ドギンと光の宝玉(旧版)

あましゅが

第1話 変わり者のドギン

 これは、大いなるエルの真ん中にある広大な大陸ノーシアスの、南方の大きな半島を覆い尽くす広大な神秘の樹海エンギレン(森人語で闇の森という意味)があの耳長の金細工の民、森人エルフを隠すようにありました。

 かの森人達は高度な建造物が聳え並ぶヒンデンブルクを作り上げ、どの森人にも劣らぬ金細工の王国を造り上げました。

 彼らは人と関わりを断ち、闇の危機が迫らぬ限りは麗しい歌を唄い、見事な芸術品を生み出し、森にいる大きな苔吹き猪と狼を狩り、この大地に緑が失せぬように森のドンモール、豊穣のメネー、そして彼らの長である地母神セルフォールの名と意志の下、木を植えるのが彼らの日々の営みでした。

 エルの危機が迫ると天使軍と共に立ち上がり、エルにその姿を現し立ち向かう勇気ある種族でもある。

 かつて、中東のパラメシアに現れた蛇王に立ち向かう只人ヒューム達に手を貸した逸話がありました。

 あるいは、欺瞞のサウルドが、かの三魔神を引き連れて現れた際には、セルフォールの意志に従い、あらゆる種族を結束させる助力をし、この強大な悪に立ち向かった歴史がありました。

 この事から勇気を示すだけでなく、それほどまでに彼らは神々の意志に従う、神々と密接な関係にある種族でもあると伝えられております。

 しかし、そんなヒンデンブルクの王国ですら、大多数の、ただの森人達の、まどろっこしい言い方になりますが楽園に辿り着けなかった下々の森人に過ぎなかったのです。

 エンギレンから南東に大きく離れた海上は、一見して、ただどこまでも続く"夕沈み海"の海原の真ん中にしか見えません。

 しかし、夜の帳が下ろされ、雲ひとつない星空に、うんと強い光の輪っかを作る満月の夜に、神秘の孤島がその姿を現します。

 何万年の歳月を生きる大木が星空の明かりでその青々とした葉をよりいっそう輝かせ、そんな大木が島中を覆い尽くす島でした。

 その奥には清らかな川が流れる渓谷があって、どの文明も到達しえないエメラルド色に輝く城や神殿、建造物の数々に、只人の国のどの庭園にも勝って劣らない、神の国がそこにあるかのような見事な庭園、森人の叡智を探求する水晶の鍛冶場に館...これが森人の理想郷と呼ばれる"憩い谷"の当たり前の様子です。

 太古の時代、それぞれの森人の部族がセルフォール様によって示されて目指した場所であり、過酷な旅の中で脱落する部族を出した到達地点であり、そこに辿り着いた森人達を上位森人ハイエルフと呼び、選ばれし彼らの住まう楽園でした。

 上位森人は森人達を統率する存在、神々と最も近い関係にある森人、エルの為の行動を求められた森人。

 そんな選ばれし者の住まう憩いの谷は森人にすら排他的であり、上位森人にしか住まうことが許されない場所、他の種族など以ての外でした。

 しかし、そんな楽園に住まうことが許されたよそ者もいます。

 この憩いの谷は他の森人とは違う特別な森人がいると話させて頂きましたが、その中でも特別な方がいらっしゃいます。

 このエルに存在する全ての森人の代表であり、かつて、自身の部族をこの地へと導いた長であり、かの叡智のスィール、古代の賢人メルナードの一番弟子でもあり、この理想郷、憩いの谷の女主人でもある夜空に彩られた“銀の君”です。

 彼女はとても聡明で心優しい穏やかな森人で、自身の知識や経験を分け与えることで世界をより良くすると考え、彼女の弟子となった者にはこの地に住まうことを許されたのです。

 しかし、他の上位森人達からすると、いくら銀の君の言うこととはいえ、他種族を弟子にして住まわせるのは良い顔はしません。

 客人とはいえ、自分たちの聖なる場所ですから距離を置いて、冷たい態度になってしまいます。

 少し話が逸れてしまいました。

 しかし、このことを説明しておかないと、この哀れな変わり者のドギンやそこに住まう上位森人達の気持ちが分からないというもの、ですから、憩いの谷の話だけでなく、このような補足を入れさせてもらいました。

