ましゅまろ

すぬーぴー

第1話 女になっちゃったのだ


八月の1週間しか会えない彼女の小さな背中を、久々に見た。


息を切らしながら追いかける、その背中を、俺はいつまでも捕まえられない。


徐々に足の回転が緩む俺に対して、彼女の背中はどんどん小さくなっていく。

そして、足がほつれて前に転んだ瞬間、時折見るこの懐かしい夢は終わり、俺は目を覚ます。



しばらくぼーっと天井を見つめてから枕元にあるスマホを手に取り、今が朝の7時過ぎであることを認識する。

それから、ベッドから起き上がると朧気おぼろげな目を擦りながら鏡の前に立つ。





すると、そこには知らない女がいた。





「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯は?」



肩に掛かるぐらい長い黒髪、Tシャツ短パンから伸びている白くて細い腕と足、見たことのない小さな顔、そして、胸の膨らみ。

そこには紛れもなく「女」がいた。

⋯⋯なんだこれ。

俺は右手で柔らかい感触を確かに感じながら衝撃のあまり思考停止する。

空っぽになった脳内では、窓の外の鳥のさえずりだけが反響していた。



「 お兄ぃ~~~~~~~~~~~ 」



止まった俺の思考を再び突き動かしたのは、階下から聞こえる妹の呼び声だった。


「 朝ごはん~~~「やばっ」


階段のきしむ音がする。

その瞬間、焦燥感が一気に身体中を駆け巡る。

やべーっっっ!!!!どうしよう!流石に今この姿を見られるのは不味い。俺もまだこの不可思議な状況を全く受け止めることができていないのに!


「 朝はパン、パンパパン、夜はパンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ! 」


妹は気持ち悪い替え歌行進曲を歌いながらジリジリと俺の部屋に近づいている。

一方、俺は無意味に視線を部屋のあちこちに飛ばしながら、この状況を切り抜ける方法を頭を高速回転させて思案する。

しかし、良いアイデアがそこら辺に落ちているということもなく。

そうこうしてるうちに妹が部屋の間近に迫っているのを感じる。


「 お兄ぃ~朝ごはんの時間だぞ~。はよ起きんかーーい 」

「あ~!クソッ」


苛立ちのまま親指を噛んだその時、それがスイッチだったかのように突然、良案が脳内に降ってきた。

⋯そうだ、「今はクソ体調悪いから朝飯は後で食べに行く」とでも言って追っ払えば良いんだわ!なんだ簡単な話じゃねぇか。いや、このギリギリのところで閃く俺、我ながら天才だぜ。

俺はさっきまでの慌てようがなかったかのように意気揚々とドアの前に立つ。

よし。


「妹よ─「おはようお兄ぃ!朝ごはんなんだわ!」


思い立ったが時すでに遅し。

無情にも、ものすごい勢いで開かれたドア。

そして、ドアに勢いよく吹っ飛ばされる俺。


「ッゥゥ~~~~~~~~!!!!」

「あ、ごめん」


顔面と後頭部がズキンズキンと悲鳴をあげている。

その痛みは怒りとなり腹の底から湧き出て体外へと飛び出した。


「…ドア開ける前にノックしろって!!!!!!」

「いや~ごめんねぇ~」


俺は起き上がり、怒鳴りながら妹のひよりに詰め寄る。


「もう何回言ってんねんこれ!もしドア開けたとき着替え中だったらどうすんねん!気まずいやろお互いに!ええ!?」

「いやぁ~ごめんごごめんご「そういうリスクを回避するためにノックという文化があるんや!ええか!?次から気をつけろよ!じゃあなっっっ!!!」「え?あっちょいちょいちょ待てよ」


勢いで誤魔化してひよりを部屋から締め出そうとしたが、やはり無理だった。

ひよりはドアを両手でガッシリと掴み踏み止まる。


「………えーと?ちょっと待って………あなた誰、ですか?」


見開いた目で俺の身体を上から下までジロジロと見るひより。

今更かよ。


「…お前の兄の青木晴斗です。おはようございます」


「え?え?なに、どういうこと?」


なぜか兄の部屋にいる正体不明の女が兄の名前を名乗る、という不可思議なシチュエーションに混乱するのも無理はないだろう。



「朝起きたら女になっちゃったのだ」



しかし、俺は混乱するひよりに構わず、淡々と自分でも理解出来ていない事実を告げる。


「は?…………なんでやねん」


「わからん。こっちが知りたい」

「……え?実はあなたはお兄の彼女とかで、これドッキリとか、そういうのじゃないの?」

「なわけ。ついこのまえ俺が彼女と別れたばっかなのお前も知ってるだろ。それに仮に俺がお前の兄の彼女で、これがドッキリならそろそろお前の兄がドッキリパネル持って出てこないとおかしいだろ。あとそんなドッキリする意味がわからんし」

