18話 紅い瞳に潜む闇 (アルクス12歳の冬)

 アルクスたち幼馴染4人組が見習いの見習い仕事を始めて2週間と少し経つ。今はもう真冬だ。数日前から雪が降り始め、森には頭頂部を白い帽子であしらった樹木がほとんどだ。やはり今年の冬は例年より足が早いらしい。


 肌を刺すどころか手足を千切らんとする寒風に里の人々はやれ『防寒具を出すのが遅れた』だの『酒の旨い時期が来た』などと言いながら平和に冬支度を済ませるのであった。



 ルミナス家には来客が来ていた。ヴィオレッタだ。母トリシャと仲が良いのでちょくちょくお茶に来るのだ。この日も世間話をしに来たのか誘われたのかといったところだろう。アルは自分の部屋が寒かったので居間の暖炉前でパチパチと爆ぜる薪を眺めている。


 黙って大人同士の会話を聞き流していたアルであったが耳慣れぬ言葉を聞いて思わず口を挟んでしまった。


「移民・・・ですか?」


ヴィオレッタは咄嗟に口を挟んできたアルに嫌な顔一つ見せずに頷く。


「左様。この里ができた当時は多くいたのじゃが、久々にそのような願いが届いておってな」


「聖国の魔族狩りのせいで数を減らしたり住むところを失くした魔族たちが当時は多かったのよ。里の建造中はしょっちゅうそんな届け出があったわねぇ」


 トリシャは懐かしむように補足した。


「移民の理由はなんですか?」


「かつてと変わらぬようじゃ。聖国の追手が面倒になってきたと。冬も只中ではあるが食うにも困ってるおるし乳飲み子も抱えておるから、そちらに居を移させてほしいとのことじゃのう」


 聖国はまだそんなことをしているのか、と少々苦い表情を浮かべながらヴィオレッタはアルへ答える。


「ま、情報網も当時は出来上がってなかったからね。今頃うちについて知ったんじゃないかしら」


 隠れ里の建造中は居住空間の確立に集中していたため、情報網の方はさほど熱心ではなかったのだ。実際隠れ里の住民割合はまだ屋根すらない頃から周辺の樹木や草むらを枕として建造に尽力してきた者たちで8割を占めている。残りの1割が建造後の移民、更に残りがアルのような里で生まれた新世代の魔族たちだ。


「どうやら噂だけ聞いてきたようじゃ」


 最近になってようやく情報が回り出したらしい。といっても情報が回る相手は非常にシビアに選んでいる。


「どこのどんな連中?」


 トリシャが訊ねた。


「大森林の南部から。人虎族じゃな」


 人虎族とは人狼族のように”魔法”で人型の虎に変わる魔族だ。


「人虎たちか。昔は多かったわよね?」


「うむ。今はかなり数を減らしおるようじゃ」


 武でその存在を示してきた戦闘民族ほど減少傾向にある。人虎族などその最たる例だろう。


「あれから大きな戦はなかったみたいだけど、やっぱり減っちゃってるのねぇ」


 そんな2人の会話を聞きつつ、アルは茶をずずっと呑む。


 どちらにしろ自分たちがその移民たちと関わり合うのは彼らがこちらに来てから。半龍人の自分すら受け入れてもらえているのだから純魔族などあっという間に馴染むだろう。そんなことを悠長に考えている。



 このときのアルは自分が彼らの次代と思い切り衝突するだなんて思いもしていなかった。




 ***




 翌日、里内に移民の件が通達されたことによって人虎族たちの居住予定地が迅速に空けられることになった。元々増設を視野に入れていたため、資材置場をそのまま宅地にする予定になっているのだ。


