【2023年12月12日】Web小説『キクナの怨』の第九話

 ここのところ、何も食べていないので、起き上がることすら辛くなってきました。それでも指は動くので、書ける限り書いていくことにします。




 私は、三人共に裏切られ、酷い目に遭いました。その顛末を、それぞれ書いていきましょうか。時系列順に。

 まず、Yから。

 Yのことは、嫌いでした。日頃からフニャフニャと天然キャラを気取っていたし、いつも傍に取り巻きであるMを侍らせて優越感に浸っていたからです。

 しかし、いざ二人きりで話してみると、Yは本当に天然だったのです。恵まれ過ぎていて、自分の何気ない言動が周囲の恵まれていない人間を簡単に傷つけることを、まったく分かっていなかったのです。

 これくらい分かっていて当たり前だという風に難しい知識を披露したり、嬉しそうに家族の自慢話をしたり、美人の癖に自分に自信が無いと嘆いたり……。

 悪意なく、悪意たっぷりの行為を平然とやってのける、幸せな人間だったのです。

 そんな何も分かっていない恵まれた人間が、幸せそうにIのことが異性として気になっているなどと言うものだから、嫌いになるのを通り越して、感嘆してしまいました。まるで、マリー・アントワネットにでも会ったかのような気分でした。

 その時、私はこんなにも遠すぎる人間なら、反って近付くことができるのではないかと思いました。天然と言えど、Yの心根は善良な人間だと思ったので、ゴミ箱にも優しく接してくれるのではないかと期待したのです。

 ところが、私が心を開いて、私にも気になっている人がいると打ち明けた時、Yは、

「へえ、意外だね。キクナさんも、恋愛とかするんだ」

 と、微笑んできたのです。

 その時のYの表情を、忘れることができません。

「お前みたいな根暗ブサイクも、恋愛とかするんだ。お前みたいなゴミ箱に、恋愛する権利があるとでも思ってるんだ」

 Yの顔は、そう言っていました。

 まるで、動物園の檻の中にいる愚かしい猿を「交尾とかしたいのかな」とニヤニヤしながら見つめているかのような顔でした。

 心を開いた私が馬鹿でした。




 次は、Mですね。

 もちろん、Mのことも嫌いでした。美しく咲く、だなんて読み取れる名前からして気に喰わなかったし、普段から身なりや言動で自分は他人とは一味違うという自己演出をしておきながら、やっていることは人気者であるYの御機嫌取りに過ぎなかったので、嫌悪感しかありませんでした。

 ところが、Mは本を読んでいる私に突然、「キクナさんって、ホラー小説が好きなの?」と話しかけてきたのです。その時読んでいたのは、確かシャーリィ・ジャクスンの『丘の屋敷』でした。

 そうだと答えると、自分もホラー小説が好きで、昔からよく読んでいると言いました。それを皮切りに、思わぬ形でホラー小説談議をすることになりました。

 誰々のどんな作品が好き、誰々の作品の中ではあれが一番好き、誰々の作品のここが怖い、等々……。それまで形式的な会話しかしてきませんでしたが、Mは割合に話の通じる、私にとって楽しい会話を交わすことができる人間だったのです。

 意外でした。仮にも文学部の人間ですから、その辺の人よりも本を読んでいるものだろうと思っていましたが、まさかホラー小説が好きだとは思わなかったのです。サークルでは関係の無い雑談ばかりしていて、小説の話はほとんどしていませんでしたから。

 その時、私はふと、Mに対して仲間意識のようなものを感じました。

 私がなぜ、ホラー小説を好きになったのか。それは、いじめられていて辛かった時に読むと、心が晴れやかになったからです。

 上手く言い表すことができませんが、ホラーは弱者の味方、とでも言いましょうか。陰惨で怖くて悍ましい話を読むと、何故だか胸がすくような気持ちになるのです。そこに、現実の私よりも絶望している者が描かれていたからでしょうか。

