第15話 ザッハダエルの城塞

 メギドからさらに南に行けば、いずれはミツライムという大国に辿り着く。その国境付近に寂れた国があった。豊かな大地と海に囲まれて繁栄した時代もあったが、それは過去のことだ。


 その国はヒルデダイトとミツライム。ふたつの大国に挟まれていた。ミツライムとヒルデダイトが戦えば、その都度その国は滅ぶ。


 そして焼け野原からまた国を作り直してきた。


 それがザッハダエルという国。


 僕はそんな話を聞きながら、荷馬車の上で揺られていた。

「どこに行くんです?」

 聞けば、


「ザッハダエルだ」

 ジンは答えた。


「戦争はずっと前に終わったはずですけど、危険な場所なんですか?」

 僕にはそう思えて仕方ない。


 わざわざジンが馬車に乗り込む前に僕に護身用のナイフを手渡してきた。これがないと生き残れないと言われているようで、僕には怖い。


「ナイフを渡したのは、いざというときの為だ。ここにはナタも俺もいる」

 ジンはナイフを手にして怯えるような僕に言った。僕の質問に答えてくれるのも、ひょっとしたら僕を落ち着かせるためだったのかもしれない。


 ただ僕が恐怖を忘れて旅を楽しめたのは、おもには旅をはしゃぐシェズの存在があったからだと思う。


 彼女は野良仕事をする服から戦士として動き易い旅の衣装に着替えていた。さらには拾ってきて見栄のために持っていた錆びた銅剣が、鉄の剣に変わっている。

 さらには騎士のように馬に跨がって、荷馬車と併走だ。


 一気にそれらしくなって、シェズは得意げだった。

「ミツライムまでは全部ヒルデダイトの領地だ。いわばあたしにとっては庭みたいなもんだ。わからないことがあったら何でも聞いてくれ」

 と嬉しそうな女子を見れば、僕の心が和む。


 それと同時に僕は彼女の行動をとくに注意して見ていた。

 というのも、


「シェズさんは、ザッハダエルに行ったことがあるんです?」と僕が彼女を「さん」付けで呼ぶ理由。


「あんな田舎にあたしが行くわけないじゃん。でもヒルデリアで噂くらいは聞いている」

 シェズは僕に馬を寄せてくる。


 僕は咄嗟に身構える。


 彼女が怪我で動けない間は、彼女の隣に座って食事を手伝ったりすることもあったけれど、彼女が起きあがるようになってからはそれもできなくなった。というのも、戦斧を引きずったり振り回したりする腕力だ。あれで抱きつかれたり、どつかれたりしただけで、僕は死にそうな目にあう。


 つまり、じゃれあったら殺されるから名前を呼ぶときもどこか距離を置くようになっていた。


 そんな笑い話みたいなことで、僕は神経をすり減らしていた。

 ナタは僕とは違って、シェズと肩を組むほどに近いことがある。聞くところでは、腕を回されても関節を押さえて、締め付けられないようにしているのだとか。


 そんなナタとシェズのやり取りも、傍目には面白い。


 こうして僕は恐怖というものを何度も忘れかけていた。

 ただ、すべてはザッハダエルの城塞を見れば終わる。


「変な匂いがしないか?」

 最初はシェズの文句からだった。


 僕にとっては驚くようなことではなかった。田舎道には付きものの、

「動物の死体かな? 冒険者が盗賊に襲われて腐乱死体が転がっているのかも」

 冗談のつもりだった。


 だけど、丘を越えると一面の焼け野原。


「なんだこれ」

 言ってナタが立ち止まったほどに、

 僕にとっても衝撃的な光景があった。


「森林火災にしては——」

 と思って、遠くを眺めれば、ザッハダエルの乾燥煉瓦を積んだ城塞が歪んで見えていた。黒ずんだ川が流れ、水辺からは大量の蠅が来る。串焼きを炭で焦がしたようなシルエットがそこかしこに立ち並ぶのも不気味だ。


 蛇や蛙を刺して焼いたのだと考えても大きさが合わない。少し近づいたところで人間の手がだらんと下がっているのが見えれば、やっと僕は人間が串焼きのようにされているのが理解できた。


