19話 怒れるヴィオレッタと動き始める運命 (アルクス12歳の冬)
ヴィオレッタは激怒した。里の誰も見たことがないほど本気の怒りだった。
移民の人虎族を受け入れるに当たって事務処理が煩雑化していたところに、森人の癒者リリーから『自分の手には負えないから来てくれ』との伝言が届いた。もしや大型の魔獣でも出てしまったのかと焦りを見せたところ『命に別状があるわけではない』と伝言を頼まれたリリーの息子ゼフィーが答える。
だとすればどうして自分が呼ばれたのか?そもそも誰が怪我をしたのか?
ヴィオレッタがそう問えば人虎族の族長の息子―――カミル・ノワクとその親戚に当たる副族長の娘―――ニナが大怪我をしているという。
里に来て早々になぜそんな怪我を、しかも子供が負うことがあるのか?
ヴィオレッタが訝しんでいたところに鍛冶場通りからその纏め役――鉱人族のキース・ペルメルと巨鬼族の源治がやってきた。
次から次へと。一体お前たちの方はどうしたんだと問うヴィオレッタに2人が告げる。
彼女の愛弟子アルクスが人虎族の子供を2人ボコボコにして癒院送りにした、と。
そこでヴィオレッタは一連の騒ぎが繋がっていることをようやく理解した。そしてすぐさま口を開く。
授業と稽古中以外は比較的のほほんとしているアルがなぜ新参者とやり合う事態になったのだ。新人いびりをやるような子ではない。何があった?
ヴィオレッタがそう訊ねたところで、事の始まりを知ることとなった。
キースは徹頭徹尾、第三者として目撃したことを語っていく。時折源治が補足を入れ、そのたびにヴィオレッタの眉間に皺が刻まれる。
そして、アルがカミルを殴り飛ばしたと言いかけたところでヴィオレッタの怒りが最高潮に達してしまった。
―――ゴォォォォォォォォ――――――!
家が揺れる。死者の冒涜に続き、愛弟子と親友を虚仮にされたヴィオレッタの深みを帯びた魔力が濃紫の
キースと源治はでかい図体を縮み上がらせながらも懸命に説明を続ける。アルがカミルとニナを一方的にブチのめしたと聞いたヴィオレッタはすぐに立ち上がった。
――――追い打ちをかけてくれる。
気焔を吐き、怒髪冠を衝いたヴィオレッタは怒りの炎を消さぬまま目撃者2人と人虎族の族長とその従弟――副族長を引っ張るようにして癒院へと向かった。
***
最低限の治癒は施したが族長の息子の方は危うくて手を出せなかったというリリーを無視して2人を見たヴィオレッタは怒りを忘れて呆気にとられてしまった。
―――――これをあのアルがやったのか・・・・?
片方は女子だと聞いていたが髪は焼け落ちてしまっていたのかほとんどないし、顔も体もケロイド状の火傷痕まみれで痛々しい。
もう片方は元の形がわからないほどに顔が火傷と打撲で膨れ上がり、目は失明寸前で床に落ちそうになっている。
有り体に言って酷い惨状だった。
人虎の族長と副族長も驚いて『何があった!』と訊ねるが、カミルとニナはガタガタと怯えながら『あいつにやられた』と言うだけである。ニナに至って悲鳴が五月蠅いからと火傷しているところを蹴り飛ばされ、引き摺られてきたのだ。アルへの恐怖と痛みは尋常ではない。
ここまで酷いとは思っていなかったヴィオレッタはすぐさま独自魔術を使ってカミルとニナを癒す。瞬く間に2人はアルと争う前の状態に戻った。
しかし事態は何も解決していない。ヴィオレッタは疑問を顔に貼り付けた人虎族の族長と副族長を座らせる。
そして再度キースと源治に事の顛末を聞き直した。一方的にブチのめすにしても普段のアルと2人の大怪我が結び付かない。もっと詳しく聞く必要があった。
***
アルの暴れ方まで詳細に聞き直したヴィオレッタにとって良い収穫が一つだけあった。それは人虎族の族長筋2人が真っ当な精神性の持ち主であったことだ。アルの父ユリウスについて尋ねられたヴィオレッタは自身の種族に誓って『真実のみを口にする』と宣言し、彼の里での貢献から死に際まで語って聞かせた。
