21話 高位魔獣との死闘 (アルクス12歳の冬)

 ジリ貧だ。樹々の間を縫うように駆けるアルクスは苦虫を噛み潰した。ラービュラント大森林西部で行方不明になっていた人虎族の双子エリオットとアニカをどうにか見つけ出して保護したまでは上出来。あとはこのまま里まで帰るだけ。しかしそうは問屋が卸さなかった。


―――――――ザアアアアアアアアア―――――――――!


 雪を蹴散らす滑走音。その音源は後方から迫ってくる巨大な鰐型魔獣だ。四本足を躰にピッタリと沿わせ、蛇のように身をくねらせてグングン距離を縮めてくる。あの強烈なが推進力へと変換されているらしい。巨体の癖にやたらと素早い。

「アル!どうすんの!?」

 『戦化粧』を施したまま凛華が叫ぶ。背中の重剣がやはり重いらしくアルよりも息を荒げていた。

「今考えてる!」

―――どうもこうもない。逃げるだけだ。

 しかし凛華が問うたのはそんなことではない。地上を疾走する自分たち2人とエリオットを担いで樹を蹴って跳んでいるマルクガルム、アニカを連れて『精霊感応』頼りに枝を伝って走るシルフィエーラ。

 あと僅かもしない内に全員があの魔獣に追いつかれてしまう。そう訴えているのだ。

 アルはチラリと後方へ視線を向けた。全高だけでもアルの首元ほどまである鰐と蜥蜴をミックスしたような魔獣。猶予はない。


 数瞬の後アルは逡巡を噛み砕いて声を張り上げる。

「マルクっ!エーラっ!進路を左に!!」

 声をかけられた2人は「おう!」「左だね!?」と応え、すぐさま左隣の樹々へと移り跳んだ。

「凛華っ!俺が、合図したら、奴の、進路上の、地面!―――――凍らせてくれ!一直線に!」

 アルは隣を走る凛華にそう告げる。肺に冷たい空気が染みる。声も飛び飛びだ。

「地面、をっ?」

 凛華も似たようなものだがやはりこちらの方が荒い。

「簡単に!砕けないくらいには!」

「うんっ!わかった!!」

「準備して!」

 4人はともかくエリオットとアニカはもうすでに疲れ切っている。里まで走ち続けるなんて不可能だ。やるしかない。

 アルはドンッと足を地面に突き刺して急速反転。慣性のままズッサアアと雪混じりの地面を削りつつ鰐型魔獣を見据えた。

 すぅっと息を吸い両掌に魔力を集中。欲しいのは衝撃力だ。あの魔獣がこちらに飛び込んでくるほどの凄まじい衝撃力。

「はぁぁぁぁ・・・・!」

 右掌には炎を、左掌にはいかずちを。そのまま両掌を胸の前で合わせていく。属性魔力同士による反発が起こり、手がブルブルと震える。しかしアルはそれらを無視して無理矢理に炎と雷を混合・圧縮させていく。

 バチィッ!とスパークが爆ぜ、炎が舐める。

―――できた!

 更にグググッと力任せに圧し潰し、杭を象らせる。紅い瞳が物騒な輝きを放った。

「う お お お お おッ!!!」

 眼前にまで迫っていた鰐型魔獣に向け、アルは躊躇なく杭を投擲する。ビュゴオッ!と投擲された杭は鰐型魔獣の下顎に刺さった瞬間。


―――――ドッガアアアアアアアアアアアアン!


 周囲の樹々を軒並み揺らすほどの轟音と閃光が辺りを支配し、暴風が荒れ狂う。

 アルの投げた炎と雷の混合魔力―――炎雷は着弾と同時に鰐型魔獣の巨体をひっくり返して吹き飛ばした。鱗からシュウゥゥゥと煙が上がっている。

「・・・すっご」

 それが誰の呟きかもわからないほどにアルは全神経を魔獣へと傾けていた。生体魔力感知の反応がまったく弱まっていなかったからだ。凛華に目で準備を促しつつマルクたちのいる側とは反対の方へ立つ。

 鰐型魔獣がゴロンと腹這いの体勢に戻った。ところどころ焦げているがダメージにはなっていない。その魔獣がアルへ視線を注ぎ、下顎を薄く開く。

 

 ギイッ・・・ガアアアアアアアアア――――――ッ!!

 

 途端に轟く怒りを乗せた鳴き声。

「うぐっ!?」

「ぐぅっ、うるっせえ!」

 鼓膜を激しく掻き鳴らした魔獣の声に、耳のいいエーラと『人狼化』しているマルクは思わず耳をふさいだ。アルは堪えるように奥歯を噛みしめ、凛華は気配を極限まで薄めて両手に魔力を込め続ける。緊張で乾いた唇を舐めた。

 鰐型魔獣がその身を蠕動させる。

――――来る!

 初動を見て取りアルは叫んだ。

「今だっ!」

「そっこぉっ!」

 飛びかかってきた魔獣をギリギリで横っ飛びに避けたアルの背後から凛華が勢い良く冰を放つ。放たれた先は魔獣の足元――――地面だ。

 凍てついた一直線の通路が鰐型魔獣の飛び込み先に形成され、慣性の法則に従って魔獣が滑り出す。

 その背へ向けてアルは風を一点集中で連射した。摩擦係数がゼロに近い地面を加速をかけられた魔獣が悶えながら滑っていく。

 引っかかる樹々の少ない見通しの良い場所をあえて選んだのだ。そうそう簡単には止まらない。

「ふぅ、はぁ・・・。心臓止まるかと思った」

「でもこれで急場は凌げたわ。行きましょ」

 アルと凛華はそれとなく遠くへ行くよう指示していたマルクとエーラたちの方へと駆けていく。

「とりあえずだな」

「見てて怖かったよ」

「そうね。でもそんなに長くは保たないと思うわ」

「うん。今の内に距離を稼ごう」

 合流した6人は安堵と緊張をないまぜにした表情を浮かべながら帰路へと急いだ。



***



 時間にして10分もしないうちに狩猟限界線まで戻ってきた6人はハァハァと肩で息をつく。どうにか簡易狩猟場の端まで戻って来れた。その安堵も束の間であることを知る。


 ザザザアッザアザザアザザザザザザザアアアア―――・・・

 