 ともかく、弱者であった私はホラー小説に救われていました。なので、もしかしたらMも同じ種類の人間だったのではないかと思ったのです。

 思い返してみると、MがYの御機嫌取りしている時の笑顔は、なんだか作り物のようでした。細められた目の奥に、何か得体の知れない黒い情念が宿っているようにも見えました。

 実はMも私と同じように、心の中の後ろ暗い衝動や鬱憤を、ホラー小説を読むことで発散しているのではないか―――。

 気が付いたら、私は実はホラー小説を書いていると打ち明けていました。

 すると、なんとMも、自分もホラー小説を書いていると打ち明けてきたのです。

 嬉しいというよりも、不思議な感覚でした。ネット上にはいわゆる同志がたくさんいましたが、目の前に現れたのは初めてのことだったからです。でも、嬉しさを感じなかったと言えば、嘘になります。

 しかし、だからといって、私たちは自分の小説を見せ合うということはしませんでした。私は清白キクナとしての顔を知られたくありませんでしたし、それは向こうも同じようでした。互いに、もうひとつの人格を知られることを恐れていたのでしょう。いわば、本音を語る裏アカウントの存在を友人に知られたくないように。

 なので、互いにそれには触れず、ホラー小説家としてデビューするにはどうしたらいいかという話をすることになりました。これからは恐らくこんなものが流行るだろうから、こういう話がウケるのではないかという話や、これからはこんな作品が評価されていくだろうという、昨今のホラーの潮流についての話や、その波に上手く乗るにはどうしたらいいかという話などを。

 その流れで、私はずっと温めていた小説のプロットの話をしました。

 それは、インターネットと現実を交差しながら展開していく、ファウンド・フッテージのようなモキュメンタリー形式で、映画『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や、洒落怖の『本当に危ないところを見つけてしまった・・・』を組み合わせた小説を書いたら面白いのではないかという内容でした。

 誰しもがインターネットで個人を発信している時代なので、そこと隣り合わせの恐怖を展開したらリアルで共感もされ、現代の大衆から指示されるのではないかと語ったのです。

 すると、Mは目を輝かせて、私のことを褒めてくれました。それはきっとウケる。この大SNS時代、考察の余地を残しているホラーは絶対に相性が良い。無駄に声の大きいネット民を利用して人気を獲得できるはず。だから、きっとキクナさんはホラー小説家としてデビューできるよ。そう言って、讃えてくれました。

 その時は、とても嬉しかったです。プロットとはいえ、自分の作品のことを、ひいては物書きとしての私のことを、生の声で褒めてくれたのですから。

 それ以降、Mと二人きりになることは無かったので、そういった話をすることは二度とありませんでしたが、二人でホラーのことを語り合った思い出は、しばらくの間、私にとって大切な思い出となっていました。

 今では、とてつもなく忌まわしい記憶に成り下がりましたが。

 本当に後悔しています。

 あんなことをしなければ、私はもしかしたら。

 Mではなく、私が、私こそが―――、

 Mに裏切られた顛末については、また後々触れることにしましょう。

 でも、結局のところは、

 心を開いた私が馬鹿でした。




 最後に、Iの話をしましょう。

 もちろん、Iのことも嫌いでした。とても年上とは思えない軽薄な振る舞いをしている異性という、私が最も忌み嫌う人間でしたから。

 その上、Iは大してホラーに興味が無かったのか、サークル活動にはほとんど参加していない幽霊部員でした。掛け持ちしていると言っていたので、きっと他の華やかなサークルにでも入り浸っていたのでしょう。

 なので、話しかけられた時は驚きました。Iは軽薄な男らしく、美人のYや、私よりは美人なMには積極的に話しかけていましたが、ブサイクである私には興味が無いのか、滅多に話しかけてきませんでしたから。

 Iは、その時ばかりは私に興味を持ち、あれこれと尋ねてきました。普段何をしているのだとか、なんでこのサークルに入ったのだとか、なんで本ばかり読んでいるのだとか。時折、自己紹介めいた自分の話も交えて。