ユリウスが死んだ理由を知った族長ベルクトと副族長――オーティスは似ている顔に大きな青筋を立てて憤怒の表情を浮べる。もちろんその怒りは我が子たちへのものだ。
「こ、の・・貴様ら!事情も知らぬくせに半端者だの出来損ないだの案内をしてくれている子供によくもそんな口を叩けたな!!どこまで性根を腐らせているっ!そこまで言われても殺さなかったその少年に感謝しろ!私が彼ならその場で貴様らの首を引き裂いていたところだ!!」
激昂したベルクトは快復した息子カミルの胸倉を掴み上げて吠えた。怒鳴りつけられたカミルとニナは身を竦ませて怯えている。
こんな剣幕で怒鳴られたことなど一度もなかったのだろう。小さな声で「どんなところか不安で怖かった」だの「ナメられたら終わりだと思った」だの囁くように言い訳を述べる。しかし今度はそれをオーティスが叩き斬った。
「歩み寄ろうと差し出された手を蹴り飛ばして何を言っているのだ?話を聞いてみれば出来損ないなどと言われても彼は激怒せず、愚かなお前達の敵意を自分に集めて場を収めようとすらしているではないか。なぜそこまで愚かな選択をしたのだ」
最後は問いかけるとも独り言ちるでもなく発された言葉にカミルが反応した。
「それは・・・あいつらが俺たちと同じくらいなのに見習いとして任されたって。”魔法”も使えないのに優秀なんて言われて、俺たちは色んなとこ点々としてきたのになんでそんな恵まれてるんだって・・・」
子供の嫉妬だ。アルを名指しするような言い草はその証拠だろう。ヴィオレッタは反論しようとした。優秀なのは恵まれた環境をしっかり生かして努力してきたからだ、と。
その前にベルクトが寝台へカミルを投げる。
「お前が言った少年はそこのヴィオレッタ様から魔術の指導を受けている。貴様は”魔法”を使ったうえで魔術も使わなかった彼に負けた。その意味もわかっとらんのか?」
「・・・ぇ」
「話を聞く限り魔術は使っていない。合っているだろうか?」
目撃者2人へベルクトが訊ねた。キースはリリーに葉巻を取り上げられつつ頷いた。
「おう、魔術は使ってねえ。結局闘気もその坊主の爪砕く以外にゃ使ってねえな。使ってたのは属性魔力だけ、まぁ”魔法”使ってる人虎に素手じゃ厳しいからな。それでも刀を抜く素振りはちっとも見せなかったぜ。見てるこっちゃあ焦ったがよ」
振り向いたベルクトはカミルとニナを睥睨して続ける。
「わかったか?打ち倒す手段ならいくらでもあったのに使わなかった。激怒していても手加減していたからだ。どれだけ血の滲む修練を積めば”魔法”を使える相手に”魔法”が使えぬ者がそこまで出来る?お前達に想像出来るか?」
「・・・・・そ、れは」
カミルはゴクッと唾をのみ、適当にあしらわれて瀕死になったニナは顔を青褪めさせた。
―――――『邪魔』―――――。
ニナの脳裏にアルの言葉が
「恵まれていると言ったな。もし同じ環境にいたとしてお前達はそこまで積み上げられるのか?その少年の仲間たちも彼と同水準だから組んで仕事をしているんじゃないのか?それらを知りもしないで否定したから怒ったのではないのか?そこまで考えられなかったのか?」
「「・・・・」」
今度こそぐうの音も出ない。あまりにも自分の浅はかさ、情けなさに気づかされたからだ。2人は「・・・う、ぐすっ」と泣きながら「ごめんなさい」と口から溢していく。だが謝罪を向けられるべき少年はそこにいない。
言いたいことを全部言われ、ベルクトとオーティスがブチギレたおかげですっかり冷静になってしまったヴィオレッタは宙ぶらりんな気持ちを持て余して周囲の魔力を探る。件のアルがいない。
「リリーよ、アルはどこじゃ?聞いた限りじゃ大きな怪我はしとらんようじゃが」
「アルクス君なら2人の治療をお願いしますって言ってすぐどこかへ。怪我もなかったみたいです」
「無傷でこれだけしでかしたのか・・・あやつ何か変じゃなかったか?」
「私のところに来たときはいつも通り冷静――――でもなかったですね。落ち込んでました」
