彩りは誰がために


「なあ、ヴェイル」

 いつものごとく、いつもの旅の空の下。


 西方王都アイギスのにぎわいの中、視界を遮るほどの荷物を両腕で抱え、道ゆく人々の好奇と称賛のまなざしを一心に浴びながら、アールは先を行くものを呼ばわった。

「聞いてんのか、こら」

「まったく、しもべの分際で騒々しいの」

 せっかく遊びに来たというにと、溜息とともに振り返った「彼女」に、竜使いの少年は先ほどから抑えていた不満を言葉に乗せた。

「その姿を取ってるなら、少しぐらい手伝えっての!」

 しかもほとんどおまえの買い物だろうがとつけ足したアールに、ひとの娘の姿を取った若い雌竜は悪びれるふうもなかった。

「か弱き乙女にさような量の荷物を持てと? 朴念仁もいいところじゃなそなたは」

 つんとそっぽを向く竜の娘に、なにがか弱いだこの巨大爬虫類がと言い返したいアールだが、もちろん口になぞ出せようはずもない。

 故郷の里で、神の眷族に面と向かってでっかい火とかげサラマンダーだなあなどと言い放ったばかりに当のヴェイルからおしおきを食らい、ごめんなさいもう言いませんだからお助けーと、涙と鼻水で顔面を飾ったのは十のころのことだ。

「これしもべ、わたくしはあの林檎の蜜漬けを買うことにするぞ」

 ヴェイルが指さしたのは、数多そろったかの品のなかでもとくにみごとなものだった。

「うわ、高すぎだろこれ。だったら隣のデュフレーヌ産のほうが」

「嫌じゃ」

 すっぱりと言い切ると、ヴェイルは店の奥にいた男に向かってこれ店主と呼ばわりだす。

「そこな林檎の蜜漬けを、ぜんぶ」

「へい毎度……って嬢さま、どうやってこのでかい壺を持ってゆくおつもりで」

「案ずるな、しもべがおるゆえに」

 すっぱりと言い切った娘の背後で卒倒しかけたアールの姿に、お嬢さまのお守りってのも大変だねえと果物売りはしみじみとうなずく。

「そら、気をつけろよ兄ちゃん。アイギスにゃめったに渡ってこない高級品だ」

「ぐえええぇ」

「すまぬな店主、これはわたくしからの礼じゃ」

 加わった壺の重みに悲鳴を上げる竜使いなぞお構いなしに、ヴェイルは店主に数枚の金貨を差し出した。おそろしく気前の良い客に、またごひいきにーと愛想のよい声を上げた果物売りへ鷹揚にうなずいてみせると、竜姫はそれ行くぞとアールを促してくる。

「何じゃ、もうばてたのか。ひとの身とはもろいのう」

「……おまえと一緒にするなっての」

 羊飼いのパイと並ぶ、ヴェイルの好物たる林檎の蜜漬けを落とさぬよう必死に抱えながら、アールは褐色のまなざしで睨む。


 翡翠の鱗を輝かせる竜の娘は、何を思ってか、ときどきこうしてひとの姿を取っては町や村を散策したがる。

 黙っていれば、黒瑪瑙の髪と凛とした瞳が印象的な十五、六ほどの少女なのだが、それなりに人目を惹く顔立ちと古めかしい物言いと立ち居振る舞いとの落差が、彼女にまみえた人々をぽかんとさせることもしばしばだ。

 どこのお嬢さまだいこの子はと聞かれるたびに、<風うたう空の都>じゃと答えかけるヴェイルの口をはたと塞ぎ、いやそのシエナ・カリーンから遊学にと、適当に大きな町の名を挙げてアールはごまかしたものだ。ひとが踏み入ること能わぬ天空の都は、今では唯一ひとと竜との絆を残す竜使いの里ですら、みだりにその名を口にのぼせることは許されぬものだったから。

 己の世間知らずに翻弄され疲労困憊する竜使いをよそに、天翔る傍若無人は次から次へとやりたい放題。ひとの身に変じるにしても、顔かたちや年齢を意のままに操るなど竜にとっては造作もないことらしい。