「まぁ……たしかに?」


ひよりは髪の先端をイジイジしながら小考すると、ハッと何かを閃いたような顔をして俺の下腹部に視線を送る。


「…じゃあ、無くなっちゃったんだ、おちんちん」


「まぁそうなります。…ってかまず言うことがそれかよ。そして何で半笑いやねん」


「いや~ごめんごごめんご。おもろいなって。プッ」

「は?」

何がおもろいねん。腹立つわ~。

今すぐ顔面パンチしたくなるぜ。


「あ!てか、あなたが本当にお兄なのか確認せんとやん!危ないわ~、なんか流されるとこだったわ!へい、あんたがうちのお兄だっていう証拠を提出してよ」


朝起きたら兄が女体化してた──そんなシチュエーション、まず非科学的で有り得ない。

いつの間にか家に侵入していた不審者が自身を青木晴斗だと偽っているという方がまだ現実的ではあるだろう。

妹はどうやらそのことを突然思い出したようだ。

本当に今更かよ。

とはいえ、俺が青木晴斗であることを証明する手立てがパッと思いつかなかったのでとりあえずひよりに振ってみる。


「証拠って例えば?」

「そうだな~…例えば、私とお兄しか知らない情報とか?えーと、じゃあ、そうだな…昨日の夕ご飯は何だった?」


なるほど。たしかに昨日は父は仕事、母はパート、弟は飲み会で外出していてひよりと2人で母親が作り置きしたチャーハンを食べたから、夕飯の内容は俺とひよりしか知らないものだ。


「えー、チャーハン」

「そうだっけ?」

「おい出題者」


お前が忘れてちゃあかんやろ。

まぁ流石に冗談か。よくこんな状況でふざけられるな、こいつ。


「ごめんごめん!う~ん、やっぱそっちからさ、私の印象に残ってそうな私とお兄しか知らない話みたいなのプリーズ。私、こういうの考えるの苦手っス」

「マジかよ」


どうやらひよりは冗談じゃなく本気でつい昨日の晩飯を忘れてるらしい。それで良いのか?10代よ。

しかし、こいつの印象に残ってそうな俺とひよりしか知り得ない事って…俺は頑張って記憶の扉をこじ開けた。


「………そうだな。ちっちゃい頃さ、一緒に風呂入ってたやん。よく」


「……え?」


「それで一緒に風呂に入った時に、俺の肛門の近くに──「あー!もう、いいわ!」

「え?」


「いや、キモすぎるて」


ひよりは汚物を見るかのような目をしながら両手のひらを俺の目の前に突き出して制止する。

…あれ?


「まだ話の途中なんだが?」

「いやこれ以上聞きたくないよ。妹に昔一緒に風呂入った時のそれも肛門周りの話する兄、ドギツすぎるわ!」

「いや、お前が覚えてそうなエピソードを頑張ってひねり出したんだけど…」

「ひねり出したぁ?うんこみたいな言い回しすな!キモっ!肛門と繋げてくんな!余計キモいわ!」


肛門の話は、数少ない俺と妹の印象的な思い出エピソードの中でも最たるものだと思ったが、何故か話し出した途端にひよりに拒絶されてしまった。

なんでこいつキレてんの?


「落ち着けって。最後まで話聞けよ」

「いやー、勘弁してくだせぇ!認めるから!あんたは青木晴斗だ」

「いや、急になんやねん」

「キモいからだよ!もうそのキショいところがお兄であることの確かな証拠なんだよ!」

「は?」


何を言ってるんだこいつ?


「ということで、立証完了です!おめでとうございます!」

「いや、ちょっと待て「 ねぇ!いつまでも何してんの?早く降りて来てー! 」


不愉快な論理で俺が青木晴斗だと強引に立証されそうになったところで異議を唱えようとしたその時、今度は階下から母親の不機嫌が滲み出ている叫び声が聞こえてきた。


「⋯だってさ。もうめんどくさいからお兄、行こ。さっさとお母さんとお父さんにも事情を説明した方が良いと思う。私もフォローすっから」


こちらとしては不本意だが、ひよりは何故かこの一連の下りを経て俺を兄と認めたようで、一緒に降りようと催促する。

しかし、まだ気持ちの整理がついてないこともあり、今両親の前にこの姿を晒すことに抵抗があった。


「…いや、ちょっと今はまだ無理だわ。一旦1人で落ち着かせてくれ。母さんには具合悪いから朝飯いらんって言ってたとでも言っといて」

「あー、まぁそっか。わかった。じゃあ母さんには上手く言っとくよ」

「助かる」

「あい。あとでちゃんと母さんと父さんに話しなよー」


ひよりは返事をしながら部屋を出ようとしたその時、くるりとこちらに振り返った。


「あ、あと、昨日の晩ご飯、たしかにチャーハンだった気がする」

「お、おう」


ひよりはそれだけ言い残すと、部屋からそそくさと出ていった。

階段が軋む音を聴きながら俺は閉めたドアを背に座り込む。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯はぁ」


疲れた。

超天変地異みたいな狂騒の朝も、とりあえずこれで一区切り付いた気がして、俺は重たい息を吐く。

そして、これからの事を考えてまた途方もない不安にさいなまれる。

なんでこんなことになったんだ?これからどうすれば良いんだ?⋯⋯俺は元に戻れるのか?

そんなことを考え出すと思考と心が袋小路に囚われる。


こうしてしばらく俺がポツンと体育座りしてうつむいているうちに、スマホのロック画面には、一件の通知が表示されているのだった。





『7時13分:白米dog


鍋パすっぞ。17時ぐらいにオレん家に来な』






to be continued...



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