断章4  イスルギ家とローリエ家の娘たち

 アルクスが母と師にいずれ出郷するという爆弾宣言をかましてルミナス家を騒然とさせていた頃、凛華もまたイスルギ家を震撼させていた。


 信じられないものを見るかのように凛華の兄、紅椿が動きを止めた。後ろの母である水葵も目を見開き、八重蔵も―――――――いや、八重蔵はいつも通りだ。


 猪口にとととっと冷酒を注ぎクイッと呑む。冬は寒い寒いと仕事を終えて家でこれをやるに限る、そんな顔で猪口を煽っていた。


 この阿呆めと夫を放置した水葵が愛娘に問いかける。


「凛華?今なんて?お母さんちょっと聞こえなかったのよ」


「だから、あたしってその・・・綺麗なの?」


「「っ!?」」


 聞き間違いではなかった。紅椿も大層驚きを露わにする。


 水葵に至っては感涙していた。ああ、良かった。故郷の位置がわからず遭難したからとそのまま武者修行に出ていくような馬鹿男の血が色濃く出てしまったかと危惧していたが、どうやら自分の血のおかげで踏みとどまってくれたようだ。


「誰かに言われたの?」


 あの子だろうか?凛華に面と向かってそんなこと言えるのはそれくらいのはずだ。それとも別の鬼人族の子?


「今日驚かせようと思って『異相変いしょうがえ』見せたら、やっぱり綺麗だねって言われたの。はじめて『戦化粧いくさげしょう』見せたときは美人になる”魔法”なの?って言ってたけど。あたしってその・・・綺麗な方なの?それともあいつが変なの?」


 ―――――やはりあの子アルクスかっ!よくやった!


 隣に住む銀髪の少年を心中で褒めちぎった水葵は、ようやくその日が来たかと遠くを見る。


 思えばここまで長かった。お洒落な服を頑張って用意しても着づらい、動きづらいと言って箪笥の肥やしへ。装飾品アクセサリーはどうかと試してみてもジャラジャラして邪魔だの何だのと言い、着けようともしない。唯一、自分から身に着けるのは件の少年から誕生日に貰った白い装飾品のついた髪留めのみ。


 水葵は滂沱の涙を流すのをグッとこらえる。遂に出来るのだ。母娘おやこのお洒落語りトークというやつが、乙女語りトークと言うやつが。


 気になっている男の子を娘が恥じらいながら話すのを茶化したり、忠告アドバイスしてみたり、見守ったりしてみたかった。


 せっかく自分に似た美人に生んだのに凛華はこれまでそんな話題一度も出したことはなかった。やること言うこと夫を小さくしたような武人であったのだ。


 それが今なんと言った?水葵の積年の夢が叶いそうになっている。喜ぶなという方が無理な話だ。なにせ娘がいるのに男所帯の家に住んでいたような気分だったのだから。


「凛華、あなたはお母さんの血を受け継いでるから美人よ。アルクスちゃんは何も変じゃないわ」


 ちゃっかり自分の手柄を主張する水葵。世のお母さん方は大抵こんなもんである。


 ちなみに八重蔵は開きかけた口を引き結んだ。美人なのは否定しないが同じくらい恐ろしい形相も出来ると知っているので余計なことは言わない。紅椿は藪はつつかない主義なので黙っていた。


「そうなの?でもあたし父さんに似てるって言われるけど。ていうかなんでアルってわかるの?」


「わかるわよ、お母さんだもの。それと似てるって言うのは雰囲気の話よ、剣をやってるから。アレは放っておきなさい」


 アレは何も言わず酒をちびちびやっている。言い方ァ!とツッコミを入れたかったが蛇に睨まれたような蛙のように大人しい。こういう時黙っていた方が得というか喋った時点で損なのだ。


 ついでに言うと八重蔵が特に慌ても動揺もしていないのは、剣の師としてアルの事を心根までよく知っているからだ。そして例え2人の関係がそっちに進んだとしてもたぶん焦らない。