 さて、そんな哀れなドギンはどの種族の中でも一番醜く、狡賢い、悪の側とされる小鬼ゴブリンと呼ばれる種族でした。

 彼らは森人に似せて作られた、とか、或いは大神が誤ってお造りになられた、とか様々な憶測がありますが、耳が長く、その耳も目もとても利くといった同じ特徴をもちあわせていました。

 しかし、その見た目は大神が本当に失敗した、と言いたくなるほどに醜いものでした。

 とんがった長い鼻に皮脂まみれでぬらっと顔が光り、ニキビまみれでした。

 そして口には犬を思わせる尖った歯を持っています。

 さらに彼らは心も同じくらい醜いとされていました。

 残忍で乱暴者が多く、見た目こそ子供ほど小さく、枯れ木のようにやせ細っていますが集団で行動し、ありとあらゆるものを憎しみで、ありとあらゆるものを奪おうとする嫌われ者です。

 それが彼ら小鬼という存在で、森人にとっても危害を及ばす存在ですし、上位森人の選民意識の高さがドキンの存在を嫌うには十分でした。

 陰口なんてどんなに日が巡っても終わることはなく、稀に子供たちから勇者ごっこと称されて木の棒で袋叩きにされることもありました。

 今も遠くから子供たちに。

「変わり者のドギン。毛むくじゃら小鬼のドギン。それはなんのためになるんだい。豚が洋服を着るようなものだよ」

 などと笑われていました。

 しかし、ドギンには子供を食ってやろうとか、仲間の小鬼を呼び寄せて憩いの谷を襲撃しようとか、銀の君に近づいて森人を従わさせようとか、そういった魂胆などはなく、純粋に探究心から銀の君を師事してエルの西、ノーシアスのやや南西、フォーリア海峡で繋がるエウケルト大陸から遥々過酷な旅の末にやってきたのでした。

 あまり知られていませんが、小鬼には他の種族と仲良くしようと交流をする時は、その醜い土気色と膿みまくった肌を毛で隠し、毛むくじゃらの動物のような姿になるまで毛を伸ばす風習がありました。

 ドギンもそれに習い、この地に訪れるまでに全身を毛玉お化けになるまで伸ばしてやって来ました。

 ドギンは友好的な姿勢を示していたのですが、小鬼といった存在の嫌悪感が薄れる訳では無いですし、ましてや小鬼が知識を求めて、あの銀の君に近づくのはおかしな事で不信感はなかなか消えてくれません。

 しかも、常に本を片手に歩いているものですから、この憩いの谷に住んでる人々から変わり者のドギンと呼ばれていました。

 そんな哀れなドキンは今日も子供たちに虐められて、深いため息をついて項垂れながら銀の君に教えを受けるため、館までトボトボと歩いていました。

 こちらに来て一年、今年で三十六歳となるドギンは、只人で言うところの二十歳を迎える歳でした。

 この歳になると、ふとした時に自分の生涯を思い返してしまうのです。

 十五歳の頃、只人の教会に一人で盗みを働こうとした時のことです。

 孤児などの面倒を見ていた教会で、パッと見では子供と見間違えるに違いないと思い、入り込んだ教会でした。

 まずは裏口にいる見張りのニワトリを声を上げる前にこっそり絞め殺し、そいつを持ち帰って食べようと腰にぶら下げ、台所に潜入して適当な香辛料を袋に入れ、ついでに卵も4つ盗みました。

 この時点で今日のご飯には困らない収穫でしたが、この時は彼も小鬼らしく際限ない欲望を持ち合わせており、他に金目になるものを探すために、台所から廊下に出て、部屋を探し回りました。

