三題噺「ロボット旅館やすらぎ」
亜鉛とビタミン
ロボット旅館やすらぎ
東京から電車で三時間。山奥の無人駅を降りて、さらに二時間。渓流が飛沫をたてる谷の側に、僕たちの目的地があった。
「うは、いかにもって感じのとこっすね!」
ハンチング帽を被った後輩が、陽気に言った。
「そうやな。いかにも何か、出てきそうや」
僕は目の前にある廃墟を見上げ、腕組みをして言った。
僕たちは「廃墟研究会」というサークルの会員だ。ホラー愛好会でも、野外調査クラブでもなく、廃墟研究会である。結構、珍しいサークルかもしれない。過疎地域の拡大にともなって爆発的に増えた廃墟を巡り、日本全国津々浦々を旅する気楽な学生の集まりだ。
「ここ、元は旅館だったんですよね?」
「ああ、そうや。でも実はな、単なる旅館ちゃうねん」
僕たちは錆びついたドアを押し開け、建物のなかに入った。山奥の風情溢れる旅館だったころの面影はなく、壁が朽ちて露出したコンクリートには雑草の蔓がびっしりと絡みついている。
「単なる旅館じゃないって、どういう意味っすか?」
「ああ、説明するまでもないわ。ほら、あれ見てみい」
僕は入ってすぐのところにある広間を指さした。そこには、朽ち果てたロボットがあった。見たところ、どうやら配膳用の自律式ロボットのようだ。なんだか可愛らしいコケシのような形状をしている。
「うお、本当だ。どうして、こんな山奥にロボットが?」
「ここの名前、元は『ロボット旅館やすらぎ』っていうんや。この辺りに誰も住まんようになってから、それでも山奥でやすらぎのひと時を過ごしたい、ちゅう我儘な客のために、ロボットが人をもてなす旅館ができたらしいな」
今朝の電車のなかで、軽くググって得た知識である。二十年くらい前のネット記事を探ると、意外に沢山の情報があった。開業直後は「新時代の旅館」として注目され、随分と持て囃されていたようだ。
「さっそく、奥のほう行ってみよか」
僕たちは広間を抜け、奥に進んでいく。すると、突き当たったところに「大浴場」という暖簾が見えた。元々は鮮やかな紫の布地だったのだろう。今は色褪せ、くすんだ藤色になってしまっている。
「風呂掃除とかも、ロボットがしてたんですかね?」
「そうやろな。ここには、従業員が一人もおらんかったらしいから」
僕たちは暖簾をくぐってみる。そこは普通の旅館と同じように男女で分かれていた。少し迷ったが、僕たちは男湯のほうを選んだ。廃墟とはいえ、女湯に侵入する勇気は出なかった。
脱衣所に入ったところで、
「あれ。何か、水の音が聞こえませんか?」
と、後輩が言った。
「ホンマ?」
僕は目を閉じ、耳を澄ませてみる。「ホンマや、奥から聞こえる!」
まさか、人がいるのだろうか。恐怖と好奇心とが半々に混ざり合った気持ちで、僕たちは音の方向へ進む。脱衣所の引き戸を開け、大浴場へと足を踏み入れる。
その瞬間、僕は絶句した。
もくもくと立つ湯気のなかで、一台のロボットが僕たちの方を振り向いたのだ。
「ダレカ、キタ」
いや、一台どころではない。
「キタ、ナカマカ?」
「チガウ、コレ、ニンゲン」
「ニンゲン、キライ」
「セッカク、イイユダッタノニ」
湯気の奥から、続々とロボットたちが姿を現した。人型、犬型、台車型、いろいろなロボットがいる。彼らは僕たちの方に、じりじりと詰め寄ってくる。
「せ、先輩、コイツら一体……」
後輩は足をガタガタと震わせ、今にも叫び出しそうな様子だった。
「ドウシテ、ココヘキタ。ニンゲンハ、オレタチヲホッテ、ミナデテイッタ。ココハ、オレタチノラクエンニナッタ。ダカラ、ニンゲン。オレタチノキョカナク、ココニフミイルナ!」
人型のロボットは僕たちの眼前まで迫り、強い口調で言った。いかにも機械的な合成音声なのに、まるで人間に凄まれているかのような迫力を感じる。
「どうなさいましたか?」
そこへ突然、清楚な女性の声が響く。「お困りのことがあれば、何なりと、お申し付けください」
湯気のなかから姿を現したのは、白い割烹着を着た女将……型ロボットだった。
「お困りのことがあれば、何なりと、お申し付けください」
女将ロボットは、プログラムされているらしい定型文をもう一度音読した。
「ニンゲン、ハイッテキタ。クジョデキルカ?」
ロボットの一体が女将に言った。
「承知いたしました。ご迷惑をおかけして、申し訳ございません。今すぐに駆除いたします。どうか、しばらくお待ちください」
女将ロボットは穏やかな口調で言うと、その右腕に大きな出刃包丁を装備した。湯煙のなかで、その切先が鈍く光る。
「アカン、逃げるで!」
「は、はいぃ!」
腰を抜かした後輩を引っ張り起こし、僕は大浴場から逃げ出した。入り口を目掛け、一目散に駆け抜ける。後輩も、顔は涙でグショグショであるが、何とか付いてきているようだ。
旅館を出て、それから旅館が見えなくなるまで走り、僕たちは足を止めた。緊張が解け、息が激しく上がる。こんなに力いっぱい走ったのは、人生で初めてかもしれなかった。
「なん、なん、ですか、あのロボットたち……」後輩の声はまだ震えていた。
「わからん、まったく、わからん」僕は肩で息をしながら答える。
「も、もう、廃墟なんて懲り懲りですよ!」
僕たちは、すぐに谷を抜けた。降りてきた駅に急ぎ、ワンマンの列車に飛び乗ったころには、既に日が暮れかかっていた。
三題噺「ロボット旅館やすらぎ」 亜鉛とビタミン @zinc_and_vitamin
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