 アルたち幼馴染組4人はそのぽっかり空いた土地と何やら家の基礎のようなものが造られている様子を眺めていた。


「人虎族って人狼族みたいに変化する人たちなんだよね?」


「じゃね?」


 シルフィエーラの疑問にマルクガルムが答える。アルと同い年の人狼族の少年は自分と同系統の種族が来ると聞いて正直ちょっと気になっていた。


「虎と狼なら虎の方が強そうね」


 しかし無遠慮な鬼人少女がそんなことを述べる。


「あ゛ぁ?」


 思わずマルクは青筋を立てた。こと強さという点において魔族は敏感である。元は民族紛争間にできた価値観だが今では指標の一つだ。


「まぁまぁ。今のは凛華が悪いよ」


 咎めるように言うアルに凛華が肩を竦める。悪意はないと言いたいのだろうが言葉が悪い。


「何か特徴あるのかな?人狼族は爪が一番の武器で、毛皮に魔力通せば剣くらいなら防げて、闇に紛れるのが得意なんだよね?」


 エーラの質問にマルクは憮然としつつも答えた。


「まぁそうだよ。俺らは狩人だからな。”魔法”使えば鼻もいいし夜目も効く」


「人虎族はどうなんだろ。大体似てそうだけど闇に紛れそうな感じはあんましないかもね」


 アルはのんびりそんなことを言う。


「ま、見てみなきゃわかんないわ。移住してきた時に手合わせでもしてみましょ」


 3人は凛華の好戦的な発言に呆れつつ、今あれこれ言うより移住してきた彼らを見てみなければわからないという趣旨にだけはおおむね同意した。


「でも、すごい速度だねあれ。どんどん家の基礎ができてくよ」


 エーラは鉱人族の職人たちの作業ピッチに「うひゃあ~」と感心したような声を上げる。プロの仕事は見ていておもしろい。



結局その日は仕事が始まるまで作業を眺める4人であった。




 ***




 移住予定地が空けられて三日後、人虎族の移民たちが隠れ里に辿り着いた。どうやらヴィオレッタのかけた『幻惑の術』で足止めを食っていたようで、里の巡回部隊が見つけて連れてきたらしい。



 里長であるヴィオレッタの前に戦士然とした男が歩み寄ってきて礼儀正しく膝をついた。その後ろで同じく戦士然とした男女たちが膝をつく。ここらへんは人間側の慣習とそう変わらない。黄褐色の髪色が多く、みな魔獣の毛皮を羽織っていた。


「人虎族の族長をしているベルクト・ノワクと申す。此度は我々人虎族を受け入れて頂き、一族一同より感謝申し上げる。里長であるヴィオレッタ様の示した里の規律に沿うよう尽力していくことをここに誓う」


 長年生きてきて、着いてほしくない武勇伝も数多くあるヴィオレッタは人虎族たちの畏まった態度に一瞬だけ顔を顰めたが、気を取り直して威風を漂わせる佇まいでそちらを睥睨して返答を返す。


「その旨を良しとしよう。ここの規律は人虎族内のそれと相反するものもあろうが、里の皆がそれを守っておるからこうして成り立っておる。其方そなたらがそれを守る限り、儂らも其方らを守ろう」


「有難く。肝に銘じさせて頂く」


「うむ。ならば移住予定地に案内させよう。族長はこちらに来よ。規律と其方らの仕事についての相談もあろうしな。他種族の代表者たちは既に儂の家で待機してもらっておる」


「承知」


 ヴィオレッタはベルクトを引き連れて自宅へ向かう。が、人虎族の族長に着いてくる子供がいた。ベルクトと同じ黄褐色の髪をした少年だ。


「んむ?そちらの子は?」


「申し訳ない。私の息子でカミルと申す。カミル、下がっていよ」


「・・・別に構わぬ。知らぬ土地で不安なのじゃろう」


 特に逡巡することもなくヴィオレッタはそう言って2人を案内した。子供の方はアルたちと同年代に見える。後日案内でもさせよう。


 その日は人虎族の族長ベルクト・ノワクと今後についての話し合いを行うことになった。ベルクトは立場をしっかり弁えているようで新参者として他の代表者たちと有意義な話し合いとなりヴィオレッタは胸を撫で下ろす。ここで揉めるようであれば心苦しいながら出て行ってもらうしかなかった。



 しかしヴィオレッタやベルクトはおろか他の代表者たちですら誰一人予期できなかった事態が起こってしまう。




 ***




 移民たちが隠れ里に来た翌々日のことだ。アルたち4人に言い渡された任務はいつもの夕方からの見回りではなく、人虎族の同年代を含む子供たちの引率だった。曰く、里を案内してやってくれとのこと。