 またもや地面を削って滑る音が聞こえた。

「「っ!?」」

「もう戻ってきた!?」

「しつこ過ぎるだろ」

「どうやって・・」

「くっ」

 恐れていた事態だ。追ってくる気はしていたが、ここまで早いとは。

 しかも、どうやったのかこちらの位置を把握しているかのようにどんどん音が追ってくる。


 一番取りたくない手だが、アルは少ない手札を切ることにした。幸いなことにもう狩猟場内にはいる。ここまで時間がかかっていれば大人たちだって捜索に来ているはずだ。

 覚悟を決めて顔を上げると、幼馴染たちも似たような表情を浮かべていた。

 ――――考えることは一緒か。それなら野暮は言いっこなしにしよう。

 スッと跪いたアルは人虎族の双子に目を合わせる。

「エリオット、アニカ。ここからまっすぐ、この方向に走れ。振り返っても曲がったりしてもダメだ。この方向、わかるな?」

「でも・・・アルクスにいちゃんたちは・・・?」

 エリオットが不安げにこちらを見た。

「俺たちは時間稼ぎだ。いいか?走れ、走って大人たちのところへ行って助けを呼んできてくれ。派手に暴れておくから。ただ、それもあくまで時間稼ぎだ。今の俺たちにあいつはたぶん倒せない」

 紅い瞳に強い輝きを称えて静かに諭す。それでもアニカは納得できないのか、声を上げた。

「でも・・・!」

 しかしアルはキッパリと告げる。

「時間がない。もうすぐやつが追いついてくるのはわかるだろ?頑張って走って師匠たちを――大人たちを呼んできてくれ。それが今からのお前たちの任務だ」

 任務――ズルいとは思うがあえてその言葉を使った。双子も両親から聞いたことのある何かを優先するための言葉。

「にんむ・・・」

「・・・う」

 揺れる二対の瞳がやがて決意に染まった。そしてエリオットとアニカがこくんっと了承した。

「よし、じゃあ走れ。走って俺たちを助けてくれ」

 ニッカリ笑うアルに子供2人は大真面目に頷いて走り出す。



 駆けていくエリオットとアニカが見えなくなったところでマルクが威勢の良い声を上げた。

「ふぅ・・・よっしゃ!じゃあ俺たちも仕事の時間だ!」

 パンパンと頬を叩くマルクの発破にアルたちも不敵な笑みを浮かべる。

 ――――やってやろうじゃないか!

 4人の気持ちが重なった。

「どっち方面に暴れる?」

 双子の逃げた方には行かせられない。

「エーラ、『精霊感応』使って木の根で壁造れる?やつの突っ込んできたとこに凛華とマルクでその壁を厚くしてくれ。その間に俺が注意を引く。あとは限界線に沿いながら誘導する」

「できるよ!まっかせて!」

「じゃあたしは冰で厚くするわ。マルクは?」

「俺は水をかけるから固めてってくれ」

「ん、わかった。あいつの鼻先、折ってやりましょ」

 朱色の隈取に青い瞳を爛々と輝かせた凛華は自信たっぷりに笑う。


 ザザザザアアアアアアアアア――――・・・


「来た。みんな」

 音と気配を敏感に察知したエーラとアルが魔獣の進行方向を先読みして体を向けた。マルクも狼爪をジャキッと伸ばして手に魔力を込める。

 アルも鯉口を切るだけ切っておいて、右手に雷を用意した。


 ザザアア、ァァァ、ァ――――・・・・・・・・・・


 地面を削るあの音が途絶えた。4人が不審に思いつつじっと耳と目を凝らしていると―――――。


 ドゴオオオオン―――――――!


 凄まじい衝撃と共に土中から鰐型魔獣が飛び出して襲い掛かってきた。眼を見開きつつも4人は散開。いち早く我に返ったアルが森人の名を叫ぶ。

「エーラ!!」

「任せて!びっくりしちゃったじゃんもう!」

 鮮緑に瞳を輝かせたエーラが『精霊感応』を発動させた。

「そのままぶつかっちゃえ!」

 木々の間を通り抜ける軌道にいた魔獣の眼前に枝と根で出来た網が立ちふさがる。間髪入れずにマルクがドバアッっと水流を噴射し、凛華がヒュオッと冷気を送り込んで堅牢な壁を築き上げた。

 必殺の勢いで飛び出した魔獣は簡単には止まれない。そのままガゴオンッと顎先をぶつけてひっくり返る。

 そこへアルの溜めに溜めた雷撃が魔獣の口に叩き込まれた。口腔に紫電が突き刺さった魔獣は声にならない鳴き声をあげて巨大な体躯をのたうち回らせる。

「ざまあみろ!」

 マルクの吠え声に反応するように魔獣は啼いた。


 ギイイイイイイイイイイイッ――――!!


「さっきからうるさいぞ。悔しいんなら捕まえてみろ」

 アルがその鼻先にドドドドッと炎弾を撃ち込む。効かないことは先刻承知だ。しかし撃つのはやめない。挑発が目的だからだ。

 左手は鯉口を切った打ち刀の柄を押さえたままドンドンドンッと今度は重めに撃ち続ける。

 眼を血走らせた魔獣の眼に憤怒が浮かぶ。蜥蜴のような鱗を震え、再度突撃してきた。

 ――――狙い通り!

