第37話 ミツライムのエージェント
僕たちは蛇のような戦士に出会った後、曲がった道の先に白い壁の家を見た。
そこを越えれば、剥き出しの土壁が崩れかけたような民家がまばらに見えてくる。道の先には集落が密集して、宿泊街にでもなっているのだろう。旅人が行き交う姿が遠目に見えていた。
「ミツライムの匂いのする街」
ここにきて僕は上機嫌だ。やっとそれらしくなってきたじゃないか。
「異国を旅するのは楽しいよ。初めて見る景色は新鮮だし、漂ってくる匂いは好奇心を刺激するし、すれ違う女の子も魅力的だし」とは、初めてミツライムの人間にふれ合う喜びの表現だ。
「そんな気分になれるか?」
ナタは意地悪な言い方をする。
「どうしてさ。僕たちの知らない世界が広がっているってすごくドキドキしない?」
「さっきの蛇の奴、あんなのがこの先もいるかと思うとうんざりする。異国と言えばさ。ザッハダエルの時は、吐いてた奴がいたぞ」
「戦争しているところと、ここは別だよ」
「ミツライムもヒルデダイトとカデシュの戦いをしていた。そんなに変わらないだろ」
「それはずっと昔の話だよ。今のミツライムは貿易も盛んで、世界中から財宝やおいしい食べ物があつまるんだ。イザリースになかったものだっていっぱいあるよ」
僕は、「ね?」と旅好きな賢者のほうを振り返る。旅をしてきた者同士でわかり合えると期待した。
そのリッリはというと、
「リッリは?」
僕は立ち止まってふりかえった。彼女の姿がいつの間にか見えない。
「あそこ」
ナタが指差したのは道沿いにあった白い壁の家だ。その壁の前で立ち止まっている赤頭巾がひとり。壁を触ったりつついたりしているのは、興味津々と言った様子だった。
賢者は白い壁を調べて、匂いを嗅いでみる。次に調べたいのは、中の様子だろうか。この壁にどんな意味があるのかを知りたいらしい。
「入ってみやり……」
賢者は決断し、足を踏み入れた。だがその足が実際に地面を踏むことはなかった。
「待って」
僕は急いで赤ずきんを持ち上げる。「そこ他人の家でしょ。勝手に入ったら駄目」そんな理由だ。
「むきゅう」
と、賢者は口をすぼめる。これでは賢者も形無しと言ったところ。
「ここはイザリースやエルフの里じゃないから、いっぱい違うところがあるんだから。リッリもナタもシェズもよく聞いて。勝手に他人の家に入らないこと。落ちているものは拾わないこと」
つまり僕は腕を組んで仁王立ちしていた。「場合によってはちょっとしたことで殺し合いになったりすんだから」外国には外国のルールがある。
さらに理由を付け加えるなら、
「ほら、さっきから僕たちミツライムの軍人みたいなのに囲まれている、ひょっとして強盗と勘違いされているかも」という状況だった。
そのミツライムの軍人とは、盾と槍で武装した男たちのことだ。首回りと腰を布で覆うスタイルはイザリースのような寒い地域では見られない恰好で、露出した褐色の肌と足はむしろ武器であるかのように鍛えられている。
中でも僕が注目するのは、その集団を率いる三人の黒服だ。
兜も盾も持たず、黒いコートを羽織る三人。コートの下は三者三様で、ギリシャの貴族が着るような衣装の者、使い古されたブーツを履いている女子、兵士たちと同様に上半身露出させている戦士。黒いコートだけが共通点であるかのような者たちだった。
「お前たちは旅人か? この道を向こうから来たのか」
部隊を仕切る男は、黒い髪に無精髭を生やして猫背だった。ただコートの下、上半身の筋肉は周囲の兵士たちより硬く引き締まっている。
彼らが目を付けたのが、たまたま通りかかった僕たちというわけだ。
「すいません。僕たちは食堂や宿を探しているんです。怪しい者ではありません。陸路でここまで旅をしてきました」
これをミツライム語で丁寧に話す。
ここで僕が気を取られたのは、もう一人の黒服だ。恰幅の良い男で、頭にバンダナを巻いていた。軍隊を指揮するわけではないが、会話に割り込むと自分が上司だといわんばかりの態度があった。
こうなると、三人目の黒服の様子も確認しておきたい。
三人目の黒服。こっちは僕たちより年下の女子に見えた。大人相手に会話するのが嫌なのか距離を置いたところに立って、身体の向きを誰とも合わせない。長い髪を左右で束ねて、コートの下には短い剣、黒い短パン姿だ。その女子だけが古びたブーツを履いていた。