「それで?というか凛華はどう思ってるの?言われて嬉しかった?」


「う、れしかったけど・・・恥ずかしかった。真顔で言うんだもん」


 思い出してちょっと照れる凛華。水葵から見たらそれはもう大層可愛かった。娘が乙女のような表情を浮かべるなんてと何度目かわからない感動を味わう。


 紅椿は本当にあの妹だろうかと頭に手を伸ばすもバシッと払われた。この反応は妹で間違いない。


「あっち行ってなさい紅は」


 追い払われた紅椿に八重蔵が猪口を差し出す。もう呑める歳だ。紅椿ははしゃぐ母とこの手の話題が不得手なはずの妹を見る。


 剣ばっかり振ってるからどうなることかと思ったがちゃんと気になる者もいるようだというか予想通りだと安心してクイッと猪口を傾けた。


「そういえば紅、あなた紫苑ちゃんとどうなってるの?」


 母から急に向けられた矛先に紅椿は冷酒をごくんと一気に呑み下してしまう。カアっと焼けるような痛みが紅椿を襲った。


「っ!?ゴホッ、ゴホッ!急に、いや、俺は~・・・その」


「いい?凛華、あんな風になっちゃだめよ?」


 動揺した息子に母の反応は素っ気ない。「俺だってさ・・・」とガックリ頭を落とす紅椿。


「あたしはその・・・気にはなるし、興味もないこともないけど、よくわかんないし」


 正直な凛華の感想だ。まだ自分でも理解しきれない感情だった。


「まだわからなくていいのよ。ただ自分がどう思ってるかわかったらしっかり向き合いなさい。後悔しないように」


「うー・・・ん?よくわかんないけど、わかったわ」


 母の言葉にとりあえずちゃんと考えればいいんだなと頷く凛華。


「ええ、今はそれでいいわ。とりあえず少しは服装にも気を遣いなさい。似たような服ばかり着てるでしょう?」


 わかりやすいところから意識を変えてもらおうと意気込む水葵。母娘おやこであれこれ服を選んだりもしたい。この機に母娘語りトークをするのだ。


「だってこれ着やすいんだもん」


 にべもない娘に水葵は辛抱強く語って聞かせる。


「鍛錬の時は真剣にやらなきゃいけないから、そこはお母さんも何も言わないし言う気もないわ。でも普段遊びに行ったりするときは多少変えてもいいじゃない?」


「んん~・・・」


「ね?気に入ったのがあるかもしれないじゃない?」


「んー・・・そう、かも?」


 やたらと楽しそうな母に凛華も頷いた。嫌というわけでもない。はしゃぐ母を見て、まぁいいかなと思ったのだ。


 そんな妻と娘を八重蔵はどうでもよさそうに眺めていた。ああなったら女性というのは兎角長い。いつまでも喋る。


 一度今ある服をいろいろ試そうと連れ立って娘の部屋へ向かう妻を見て八重蔵は思った。ああいうやりとり、やってみたかったんだろうなぁと。



 ☆★☆



 凛華が母の着せ替え人形となるもっと前。それこそアルが自宅に帰りついて間もない頃。


 シルフィエーラが帰宅したのを察知した彼女の母シルファリスはパタパタと内履きスリッパを鳴らしながら娘を出迎えた。大ぶりな木匙を持っている。夕飯の支度をしていたのだろう。


「おかえり~、エーラ。だいぶ冷え込んでたのねぇ」


 そう言いながら活発な次女の赤くなった頬やちょんと尖った耳に軽く触れて温めてやる。途端にエーラの顔は真っ赤になった。


「あら?」


 どうしたのかしら?と目を合わせたシルファリスは目を見開く。普段のエーラとは縁のない照れ、そして乙女のような恥じらいが表情に浮かんでいたからだ。シルファリスは愛娘の細やかな心の機微を見逃したりなどしない。


「アルに何を言われて、どうしたの?」


「ふえっ!?」


 異様な洞察力を見せる母に、びくぅ!っと驚くエーラ。そこへ「どったの~?」とエーラの姉シルフィリアがペタペタ来た。シルファリスによく似た背格好、顔立ちは似ている。並ぶと三姉妹のようだ。


 元気の良さそうなクリクリした目をしているエーラ、おっとりとした垂れ目のシルファリス、そしてキリっとした目のシルフィリア。しかし目つきと性格が一致しているのは実はエーラだけだったりする。