「当たるかっ!みんな行こう!エーラは木の上から目を狙ってくれ!俺たちは隙を見つけたら何でもいいから叩き込む!」

「おう!任せろ!」

「うん!絶対射貫いてやるから!」

「ええ、叩っ斬ってやるわ!」

 4人が限界線に沿って南西部へ鰐型魔獣を誘導しながら走り出す。長い夜はまだ始まったばかりだ。



***



 アルたち4人が囮をやり始めたおよそ40分後の簡易狩猟場。エリオットとアニカの双子は一度も足を止めず懸命に走っていた。何度も転び、そのたびに互いを起こし合って擦り傷だらけの泥だらけだ。膝も掌も血と泥で汚れ切っている。痛いし苦しい。

 しかし走らないわけにはいかなかった。自分たちのせいでこんなことになっている。幼くともそれくらいは理解できる。だからこそ止まるわけにはいかなかった。


 どのくらい走っただろうか。エリオットとアニカは顔を見合わせて来た道を振り返る。途中で少しだけ整備された獣道に出てからは走りやすくなった。それでもあとどのくらいで里に辿り着けるのか見当もつかない。

「はぁ、はぁ、はぁ。おにいちゃんたち、ほんとにあいつ、どっか連れてったんだ・・・」

 エリオットの発言にアニカも頷く。さっきの魔獣の滑る音がしなくなっていた。息も絶え絶えに喉からしてくる血の味を無理矢理飲み下す。

「・・・ふっ、ふっ、ふぅっ。うん。急がなきゃ」

 不意にガササッと草むらが揺れた。ビクッとした2人は両手で口を抑えしゃがみ込む。すると時間も置かずに人影が現れた。

「エリオット!アニカ!どこにいるんだ?ここらへんで匂いが――――」

 父の声だ。2人は視線を交わらせ、姿をしっかりと視認できるまで待つ。ガサガサと揺らして出てきたのは確かに父だった。後ろには何人も人がいる。

「こちらの方から子供の匂いがしたと聞いたが確かか?」

「はい、里長様。エリオットとアニカの匂いです」

 問答をしている大人たちの前に2人は飛び出した。身構えた大人たちはそれが件の双子であると気づくとすぐに歓声を上げる。

「お前たち!良かった!本当に!ああ、女神よ。感謝する!」

 父が鳴きそうな顔で駆け寄ってきたが2人は飛び込みたい気持ちを抑えて里長様と呼ばれた女性に駆け寄った。

「エリオット?アニカ?」

 動揺する父に待ってくれと目で訴えた2人はヴィオレッタを見上げる。

「さとおささまですか?」

「そうじゃ、其方らが無事でよかったが何があった?儂の弟子とその仲間3人が其方らを――――」

「シルフィエーラおねえちゃんたちを助けて!」

 ヴィオレッタの言を遮ってアニカが叫んだ。

「な、どういうことじゃ!?」

「アルクスにいちゃんたちがぼくらに助けを呼べって言って逃がしてくれたんだ!自分たちは時間かせぎするから大人をつれてきてって!自分たちじゃ勝てないからって!」

 事情を尋ねられる前にエリオットが捲し立てた。

「おねえちゃんたちをたすけてください!」

「おねがいします!」

 幼児上がりの泥だらけの双子が膝も頭も地面にこすりつけて頼み込む。ヴィオレッタたちは事態の深刻さに血の気が引いた。こんな子供がここまでする事態にあの4人が陥ってしまっている証左だ。

 加えてエリオットはアルが『自分たちでは勝てない』と言ったという。その話が本当なら非常にマズい。その時トリシャがアニカの上半身――アルの防寒布を目敏く見つけた。

「アニカちゃんだったわね?その防寒布どうしたの?」

「わたしが”魔法”のせいで服が破れたって言ったらアルクスにいちゃんが着てろってくれたの。凛華おねえちゃんもこれ貸してくれた」

「マルクにいちゃんはぼくにこれ貸してくれた・・・『じんろうか』したら破れちゃうからって」

 状況証拠が双子の証言を真実だと裏付ける。つまりあの4人はこの寒空の下、勝てないかもしれない魔獣相手に戦っているということだ。

「畜生!おいどこだ?あいつらはどこらへんにいる?」

「落ちつけ八重蔵。子供に迫るな。話したくとも話せなくなる」

 胸倉を掴まん勢いの八重蔵をマモンが宥める。ラファルもそうしたかったが八重蔵を見て少し冷静になった。

「そうじゃな。エリオットにアニカよ。父の胸に飛び込む前に儂らにきちんと言うたこと偉いぞ」

 ヴィオレッタがそう褒めて立ち上がらせる。しかし当の双子はちっとも嬉しそうにしない。

「アルクスにいちゃんが・・・それがぼくらの任務だって」

 その言葉でヴィオレッタと彼ら4人の親は当時の状況を察して歯を噛みしめた。

 きっとそこまで切羽詰まったから双子だけでも逃がそうとしたのだ。しかしこの双子は4人を置いて逃げることを渋った。だから無理矢理にでも逃がそうとそんなことを言ったのだろう。変なところで肝が据わっているあの4人のことだ。そのくらいはやってのける。

「そうか・・・」

 八重蔵は冷静になりつつ装備を確かめた。己自身のありどころも確認する。大丈夫だ。走れるし斬れる。だから助けられる。

「二つ質問がある。まず、アル達とどこで分かれたか、そして『あいつ』とはどんな魔獣なのか、じゃ」

 ヴィオレッタが問うた。重要な問いだ。アルたちが勝てない魔獣。あの4人で組んで勝てないというのならまず簡易狩猟場に出るような魔獣ではないだろう。

「えと、わかれたのはここからまっすぐあっちに行ったとこで赤い帯があるとこで―――」

「『あいつ』はトカゲみたいな見た目でヘビみたいにうごくデッカいやつ。でも鼻はもっと長くて、あごになってる。ざざあああーってすごいはやい」

 巨体で蜥蜴に似ているが鼻先は長く、蛇のような動き方。ザザアアアという音で滑る。

 双子から特徴を拾った大人たちはざわめいた。その魔獣には覚えがある。

「まさか・・・刃鱗土竜じんりんどりゅうか!?」

「・・・・・」

「・・・特徴なら合ってる」

 ラファルは拳を固く握りしめた。今すぐ駆けだしたい衝動に駆られている。

「噓でしょ・・」

 トリシャは最悪だと呟く。双子はそこまで危ない魔獣なのかと泣き出しそうな顔をした。どうしてそこまで大人たちが動揺しているのか、ヴィオレッタがその答えをハッキリと口に出する。

「あやつらが相手にしておるのは・・・おそらく高位魔獣じゃ」



 ☆★☆



 捜索隊がエリオットとアニカを見つける20分ほど前。限界線に沿い、更に南下していたアルは瞠目する。炎弾で狙ったのは鰐型魔獣の目と目の間―――つまり額部分。そこそこ魔力を込めた炎弾がアルの想像の半分も衝撃が通っていなかったのだ。先ほどは損傷こそ与えられなかったが衝撃は通っていたはず。 

 ――――何だ?何が起きた?