その三人の中で誰が強いかと問われると、無精髭の男だろう。
商人風の男は、槍を持っていて技術はあるのかもしれないが、腹がたるみすぎている。
女子のほうはには重い筋肉がない。力比べをして男たちに勝てるようには思えない。
だが見るべきは女子の足だ。剣の達人は足回りには特に気を遣っている。ナタみたいに馴染んだブーツを好んで使うだろうし、新しいブーツは馴染むまで時間をかけるのが普通だった。そんな雰囲気があって、僕は彼女の脚に見とれてしまう。
しかも結構可愛い顔。
だけどじろじろ女子だけを見ていると、
ナタやシェズの視線が痛い。
さらには、僕に話しかけてくる恰幅の良い黒服。彼の機嫌を損ねるのは正直なところ怖かった。
「よく生きてここに辿り着けたな。殺人鬼が出るはずだが、どうやってここまで来た?」
彼らのは、いわゆる聞き込みだった。
「殺人鬼?」
「そうだ。この先で何人もの旅人や冒険者が襲われていると聞いている。だから我々が派遣されてきたのだ。お前はそういう奴らに出会わなかったのか?」
「蛇みたいな動きをする強そうな人ならいましたけど」
「蛇みたいな強そうな人? たしかに我々のターゲットにそういう殺人鬼がいたかもしれない」
「あれって、ミツライムの門番みたいな人じゃなかったんですか?」
「ミツライムに門番はいないが?」
「え?」
「おいおい、あんなのを我々と一緒にはしないでくれ。あいつはただの殺人鬼。で、どうやってあいつらから逃げて来た?」
「えっと」
僕は殺人鬼と戦って退けたとは言わない。目の前にいるのはミツライムの軍隊。僕たちが逆に警戒されたのでは今後の旅もやりずらくなるだろう。「トイレに行ってたんだと思います。その隙に全力で走ってきました」というのが無難な回答だっただろうか。
ここで、
「無茶をやりやがる」と悪態をついたのは無精髭の男だった。
この真意を彼は親切に教えてくれる。
「今、ミツライム全土で子供が攫われる事件が起きている。事件を追う我々エージェントたちが何人も殺される事態だ。その蛇みたいな奴もその一員だと思われる。普通はそいつらに出会ったら生きて帰れないもんだぞ。お前らは運が良かったな」
とのことだった。
「確かに、子供を差し出せとか看板に書いてありました」
僕は咄嗟にそのことを思いだした。
「相手は何人だ?」
「一人だったと思いますけど」
「一人なわけないだろう。もう何千人もの子供が連れていかれている」
「でも、たぶん、一人だったと思います。もしかしたら、他の人たちは見えないところで休憩していたのかもしれませんけど」
「だとしたら、我々が来たことに勘付いて、すでに逃げたと見るべきか」
「逃げたんですか?」
「俺たちが来ることを察知したんだろう。一人だけ残って俺たちの注意を引きつける。その間に集めた子供たちをどこか別の場所に運んでいる。そんなところか」
僕にはその辺の事情はわからない。
ただ恰幅の良い黒服は鼻で笑い始めたので、そういうことにしておきたい。
「なるほど、では今から現場に向かっても、もう遅いというわけか。逃げ足の早い奴らめ」
徒労だったというのに、恰幅の良い男は嬉しそうな表情だった。
だが疑いの目はまだ僕たちにあるらしい。
ふいの無精髭の男が動いた。
「もう一つ聞きたいことがあったが、いいか?」
彼らは彼らで僕たちのことを観察していただろう。
「その剣、ちょっと見せてくれないか?」
無精髭の男はシェズの持っている剣を指差して、僕に要求した。
刀身が見えないように布で覆っている剣だ。鉄の剣なんて見せて歩けば、盗賊がわんさか寄ってくるだろうからそれは仕方ない。だがこれが銅剣であれば、布を被せるのがおかしい話になる。咄嗟に野犬が出てきたから剣で追い払うなんて使い方ができない銅剣を誰が持ち歩くのか。
「え? これ見せていいのか」
シェズは赤頭巾に確認するが、
「ここはもう仕方なきや」という状況だった。
鉄の剣など庶民が持てる時代ではない。
「お前ら誰だ? 何をしにミツライムに来た」
そうなるのは当然の流れだった。
こうなると出てくるのが赤頭巾の賢者。
「ワレは各地を旅し古代の遺跡を研究する学者なり」だ。
「それで?」
「ヒルデダイトのほうで強い護衛を雇ったり」
「ああ、あんたらは、ヒルデダイトの人たちか」
「うみゅ、これからピラミッドというものを見てみやりや」