 現に、竜使いの里へ秘密裏にもたらされたアイギス王家の依頼――世継ぎの王女の失踪に、国内の動揺と混乱を避けようとした王と宰相に請われてその影武者をつとめ、あげくの果てには、王女をさらった一味を相手に大立ち回りをやらかすときたものだ。

「まったく、淑女にはしたなき振る舞いなぞさせおって」

 当の王女をはじめ、救出に乗りこんできた宰相や人々の唖然呆然をよそに、白目を剥いたまま気絶している王弟とその一味をぼろぼろのドレス姿でふんと見下ろして、

「これでは、父さまと母さまに怒られてしまうではないか」

 藁の山に火を吹いて拳骨を食らった時と同じじゃとぼやいたヴェイルに、おまえの親が教えたのは淑女じゃなくて騎士のたしなみだろと突っこみを入れたばかりに、石壁にめりこまされたことさえも記憶に新しい。もっとも、そのヴェイル自身の働きによって、高価な林檎の蜜漬けを購ってなお余りある謝礼をアイギスの王家からはたんと弾まれたのだから、そう悪いことばかりではないのかもしれない。

 とはいえだ。

「アール、今度は向こうへゆくぞ」

「またかよ?」

 しゃれた小間物を扱う店をのぞく気まんまんなヴェイルに、いい加減休もうぜとその場にへたりこみかけた竜使いの目が不思議な光景をとらえる。


「とうちゃん、たかいたかいして」

 きゃっきゃとはしゃぐ幼子を抱きあげて、さあ次はどっちに行こうかと笑いながら話しかける男に、ルルが指さすほうに行きましょうと鷹揚に応じる女。

 きょうの晩ご飯は何だろうね、るるはしちゅーがいいの、あらあら人参を残してはだめよと、若い夫婦と幼い娘が笑いながら市場を歩いてゆく姿を、竜の娘は緑がかった深い色の瞳でじっと見送っている。

「ヴェイル」

「アイギスの城でも、似たようなものであったな」

 王室の権威をあまねく知らしめる、重たげな金の宝冠が頭から転げ落ちたことにさえかまわずに。無事に戻ってきた王女に駆け寄るなり、その身をかたく抱きしめ声を上げて泣いた王妃と、ふたりを守るようにより沿った王の姿を思い出したアールだったが、ふとあることに気がついた。

 輝く金髪と青い瞳をたたえられた、面差しも美しい王女そっくりに姿を変えることができるならば、ヴェイルが好んで姿を取っている黒髪の娘は、いったい誰に似せたものなのだろう?


 似せようと思った子なんて、いないのかもな。


 竜にとっては瞬きほどの間とはいえ、ひとに育てられたことがあるおはね娘は、彼女を慈しんだ者たちを父母と呼ぶ。

 異なるいのちと時のながれに隔てられ、今では力と知恵を兼ね備えた神の眷族として世界に君臨したとて、思い出のかなたにある彼らの前では、竜の姫はめいいっぱいに甘えたい幼子のままなのだ。

 だとすれば、ヴェイルの姿は、彼女のねがいそのものなのかもしれない。

 ひとのこどもに生まれていたら、ほんとうにふたりの娘であったならばこうであったに違いない。こうでありたかったと思い描き、彩った姿のままで――


「何をじろじろ見ておる、しもべ」

「いや、別に」

 女の子って親父に似たほうがいいって聞いたけど、こいつに限っちゃ本当かどうかも怪しいもんだよな。

 口にすれば、おはね娘から情け容赦なく蹴倒されかねないことはそっと心にとどめおくことにして、アールはいまだ胡乱げなまなざしを向けてくる竜の娘に、次はあっちだろと笑いかけた。

「リボンを見るんだろ。なんなら林檎みたいな赤にしとけよ、黒髪にゃよく映えるってばあちゃんが言ってたから」


(Fin)

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