 一瞬何かが見えたような気がしたが、鰐型魔獣―――――刃鱗土竜が即座に口を大きく開けて突っ込んできたので慌てて木を数本蹴り飛ばしながら複雑な回避軌道を取ってどうにか躱した。

 バキバキイッと木々を嚙み砕いて薙ぎ倒した刃鱗土竜が一瞬止まった隙に今度はマルクが仕掛ける。

「うぅぉおおおおおおおっ!!!」

 ドンっと地面をへこませる脚力で狼爪による貫手を繰り出す。人狼にとっての最大限の貫通力を誇る攻撃。狙うは柔らかそうな腹だ。牙猪の牙すら砕くはずの一撃がギイイインッと弾かれた。

「くっそ!なんだ今の!」

 ジィンと返ってきた感触に驚きつつ刃鱗土竜が身体を転がしてくる前に空いている左手の爪をその背中に引っ掛けて跳び越える。

 ぐるんと横に転がった刃鱗土竜の目を狙ってエーラが矢を3射するが、下から生えるように閉じた瞼に阻まれた。

「相手の眼が良すぎるよ!」

「でぇやああああああああああっ!!」

 エーラのおかげで瞼を閉じた刃鱗土竜の死角に凛華が重剣を突きこむ。体重の乗った馬上槍の如き重剣の一撃を受けた刃鱗土竜だったが、やはり損傷を与えることはなく少し後退させただけだった。

「どうなってんのよこいつ!」

 アルは龍眼もどきに魔力を込める。

 ―――――急に頑丈になった。一体やつは

 その問いかけに応えるように刃鱗土竜が身震いした。今までちっとも使っていなかった尻尾に表面に浮いた、尾の先に巨大な片刃を形成する。全員が驚愕に眼を見開いた。

 ―――――やばい。

 思うが早いかアルは隣に後退していた凛華の肩を引っ掴みながらマルクへ叫ぶ。

「マルク!伏せろ!!」

 ブウンッ・・・・・・・!メキメキメキメキッ――――――。

「おわっ!っと、なんてやつだよ」

 刃鱗土竜が刃つきの尻尾を振るったのだ。咄嗟に伏せたアルと凛華、マルクはギリギリで難を逃れる。樹上にいたエーラはズパッと木の根元を切り倒され慌てて別の木に飛び移った。

「・・・・・・”魔法”だ。あのしつこい蜥蜴、高位魔獣か!!」

 アルは正体を看破して吐き捨てた。毒をもっていたり、”魔法”が面倒だったりするため駆除対象ではあっても好き好んで狩りに行く魔獣ではない。どころか生半可な実力で挑めばその”魔法”と知能で一方的に狩り殺される。それが高位魔獣。

 魔族のベテランたちならともかく新人の青年たちでも任せてもらえない危険な魔獣。

「あれが?最っ悪・・!」

 それを聞いた凛華も悪感情を隠さない。

 アルは目まぐるしく思考する。

 ――――考えろ、やつはどうしたら倒せる?半端な攻撃はこちらを危険に晒してしまう。

 刃鱗土竜が鱗を戻している。さっきまでは刃となっていた鱗が刃鱗土竜の至る所に移動していた。

 ――――さっきから攻撃を防いでるのはきっとあれだ。こいつの”魔法”は自分の鱗を好きに移動させ、固有のパターンで何かを形成できるんだ。

 最初のアルの攻撃は鱗を何枚も重ねて衝撃を逃がし、見た目からして他よりは柔らかそうだった腹を覆うことでマルクの爪を防いだ。エーラの放った矢だって鏃がついている。瞼の上に数枚重ねていても不思議じゃないし、凛華の攻撃に関しては最も注意していただろう。一番最初に張り飛ばされたのだから。高位魔獣ならそのくらいの知能があるはずだ。

「アルッ!」

 凛華の警告にハッとする。思考に割かれ過ぎた。そんなアルの龍眼もどきに映ったのはビュッ!とまっすぐ飛び込んでくる巨大な片刃。いつの間にか鱗が移動していた。

 ――――形成速度も速い!

「ち、いぃっ!」

 刃付きの尾の刺突を抜いていた打刀を思いっきり打ち付けて左に逸らしたが何かがアルの頬を掠める。

「厄介な・・・!―――――――あっ?いっつぅ・・」

 燃えるような痛みを感じたと思ったら血が滴った。軽く触ってみる。切られてまではなかったはず。だというのに掠った部分が持っていかれていた。

 引き戻される尻尾を慌てて龍眼もどきで見る。鱗には針金のような毛がびっしり生えていた。

 ―――あれに持っていかれたのか。

 刃鱗土竜の鱗に生えているのは繊毛だ。人狼が毛皮に魔力を通すことで鋼の剣を受け止められる原理と同じで刃鱗土竜の繊毛も似たような効果を持っていた。

「気をつけろ!やつに生身で触るな!」

 尾に刃を形成した刃鱗土竜に向けて、頬から血をだらだら流すアルが炎弾をバンバン撃ち込んで叫ぶ。鬱陶しかったのか刃鱗土竜はアルにその刃尾を伸ばした。

 上から叩きつけるような尾をアルはギリギリ間合いを見切ってバックステップで躱してまた走り出す。

 アルから流れている血に凛華が気付いて目を見開いた。

「アル!?血!大丈夫なの!?」

「たぶん!とにかく時間が欲しい!考えてる暇もない!」

「一旦逃げよう!」

「こっちだ!」

 この魔獣が”魔法”を使い始めてから明らかに劣勢だ。一も二もなく4人は逃走に移る。炎や冰、矢を放って注意だけは引きつつ駆け回り始めた。



 刃尾を躱し、突進を避け、炎弾を放って駆けながらもアルは思考を止めない。

 ―――――こんなやつ相手に死んでたまるか。

 残りの3人とて色々と手を試してくれているが打つ手が少ないのだ。攻勢魔術を扱えるわけでもないことに加え、それぞれが”魔法”を使っているため考えなしに属性魔力をドカ撃ちしては己の首を絞めることになってしまう。

