第六話 竜具
「破竜に礼を言われる日が来るとは思わなかったな」
破竜の消滅を確認したシルは、破竜が消滅した場所の中心へと足を進めた。
「竜具は本か……理性を失う能力の象徴としては皮肉が聞いてるな」
シルが足を止めた目の前には、一冊の本が落ちていた。
さっきまで破竜とシルの戦闘が行われていたにもかかわらず、その本には汚れの一つも付いていない。
それもそのはず。本は破竜が消滅した後に出現したものだ。
「いつもなら商人にでも売り払うところだが、今回はどうしたものか……」
破竜は竜核を破壊されれば跡形もなく消滅する。しかし、稀に膨大過ぎる破竜の魔力は、核を失ってなお形を残すことがある。
それこそが【竜具】。竜具を手にした者は、かつて竜具になる前の破竜が所持した恩恵の能力を、条件付きではあるものの部分的に使用することができるようになる。
「今回は比較的楽に片付いたね。お疲れ様、シル」
「レイ、そっちもな。援護助かったよ。見事に良いところを持ってかれた」
本を持ったまま立ち尽くしていたシルに声を掛けたのは、整った美しい顔立ちの青年。だが、整った顔とは裏腹に、青年の体には左腕が欠損していた。
「団長を援護するのは副団長として当たり前だよ。それにとどめを刺したのは僕の完璧な狙撃だけど、それも君の奮闘あっての事さ」
「うん、お前の言うとおりだ。俺が一番頑張った」
シルを労っているように見えて、しっかりと自分の射撃の正確性は主張するレイに対して、シルは雑な返答をする。
レイとシルの付き合いは長い。お互いに謙遜し合って距離感を測る時期は、とうの昔に過ぎている。
「シルお疲れー。さすがの暴れん坊っぷりだったね!」
レイに続いて軽いノリで声をかけてきたのは、一般男性の平均身長であるシルよりやや背の高い少女。
「ああ、そりゃどうも。ノルノ、あの家族の状況は?」
褒めているのか微妙に判断しづらいノルノの労いも、シルは慣れた態度で受け流して話を本題へと移す。
「奥さんと子供は無事。でも旦那さんの方があんまりよろしくないね。とりあえず私の毒で応急処置はしたけど、早めに医者に見せた方がいいと思う」
シルが懸念していた通り、ヒュースの怪我は軽いものではなかった。破竜と戦って命があるだけ儲けものだが、それもすぐに失っては意味が無い。
「あまりもたもたしている時間は無い……か。他に生存者は?」
「リナとルートが探してるけど、リナは『期待はしないでください』ってさ」
「――そうか」
リナの能力ならば、生存者を見落とす可能性は低い。ならば最優先は、現状数少ない生存者であるヒュース一家の安全の確保だ。
しかし、シルには他にも気になることがある。
「早々に近くの街に向かいたいけど、今回の事件には腑に落ちない点が多い。そうだね? シル」
「ああ、行き過ぎた被害妄想からの破竜化や、竜人奴隷が村に流れ着くのも破竜事件の発生理由としては珍しくない。まさに典型的な事例だ」
破竜化の原因は様々だが、主な原因は果てしない絶望。さらに追及するならば、絶 望をトリガーに抱く飽くなき破壊心だ。
理由は人それぞれであるが、世界そのものに絶望しこの世界を破壊したいと願う人間は珍しくない。幸運と不幸が渦巻く理不尽なこの世界で、絶望を感じた事の無い人間の方が少ない。
世界を憎む多くの人間と、一部の竜人達との差。それが破竜化という実際に世界の破壊を可能にする力だ。
「うん、普段なら気にするほどの事じゃない。ここ一年、全く同じ境遇で滅びた村が多数存在することを除けばね」
「私達が関わった同じパターンの件だけでもこれで六件目。破竜なんて一年に二、三体遭遇する程度なのに、さすがに偶然では済ませられないよねー」
傭兵として世界を回っているシル達は、これまで何度も破竜の討伐に参加した。
その経験に照らし合わせても、この一年の破竜の発生数と発生状況のほとんどが酷似しているのは偶然とは思えない。
「時間が経たないうちにこの周辺を調査しないとだね。とりあえず足の速い僕とシルで彼らを近くの街へ送り届けよう。その間に三人は調査を」
「――レイ、せっかく考えてくれたところ悪いけど、どうやらその必要は無さそうだぞ。近づいてくる複数の魔力を感じる。多分騒ぎを聞きつけた傭兵か、警備担当の騎士団だろ」
「シルの魔力探知、範囲はバカみたいに広いのに精度はガバガバもいいところだもん。前みたいに狼の群れじゃないよね?」