 偉い人の部屋は沢山の本が置いてあるという小鬼の直感のもと、書斎に入り込むと本棚から適当に分厚い本を一冊抜き取って、袋にしまいこみました。

 袋はどっしりとした重みを帯び、他に本は入る余地がないと分かると退散しようと窓に手をかけた時、ふと机に広げられた、たくさんの本に目が入ります。

 どれも薄く、とても金目になるようなものではありませんでした。

 しかし、その本はいつかの日か遠くからぼんやりと眺めていた時に教会の偉い人が子供たちに読み聞かせていた本でした。

 子供たちは熱心に偉い人の話に耳を傾け、そのくりっとした目を輝かせていたのをドギンは覚えていました。

 これまで特段興味のないものでしたが、その日は、あの日のことが印象的だったので、手に取って読むことにしました。

 小鬼の話す言葉は所謂、森人語でしたので、そこに書いている内容までは理解できませんでしたが、ページの両開きまで丁寧に描かれた絵によって、内容を読み取ることは出来ました。

 小さな少年が森の奥にある遺跡にいる竜から村の宝を取り戻し、奪い返そうとする竜を村人達と一緒に退治して幸せに暮らしたという内容にドギンは子供ながらに興奮を覚え、この絵本も一緒に盗み、持ち帰ることにしました。

 盗んだ分厚い本は運良くとも只人に向けられた森人語の辞典でした。

 仲間が集落を襲ったり、人間の女を寝床に連れ込んだりしていた中、一冊の絵本を理解するために辞典を読み漁ったあの時から情熱を燃やして探究し始めたのでした。

 あの時は目に映るものも、探求する自分自身も輝いて見えましたが、今では森人になじられる毎日で、自分の今いる現在地点に不安を覚えていました。

 このまま、何も無いまま終わってしまうのか、何も起きないならこれ以上、銀の君に迷惑をかける訳にも行かないから弟子をやめようか、などと悩んでいるうちに館までたどり着いてしまいました。

 弱気になるな、と自分を鼓舞したドギンは館の門を潜り、ベルを鳴らすのではなく、そのまま庭の方へ歩き出しました。

 銀の君は自然や植物を愛していましたので、普段は館の中よりも庭にいる機会が多く、そのまま庭に向かったのです。

 そして予想通り、銀の君は中庭でヤタハの木で出来た椅子に腰かけ、微笑みを浮かべて庭を眺めていました。

 この世の誰よりも美しい銀の君は、白銀と見間違うような長い白金色の髪を持ち、シルクのように柔らかく綺麗で滑らかな髪をしていて、鼻筋の綺麗な顔立ちは穏やかさを佇ませながら、あまりの気品さに威厳を感じさせる美しさをもちあわせていました。

 そして、雪のような透き通る白い肌とドレスはまるで月明かりのようでした。その白の美しさを強調させる蒼玉のように鮮やかでなんの濁りもない青い目は慈愛と誠実さを帯びて、真実を見通してしまうのでは無いかというそんな目をしていて、長いまつ毛が儚さを弛たっていました。

 その佇まいだけで何かの絵画になってしまうような神秘的な光景で、ドギンは何度も目にしていますが、未だにその美しさには何度、後ずさりしたものか分かりませんでした。

 ドギンにとっては初めて出会った時の頃を忘れないように佇んでいるような気がしました。

 初めて出会った時は憩いの谷の人々から、ものを投げつけられ、棒で叩かれ、泥と血で見るに堪えない姿だったのにも関わらず、眉ひとつ動かさず穏やかな表情で。

「あら、小さなお客様ね」

 と微笑みかけ、ドギンを館の中へ案内するや否や、着ていた服を脱がされて、一人で入るにはあまりにも大きすぎる大浴場の湯船に美しいその姿が汚れるのを顧みず、その華奢な見た目にそぐわない怪力で投げ込まれ、ありとあらゆる汚れを洗い流されました。