ふふんと赤頭巾は背中を仰け反らせていた。完璧な言い訳だと言いたいのだろう。
だが、
「ピラミッドは、ファラオの墓だ。墓荒らしか?」
無精髭の男は当然の推測をした。
「ぶえ?」
リッリは頭をぶるんぶるんと振る。「ワレは研究したりや。これまでシュメールを研究してきやり。次に気になるはシュメールとミツライムの歴史的な繋がりん。歴史がわかれば新たな発見がありんや」だ。
「何を言ってるのわからないな。いや判るような気がするが、俺には興味のないことだ」
無精髭の男はいつしかリッリの背丈にあわせてしゃがみこんでいた。
しゃがむと言っても足を開いて腰を落とした姿はならず者たちと変わらない姿勢。そこに「はぁぁ」とため息が出れば、そこら辺にいるおじさんと何が違うだろうか。男の素性がここに出た。
無精髭の男は愚痴のようなものも同時に吐露していた。
「今さら現場に行ったところで手がかりが残っているとも思えないし、ここに居ても他に情報なしか。俺は今日何を報告すればいいんだ。また事件がありましたって報告して終わりか。俺はいつまでこんなことを続けなきゃいけないんだ?」
それを旅人に言うほどだからよっぽどのことだ。
さっきまでは学者魂を一方的に語ってきたリッリだが、こうなると相手の話も聞いてみようかという気持ちになる、お互いに言いたいことを言って、聞いてあげるのがマナー。
「それらは警備兵じゃないなりや?」
リッリは首を傾げた。無精髭の男は墓荒らしかもしれない旅人には目もくれず、ひたすら人攫いを追いかける姿がある。これは警備兵としては不自然だった。
「俺たちエージェントだ」
男は言う。「この辺で最近子供の失踪だとかが相次いでいるってんで、この事件を専門に調べているってわけさ。面倒くさいことに、俺たちで犯人を捕まえなきゃならんらしい」
男はエージェントらしからぬ態度で話す。子供が攫われていると言っておいて、面倒くさいとはどういうことか。
本当にエージェントかと思っていると、恰幅の良い黒服男が険しい表情でそれを指摘した。同じエージェントとして志しが違うというのは腹が立つものらしい。
「おい、エージェントならもっともらしくしたらどうだ? それがファラオから任命された誇り高きエージェントの姿か?」
「俺はこういうのになりたくて、やってるわけじゃない。おたくら正規のエージェントが犯人に殺されてまくってるからだろうが」
それが無精髭の男の言い分。
「まだ殺されたと決まったわけではない。そのような態度が失敗に結びつくのだ」
「失敗もなにも、将軍様もやるきはないだろうよ。何しろここに居るのが俺だぜ?」
「ジャガール、貴様は——」
その名が無精髭の男の名前だった。
「なあ、サーム」
ジャガールがそう言い返せば、恰幅の良い男の名前も明らかになる。
そのサームに言いたいことがジャガールにはあった。
「犯人を殺さなきゃいけないというのに、逆に俺たちのほうが何人も殺されているんだ。だったら強い奴を選抜すればいいのによ。俺だぜ? 俺とお前、それにあんな小娘だ。こんな状態じゃあ、死ねって言ってるようなもんだろう」
「ファラオ、いや将軍様は、お前の剣の腕前を買われている」
サームはちらっと少女を見たが、彼女については何も言わなかった。もはや戦力としては期待しない。逃げるときに囮にでもなってくれればいいという目つきだ。
少女のほうは、離れた場所で常に言葉もなくため息ばかり。最初からやる気など感じられなかった。
こんな状態にめんどくさがりなジャガールのため息は深くなる。
「あいては殺人集団だ。調べられることを不愉快に思っている。俺たちが捜査ををすればするほど、俺たちは目を付けられる。つまり、俺たちは仕事をすることで自分で、ここに馬鹿がいます、殺してくださいって言ってるようなもんだ。これを殺されるまで続けなきゃいけない。こんなのがやっていられるか?」
これがエージェントと呼ばれる彼らの現状だった。
「あのぉ」
僕が質問したのは、三人が険悪な雰囲気になったその瞬間だ。
「それって子供が攫われている事件のことですよね。子供が攫われるだけじゃなくて、ミツライムの兵士たちもそんなに殺されているんですか?」
質問した先は、ジャガール。
彼は、「そのままの意味だが?」と前置きして、結局説明してくれる。