頬に手を当ててリリーはそんな風に所見を述べた。
「他には?」
「他に、ですか。いいえ、特には」
首を傾げるリリーにヴィオレッタは少々もどかしさを覚える。普段のアルなら例え怒っていたとしてもここまでのことしない。そもそもそんな風には怒らない。そこは幼い頃から見てきたので断言できる。
ヴィオレッタのもやもやとした不安を察して巨鬼族の源治が口を開いた。
「里長殿よ、アル坊がおかしかったのはそこな坊主を赤熱岩混じりの拳で殴りつけておった時だけ――あ、まぁ嬢ちゃんに炎をぶち込んだ時もおかしかったかの。稽古でも凛華嬢ちゃんの顔に残りそうな攻撃はせんのに変だのぅとは思ったわい」
「やはりいつもと違ったか」
その証言にヴィオレッタは確信を得る。
「応よ。あの時はまるで憑りつかれておるようじゃった。のぅキース?」
源治の確認にキースも同意する。
「そうだなぁ、憑りつかれてるっつーか別の何かで動いてるっつーのか。そもそもアル坊が殺気を出して闘うなんざ稽古でもまずねえ。邪魔だからって子供相手に魔力を込めた腕なんて絶対向けねえしな」
剣気や闘志は発しても自身が殺気を出すことはない。強くなる為の稽古と相手を殺す為の訓練は似て非なるものだ。八重蔵は雑だがそういうところは非常に厳しい。
「子供相手にじゃと?儂はそんなことはせぬようきつく言うておるぞ」
驚いて眉を吊り上げるヴィオレッタ。アルがその言いつけを破ったことはない。アルはそれこそ華やかな光球や子供用の砂場とアスレチックコースを混ぜたような遊び場をシルフィエーラと作ってあげるくらいで、攻撃用の魔力を向けるような真似は絶対にしない。
だからこそ里の子供たちにも懐かれているのだ。そんなことをチラとでも考えていれば敏感な子供はすぐに気づく。
「でも撃ち出してはなかったが構えてやしたぜ」
キースはアルの真似をして右手を掲げた。
「ならばアルを探すべきじゃ。何かがおかしい」
そう言って立ち上がるヴィオレッタにオーティスが待ったをかける。
「お待ち下さい。処遇を決めて頂きたい」
処遇。カミルとニナについてだろう。それが筋ということなのだろう。ヴィオレッタは黙考する。
―――――・・・業腹ではあるが一度目は甘くしよう。ここまで大事になったのはアルが負わせた怪我が酷すぎたというのもある。それでダメなら完璧な上下関係を叩き込むしかない。
「・・・・ならば其方らが里を見て回るときにもう一度その者らを連れて行け。時間帯は・・・そうじゃな。朝方からが良かろう。それで考えを改めなければそのとき何か考えよう」
「朝方?いえ、承知致した」
オーティスは疑問に思いつつ、ベルクトに確認の視線を向ける。ベルクトも甘いと感じつつもやはり我が子は見捨てられない。いい機会を与えてもらったと考えるべきだろうと考え、いまだ啜り泣く子供の代わりに礼を述べた。
「ヴィオレッタ様のご寛恕に感謝を」
「よせ、それと其方らは少々堅苦しすぎるぞ」
そう言うとヴィオレッタは癒院を出て行く。キースと源治はどうすべきかと視線を合わせ、とりあえず戻ることにした。
☆★☆
ところ変わって訓練所の一角。もうすぐ日暮れだ。里の子供たちは元気にその辺を走り回っている。今はまだ森の方だけだが、そのうち訓練場の草原も白い布団を被るようになるだろう。
件のアルはそんな光景を現実逃避に使いながら膝を抱えて座っている。結局マルクガルムたち幼馴染3人の元へは戻れなかった。よくわからなかったのだ。
あの時の自分はどうしてしまったのだろう。カミルを痛めつけることに集中してそれ以外がどうでもよくなっていた。痛めつける?違う。
―――――これなら殺せる。―――――
その時の
「はぁ・・・・・・どうしよ」
ぽつりと発した呟きは子供たちの喧騒に紛れて消えていく。自分でもやるべきことくらい承知している。いろんな人たちに謝罪に行かなければならない。まずは師匠のヴィオレッタ、次に人虎の2人、幼馴染たち、最後に母トリシャに。