 突然の出来事に自分なりの好意の印を無下にされてきた怒りも相まって粗雑な言い方をしました。

「おい、やめろ。離せ!」

 しかし、銀の君の微笑みは絶えずに。

「殿方に恥をかかせる程、私は下品な女ではありませんから」

 そう言ってドギンの身体を組まなく背中から洗い始めました。

 優しく身体の痒いところを掻きつつ手際よく汚れを落としていきます。

「貴方はとても綺麗な茶色の毛並みをしているのですね」

 黙々と丁寧に洗う銀の君はポツリと独り言を漏らしました。

「この長い耳も森人のようね。そういえば小鬼は森人を似せて生まれたらしいのですが、やはり目はいいのでしょうか?」

 いつまで続くのか、と堪忍袋の緒が切れたドギンは怒鳴りました。

「おい、そんな事より弟子入りの試練をさせろ!街中の奴になじられるし、袋叩きにされたんだ。とっとと受けさせろ!」

 銀の君は直ぐに。

「試練なんていりません」

 と言いました。

 ドギンは驚きを隠せないでいると銀の君は穏やかな表情のまま、ドギンの頭を撫でました。

「試練は私の最初の教えを果たして見せることです」

 何の事か分からず、ドギンは尋ねました。

「その、あんたの言う教えってなんだよ」

 背中から銀の君はドギンの頭を掴んで顔を上げさせました。

 その時、夜の月明かりが照らす海のような穏やかな目と合いました。

「勇気を出すことです」

 ドギンの怒りはスっと静まっていくようでした。

「貴方は小鬼だというのに、コソコソ隠れもせず、嬲られても正々堂々とここまで来ました。蛮勇とも言えますが、誰でも出来ることではありません。貴方に勇気があるという証拠にほかならないでしょ?」

 ドギンは自分の行いを恥じるようにだんだん縮こまってしまいました。

 それから尻込みしたような声で言いました。

「ごめんなさい。少し気が立ってしまって乱暴な言い方をしてしまいました」

 それを聞いた銀の君は包み込むような暖かな声音で言いました。

「貴方が優しい小鬼なのは人目見て分かりました。小鬼の風習に疎いものたちばかりとはいえ、あなたの礼節に無礼を働いたのはこちらです」

 それを聞いたドギンは、自分の目から涙が溢れそうになっているのを感じました。

「俺を、弟子にしてくれますか」

「試練に受かったのに辞退する、なんて事をしなければ、はい。私は貴方を弟子に迎え入れます」

 そう言って、丁寧に汚れを落としたのでした。

 この佇まいはあの時から変わりません。

 森人は不老だから、という訳ではありません。

 しかし、いつもと違うとすれば、その目には憂いを帯びていたところでしょう。

 ドギンは憩いの谷での自身の様子を誰かに聞かされ、また哀れまれているのだろうか、と思いましたが自惚れかもしれないと思い尋ねることにしました。

「今日は何だか落ち込んでいるようですね、銀の君」

 銀の君は頷きました。

「えぇ、とても悲しいわ。ドギン、貴方はとても聡明で賢く、優しい小鬼なのに、魂はしがらみで隠されてしまう、私もとても悲しく思います」

 やはり、自分自身のことであった、と確信したドギンは。

「そう思っていただけるだけで嬉しいですよ銀の君」

 と言いましたが。

「ごめんなさい、私から何か出来たらいいのですが、私が貴方を庇ってしまうと、私にではなく、貴方に不満が向いてしまうから、私からは貴方に知恵をさずける以外には何も...」

 と申し訳なさそうに言われてしまいました。

 それを聞いたドギンは冗談を混じえて言いました。

「私は所詮小鬼に過ぎず、夜に窓が月明かりによって照らされ、その明かりが硝子に跳ね返って光る時のように、銀の君のような大きな光に当てられた偶然の産物、光の拾い物に過ぎないのです」