「顔が赤くなってたから温めてあげたら真っ赤になっちゃったのよ。何を思い出したのかしらね~と思ってアルの名前を出したら過剰に反応したの。フィリアどう思う?」


 一息に事情を説明する母。エーラは「ち、ちがうもん!」とわたわたし始める。


「ほっほ~う。それは何があったのか聞かないとね~」


 姉が楽しそうに笑い、母はニヤリと悪い笑みを見せた。ローリエ家の唯一の男性であるラファルは今日は仕事で遅い。


「夕飯の時間が楽しみね」


「そーだね、お母さん」


 たっぷりと尋問の時間があるということだ。母と姉からすれば好都合であり、エーラにとっては地獄である。



 夕食の席に着いたシルフィリアが早速口を開いた。


「で、何されたの?ちゅっとかされたの?」


 速攻でそっちに持っていくフィリアを母シルファリスがペチと叩く。


「こら。そういうのはゼフィーにちゅっちゅするようになってから言いなさい」


「ちょ、ちょっと!」


 母も大概だ。フィリアまで一気に赤面した。ゆっくりと関係を構築しているフィリアとゼフィーがそんなことできるようになるのはだいぶ先の事だろう。


 よく知っているだろうに、と上目遣いに睨むフィリアを置いてファリスが問いただす。


「エーラ。何を言われたの?アルはあなたが照れるほど気障なこと言う子だったかしら?」


「い、いや違うよ?一言しか言われてないし、アルは別にそんなつもりじゃなかっただろうし」


 言い訳がましい娘のセリフにファリスがカッと目を見開いた。


「はやく言いなさい」


 姉と同様見た目と中身がちっともリンクしていない。


「うぅ・・・あの、そのね―――――」


 エーラは諦めて口を開くのだった。



 耳を赤く染めたエーラのたどたどしい説明でもしっかりと理解した母と姉は、背もたれに身体を預けながら息をつく。


 ドストレートでローリエ家のシルフィエーラを狙った一言だった。


「なかなかやるわねアル」


「私もゼフィーに言われたいし、頬っぺたぎゅってしてもらいたいんだけど」


 好き勝手に発言する2人にエーラは慌てて抗弁する。


「ちがっ!アルは別にただそう思ったから言っただけだろうし、頬っぺたは寒いときボクが頼んでるからで―――――――」


「純粋にそう思って言ってくれたのなら最上じゃないの」


「うっ!?」


 鋭い母の切り返しにエーラは思わず詰まった。この世界のフィクションに出てくる妖精はほとんどが可憐だ。


 下心もなしにそう言われたってことだろう。母の言葉に気づいていなかったことを指摘され再度エーラは頬を赤らめた。


「いいなぁ~」


 姉はまだ言ってる。


本人ゼフィーに直接頼みなさい」


「うぇぇ?うぅ、無理だよぉ~」


 スパンと切って捨てる母にフィリアは崩れ落ちた。


 エーラは何とかこの状況を切り抜けられないかと考え、


「で、でもアルはほら、今日も凛華が”魔法”使って見せたら綺麗だねって言ってたよ!無邪気なだけだってば!」


 そんなことを言い出す。


「あなたは言われたくないの?」


 しかし切り返してきた母の澄んだ目は逃がさない。内心では次女にもようやく心の成長期が来たようだと微笑ましく思っていたりする。


「えっ!?えと、や、そりゃ言われたら嬉しい・・・かもだけど」


 エーラはそう答えつつ、なんとなくいいなぁと思ったことを思い出す。あのとき凛華を綺麗だと言っていたアルの表情は自分を妖精のようだと形容した時と似ていた。


 それにやはりなんとなく嬉しくなってしまう。


 凛華と比べたら、家に母と姉がいて年相応の明け透けな会話をするため精神年齢的には上だし少し耳年増にもなっている。


 自分の気持ちにもなんとなく気づきつつは・・・・ある。が、まだ恥ずかしい段階なのだ。


 フィリアは娘のそんな内心を読んだように告げる。


「良い男はすぐにいろんなのに群がられるちゃうわよ?優秀なのは間違いないし、努力家なんだもの。顔もトリシャに似て整ってるし。あっという間に誰かにとられちゃうわよ?」


「う、それは・・・ちょっとヤだけど・・・」


 しかしだからと言って自分から行くのは恥ずかしい。悶えかけるエーラ。


「もう駄目ねぇ、うちの子たちは。揃いも揃ってヘタレちゃって。いったい誰に似ちゃったのかしら?」


 ローリエ家の長女と次女は呆れた母の言葉に崩れ落ちた。


「ただいまー」


 そこへ父ラファルの声が玄関から聞こえてくる。ファリスはパッと立ち上がって迎えにいった。


「おかえりなさい、あなた。早かったわね」


「ああ、雪が強くなってきてね。早めに切り上げたんだ」


「そうだったの。寒かったでしょう?すぐ夕飯の支度するわ」


「ああ、ありがとう」


 そんな会話をしながら居間に入ってきたラファルに娘たちが力のない声をあげる。


「「お、おかえりぃ~・・・・」」


「ただいま――――ってどうした二人とも?」


「己の不甲斐なさを嘆いてるのよ」


 父が首を傾げると母が更に追撃を放った。致命の一撃を貰って「ぐふっ」と倒れ伏すフィリア。エーラは根性で顔を上げ、父へ訊ねる。


「ね、お父さん。結婚するとき前のお母さんってどんな感じだった?」


「あっ」


 その質問に慌てだすファリス。そちらにも首を傾げつつラファルが懐かしそうに笑みを浮かべた。


「結婚する前かぁ。当時のファリスは話しかけてもすぐに顔を赤くしてどこかに逃げちゃうような恥ずかしがり屋の女の子でね。


 ある日私は用があって探しててね。見つけたときのファリスは花畑を作って歌いながら踊ってたんだ。それが戯曲で聞いた妖精のようで・・・・思わず一目惚れしてしまったよ。そう告げたときもそれはもう可愛らしく照れてね。


 結婚を前提とした付き合いを了承してもらえたのは良かったものの、手をつなぐのにさえ丸1年もかかって。ははっ、私自身も奥手だったなぁ」


 父はにこやかにそんなことを語る。


「「・・・・・」」


 姉妹はむくりと起き上がった。誰がヘタレだって?


「あっ!そうだった!あなた、夕飯すぐ用意するから待っててね!」


 冷や汗をかいたファリスはパンっと手を打ち、駆け出す。


「「もう!!絶対お母さんに似たんじゃん!」」


 姉妹は母の背を追いかけていった。残されたラファルは不思議そうな顔でそちらを見る。が、まぁこれも平和な我が家の一幕だと眺めることにしたのだった。



 その翌朝のことだ。ヴィオレッタがアルの爆弾宣言をマルクガルムを含めた3人の家に伝えに来た。


 理由は単純。その時になって一緒に行くと言っても認められないからだ。おそらく実力にが出てしまう。


 里長からの報せはイスルギ家とローリエ家を激震させたのだった。

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