 ―――――よく考えるんだ。鱗の移動はスムーズかつ、やつ自身の動体視力もかなり良い。魔力をぶつけても質量が違い過ぎて焼石に水。なんとか衝撃は通せても気絶させるほどではない。何より全身が凶器。特に途中で使い始めたあの尻尾はヤバい。叩きつけるだけでも脅威なのに、尾の先を覆うように片刃が生える。当たれば真っ二つ間違いなし。兎にも角にも攻守に使えるあの鱗が便利過ぎる。やはり”魔法”とは強力だ。

 そこまで考えたアルは「ん?」と思考を止めた。

 ―――――待てよ、鱗を移動させてる?ってことはあれは生え変わってるわけじゃない?それなら。

 アルは息を荒げながら口を開いた。

「みんな!ちょっと聞いてくれ!何とか――――くっ!出来るかもしれない!」

 その言葉に3人が急いで寄ってくる。彼らとてこの状況を何とかしたいのだ。アルは手短に話す。この状況の打開策、あの高位魔獣を打ち倒す作戦を。



 話を聞いた3人がにやりと笑う。

「一泡吹かせられるってわけね、上等よ!」

「俺も乗ったぜ」

「よおしっ!そうと決まればまずは時間稼ぎっと!」

 言うが早いかエーラが瞳を鮮緑に輝かせて、

「みんなお願いっ!」

 と叫んだ。呼びかけられた植物の精霊たちはエーラの『精霊感応』に呼応して、冬場だというのにも関わらず様々な花々を咲かせる。刃鱗土竜はお構いなしに突進してきた。

 すると花々はブワッと花粉を吐き出す。それを確認したエーラはトォンと横っ飛びに躱しつつ、その間に矢を3射速射して着地した。森人だからこそ出来る離れ業だ。

 放たれた矢についていた風の精霊がまき散らされていた花粉を矢に巻き込む。花粉を靡かせた矢は刃鱗土竜のギョロリとした目付近に2本、1本を鼻付近にカツンと当たった。

 高位魔獣相手に単なる矢など何の痛痒もない。しかしそれで十分だった。

 

 ギイイイイイイイイイイイイイイイイッ――――!

 

 大量の粉末を目と鼻にぶちまけられた刃鱗土竜は勢いのまま木々を薙ぎ倒してのたうち回る。

「よし!今の内だよ!」

「助かる!」

 エーラの時間稼ぎのおかげで少しだけ猶予が出来た。4人は丁度いい場所を探し回る。そして見つけた。木々が薄く、雪の反射で周りが見やすい少しだけ開けた場所を。

 見つけたら急いで動き始め、準備を整える。


 ズザザザザッアアアアアアザザザザザアアアアアアア――――!


 刃鱗土竜は怒り心頭らしい。しかしギリギリ準備完了だ。1分と時間はなかったがそれでも充分だ。

 アルの隣に弓を構えたエーラ、その後方にマルクと凛華が待っていた。マルクは人間態に戻っている。

 4人を見つけた刃鱗土竜は彼らに向かって身体をしならせながらまっすぐ突っ込んできた。そこにエーラが風を伴った矢を射る。今度は4射。

 先ほどの花粉攻撃は堪えたのだろう。刃鱗土竜はブオッと大きく跳んで躱し、そのまま自重をもって叩き潰そうと落ちてきた。

 ――――好機!

 エーラが先んじて飛び退く。

「そいつを待ってたよ!『落穽らくせいの術・多重累たじゅうがさね』!」

 アルはギリギリまで見極めて飛び退りつつ、人差指と中指で作った刀印を刃鱗土竜の落下ポイントへ向けて振り下ろした。

 魔術が正しく起動する。単純な穴掘りの術。あの巨体が嵌まり込む程に広く深く掘るためには何度も術式を重ねる必要があったため時間が必要だったのだ。重ねた術式はおよそ28。魔力だって一気に消費する。元々多いアルの魔力でも4分の1以上持っていかれた。

 しかしその甲斐あって刃鱗土竜は成す術なく落ちていく。

 ――――今だ!

「よっい・・・しょおっ!!」

 そこにエーラが『精霊感応』で大量にしてもらっていた枯れ枝、枯れ葉、煙の出る草花、種子を風で流し込んだ。

 アルはすぐさま穴へ駆け寄り、両掌から炎と雷を流し込む。

 ゴオオオオオ――――――ッ!

 バチィッ・・・ドォン!

 炎と雷の音に混じって湿った枝葉や種子がパァン!と爆ぜていくのも気にも留めない。紅い瞳に強い輝きを灯したままアルは即席の落とし穴へ属性魔力を流し込んだ。


 ギイッギイッガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ―――!!!


 燻され、燃やされ、火と雷を当て続けられた刃鱗土竜は怒りの声を上げている。その鱗がテラテラし始めた。

 ――――次だ!

「凛華、マルク頼んだ!」

 アルはすぐさま両掌からの炎と雷を絶って2人にバトンタッチする。

「任せなさい!」

「やってやんよ!」

 凛華とマルクはアルとは真逆に穴の中を急激に温度を低下させようと冷気を噴射した。

 ヒュオオオオオオオオ―――――――!