 しかし、銀の君はとぼけた表情で。

「私は拾い食いはしませんよ?」

 と言ったので、ドギンはつい言葉に熱が籠ってしまいました。

「そういう訳ではなく、私はあくまでこの現状をどうにかできるほどの力がない。あくまで私は、エルガーラ、貴女という人間の威を借りているだけに過ぎないのですよ」

「エルガーラと呼んでくれるほど懇意に思ってくださったのですね」

 冗談めかして微笑む銀の君の姿は子供を宥める親のようで、その綺麗な青色の目に映る自分の姿の醜悪さにドギンは冷静になりました。

「失礼しました。つい冷静さに欠ける言動をしてしまいました...」

「良いのですよ。それくらいの距離感の方が私としては嬉しいです」

 穏やかに微笑む銀の君に怒気は込められていないことに安堵したドギンに釘を刺すように銀の君は。

「ですが、淑女の名を安易に呼ぶのは相手に良からぬ誤解を生んでしまいます。余計な諍いを避けるようにしましょうね」

 と付け加え、ドギンは己を恥じるように項垂れ、後頭部を搔きました。

 銀の君の本当の名前は真名と呼ばれ、その名前にすら大きな神秘の力(魔力、と呼ばれるもの)が宿っているので銀の君はその名を隠して生きているのです。

 その名を明かし、呼び合うのはとても親密で、敬意を込めた意味があるので、とても重要なことでした。

 銀の君はドギンに真名で呼ばれるのは良しとしていましたが、海の底に隠さなくてはならないような秘密を安易に感情に任せて呼んでしまった事を咎めているのでした。

「感情を逆撫でてしまったのは私の方ですから、そこまで気を落とすことはありません。こちらこそごめんなさい」

 それを聞いたドギンも慌てて。

「たしかに軽率だったのです。謝らないでください」

 と返し、銀の君は口元を抑えて笑いました。

「そう思ってくださるのなら、良かったです。でも、あなたはとても謙虚で素晴らしいのですが、卑下しすぎですよ」

 ドギンも口元を隠して考えるように言いました。

「そうでしょうか。私はさっきも言った通り、所詮小鬼ですよ」

「では、その光を見出した私の目は間違っていたということかしら」

「そういうことでは...」

 そこまで聞くと、銀の君はドギンの目を見て言いました。

「自信を持ちなさい。貴方の焦燥を理解していないわけじゃない。それに自惚れず、謙虚に真面目に努力するのはあなたの美点だと私はよく知っていますから。でも、卑下と謙虚は別物、卑下は相手が想う気持ちを踏みにじってしまうものよ?」

 それを聞いたドギンも浮かなかった顔が少し晴れるようでした。

「確かに、そうですね...また新しい知見を得ることが出来ました。ありがとうございます。しかし、私が未熟なのは事実なのでこれからも学ばさせてもらいます。銀の君」

 銀の君はドギンに知識だけでなく、ドギンの道にひとつの答えを出してドギンに考えることを教えてきたのでした。

 銀の君は優しく微笑み。

「では、今日も修行をしましょう。さぁ、まずは座学です。中に入って頂戴」

「はい、銀の君」

 手招く銀の君に連れられて、館の中で今日も夜の帳が下りるまで、知識の探求が行われるのでした。


 それから月日は巡り、憩いの谷の緑は青々とした景色から黄金色こがねいろを帯びてきました。風は少し冷たさを感じ、季節の変わり目となったのです。

 ドギンは今日も銀の君の館で教わりながら、与えられた煉瓦ひとつ分の分厚さの辞典を自分の字で敷き詰められた紙に書き取っていました。

「いいですか、闇というのは光が差さない部分、隠されてしまったものです。光と闇は表裏一体に捉える概念は少し間違いなのです」

 今日は光と闇について、銀の君は熱心に丁寧にドギンにその知恵を授けていました。

 エルでは光と闇はとても重要なことでした。

 常に光と闇がせめぎ合い、対立している、と考えられていたからです。

「例えると、何も隠されてなければ影はできません。ですが、何か物を置くと影ができます。それは心も一緒です。不安や妬み、憎悪が影を生むのです。本来の気持ちはそれらによって隠され、隠されたものが色濃く強い思いとなったのが闇なのです」

 ドギンもその言葉を一言一句違わぬように丁寧に書き記しました。

「だから、光と闇は表裏一体でも闇と悪は一緒でもないのです」

 銀の君がそういった時、その言葉を噛み締めるように話し、憂いを帯びた瞳は少し遠くを見ているようでした。

「ですが、悪魔や僕ら小鬼といった所謂、悪の軍勢と呼ばれる存在は光に弱い。それはなぜです?」

 ドギンの質問に瞳に憂いは消え、穏やかさを佇ませました。

「悪が悪たる所以は情動に彩られた心の集合を破壊してしまう事、歪めてしまうから。だから正義の反対が必ずしも悪ではありません。別の正義なのです。悪は闇を利用することが手っ取り早く心を破壊できてしまうからにすぎません。そして光は闇に有効打になりやすいからですよ」