「ここ三ヶ月くらいか、子供が攫われているんだ。こないだも二〇〇人くらいはいなくなったよな。もう三千人は超えたんじゃないか? 大問題になっていて、ファラオが事件解決にむけて俺たちのようなエージェントを組織したんだ」
「それは大変なことじゃないですか」
「まあ、大変っちゃ大変だが、居なくなったのは奴隷の子供ばかりだって話だ」
そこでジャガールは大あくびだ。「それよりもエージェントだ」と彼は言う。
「エージェント?」
「事件に首を突っ込んだエージェントが殺されている。そのエージェントが俺たちなわけで、なんで俺が奴隷のために死ななきゃいけないんだってことさ」
ジャガールが見つめる先、
サームもここは同意するところだった。
「まあそう言うな、将軍様はこの事件で奴隷が暴徒と化すのを心配されているのだ。探しているという形だけでも見せておけば、奴隷どもは俺たちに感謝する。俺たちは、この事件に深入りしなければ殺されることはない」
「形が必要なんだろ。俺じゃなくてもいいはずだ」
「つべこべ言わず、エージェントとして背筋だけでものばせと言っているんだ」
そんな会話に、僕はうんうんと頷いた。
「結構、エージェントって難しい仕事なんですね」
彼らが蛇の男がいる場所に急行しないのも、離れた街で聞き込みだけを適当にしてミツライムに引き上げるのにも理由があったわけだ。それはきっとミツライムのファラオには聞かれてはならないことだろう。ならばここでその愚痴を聞かせた旅人のこともファラオに伝わることはないだろう。
僕たちの存在も、彼らの愚痴と同じ場所にある。
そう思えばこそ、
僕は質問してみた。
「あのぉ、聞いてみたいことがあったんですけど?」
「なんだ?」
「ミツマって人たちが住んでいるところって知ってます? ミツライムに居るって、噂で聞いて、ちょっと気になったので」
知りたいことは、現地の人に聞くのが手っ取り早い。それが少しおかしな質問であってもジャガールは今日のことは水に流すだろう。
ミツマとはモーセの一族の呼称。これが僕の持ってる手がかりだった。
これを聞いて、
「うん?」
ジャガールは顔を歪めた。
「僕、なんかおかしいこと言いました?」、
「いやそんなわけじゃないが、ミツマってのは、あれだ。奴隷なんかに何の用だ?」
ジャガールは悪びれた様子もなくその名前を口にする。
「奴隷?」
「ヒルデダイトには奴隷はいないのか? そんなに珍しいかね」
「いえ、そういうのじゃなくて」
「じゃなくて?」
ジャガールは、時々戦士の目をする。この時もそうだった。
「そう、奴隷。奴隷がどんなものか見てみたくて」
僕は咄嗟にジャガールにあわせて笑ってみた。
「俺の尻の穴を拭いてくれるような連中だぞ」
「素敵です。奴隷ってすごい。僕のおしりも拭いてほしいくらいです」
「あんたは変わった奴だな。そんなのに期待して旅をしてくる奴なんて初めて見た」
「えへへ」
僕は言いながら、嬉しそうに笑っておく。傍目からは馬鹿な旅人と思われたかも知れない。それでいい。
この調子ならすぐにでもモーセとの約束が果たせるだろう。それは僕には嬉しい話で、しかし——。
これは決して奴隷を見て笑いたいという話ではない。
だったはずだが、
「ふうぅぅ」
振り返ったとき、僕は咄嗟に目をそらした。
殺気だった。
見てはいけないものを見た気がする。
黒いコート越しの冷たい目で、さっきまで離れていたところにいた黒服の女子がが僕の顔を覗き込んでいた。少女の束ねた髪の、その二本の尾が猫の逆立てた尾のように広がる気配を感じる。
「ぶっ殺す」
少女の唇がそんなふうに震えたと思った。
まずい。
「ただの好奇心です」と僕は言い訳しておく。
これはナタが慌てて走ってくるほどに緊迫していて、僕にとっては死ぬ寸前の景色のようなものだった。
エージェントの少女は、しばらく僕を睨んでから、
「ふん」
と突き放すように鼻をならして歩いて行ってしまった。何が彼女の気に障ったのかはわからない。その間、僕の心臓はバクバクと鳴り響いた。
あとに、ナタが言う。「さっそく魅力的な女の子との出会いがあって良かったな」という一幕だった。
そう、ここは異国の街並みが広がり様々な野菜や果物が集まる出会いの都。ミツライム。
僕が出会ったのは、不思議なエージェントたちだった。
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