 黒く爛れて肉塊になったものは、もはや人間かどうかを分別することさえできなかった。


 振り返ると、さっき通って来た道の横にも、似たような串焼きが隠れていたことがわかって、僕はそこで吐き気がした。


 僕が口を押さえて、

 初めて荷馬車が止められた。ここまでだと、ジンは思っただろう。これ以上は普通の人間には無理だ。


「あれがザッハダエルの城塞だ」

 ジンはそれを告げただけで、他に説明はなかった。


「あの、あそこの城塞の上に兵士たちがいますけど、こんな状況なのに平気なんですか?」

 僕はザッハダエルを指差したが、もちろん返事はなかった。


 ジンが教えてくれないなら、僕が頼れるのはナタやシェズだけ。

 ナタは初めて見る光景に目を細めただろう。


 シェズは、ザッハダエルのことなら聞いてくれと豪語していたわりには、

「え? 魔王の城じゃん」

 と驚いた顔をする。


「これってどういうこと? ジンさんはここで戦争があったって言ってましたよね。その時からずっとここはこんな感じ? シェズさんは知っていた?」

 僕は答えを求めずにはいられなかった。


「その戦争ってもう十年以上前のことだろ?」

 結局シェズもわけがわからないと言って、最後にはやはりジンだ。こうなるとジンも潮時とばかりに口を開いた。


「ここで長話というのも何だ。詳しい話はシロに戻ってからにする。新しい情報を仲間が仕入れているはずだしな。ただその前に現状をお前らには知っておいてほしかったんだ」


 ジンはそう言って、背中を向けていた。

 僕もそれに続こうと思った。これ以上こんな場所に留まったところで気分が悪くなるだけで、意味があるとは思えなかった。


 だけど、

「あいつら」

 シェズはこの時、激しい怒りを抑えきれずに動いた。


 城塞の下をザッハダエルの兵士と司祭らしき男が歩いていた。彼らが担いでいる串には死んだばかりの人間がぶら下がっていて、これを焼け野原に立てる作業をこれから始めようとしていた。


 僕は以前、生首の並んだ小屋に入ったことがある。人間の首があることはわかっていたけれど、絶対に見ないようにしていた。本能的に避けていたのかもしれない。


 シェズもきっとその時のことを思いだしたに違いない。あるいは、彼女の両親も同じように殺されただろうか——。


「シェズさん?」

 僕は唖然とした。

 ジンも同じだろう。こんな惨状の中、人食いのような戦士たちの集団に向かって喧嘩をふっかけに行く人間がいる。誰がそんなことが起きると思っただろう。


 彼女に剣と馬を与えたのが裏目に出た瞬間だった。


「あいつ何つっこんで行ってんだ?」

 ナタも困った顔をしていた。一人でシェズを止める自信がないとでも言いたげだ。


「とにかく連れ戻す?」

 僕は、どうすればいいのかわからなくて、


 でも、


「冗談はやめてくれ。死にに行くようなものだぞ。いきなり敵陣めがけて突っ込んで行くような奴を初めてみた。あれで、よく今まで生きて来られたな」

 ジンは僕の提案を蹴っていた。「度胸は認めるが、何を考えてんだ?」とは怒りの籠もった声。


 彼女を見捨てるという決断を迫られると、僕は首を横に振りたくなる。ジンを説得するだけの根拠はないけれど、

「でも仲間なんです」

 それが僕の気持ちだった。


「ありがとう。お前が勇者だ」 

 いつか殺されそうになったシェズを僕が庇ったとき、彼女は僕にそう呟いた。僕にはあの言葉が忘れられなかった。僕が彼女を庇う理由は、それだけなのかもしれない——。


 察してか、

「ヘルメス、こっちに乗れ」

 ナタは荷馬車から僕を鞍上に引き上げてくれた。


 血が泥水のように溜まったぬかるみに、足を踏み入れる者は誰もが躊躇する。

 それは馬に跨がる騎士であっても同様だった。先に走ったはずのシェズもなかなか進まない馬に手こずっていた。この場合彼女を追いかける僕たちのほうがまだ楽だったかもしれない。


 僕たちが彼女に追いついた時には、もう手が届くところだ。

 しかし彼女の声は大きい。


「おい、そこで何をしている?」

 ヒルデダイト語でシェズは追求していた。ヒルデリアで働いていた頃の性分で、完全に目上からの発言だ。怪しい者がいたら、近づいて説明を求める。これまでは当たり前の仕事だっただろう。