「ということは、光を利用する場合もあるのですか?」

「そう。だから、悪に闇が通じない訳では無いの」

「では、もし光も差さないような闇が覆えば、どうすればいいのでしょうか?」

 銀の君は少し間を空けて、クスリと笑みを零しました。

「何か、おかしなことを言ったでしょうか?」

「いいえ、私も師に同じことを質問したことがあったのです」

「銀の君の師...」

「そう、あなた達がおとぎ話で伝え聞いてきたメルナード、彼のこと。まさか師と同じことを教えるとは思っても見ませんでした」

「なんと、言われたのですか?」

 ドギンの好奇の目にイタズラっぽい笑みを浮かべた銀の君は答えをはぐらかせてしまいました。

「強いて言うなら、その闇を見つめるのです」

 肝心な答えを知りたかったドギンとしては訝しげな表情を浮かべるしかありませんでした。

「では、今日は早めに終わりましょうか。ドギンには個人的な話があります」

 表情が変わった。

 威厳のある佇まいがいつになく強く現れ、心に一本の細い糸が真っ直ぐに張って、いつ切って落とされるのか分からないような雰囲気がこの部屋を包みました。

「どうか、なさられたのですか」

「ドギン、あなたにお願いしたいことがあるのです。一度しか言いません。これは全森人の命運が掛った大事なことです」

 ドギンは無意識のうちにペンを握る手に力がこもり、毛が逆立つような感覚を覚えました。

 銀の君はそんなドギンをよそに表情ひとつ、変えずにこう言いました。


「全ての森人はもうすぐ死に絶えます」


 銀の君は平静な顔で確かに、そういいました。

 心の糸はプツンっと切れ、立ち上がろうとしたが足の力が入らず、崩れ落ちてペンを握っていた腕だけが支えとなり膝立ちのままドギンは項垂れてしまいました。

「どういうことですか。また私の感情を逆撫でようとおいでですか」

 聞き間違いであって欲しい、聞き逃していたなら怒られてしまおう、その方がマシだ、とドギンは願っていましたが。

「いいえ、事実です。このままでは私たちの種族は消えてしまいます」

 ドギンはしっかりと聞いていたのでした。

 心の中が綺麗なものを思い返す度にドス黒い物を際立たせていました。

 確かにここに来て、嫌な思いもしたが、銀の君との修行の日々は間違いなく掛け替えの無いもので、突然告げられた事に悲しみを抱かない訳には行きませんでした。

 しっかり息ができない感覚に陥り、精一杯息を吸い、絞り出すように話しました。

「何故ですか」

 銀の君は1歩もその場から動かずに淡々と答えました。

「神秘が弱まってきているからです」

 銀の君は続けてこう言いました。

「人々が神秘の力より、科学の力を手にし、それで大きく発展しようとしています。つまり、神秘に頼らなくても良い時代になろうとしています」

「それは、良い事なのでは」

「はい。ですから、元々、精霊に近い私達は直接何かをする必要が無くなったわけです」

 ドギンの中で衝撃が走った。

 エルは神々を信仰することでその恩恵を授かっています。

 その力が強いほどより大きな恩恵を得ることが出来ます。

 そのため、信仰しなければ神々も力が弱まってしまうのです。

 そして、森人は神々に近しい関係にあり、殆ど世界を運営する側の存在なので、エルの神秘の一部なのです。

 その神秘が弱まれば自然と森人達が弱まってしまい、そして、死んでしまうのです。

「私達はいつかは消えてしまうのです。それは仕方ないことなのですが、私達にはまだやることがあります。だから、それまでに消える訳には行かないのです」

「ということは、森人が生きる方法があるのですか!」

 まるで藁に縋るような思いで銀の君に尋ねました。

 銀の君はしばらく黙ったままでした。

 その顔はとても重く、暗く、何かを口にしようとも何度も口を少し開いては閉ざされ、沈黙は続きました。

 そして、ようやく話してくれました。

「...光の宝玉があれば、何とか延命することは可能です」

 沈む銀の君と喜ぶドギン、机を一つ分け隔てた部屋の空気は以前、重いままでした。

「それがあれば良いのですね」

「延命に過ぎませんが、はい。救うことは可能です」

「分かりました。その宝玉を私が手にしてみましょう」