シルは膨大な魔力を持っているが故か、広範囲の魔力を感知できる代わりに、魔力の数や大小の判断に疎い。人と動物の区別も遠距離だとあやふやなので、シルの魔力探知を頼りに人の村を探して狼の巣に辿り着いたのは一度や二度じゃない。
「今回は絶対に間違いない。動物にここまで綺麗な編隊を組んで移動はできない。数は五十……いや二十八……ちょっと待て。やっぱり六十くらいかも……?」
「やっぱり今回も駄目そうじゃん……」
案の定信用できないシルの魔力探知に呆れ、ノルノは肩をすくめた。
「心配することないよシル、元から君の魔力探知は当てにしてないからね」
「ぶっとばすぞ」
「ははっ、お手柔らかにね。それよりその本……」
シルの暴言をすんなり受け流し、レイはシルの持つ本を指差した。破竜の成れの果てである竜具を。
「あの破竜の竜具だ」
「ラッキーじゃん! 商人に買い取ってもらえば、ひと月は食費に困らないよ」
強大な能力を与える竜具は、市場では高額で取引されている。自分達で使用しないのならば、売却するのが定石だ。
「それなんだが、こいつの扱いは俺に任せてくれないか?」
「どうするんだい?」
「これも何かの縁だ。せめて竜具だけでも、こいつの故郷に返してやりたい」
大勢の村人を虐殺した破竜だが、彼らにも彼らなりの理由はあった。その正当性の有無はともかく、竜具となった後も人間に利用されるのを嬉々として容認したくない程度には、シルはあの破竜に情が沸いていた。
「もしかして今回の破竜、あの廃村の……?」
竜と猫の副団長であり頭脳でもあるレイは、数少ないシルの言葉から交戦した破竜の正体に辿り着いた。
「さすがだな、レイ。てなわけでこの竜具は村に返す。異論は?」
「まー今回はシルが圧倒的功労者だし、隙にすればいいんじゃない? うちの金欠の解消はしばらくお預けだけど」
「まったくだな。どいつもこいつも散財癖が酷過ぎる……」
ノルノの言う通り現在の竜と猫の財布事情は良くはない。そしてシルを含めて団員の全員がかなりの散財癖があるのも事実。
「半分以上はあんたの食事代でしょうが‼」
ただ一点、竜と猫の出費の六割強を占めるのがシルの食事代である事を除けば。
「だから申し訳ないって。後で気の済むまで俺の事殴っていいから今回は目をつぶってくれ」
「あんたのこと気が済むまで殴ってたら私の拳が砕けるっつーの。もういいよ。いつもの事だし」
「ありがと。てか、拳が砕けるまで殴る気かよ……」
なんだかんだと文句を言いながら、結局ノルノはシルの我儘を許した。
そもそも初めからノルノはシルに反対する気はなかった。ただ、黙って従うのも面白くない。
少人数ながら傭兵団を運営するために便宜上の指揮系統の優劣はあっても、竜と猫は全員が対等。ノルノにとってもシルは団長である以前に大切な仲間だ。
だから苦労を労う時は労うし、不満がある時は遠慮せずにぶちまける。それが対等な仲間というもの。
「僕もノルノと同意見だ。拳が砕けるのは勘弁したい」
「どこに同意してんだよ……そろそろお前達の機嫌取りした方がいいかな……」
シル自身仲間に甘えすぎている自覚はある。というか、もはやあり過ぎて仲間達にどれくらいの不満が溜まっているか、シルも想定しきれていない。
「いつもご迷惑おかけしてごめんなさい……」
「そこまで落ち込まなくても……ごめん。私も言い過ぎたよ」
これまでになく落ち込んで謝罪するシルを見て、ノルノの胸中では満足感よりも罪悪感が勝った。
「ノルノ……何年経っても甘いね、君は。仕方ない。ここはノルノの甘さに免じて僕も何も言わない」
「あざっす」
「本当に反省してんのかな……」
「さて、そうなるとこれから来るらしい騎士団に報告しなきゃね」
竜具をシルの自由にするための仲間の許可は取った。しかし、この竜具を村に返すためには、まだいくつか乗り越えなければならない壁がある。
「そうだな。今回の戦闘で竜具は発見されなかったとな」
シルとレイが互いにいたずらをする子供のような笑みを浮かべた時、馬の走る音がその場の全員の耳に届いた。
「――やっとおいでなすったな。あの旗は、やっぱりアルカス騎士団か」
乗り越えなければならない最も大きな壁が近づいていた。
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