 最初は鬱陶しく感じて、誤魔化したり濁したりしていましたが、異性からそんなにも興味を持たれたことが無かった為、私は段々と自分のことを話し始めました。すると、Iは私の話を聞いてくれたのです。ユーモアを交えながら、楽しそうに笑ってくれたのです。

 異性からそんなに丁重に扱われたのは、女として扱われたのは、初めてのことでした。

 なので、Iから今夜二人で呑みに行かないかと誘われた時は、断ることができませんでした。

 嬉しかったのです。

 どれだけ軽薄な人間だったとしても、普段から低能と馬鹿にしていたとしても、異性から異性として扱われたということが、嬉しかったのです。

 その日はバイトを早めに切り上げて、約束通りIと呑みに行きました。学生御用達のチェーン店の安居酒屋だったので、知り合いに見つかって嫌な思いをしたりしないだろうかと不安でしたが、Iが用意してくれたのが個室ということもあり、人目を気にせずに楽しむことができました。

 そう、楽しかったのです。

 あまりお酒が得意ではありませんでしたし、普段からウェイウェイと騒いで吞んでいる大学生のことは心底嫌いでしたが、Iは巧みな話術で私のことを楽しませてくれました。その上、悪酔いしないお酒の飲み方も優しく指南してくれました。

 私は、段々とIに心を許していきました。

 お酒のせいではないと思います。ゴミ箱扱いせず、異性として扱ってくれたからだと思います。

 なので、話の流れでIが不意に「自分は将来Webライターとして活躍したい」と口にした時、私も小説家になりたいのだと打ち明けました。

 言った瞬間に、しまった、馬鹿にされるだろうかと思いましたが、存外にIは私の夢を讃えてくれました。「マジか」、「スゲーじゃん」、「ヤバいね」という、仮にも文章で食べていこうとする人間とは思えない軽薄な言葉でしたが、私のことを褒めて、同志と認めてくれたのです。

 とても嬉しかったです。まるで天国にいるような心地でした。

 でも、

 その後は地獄に叩き落とされたような気分を味わうことになりました。

 夜も更け、店を出て、礼を言って帰ろうとした時、Iから「この近くに有名な廃墟があるんだけど、これから肝試しに行ってみないか」と誘われました。

 断れば良かったのですが、酒に酔っていたせいか、それともIに酔っていたせいか、私はその憧れの青春の気配が漂う誘いを了承して、街の外れにあるというその廃墟に行くことにしました。作家になる為には、様々なことを経験しておくべきだろうという、言い訳めいたことを頭の中で考えながら。

 近くと聞かされていた割にはそこそこ遠い場所にあった廃墟に辿り着くと、Iから説明を受けました。ここは、かつて病院だった建物で、昔から幽霊が出る噂があり、地元では有名なのだと。

 周りには民家が見当たらず、人気も無かったので怖かったのですが、ちょっと中に入ってみようよと手を握られた瞬間に、恐怖は消え失せました。言い様の無い高揚感のせいで。

 しかし―――。

 廃墟の中の、恐らくかつては個室の病室だったであろう、妙にベッドが小綺麗に整えられていた部屋に入り込んだ途端、Iは豹変しました。

 無言で私を押し倒すと、携帯が入っている鞄を奪い、口を押さえつけて、衣服を剥ぎ取り、酒臭い息を吐き散らしながら、無理矢理―――、

 行為の最中の記憶はほとんどありませんが、それが私の処女喪失でした。覚えているのは経験したことのない激痛と、「汚ねえ面見せてんじゃねえよ」と頭を押さえつけられた際に息ができなくて必死に横に首を捩った時に見た、ひび割れだらけの白い壁です。悲鳴を上げたような気もしますが、誰にも届かなかったのでしょう。周囲に民家も人気も無い廃墟でしたから。

 気が付くと、半裸の状態でベッドに寝そべっていて、

「誰かに言うつもり?」

 と、煙草を吹かすIから気怠そうに言われていました。無気力に首を横に振ると、

「よく分かってんじゃん」

 と、Iは笑いました。それから得意げに、「ここはよく使う」、「こういう所でしないと俺は興奮しない」、「人気も無いしコスパも良いし最高」、「たまにはお前みたいな色物を味わうのもいい」といった旨のことを語り始めました。