 思ったより早く引き合わされたなぁなんて呑気なアルたち4人は人虎の子供たちに挨拶をする。


「アルクス・シルト・ルミナスだ」


「マルクガルム・イェーガー、人狼族」


「鬼人族のイスルギ・凛華よ」


「ボクはシルフィエーラ・ローリエ、森人だよ」


「今日は里の案内を頼まれてる。一つずつ紹介していくからついて来てくれ」


 アルの先導で里の案内がはじまった。あえて半龍人とは言わなかった。どういう反応を返されるか不明だったし、わざわざ言うこともない。そう思ったのだ。



 ぞろぞろとついてくる子供たちは里にいる子供たちと違って随分とよそよそしい。そもそもの目つきがどうにも違う。訝しむような、こちらを見定めるような、なんとも落ち着かない視線だ。妙に大人しいのも気がかりである。これくらいの子供ならもう少し騒いでいてもおかしくない。


 六道穿光流を初伝とはいえ修めているため気配や敵意、害意といったものに敏感なアルは余計に気味が悪い。他の3人も居心地の悪さ自体はしっかり感じているようだ。



 4人が里の北部から北西にかける鍛冶場が集まった通り――通称・鍛冶場通りを案内していたときだ。それまで黙っていた人虎族族長の息子が口を開いた。


「なぁ、なんでお前らが里の案内をするんだ?まだ俺たちと同じくらいだろ?」


「見習い任務として任されたからだ。文句があるなら師匠に直談判しろ」


 たしか、カミルだったか。アルはそう思いながら、質問に込められた敵意の量に反応してムッとしながら言い捨てる。彼らと馴染むのは思ったより時間がかかりそうだ。


「師匠?」


「ここの里長、ヴィオレッタ様だ」


 マルクがほとんど吐き捨てるように返した。こちらも敵意に気付いたらしい。今度はカミルの横にいた同い年っぽい少女が口を開く。髪色は黄褐色ではなくもっと明るい黄土色だ。


「・・・なーるほど。じゃああんたが”魔法”も使えないハンパ魔族なのね」


「なんですって?」


 あんまりな物言いをした少女に凛華が一瞬でカッとなった。尖った鬼歯も剝き出しに睨む。


「君らもうちょっと言い方考えた方が身のためだよ、名前は?」


 エーラの態度も珍しく怒気を孕んでいた。


「ニナよ。副族長の娘」


 黄土色の髪を振りながら少女が名乗る。後ろの子供たちは半数は戸惑ったような、残り半数はニナやカミルと同じ目つきでこちらを見ていた。この2人の取り巻きの子供たちなのだろう。数の多さで気が大きくなっているのかカミルが馬鹿にするような目で更に続ける。


「俺たちと同年代が見習いなんてこの里は大丈夫なのか?おまけに”魔法”も使えないを見習いにするなんてよ。聖国の連中が来た時守れんのかよ?なぁお前らもそう思うだろ?」


「テメェ!」


 マルクが吠えた。カミルの胸倉を掴み上げ、唸りそうなほど怒りを込めた目で睨みつける。カミルは一瞬怯むが、ハンッと鼻を鳴らす。


「事実だろうが。”魔法”も使えねえ出来損ないを里でも優秀なんてあの里長は言ってやがったが、耄碌してるんじゃねえのか?」


 これにはエーラも凛華もブチ切れ寸前だ。凛華に至っては訓練用の重剣に手をかけている。取り巻き達もカミルと似たような小馬鹿にしたような目をしている。



 一触即発の雰囲気になった鍛冶場通りの職人たちは「なんだ?」「どうしたんだ?」「喧嘩か?」と言いながら集まり始めていた。観衆ギャラリーに気づいたアルは冷静に事を収めようと口を開く。


「俺が半龍人なのは否定しない。けど里長であるヴィオレッタ様の判断を疑うのはやめろ。俺を嫌うのは勝手にすればいいけど周りの人たちまで槍玉に挙げて、あることないこと言って回るのが人虎族って種族だったのか?そこまで恥知らずだとは知らなかったよ」