 消火器のように噴霧されたマルクの冷気と凛華の冰気はただちに炎を鎮火し刃鱗土竜の表面温度を下げていく。


 落とし穴の淵が凍てつくほどに冷気が噴射された頃だ。動けると判断しただろう。

 ドゴオオ!と刃鱗土竜が飛び出してきた。飛び出してすぐ刃鱗土竜は尻尾に鱗を回して刃尾を形成する。当然生意気な餌を真っ二つにするためだ。出来上がった巨大な片刃を刃鱗土竜は身体をグルンと右に回転させて刃尾を左薙いだ。

 ――――アルの読み通り!

「はあッ!」

 凛華は重剣を地面にザクリと差し構えて腰を落とす。この初動を見逃さないために無理をして『戦化粧』を解かなかったのだ。凄まじい勢いで迫る刃尾が重剣とぶつかり合う。真正面から受ける形だが、逸らすわけにはいかない。

「っぐ!ぐう、う、う、ぅぅっ―――がああああああああっ!」

「うおおおっ!」

 凛華の重剣へ『人狼化』したマルクがその柄尻と剣身に足を置いて身体ごとその衝撃に抵抗する。

「んぎ、ぎ、ぎ、ぎっ!アルッ!!」

 刃尾の勢いが止まりそうなほど弱まったと感じた瞬間――――間髪入れずにマルクが叫んだ。呼ばれたアルはもうすでに駆け始めている。

 紅の龍眼もどきが一層輝く。アルは打刀を最上段に構え、一足でタァン!と刃尾との距離を詰めた。

「う お お ぉ ぁ あ あ あ っ !!」

 そして裂帛の気合を吐き、刃尾の根元に刃を振り下ろす。

 六道穿光流・火の型派生剣技『焔燐裂破えんりんれっぱ』。己が内に秘めた闘志を一太刀に込めて叩き斬る唐竹割だ。

 火の型『焔燐』、常に振る直前を構えとした最も攻撃的な型。風の型『陣風』が手数なら一撃必殺を理念とする型。先達達からの派生技が少ないのは基本的に振り下ろしか振り上げか横薙ぎの一太刀しかないためだ。


 ブジュアッ!という音と共に、鱗が刃尾が斬り落とされた。

「いよっしゃあ!」

「やったわ!」


 ギッイイイイイイイイイイッッッ――――!


 痛みに驚いた刃鱗土竜はその場で身体を振り回す。快哉を上げた凛華とマルクは素早く跳び退った。重剣もしっかり握ったままだ。

 しかし短時間で魔力の大量消費と全精力をかけて刃尾を断ち切ったアルは判断が一瞬遅れてしまった。そこに短くなった尻尾がブンっと襲い掛かる。

「くぅっ、がぁっ――――!」

 咄嗟に刀を自分の身体と尻尾の間に割り込ませたが衝撃を全く受け流せず吹き飛ばされてしまった。

「「「アルっ!?」」」

 悲痛な仲間の声が響く。


 遠くなっていくその声を聞きながらアルは枝を何本も折って吹き飛ばされ、何かにぶつかってずり落ちた。次いで衝撃と痛みがアルを苛む。

「ぐっ、ぶっ!がはっ、げほっげほっ、ぐぅ~~~~~~~~・・・!」

 肺から絞り出された空気を何度も吸って補給し、しばしの間脳髄に叩き込まれる痛覚を宥めようと蹲った。ズキズキとした鈍痛は死んでいないことの証左だ。

「折れてる・・・・」

 どうにか痛みに耐えて手元を見れば刀がひしゃげたように折れていた。赤熱化するほど短時間で熱した刀身は刃鱗土竜の尻尾の振り回しには耐えられなかったらしい。

 固まりかけていた頬の怪我もじくじくと再度の灼熱を思わせる痛みを訴えてき  

 ――――行かないと。

 アルは刀を地面に置いて鞘を引き抜く。ないよりはマシだ。そして首を軽く振ったところでここがどこだか気づいた。

 ――――共同墓地だ。柵にぶつかったのか。

 よく見ればいつぞや母と師と歩いた墓地の前の道だ。

 アルはそろりそろりと身体を起き上がらせる。身体中痛いが死んでいない。死んでないならまだ動ける。紅い瞳に輝きを戻し「ふぅぅぅ・・・」と息をついたところで、仲間たちに思いを馳せた。

 ――――下手は打っていないだろうけどどうなった?

 慌てて痛む身体を引き摺って先ほどの場所まで急ぐ。その途中でようやくまともに攻撃が通るようになったのか高位魔獣と3人は奮戦していた。攻撃が先程より苛烈だ。

「こんのぉっ!邪魔よ!!」

「どけテメェ!」

「許さないよ!」

 どうやら吹き飛ばされた自分を追いかけようとして邪魔され、頭に来ているらしい。

 しかし相手は知能も高い高位魔獣。尻尾を斬り落とされて怒っている。それに、やはり問題がある。消耗している仲間3人とやつの間には隔絶された質量差が存在する。攻撃は通るようになったがこのままいけば先に動けなくなるのは3人の方だ。

 

 アルは両掌に魔力を集めようとして―――――閃いた。自分の攻撃を何度も当てて回るより確実な方法を。すぐさま呼び掛ける。

「三人共少し時間稼いでてくれ!すぐ戻る!!」

 そして仲間たちに背を向けて走り出した。

「アル!?無事だったのね!」

 精細さを欠き、乱暴だった凛華の重剣が重みと鋭さが増す。

「よかった!でも許さないのは許さないんっ、だけどね!」

 エーラの狙いが冷静さを取り戻しより正確なものへ変わった。

「落ちつけお前ら!時間稼ぎだな!?まっかせろっ!!」

 マルクが跳んで、刃鱗土竜の横っ面を蹴り飛ばす。アルは頼もしいその声を聞きながら墓地へと駆けた。

 目指すのは慰霊碑だ。三角錐状の10mメトロンを超える石碑。そこまで走り切ったアルは頭を全霊で下げる。

「生きてたら謝りに来ます!力を貸して―――いや、借ります!!」

 そう言うとすぐに慰霊碑へと魔力を流し込んだ。そして両掌を石碑へ向け、浮かび上がる魔術鍵語で術式を描いていく。

「浮かんでくれ!」 

 魔術が起動した。見えない腕で慰霊碑を持ち上げるように、グリンっと掌を上へ。

 すぐさまグググッと腕に負荷がかかる。袖の中でビキっと腕に血管が浮いた。

「ぐぐ、ぐぎぎぎっ、もうちょっと第1術式に魔力を・・・!」

 『念動術』だ。第1術式で物体の質量にかかる重力を軽減し、第2術式で圧縮された空気や魔力の塊で対象を掴む術。アルは加減していた質量軽減効果を持つ第1術式に魔力を流した。

