


そして、廊下にある掲示板に異動先の部署が貼りだされた。

一緒にパーフェクトヒューマンを踊った田川は、私たちが新人研修をした春月荘に異動になっていた。

門屋さんは、憩いの家のケアマネージャーに任命されていた。職種自体が変わっていた。

「イヤだぁ。現場で働きたいよぅ。机に齧りついて書類を作るなんて、死んじゃう」

異動する前日まで、嘆いていた。

私は、二号館一階太陽グループだった。田川が抜けた穴を埋める役割。

驚いたのは、國分早紀も太陽グループに配属になっていた。食事介助のバイトで来ていたから、てっきり入社したら、光風に配属されるものと思っていた。

明神リーダーは溜息を吐いて、「なにかあったら、いつでも愚痴を聞くからね。私は、あなたの味方だから」と、なにかある前提で話されると不安になる。

光風に残る唯一の男性職員、谷本浩二たにもとこうじは、いつも優しい笑みを浮かべていたが、「いろいろあるけど、がんばってね」と、強張った表情で言葉をかけてくれた。

やはり、なにかある前提。

嫌だなぁ。

怖いなぁ。

でも、二号館の二階には同期の三上さんがいる。

まだ、マシか。


いきなり全員同日に異動したら、教えるのが大変になるため、少しズラされていた。

二号館から来た男性職員は三名。

「やっと、二号館から解放された! はぁ、一号館は空気が軽くていいねぇ」

不穏な発言を意気揚々とする。

「そんなに、二号館はアレなんですか?」

「うん。アレだよ。俺もこの五年、よく耐えたと自分を褒めたい」

はぁ、もう帰りたい。


どれだけ拒否しても否定しても、その日はやってきた。


























































「ようこそ、魔窟へ」

つづく。

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