 冷静に諭すような口調で喧嘩を売った。アルも大概頭に来ている。敬愛している師を耄碌しているとまで言われて頭に来ない弟子はいない。


「なんだって?」


 さっきの人虎族の少女――ニナがイラッとしたような顔を向けてくる。しかしアルはそれを無視して幼馴染たちを宥めにかかった。


「マルクも凛華も落ち着いて。案内が仕事だろ。愚痴なら後で言えばいい」


 仕事を終わらせようという言葉にマルクはフンッと突き飛ばすようにカミルから手を放す。凛華も重剣の柄から手を離した。エーラは視界に入れたくないのか人虎族たちに背を向ける。


「なんだお前ら。半端者の言うことに従ってるのか?大した事ねえな」


 そこにまたカミルが余計な一言を投下した。仲間たちがカッとなりかける前にアルが口を挟む。


「恥知らずは黙って悦に浸ってろ。俺を扱き下ろすのに仲間まで貶す必要なんてあるのか?マルクたちはお前らチンピラより冷静なんだ」


 いちいち突っかかって来られてはいつまで経っても終わらない。友人たちが再度激昂する前にヘイトを自分に寄せてしまおうと考えて大いに煽っておいた。


「あ?」


「なんつったこいつ?」


 カミルとニナがこちらを睨めつける。アルは更に言葉を重ねておいた。


「実力もわからず噛みついて、気に入らなければ誰にだって文句をつけて数で威圧する。チンピラのやりそうなことだろ。案内が終わったら親にでも泣きつけ。こっちは一向に構わない。その代わり案内が終わるまでは口を閉じてろ。キーキー耳障りだ」


「てめぇ・・・!」


 今の一言で仲間たちの溜飲も多少下がったようだ。アルが案内を再開しようとしたところでカミルが呟く。


「裏切者同士に生まれたガキが」


「何だって?」


 今の一言はアルでも聞き過ごせなかった。カミルの方を振り向く。


「てめぇの父親は人間なのに人間に殺されたって聞いたぜ。つまり人間の裏切者だろうが」


「は?人間に殺されたの?人間の癖に?」


 カミルとニナの言葉にアルの手が一瞬握りしめられた。それでも冷静を保とうと息を吸うアル。こんな下らない言葉いちいち聞く必要はない。


 周囲の反応がざわりと変わった。さっきまでは子供同士の喧嘩ならさせておくの勉強の内だろうと考えて見守っていたが、今の一言はダメだ。喧嘩の売り言葉にしても酷過ぎるし何よりこの里でそんなことを言う恥知らずはいない。


 観衆が静まり返ったなかアルは息を吸って口を開く。


「いいや、違う。何も知らないなら黙ってろ。それ以上言うなら――」


 アルの忠告と警告を多分に含んだ言葉はカミルに遮られた。


「あ?それ以上言うならどうだってんだ?人間に殺された裏切者の人間とそんなモンに身体を売った――――」


 ―――――ドガアアアァァァン・・・・・・!


 轟音が鳴り響く。カミルは最後まで言葉を発することも出来ずに資材の山へ吹き飛ばされていた。


 アルが一瞬で間合いを詰めてぶん殴ったのだ。取り巻きも他の人虎族の子供たちも唖然としている。観衆ですら呆気に取られていた。


 幼馴染たちはもっと驚いている。ブチギレたアルなど今まで見たことがない。


 その状態から誰よりも先に抜け出したのはニナだった。隣にいたカミルが殴られたのだと気付いて怒りも露わに殴り掛かる。


「アンタぁっ!こんのっ―――!」


 しかしアルはそちらを見もせずに左手でパシッと拳を弾き、そのままニナの顔面に掌を向ける。


「え――――――――」


 ニナが困惑の表情を浮かべかけたところへ「邪魔」とアルの一言が届いた。


 ボッゴオオオッ――――――!