「はあぁ・・・・・・・・・・・」
気が乗らない。行きたくない。動きたくない。あの2人の顔を見るとまたぞろ暴れ出しそうだ。
「はぁ・・・・・」
何度目かわからないタメ息を吐きつつ、アルは寒空の下寝転がることにした。
何も考えたくなかった。流れていく雲をぼおっと眺めているところへ不意に声がかかる。よく知っている声だ。
「アールっ!」
「・・・母さん?あれ?仕事は?」
「今日は抜けていいってヴィーから言われてね。聞いたわよ?喧嘩しちゃったんだって?」
にっこり笑いかけてくる母トリシャにアルはぎこちなく頷く。
「うん・・・でもやりすぎちゃって。カッとなって気付いたら血まみれのカミルがいた」
「そっかぁ。まぁお父さんのこと悪く言ったんだもん、しょうがないよね?」
アルの言葉を聞いたトリシャは笑顔でそんなことを言った。その笑みに一遍の曇りもない。しかし、アルは首を横に振る。
「・・・しょうがなく、ないよ。あんなの・・・違うよ、喧嘩って言わない」
するとトリシャはフッと微笑んだ。
「なぁんだ。ちゃんとわかってるじゃない」
うりうりとアルの頭を撫でる。どうやらワザとあんなことを言ったらしい。
「じゃあアルはどうしてここにいるの?」
しかし不意に飛んできた鋭いトリシャの言葉に撫でられるがままのアルは思わず身体を固くした。
「・・・え?」
「喧嘩したらその後やることってあるでしょう?」
ああ、そうか。アルはトリシャの言わんとすることを理解する。頭ではきちんとわかっていた。だが、感情が従わない。
「うん・・・・わかってる。でも行きたくない」
「どうして?」
静かなトリシャの問いかけにアルは答えた。さっきからぐるぐる自分の頭の中を駆け巡っている答えだ。
「また、暴れちゃいそうだから。あの時みたいによくわからなくなりそうだから」
「暴れちゃってもいいのよ?」
「よくないよ」
アルはかぶりを振る。謝りに行ってまた喧嘩なんて笑えない。
「いいのよ。気に入らないなら気に入らないってぶつかるべきなのよ。それで仲良くなれることだってあるわよ?」
あくまでもトリシャの言葉は優しい。
「仲良くなりたくない」
あまり聞かないぶっきらぼうなアルの返答にトリシャは暴れた理由を持ち出した。
「どうして?お父さんを馬鹿にしたから?」
「父さんも母さんも師匠もだよ。そんなやつらと仲良くなんて、やだよ」
伏し目がちなアルは頑なに行きたくないと言う。トリシャは話題をズラしてみた。どうして彼らがそんなことを言ったのか、だ。
「でもあっちにだって言い分はあるかもしれないわよ?」
「どんな?」
「アル達が自分たちと同い年くらいなのに見習いとはいえ任務を任せられてて嫉妬しちゃったとか」
「それならそう言えばいいじゃん。母さんや父さんを馬鹿にする必要なんてないじゃん」
「そう言えるような子たちなら、もっと素直に仲良くなってると思わない?」
「わかんないよ」
アルはぶすっとしたまゴロンっと母に背中を向ける。珍しい姿を見せる息子へトリシャは目を細めて語りかけた。
「わからないなら聞いてみなきゃ。話してみなきゃわからないことって意外と多いのよ?」
「・・・・母さんたちを馬鹿にするような連中と話したくないんだもん」
「アル?そんなんじゃ狭い世界でしか生きられないわよ?」
自分の嫌いな人のいる世界も、認めてくれる場所もどちらも知らなきゃいけないのだ。アルだって母の言いたいことは理解している。
でもやはり嫌なのだ。感情が否定しつづけている。
「何も今すぐじゃなくてもいいのよ。するつもりがあるか、それが重要なのよ」
「・・・・・・・・・・・・あるよ」
「本当に?」
力ないアルの返答にトリシャはすかさず訊き返した。
「・・・・・・うん」
先ほどよりは短い間で返事が返ってくる。トリシャは穏やかな声で問うた。
「お父さんみたいな優しさと、それを押し通すだけの強さが欲しいんでしょ?」
「うん」
今度は即答だ。