 でも、もう彼女はそういう身分ではない。

 これをナタは、

「怪しいのはお前のほうだろ。怪しい奴が何やってんだか」

 と愚痴った。


 そう彼女はまだ怪しい奴という扱い。

「僕がフォローしてみるよ。話し合いならなんとかごまかせるかも」

「ごまかすってどうするつもりだ?」

 と、ナタ。


「謝ってみるよ。僕が雇った護衛が昔ヒルデダイトで働いていて、その頃のくせが抜けなくてって感じ?」

「その筋書きいけるか?」


「いけるよ? いけない?」

 僕は話して戸惑っていた。思惑とは裏腹に相手の態度が突然変わったように思えたからだ。


「ははー」

 と二人の兵士がシェズに対して頭をさげて身を屈めた。運んでいた死体を置くと、彼らは武器を手にするわけでもなく、ただただ服従の姿勢をとる。


「え?」

 これにはシェズも死体の手前で足を止めていた。それはヒルデリアでも見なかった光景だから、シェズも面くらっていたのだろう。


「あの……、なんか思ってたのと違う」

 僕はナタに同意を求めた。


「あいつらシェズの知り合いか? 誰かと勘違いしてるのか」

 ナタは目を丸くしたが、


「そっか」


 僕はその原因について思い当たることがあった。


 さっきジンから聞いた歴史の話。それを僕なりに解釈すると、

「この辺はヒルデダイトの属国だから、みんなヒルデダイトの騎士が怖いんだよ」


「あいつ騎士って恰好じゃないぞ」

「ううん、あれでも立派な騎士だよ。ここは都会じゃないから」


「そう言えば、あいつも一応鉄の剣持ってるし、あれで勘違いしてるわけか」

 もうひとつ、今のナタとの会話でわかったことがある。


 相手の兵士たちには、僕たちイザリースの言葉を聞き取れていない様子があった。


「待ってて、ナタ。ひょっとして——」


 ここで、

 僕はふいに新しい作戦を思いついた。


 相手がシェズをヒルデダイトの騎士だと勘違いしているのなら、僕たちのこともヒルデダイトの騎士にくっついてきた従者だと思うかもしれない。


 試してみる価値はある。


「何をなさっているのです?」

 僕はシェズに並ぶとヒルデダイト語で会話する。シェズを押しのけるようにして身体をいれていた。「申し遅れました。私はヒルデダイトから来ましたヘルメスと申します」そんな挨拶をしてみた。


 シェズに喋るなと言いたい。僕に任せろという意味でつい名乗っていた。


 これならどう見ても、僕がシェズの上司だ。

 このまま「間違えました」と言って帰るにはあまりに不自然なので、そこは話を合わせておきたい。


 つまり、

「私たちはヒルデダイトから国境の調査に来たのです」

 そういう設定だ。


 すると相手の役人は震えながら話した。

「本日の生け贄は、いま捧げようとしいてたところでございます。我々は確かに毎日二人ずつの生け贄をここに並べています。言いつけ通りにしております」 


 生け贄とは、運んでいた死体のことであり、それを巨大な串に刺して立てることだ。


「生け贄?」

「ご覧ください」

「これって……」


 病人でも怪我人でもない、わざわざ生きて居た人間を殺しているということだった。


「これが生け贄か?」

 とはシェズの声。


 見渡す限り死体で飾られた野だった。もとは繁栄した集落があったのかもしれないが、それらは焼き払われていて、今は死体に色をつけるだけ。まるで絵の具をひっくり返したような有様だ。


 シェズが目を見張った。

 それを見て兵士たちは怯えただろう。


「ひいぃ、生け贄は誰でも構わないという話でしたので、貧しいルズ人を捧げているのでございます。お気に召さないようでしたら、他の人間を捧げるようにいたします」


「それは捕まえてきて殺すってことだろ?」

 シェズがさらに声を大きくしたところで、僕は横に手を伸ばした。


「生け贄は確かに捧げられていますね。僕たちはそれを確認しに来ただけです」


 シェズが口を挟むのを止めて、僕がたんたんと言えば、兵士たちも安堵するところだが、


「何かお気に召さなかったのではありませんか。生け贄に捧げる者は女がよろしいでしょうか、それとも子供にしたほうがいいのでしょうか」

 彼らも疑心暗鬼だっただろう。


「このままでいいです」

 僕は「そんなことより」と次の話に進む。


「もうひとつ確認したいことがあるのです」

「それは何でしょう」


「ここは随分焼かれているようですけど……。あ、僕たちは様子を見てこいと言われただけなので、現場のことは何も聞かされていないのです。ここに来る前はザッハダエルはキリーズからも商人くるような豊かな場所だと聞いていたのですが」