と同時に全身が包まれるほどの爆炎にニナは吹き飛ばされて呑まれる。


「ギャアアアアアアアアアアアッ!?あづ、熱いぃッ!アヅィッ!だずげっ!」


 火達磨になったニナは地面を転がりながら悲鳴を上げた。


 容赦の欠片もない。稽古ですら撃ち出さないような豪炎だ。思わず凛華たちは息を呑む。


 吹き飛ばされたカミルに向かって歩くアルには加減するつもりもニナへの興味もない。カミルをぶちのめす以外は邪魔だった。


「どけ」


 一言、巻き込まれてコケていた取り巻きと残りの子供たちに右手を向ける。恐怖で動けない子供たちを睥睨してアルは再度口を開いた。


「邪魔だ」


 右手に炎が揺らぐ。人虎の子供たちは慌てて道を空けた。恐怖で涙が流れている子がほとんどだったが泣くことすら今のアルには許されていないような気がして必死でその視界から逃れようとする。


 瞳孔が裂けたような紅い瞳―――龍眼もどきは自分たちのことなど羽虫程度にしか感じていない。邪魔だと判断されれば火達磨にされる。本能がそう告げていた。


「グオオオオオオッ!テメェ!」


 そこに起きたカミルが”魔法”を使って走ってくる。虎と人型のハイブリッド。人虎の姿だ。普段なら興味が湧いて根掘り葉掘り聞くはずのアルは黙ってカミルを見つめていた。


―――――ビキッ―――――


 ”魔法”を使ってその程度か。どう見ても稽古が足りていない。これなら


「テメエッ!よくも!」


 迫りくる人虎はアルより頭二つほど大きい。脚力を生かして跳ねるような勢いをつけたカミルがその拳を叩きつけてくる。しかしアルは一歩も動かない。


 太い虎の拳がアルに額に直撃した。見ていた者たちが息を呑む。


「うっ、ぐぉぉぉぉ・・」


 しかし呻き声をあげたのはカミルの方だった。拳を押さえて唸っている。アルは闘気――――龍気を頭と足に集め、拳に向かって頭突きをかましたのだ。


 鍛冶に使う火消砂をニナにかぶせて鎮火させた鍛冶師たちや冷静になった幼馴染3人も『人虎の拳をまともに受けるなんて』と泡を食っていたがカミルの反応を見て瞠目する。



 闘気?まさかもうまともに使い熟せるようになったのか?


 

 痛みと怒りに目を剥いたカミルが今度は爪を伸ばして振り下ろす。しかしあっさりとアルに止められメキメキッ!という音ともに握り潰されてしまった。


「ガアアアアアアッ!クソが!」


 乱暴に爪を圧し折られた痛みに悶えつつカミルは右脚で蹴りを放つ。アルはスッと半身になって躱すと同時に龍気を纏わせた龍爪を立てながら掴んで、残った左脚にゴオッ!と炎弾をぶち込んだ。


「グオぉあッ!?」


 脚を吹っ飛ばされたカミルが倒れ込む。アルは倒れたカミルの鳩尾へ膝蹴りを叩き込みながら馬乗りになった。


「ガッ!?テ、テメ・・・ッ!?」 


 呻き声をあげたカミルが見たのが何かを両手に嵌めたアルだ。土属性魔力で練られた岩の拳に炎が纏わりつきシュウウウウと煙が上がっている。表面は熔岩のようにドロドロと溶けている。


「待っ―――――!」


 ―――ガン!


「やめ―――――」


 ―――メキャアッ!


「や゛め―――」


 ―――ジュウゥゥゥ!ガガッ!


「ごべ―――」


 ―――ドガッ!ベギッ!


「ご――」


 ―――メチャッ!ベチャッ!


「・・・――」


 ―――ガンッ!グチャッ!ジュッ!