「何が必要かわかる?いっちばん、とびっきり、重要なもの」
「・・・わかんない」
また少し沈黙を挟んだがそれでも答えは返ってくる。トリシャはアルの肩に優しく手を置き直した。
「勇気よ。嫌でも、何かを抱えてても、『やらなきゃ』って思った時に飛び込めるだけの勇気。誰だって最初から少しは持ってるけど見えたり見えなかったりするもの。自分にしか扱えないとっておきの
そう言って息子の胸をポンポンと叩く。
「・・・」
アルは己の心臓を見た。勇気。今の自分には見えないもの。
――――父さんだって嫌だったのかもしれない。いや、きっと嫌だったはずだ。
でも握り締めたから結果が残ってる。それは紛れもない事実。
「・・・むぅ」
「アル?」
アルはグッと上体を起こした。いつもより弱いが紅い瞳に輝きが戻ってきている。
「・・・わかった。仲直りはムリだけど、謝ってくる。師匠にも。マルクと凛華とエーラにも。仕事そのままサボっちゃったし」
母にそう告げたアルは自分で口にしたことで、覚悟も固まったようだ。
「ふふ、さすがお母さんとお父さんの子よ」
トリシャは微笑みながらそんな息子を見つめる。
「うん、母さんにも謝っとく。心配かけてごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるアル。母はくすくすと笑って今度は頭を撫でてきた。
「いいのよ、お母さんは。お母さんが言われてたら間違いなくシバき倒してたしね」
「母さんはそうかも」
調子の戻りつつある息子に嬉しそうにしながらトリシャは急かす。
「こらお母さんはそんなに暴れん坊じゃないわよ。さっ、チャチャッと謝ってきなさい」
「うん、行ってくる」
頷いたアルは西門に向けて走って行った。
そんな息子を見送ったトリシャは「世話が焼けるわねぇ」と笑いながら、ずっと後ろで隠れていた2人に声をかける。
「凛華ちゃんとエーラちゃんごめんね、アルが心配かけちゃったみたいで。アルが謝ってきても素知らぬ顔してあげてちょうだいね?」
凛華とエーラはこくこく頷きながら頬を紅潮させていた。『どうしたのかしら?』と思ったトリシャが問おうとすると、
「トリシャおばさまカッコよかった!」
「ねー!あれが男の尻を叩くってやつだね!」
凛華とエーラがそんなことを言ってくる。褒められるのは嬉しいがトリシャとしては非常に不本意だ。
「ちょ、ちょっと二人とも。そこはかっこよかったじゃなくて美しかったとか聖母のようだったとかね?いい表現があるでしょう?ていうかエーラちゃんダメよ、男の尻なんて言っちゃあ。ファリスが悲しむわよ?」
慌ててそんな風に言ってみるが凛華とエーラはほわぁ~とした顔でトリシャへ憧れの眼差しを向けたままだ。
「アルがまたあんなになったらあたしが尻引っぱたいてあげる!」
「ボクもトリシャおばさまみたいにアルを立ち直らせたげる!」
トリシャの注意を無視して2人はそんな宣言をした。一瞬ぽかんとしたトリシャは次いで笑みをこぼす。
「アルったら幸せ者ね。じゃあ期待してるわ。でも言葉遣いは直しましょう?私が怒られちゃうからね」
ふっと笑いながらウインクをかますトリシャを見た2人はまた「ほぉ」っと見入った。
「「トリシャおばさま今のカッコいい!!」」
そして口を揃えて誉め言葉を贈る。
「だからぁ、もっと違う表現あるでしょお~・・・」
がっくし肩を落としたトリシャは2人に首を傾げさせるだけだった。
☆★☆
「ではアルは大丈夫なんじゃな?」
「ええ、あの子らしくないと思って不安になっちゃったけどいつも通りだったわよ。ていうか初めてあそこまでむくれてたわ。やっぱり我が子のそういう姿も見とくものねぇ。ぶすっとしちゃって可愛かったわ。もっとちっちゃいときに見たかった」
「呑気じゃのう。ふぅ・・・頭に来すぎた、で収まる代物であれば良いんじゃが」
「何かあの子に不安があるの?」