「そうですか」


「場所を間違えたのかと思ってしまいました」

 できれば、その辺の事情も教えてほしいと僕は頭を下げる。


「ここが焼かれたのは、我らが主マリウス王がヒルデダイト国の新しい王の要求を拒んだからです。我が国はもともとヒルデダイト国の属国でありましたが、ムワタリ王と我が王マリウスには約束がありました。しかしヒルデダイトの新しい王はその約束を反故にしようというのです。我が王マリウスは決して首を縦にはふりませんでした。するとアメジストドラグーンがこの城塞にやってきたのです」


「アメジストドラグーン……」


 僕は振り返って、「それって何?」とシェズにそれとなく質問してみる。


 ヒルデダイトのことなら、シェズが詳しいだろう。

「あいつらか。そういや最近見ないと思ったけど、こんなところに来てたのか」

 思った通り。


「そのあいつらって?」


「ヒルデダイト騎士でも鉄で完全武装した部隊だ。アメジスト・ドラグーンはオロバスって奴が率いている。竜の鱗を持つ馬に跨がる鉄の身体を持つ騎兵だって触れ込み」


「そんなんが来たらさ」

 僕はもう一度周囲を眺めた。


 ザッハダエルの城塞に籠もる兵士の持つ銅剣や槍では傷一つ付けられない。そしてアメジストドラグーンの槍は城塞兵士の木の盾も皮の鎧も全てを貫通して通る。鉄の馬が踏み荒らせば、家も粉々だ。勝負になるだろうか。


「彼らはこの街に火を降らせたのです」

 男たちはそうも言った。


「火が降るって、どういうこと」

 これもシェズに説明を求めると、次のような答えになる。


「あれじぇね。火竜弾っていう最新兵器。火を噴いて爆発したりするやつ、うちでは使ってなかったけどさ。オロバスのところは使っていた気がする」


 死体の野には放置された巨大バリスタの姿も見えた。動かなくなって放置したものだろうが、僕はそれを見て思う。火球をあれで投撃するのだろう。槍や銅剣でつつき合う戦争しか知らなかった人々にには想像もできない侵略だ。


「そういうの早く教えてよ。なんかすごい重要な話じゃん?」

 僕はシェズを振り返っていた。当然ナタも開いた口が塞がらないだろう。むしろその情報だけでお腹いっぱいだった。


「帰るか」

 ナタはそろそろ鼻が限界だと合図する。「帰って、ちょっと問い詰めなきゃいけない奴がいるんだよな。むしろそっちのほうが先かもしれない」と言うのはシェズのことだろう。他にも彼女には、何かヒルデダイト軍のことで知っていることがあるはずだった。


 そんなわけで、

 僕はすぐに兵士たちに別れの挨拶をした。


「ありがとう、貴方たちの働きで、今日もヒルデダイトは平和です」

 そんなことをヒルデダイト兵が言うのかどうかはわからない。だけど僕はそれだけを言うと、すぐに「撤収」の合図をしていた。


 そしてこの時、僕はもうひとつ気になる響きを聞いた。


 それは、

 男たちが口にした台詞。


 おそらくアメジストドラグーンの行為に不満があるような吐露をしたことに後悔があったのだろう。自分たちが誰に忠誠を誓うかを明確にしておかなければならない。ヒルデダイトの監視役と思われる人間には、裏切りはないと明言する必要がある。


 だから男たちの口から出る言葉は次のようなものだ。


「ザッハ人は、心を入れ替え、クジャアザゼルに絶対の忠誠を誓います」

 社交辞令のようななんとも居心地の悪い響きだった。


 アザゼル?


 後世の歴史において封印されし響き。


 僕は思う。その言葉はヒルデダイトの古語に由来があったかもしれない。アザゼルは、古くは強い者を差す。偉大な強い者だ。王ではない。これは単純に王を示す音ではない。


 ミツライムに王を束ねるファラオがあるとすれば、ヒルデダイトにはその王さえ配下にするアザゼルがあるということだろうか。アザゼルとはなんと不吉な名前だろう。


 僕はザッハダエルの城塞を後にした後も、しばらくその音が耳に残って不快だった。

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