 通りを殴打する音だけが響いた。だんだんと水っぽい音が混ざり始めている。


 異様な光景に誰もが声を発することが出来ない。アルは殴るのを一切やめない。冷え切った表情でカミルを殴り続けている。


 ハッとした幼馴染たちは慌ててアルに駆け寄った。


「アル!もうよせ!」


「死んじゃうよ!」


「アル!」


 振り向いたアルの瞳に3人はぎょっとする。アルの龍眼もどきは本物の龍眼と違って虹彩に細かなヒビ状の模様は入っていない。


 だが今は。奥に見えたのは闇色のナニカだ。


 3人が驚いている間にいつもの龍眼もどきへと戻っていく。


「・・・・・・・やりすぎた」


 アルは発動した覚えもない龍眼もどきを解除して立ち上がった。”魔法”の解けた火傷と痣で血塗れのカミルを見る。そこでようやく自分のやってしまったことに気付いた。


 鍛冶場通りの観衆たちや人虎族の子供たちを見やって、アルは大きく溜息をついた。


 ・・・正直に言えば逃げ出したい。しかしそうもいかない。


「リリー先生の癒院いいんに行ってくるよ。2人を渡してくる。ごめんあと頼んでいい?」


 そう言って気絶しているボロボロのカミルを引き摺り、何事か喚いているニナを蹴飛ばして黙らせ、首根っこを掴んだ。


「あ、ああ。おう。アル、大丈夫か?」


「うん。終わったら戻るよ」


 言葉少なに2人を引き摺って行くアルに一同は不安を覚えたが、先ほどまでのヤバさは感じない。


 癒院ならそんなに時間もかからないだろうと思い、3人は気の入らない任務を続行することにした。


 観衆たちの中から数人がヴィオレッタに『事の顛末を報告しに行く』と言ってくれたので頭を下げる。




 先ほどまで取り巻きたちや子供たちから向けられていた敵意に似た視線はなくなったが、その代わりすっかり怯えた視線に変わってしまっていた。無理もない。


 だが元はと言えば自分たちのせいだ。自業自得のくせに怯えてビクついている子供たちに鬱陶しくなったマルクが唸った。


「おい。何もしやしねえよ。お前らがあいつの親父さんたちのこと悪く言ったからキレたんだろうが。被害者面してんじゃねえぞ」


「そうよ。兄貴やエーラのお姉ちゃんたちを助けて亡くなった英雄なのに。アルが怒るのも当然よ。あんなに怒ってるのはあたしらも初めて見たけど・・・」


「うんちょっと・・・いつものアルじゃなかった。大丈夫かな・・・」


 英雄という言葉を聞いた人虎の子供たちのうちの一人がぎゅうっと手を握りしめて訊ねる。


「あの・・さっきのあの人のお父さん・・・・英雄って」


「そうよ。里の人達だってお世話になった人はいっぱいいるはずよ。うちの兄貴だってアルのお父さんがいなきゃ今頃墓の下よ」


 凛華は胸を張りながらそう言った。


「ぼくたち、その、ごめんなさい」


「別に構わねえよ。ただし二度と言うなよ。俺らだって頭には来てんだからな」


 マルクのキツい視線に子供たちはこくこくと頷く。


「あの人のお父さん・・・どうして、えと、その、何があったの?」


 さっきの子供がまた聞いてきた。


「・・・ねえ、どうせ里の案内するならアルのお父さんのことちゃんと知っといてもらおうよ。今度また移住者が来た時にまたあんな騒ぎ起こしてほしくないしさ」


 エーラがそんなことを言い出す。


「そりゃいいや。知らないからあんな酷えこと言えるんだってお前らに教えてやるよ」


「そうね。そうしましょ」


 凛華とマルクはすぐさま同調した。エーラと気持ちは同じだったからだ。あんなに凍てついた表情のアルはもう見たくない。



 3人は頷き合うと人虎の子供たちにアルの父ユリウスが英雄と呼ばれている理由を語って聞かせてやりながら里を案内して回った。


 終えた頃には人虎族の族長の息子と副族長の娘がアルと喧嘩して大怪我を負ったという噂が流れてしまっていたが人虎の子供たちが3人に対して友好的な態度を示し始めていたので里の大人たちは何も言わないことにしたようだ。


 子供たちは3人に話を聞いてアルへの謝罪の念に駆られていた。子供心にアルの怒りように納得がいって後悔に苛まれる。実際に酷いことを言ったのはカミルとニナだが自分たちの態度にも問題は大いにあった。戻ってきたら謝ろう。誰ともなくそう決める。



 しかしその日、癒院にカミルとニナを届けたアルは3人の元へ戻ってこなかった。

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