 ああ、と納得しました。

 Iは、ただ適当な性欲の捌け口が欲しかっただけなのです。だから、私を誘ったのです。

 Iは、何もかも見透かしていたのです。

 私なら、すぐに抱けるだろうと。そして私なら、何の後腐れも無いと。

 元来、私は自分より強い存在に刃向かえるような人間ではありません。そんな胆力など、持ち合わせてはいません。口先で、力で、容易に丸め込むことができる人間です。

 それに、

 もし仮に、勇気を振り絞って、私がⅠに酷い目に遭わされたと、周囲に訴えたとしましょう。

 誰がそれを信じるというのでしょう。

 幅広い交友関係を持ち、人当たりも良く、多くの人間から社会的な信頼を得ていて、容姿も優れているⅠ。

 交友関係など皆無で、人当たりも悪く、周囲から白い目で見られている、ブサイクな私。

 どちらの声を世間が信じるのかは、明白です。ブサイク女が頭が変になって被害妄想めいた嘘を垂れて常識人に迷惑を掛けている、という風にしか思われないでしょう。

 Iは、そこまで見越していたのです。

 つまり、私は異性としてではなく、ゴミ箱として見られていたのです。

 ゴミ箱には、人に刃向かう権利も、人に訴える権利も、無いのですから。

 心の底で何かを期待していた――心を開いた私が馬鹿でした。

 Iからすれば、その日の夜の適当な性欲の捌け口に、適当に私を選び、適当に安居酒屋で酔わせ、適当に口先でおだてて、適当に狩場に誘い込んで、欲望を手軽に発散させただけのことだったのです。

 そんな私に、ぼんやりと絶望している私に構うことも無く、Iは煙草をふかしながら、色々なことを自慢げに語り続けました。

 自分には顔と口先だけで何もかも誤魔化していける器量、即ち天性の嘘の才能があるということ。

 昔から似たようなことをやり続けていて、今まで警察沙汰になったことは一度も無いこと。

 人生は案外チョロいものだということ。

 ホラーに大して興味は無かったが、青姦するのに都合のいい場所を探し求めていたら、自然と心霊スポットに詳しくなったこと。

 そして、このサークルに入ったのは、Yを狙っていたからだということ。

 口を挟む気にはなれなかったので、私は無言でその話を聞き入っていました。

 が、やがて、Iが煙草を吸い終え、吸殻を部屋の隅に放って「もう帰るわ」と言い、病室から出て行こうとした時、私は、

「Webライターになりたいという夢も、嘘なんですか?」

 と、訊きました。

 なんでそんなことを訊く気になったのかは、今でも分かりませんが、

 Iは、廃墟の薄暗闇の中でも分かるほど、ギラギラと野心に満ちた目をしながら、

「誰にでもできることが俺にできねえわけねえだろ」

 と吐き捨て、去っていきました。

 私はその時、ああ、あんなIにも夢というものはあるのかと、なぜか安堵したのを覚えています。

 それ以降、Iと関わり合いになることは無かったので、その言葉の真意は分からないままでしたが、

 きっと、Iが安居酒屋で語った、「ネットでバズりたい」、「SNSを駆使して成り上がりたい」、「自分の書いた文章で人を魅了して食べていきたい」という夢は、嘘ではなかったのでしょう。

 一体何があの軽薄なIをそこまで駆り立てていたのかは分かりませんが、文学部に所属していたのも、そんな夢を叶える為だったのかもしれません。




 ああ、勘違いしないでください。

 だからといって、私はIを許すつもりなどありません。

 今でも、ずっと、ずっと、怨んでいます。

 Iだけではありません。

 Yも、

 Mも、

 ずっと、ずっと、怨んでいます。






 くうふくでめまいがしてきたのできょうはこれでおわりにします

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