朝露
海湖水
朝露
「私を、ここから連れて行って」
目の前の幼馴染に、僕は病院でこんなことを言われた。
笑顔を作ってはいるものの、かつての彼女と比べると、体はとても瘦せ細り、顔色も良いとは言えなかった。静かな病室に、機械の音だけが淡々と響き続ける。病室特有の匂いが僕の鼻に入ってきた。
彼女の病気が見つかったのはちょうど1年前。すでに病魔は彼女の体を蝕み、あとどれくらい生きられるか、そんな状況だった。幾度となく、彼女の今を聞いた。あとどれくらい生きられるのか、治療はどのようになっているのか、そんな話が遠い場所にいる僕にも届いていた。
全て絶望的だった。
そんな中、彼女はよく頑張った。当初言われていた余命を延ばしに延ばし、地獄の日々の中、必死に過ごしてきたはずだ。いや、「必死」という言葉すらも生ぬるかった。
そんな中、彼女の口から漏れた言葉だ。僕にこの言葉を聞き逃すことなんて、できなかった。
「……どういうこと?」
「そのままの意味。このまま死んでしまうなんて、私は嫌。せめてでも、私はここじゃない、どこか知らない場所で、私は死にたい」
僕の口からは、何の言葉も出なかった。淡々と彼女の口から出る言葉に、僕の口はパクパクとしか動かなかった。
死の崖の手前に出た、彼女のそんな言葉。断れるほど、僕たちの関係は薄くなどなかった。
「ここはどこなの?すっごい楽しみ!!」
「えっと、まあ。どこかって言われてもな……」
僕たちはそうして旅に出た。濃い味の食べ物はすでに彼女にはつらいだろうから、できる限りそれも考慮した。徒歩での移動も、彼女にはきついだろう。その点も考慮しようとした。
だが、徒歩での移動。それに彼女はこだわった。
「なんで徒歩で移動しちゃダメなのよ!?」
「いや、だって君は病人だよ?僕は君の体のことを考えて……」
「嫌なのよ。私は私の足で地面を踏んで歩きたいの。私はそれは譲れない」
だから、僕は歩いている。そのかわり、条件として、彼女には電車を一部では使うことも了承させた。
「ねえねえ、これって何かな?葉っぱの上に水滴がのってるんだけど」
「さあ?」
彼女の言葉を適当に受け流しながら、僕はスマホで探し物をしていた。空には少しずつ暗雲が立ち込めて始めていた。
無視された彼女は、不満そうに顔を膨らさせていた。そんな彼女を見つめながら、僕はあることを提案した。
「そろそろ、ホテルに戻ろっか。天気予報だと、今から雨が降り出すらしいし」
「えー……。まあ、いいけど」
そんなことを呟くと、彼女は足を駅の方向へと向けた。僕は取り残されないように、彼女をすぐさま追った。
ホテルに着くと、すでにホテルのスタッフさんが色々な準備をしていた。僕が事前に、病人が来るということを伝えていたからだろう。できるだけの準備をしてくれていたのだろうか。
「まあ、とりあえず着いたけど。どうする?」
「えーっと、どうしようかな……。あっ、そうだ‼︎」
そう言うと、彼女は鞄の中から小さな箱を取り出した。箱は輪ゴムで縛られており、僕はそれの正体に一瞬で気づいた。
「ボードゲーム?」
そういえば、彼女はボードゲームが好きだった。そんなことを思い出した僕は、その誘いに乗ることにした。
「ねえ、このホテルって、こんな植物が植えられているのね。しかも、また水滴がのってる‼︎」
「植物が植えられてるのって、珍しいのかな?とりあえず、山札をくんでくれない?」
「ああ、ごめんね」
そう言うと、彼女は山札を組み始めた。外では雷がゴロゴロと鳴り、雨の音も部屋の中に響いてきた。
「あ、ごめん。僕、ちょっと電話に出て来てもいい?」
「あ、いいわよ。私はゲームの用意をしておくからー♪」
そんな声を聞きながら、僕は部屋の外へと出た。電話には、彼女の親からのメッセージがたくさん入っていた。
彼女の親へ、いくつかのメッセージを送り、部屋のドアに手をかけた。ホテルの外では雷が響いている。
「ごめん、じゃあ始めよ……」
部屋に彼女は存在しなかった。いや、かつて「彼女だったモノ」は存在していたが。
彼女だったモノは、胸を抱えてその場に倒れていた。ピクリとも動かない彼女の体は、誰の目から見ても死んでいる。
手に持っていたスマホを地面に落としたことも気にくれず、僕は彼女の遺体へと駆け寄った。
「なんで……、こんなことに……」
僕はホテルの従業員を呼ぶために、靴も履かずに飛び出した。長年走っていなかったからだろうか?僕の足はもつれ、少し進んだ先で倒れ込んだ。
目の前には、植木鉢に植えられた植物が置いてあった。すでに葉の上に朝露は残っていなかった。
それを見た僕の目からは涙が溢れ出た。地面に当たった、小さな水滴は地面に吸い込まれ、跡すらも残さなかった。
朝露 海湖水 @1161222
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