「浮いた!あ、待った!ふ、ぐ、ぐううっ」

 思い切り魔力を流し過ぎて完全に重力と相殺してしまったため、浮いた石碑は風の抵抗をもろに受けて煽られる。引っ張られる慰霊碑を引き留めるため、質量軽減効果を緩め、引っ張り直した。

 びきびきと額にまで血管を浮かせたアルは思わず愚痴る。

「やっぱり第2術式が微妙なんだこの術!ベクトルをいじる術式を開発すべきだよまったく!鍵語さえ読めれば!」

 愚痴を吐き出して安定に集中する。ややあってようやく安定した。腕はブルブルしているし力み過ぎて血管は浮きっぱなしだ。アルは気付いていないがいつの間に牙が尖り始めていた。グッと瞳に輝きが灯る。

 ――――よし!急いで戻らないと!

 アルは両手を突き出したまま、時に右腕を引き寄せて慰霊碑の向きを変え、時に腕全体をグルグルと回して安定させながら仲間の下へ急ぐ。

 ――――大丈夫。まだ戦闘音は聞こえてる。

「着いた!」

「来たかアル!っておまっ、なんてもんを!」

 マルクが一瞬呆気にとられるもアルの思い付きを理解した。凛華とエーラの反応も似たようなものだ。

「どうすりゃいい!?」

 刃鱗土竜の噛みつきをいなし、木々を蹴りつけながらマルクが問う。

「一瞬でいいから動きを止めてくれ!」

「そういう、ことねっ!任しときなさい!」

「ボクもそういうのは、大っ得意!」

 凛華とエーラは笑みを浮かべて一瞬距離を取った。刃鱗土竜と3人の間にほんの刹那沈黙が訪れる。

「とっつげきいっ!!!」

 エーラが叫んで矢を4射。2射は刃鱗土竜の目を狙い―――避けられるが問題ない。本命の2射が木々の間を縫うようにヒュンッと下から伸びあがり、尻尾の切断面に刺さった。


 ガアアアアアアッギイイイイッ――――!


「やかましいってんだよ!」

 傷口に刺さった矢に悲鳴を上げた刃鱗土竜へマルクが跳び込んでその顎を蹴り上げる。

「はあああああああッ!」

 かち上げられた刃鱗土竜の頭部に向けて凛華が木から飛び出し、一回転しながら重剣を叩きつけた。

 ドォ―――――!

 回転の勢いが乗った重剣が薄くなった刃鱗土竜の鱗にヒビを入れて地面に叩きつける。

「「アル!!」」

「今だ!やっちまえ!」

 3人の声を聞く前からアルは三角錐の頂点部を下に向けて、おまけとばかりに右腕で側面を弾くように動かしている。

「そこ!だああっ!」

 そのまま両腕をブンっと降ろすアル。逆さまに慰霊碑は重力を思い出したかのように刃鱗土竜の額―――脳の真上にズズズウッンと落ちていく。3人は思わず拳を握り締めた。

 鱗を割る音や啼き声にならない刃鱗土竜の声をかき消すように下ろされた石碑はズブズブと刺さっていく。

 ――――これで終わってくれ。

 しかし4人の願い空しく、刃鱗土竜は死んでいなかった。

「こいつ足で・・・!」

 刃鱗土竜はその4本足で踏ん張ってどうにか耐えようとしている。振り下ろしたままバランスだけ取っていたアルは泡を食う。

 ――――仕留めきれなかった!どうする?余力なんてない。これを押し込むくらいしか考えつかない。でもどうやって?

 そこでマルクが目に留まった。狼爪で襲いかかろうとしている。

 ――――これだ。

「マルク!まだ変化解けないよね!?」

「っと!たぶんな!」

 マルクは急ブレーキをかけて冷静に答えた。

「闘気は?一瞬でもいいから全身に回せる!?」

「一瞬だけなら!何考えてるんだ?」

「空からこれに蹴りを叩き込んで押し込む。叩き込むまでは俺が調整するから」

 親友の考えを聞いたマルクは数瞬沈黙する。そしてすぐさま頷いた。灰紫をした狼の瞳がまっすぐアルを見つめている。

「やるしかねえだろ。やってやるさ」

「助かる!マルクは出来るだけ高い木から上に跳んでくれ!」

 その言葉にマルクが木に向かって駆け出した。

「エーラは『精霊感応』で慰霊碑を固定してて」

「重そうだけどやってみる!」

 エーラは鮮緑に瞳を輝かせて「縛って」と”魔法”を発動する。木の根や蔦がそこら中からシュルシュルと生えてきて石碑を雁字搦めにした。

「凛華は俺を重剣で空までぶっ飛ばして」

 自由になったアルは振り向きざまに凛華へ頼む。

「空まで?わかったわ。任せなさい」

 そして距離を取った。頭上のマルクが木から飛び出すのに合わせて凛華にむかって疾駆した。

「頼んだ!」

「行って・・・きなさい!!」

 凛華は重剣をバットのように構え、アルが跳ぶのに合わせフルスイングする。

 ブワアアアア―――――!