「具体的な不安要素がないことこそが一番の不安じゃ。物事への集中力が高かったり、あの歳でやたらと意思が強いのは性格と言えよう。それ以外はどちらかと言えば呑気な性格の部類じゃ。
日頃稽古もしとるから鬱憤が溜まりすぎておったということも可能性としては低い。どれをとってもあの二人への仕打ちには繋がらん。加減できなかったとしても精々があのニナとかいう娘のようになるだけじゃ」
「もう一人は違ったの?」
「目が落ちかけておった。いくらあやつが怒っておっても加減が利く。目の前で殴っておるのじゃから気づかぬわけもない。それが止められるまで止まらんかったそうじゃ」
「・・・んー、気づいたら血まみれのカミルがいたってアルは言ってたわよ」
「カッとなっただけ・・・なら良いのじゃが」
「何をそんなに心配してるのよ?」
「あやつの性格の一面にそういう暴力性がある、というのならまだどうにでもなる。酷ければ矯正しておけば良い。
じゃが・・・そうでなかったとしたら?儂が危惧しておるのはそっちじゃよ。アルの性格とはまったく関係のない『ナニカ』が潜んでおった場合が怖いのじゃよ。あやつの人生を狂わせてしまわぬかとな」
「それは・・・確かに怖いわね。私も注意しておくわ」
「ん、それが良かろう」
「ありがとうね、ヴィー。いつもいつも助かるわ」
「なぁに儂と汝の仲じゃろう。アルは可愛い愛弟子でもあるしのう。将来を憂いてやるのも師の役目というやつじゃ」
***
アルが滞りなく――概ね滞りなく謝罪を済ませた2日後、いつもの見習い任務に戻った。あの後人虎の住む新しい区画へ行くと、その子供たちから謝罪を受けることになったので関係も良好な方になりつつある。
「今日はサボんなよー」
マルクがニヤニヤと茶化してきた。あえてそう言っているのだろう。
「サボったことあったっけ?俺が戻ったらみんな仕事終わらせちゃってただけだよ?」
すっとぼけた顔で憎まれ口を叩くアルもいつも通りだ。
「はいはいさっさと行くわよ。もうだいぶ日が暮れるの早いんだからさっさと子供たち回収して戻るわよ」
「そだね~。アドルフィーナも待ってるし」
凛華とエーラもアルが普段通りに戻ったのでホッとしたのかマルクをいじる。アルもそこへ加勢した。
「フィーちゃんになんで早く帰るように言わないんだよマルクは」
「誰がフィーちゃんだ、そんな呼び方許さねからな。ちゃんと言っても帰ってこねえんだよ。誰に似たんだか」
「「「ツッコミ待ち?」」」
3人の息の合った言葉にマルクは「うがー」っと声を上げる。
「ちっげえよ!!大体いつもいつも帰りが遅くなってたのはお前らがまだ遊ぶとかまだ終わってないとか無茶苦茶言うからだろうが!いっしょに叱られてたんだぞこっちは!」
「そーだねマルク。行こうか」
ぽんぽんと肩を叩いて西門へ歩き出すアル。
「流すなよアル。一番つき合わせてたのお前だろ。おい、こっち向けよこら」
顔を向けないアルに、
「西門とーちゃーく。そしてしゅっぱーつ!」
マイペースなエーラ。
「お前らってやつは・・・!」
「ちょっとあたし含めるのやめてもらえる?」
そして我関せずの凛華。
「いやお前も大概だっただろ!」
自由人3人へマルクだけカロリーを消費しながらアドルフィーナたちの遊ぶ訓練場へ歩いて行く。
「おーいみんなもう帰る時間だよー」
アルの呼びかけに子供たちが顔を上げた。するとすぐにマルクの妹アドルフィーナが駆け寄ってくる。
4人が『お、今日は早く終われそうかな』といった具合に顔を見合わせたところ、アドルフィーナの発言で事態がまずい方向へ動いていたことを知ることになった。
「お兄ちゃん、アルにい!大変なの!もう帰ろうかって言ってたら新しい子たちが二人いないって言ってるの!」
「なんだって!?」
かくして歯車が回り出す。アルに潜む『ナニカ』が目覚めて、それが4人の運命を大きく変えることになってしまうとは誰一人として予想できなかった。
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