 重剣の剣身に乗って吹き飛ばしてもらったアルはマルクを見やった。マルクの方は飛んだ瞬間に両手から風をぶっ放していたようだ。

 ――――ちょっと、いや、かなり遠い。

 念動術の第1術式のみを己の胸に描き左手をグイッと上にズラす。アルへ掛かる重力が大きく軽減された。

 ――――これで少しは軽くなったはず。でもまだ遠い。

歯噛みしかけたアルの耳へエーラの声が響く。

「アルーーーっ!いくよーーーっ!」

 そちらを見れば和弓型に変化させた弓をこちらに向けていた。

 ――――何をするつもりかは知らないけれど。

「任せる!」

 アルは叫ぶ。アルの声を聞いたエーラは『精霊感応』を発動し、螺旋状に捻じれていた矢をスッとつがえて大きくグイッと引く。刹那の沈黙――――。

 カァン――――!

 甲高い弦音と共に矢が放たれた。

 一直線に飛翔する矢はアルの足元に近づくと捻じれが戻るように裂け始め、その足元に当たる瞬間―――ぶわあっと放射状に四散する。

「おおっ!?ありがとエーラ!!」

 四散した枝矢に内包されていたエーラからの送りもの―――風塊に吹き飛ばされたアルは質量軽減効果のおかげもあって急速に上昇していく。

 行き過ぎそうになったところで落下中のマルクが引っ張り、アルは背中合わせで人狼の背に乗る。

 ――――急がなければ。

「準備は!?」

 外掛けを脱いで自分の胴とマルクの胴を結びながらアルが叫んだ。上空のため吹きつけてくる風が強い。

「できてるぜ!」

 マルクが両足で蹴る姿勢を取りつつ叫び返してくる。

「上等ぉ!!」

 いまだに魔力の残滓を垂れ流している魔獣を倒すため、アルは両腕に魔力を込めて爆炎を起こした。

 ゴオオオオオオオオオ――――――!

 簡易スラスターだ。マルクとアルは炎をたなびかせながら魔獣へと墜ちていく。


 それを見ていた凛華は刃鱗土竜が大きく揺れるのを感じてそちらを見た。慰霊碑が傾いている。刃鱗土竜が左前足に力が入れやすかったのかググッと起こそうとしている。

 凛華はグッと奥歯を噛みしめ、重剣を構えた。もうあと少しで決着がつくのだ。

「もう動くんじゃないわよ!『鉄・砕・覇・斬』ッ!」

 ツェシュタール流大剣術・第一の型。足を踏ん張って自身の膂力と遠心力を乗せた大剣で相手の防御ごと斬り裂く剣技。

 残っている全てを持ってけといわんばかりに凛華は振り抜いた。

 ブッ・・・シャァァァァァ――――――!

 振り抜かれた重剣はあっさりと刃鱗土竜の左前足に入り込み、ズバッと斬り飛ばした。高位魔獣の鮮血が噴き出す。

 再度石碑が傾きを元に戻したとほぼ同時だ。マルクが重力を味方に両足で跳び蹴りの姿勢のまま墜ちてきた。

「くったばれえええええッ!!!!!」

 僅差で間に合った。

 ガッゴォッッ―――――!

 重力を乗せた蹴りが慰霊碑に凄まじい圧力を与える。下にいた刃鱗土竜からすれば、たまったものではない。

 ギィッ!・・・ギッ・・・ギ・・・・・・

 かかった荷重に耐えられず額部分の鱗が完全に砕ける。次いでズブシュウッと脳天まで貫かれた。



 アルとマルクは勢いを消し切れず、2人そろって土煙を上げながら向こうの方にまでズシャアアアっと転がっていく。凛華とエーラは慌てて2人を追った。

 ピクリともしないアルとマルクに駆け寄り2人を繋いでいたボロボロの外掛けを外して、頬をぴしゃりぴしゃりと叩きながら名前を呼ぶ。

「アル!マルク!」

「起きなさい!大丈夫なの!?」

 先に目を覚ましたのはアルだ。

「う・・・」

 凄まじい衝撃で気絶していた。意識が戻り直前の記憶が戻ってすぐにガバッと身を起こした。

「マルクは!?」

 隣で倒れているマルクの四肢はきっちり繋がっている。しかし『人狼化』は解けてしまっていた。アルはマルクをゆすった。

「マルク!起きろマルク!」

「んん・・・うおっ。いってて・・・」

 目を覚ましたマルクはそろそろと身体を起こす。

「マルク、闘気は?体は?」

 アルは無事を確かめた。墜落の衝撃をほぼすべて硬い慰霊碑に叩き込んだのだ。闘気が使えなければ両足ごともげている可能性もあった。人狼の強靭な肉体で耐えられていてもどこか怪我をしていて不思議はない。

「ちゃんと全身に使ったぜ。一瞬しか魔力が持たなかったから、まあ多少身体が痛えけど、どっかが動かねえくらい痛えってことはねえよ」

「そっか・・・よかった」

 そこで初めて2人とも刃鱗土竜のことを思い出した。

「「あいつは!?」」

「ちゃんと倒してたわよ」

「魔力ももう薄くなってってるでしょ?」

 凛華とエーラにそう言われ、じっと感知を働かせる。そしてようやく倒せたと理解した。

「ほんとだ。あぁー・・・しんどかったぁ」

「長かった・・・もう寝てえ」

 2人は緊張していた肩から力を抜いてぼやく。

 今夜は長かった。疲れた。眠りたい。

 凛華とエーラも”魔法”を解いてぺたんと座り込んだ。

「今から帰るんだよね・・・ボクもう歩きたくないよぉ」

「あたしもよ。ここ墓地の近くでしょ?結構あるわよね・・・・」

 4人は張り詰めていた緊張の糸をほぐす。

「ゆっくり帰ろう」

「だな」

 徐々に長い夜が終わったという実感と疲労感が身体を支配し始めている。しかし達成感のおかげで4人の表情は穏やかだ。後は帰るだけなのだから。



 しかし、新たな脅威がすぐそばまで近づいていた。疲れ切っている4人の知らぬ間に。

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