 それを聞いた銀の君は一瞬目を見開き、俯きました。

 しばらくした後に頬に重力を感じる痛々しい笑みを浮かべました。

 目に優しさがあります。

「やはり、大丈夫です。忘れてください」

「何故です銀の君」

 銀の君は言いました。

「私は弟子の貴方に名声を与えれば周りの目が変わると思い提案したのですが、可愛い私の弟子に旅をさせるには危険を伴いすぎるのです」

 銀の君の手は自分の感情を抑えるように握りこぶしを作っていました。

 少し間をあけた銀の君は続けてこう言いました。

「まずは貴方が来た夕沈み海を渡ります。その危険はあなたも重々承知していることでしょう。天候の変化が激しいあの海原を抜けなくてはならないのです。そして、エンギレンにたどり着くことでしょう。そこを東に向かい草原の民のいるひめゆり野の北を進んでウガル高原から恵湧き山脈を目指して西に向かった先、銀細工の民の国モバリがある石の裂け目山の最深部にある遺跡に存在するのです」

「何が危険なのですか」

 唇を噛み締めて銀の君は言いました。

「分かりませんか。気候の荒い海にヒンデンブルク以外は獣と闇の樹海、ウガル高原は略奪を生業とする草原の民、山脈や地下には怪物もいます。そもそもその遺跡はモバリ王国の領地内で採掘場の一部です。そこへの勝手な侵入は不法侵入行為であり、光の宝玉を持ち帰る事は窃盗行為です。あなたの立場も危うくしてしまうのですよ」

「それの何が危険なのですか」

 銀の君は驚愕しました。

 ドギンは何食わない顔でこういって見せました。

「では、ここであなたに教えを乞うばかりの方が良いですか?それだけではそれこそ時間が足りない。銀の君自らが動くことは、とても重大な意味を持つ。逆にエルの危機になりかねない」

「分からないのですか、ドギン。貴方が死んでしまうかもしれないのですよ」

 銀の君は腰掛けていた椅子から立ち上がり、その威圧感は部屋中をふるわせ、窓の硝子の全て、破片に変え、キラキラと輝かせながら砕け散りました。

 しかし、ドギンは決して食い下がろうとはしません。

「貴女が最初に教えたことは勇気を出すことでした。私は大切な師の為ならその使命を果たします。それに私は師を失えば、探究心は拠り所を失くし、私は死んだも同然となる」

「勇気と蛮勇は違います」

「蛮勇で結構です」

「貴方も所詮は小鬼ということですか。後先考えない愚かな蛮族の一人ということですか...嫌われ者になるということですか」

 美しい銀の君には似合わないほどの口汚い台詞はどこまでも台詞で、その顔には心から心配する人の顔でした。

 やはり、似合わない言葉である、と思いドギンは話しました。

「エウケルトで生まれたドギンめは、卑しい小鬼です。小鬼は壊す事しか脳がない。奪うことでしか、憎むことでしか生きるしか出来ないのです。でも、奪い続けた先にあるのは何でしょう?何も無いのです!」

 ドギンはあの子供たちと牧師の様子を思い出していました。

 あの時、抱いた思いは憎しみではなく憧れで、憎悪し続けてもあの景色を手に入らないことをあの時の絵本が教えてくれました。

「憎しみではこの飢えを満たせないのです。だから、探求するのです。小鬼が嫌われ者以外の道を探すために、そのためには貴方という師を失う訳には、私に優しく教えてくださった大切な人を失う訳には行かないのです」

 臆せず銀の君から目を離さずに言うドギンの姿に心を打たれたのか、銀の君は何も言わず、外の景色を見ていました。

「私も貴方の師ですから、貴方のことが大切で、守りたいのです。その気持ちは理解してください」

 そう言うと、ペンを取り、何やら紙に書き記し始めました。

 しばらくして書き終わると紐で結び封をしました。

「これを貴方に授けます」

「これはなんでございますか」

 不思議そうに眺めているドキンに銀の君は答えました。

「内容は教えられませんが、それはあなたがどうしても超えることが困難な時に開くのです。しかし、安易に使うものではありませんよ」

 その言葉にはどんなものよりも比肩しない重みがありました。

 言葉には魔力が宿ると教わってきましたがまさにそのような感覚でした。

 ドギンは承知し、大切に鞄の底へと仕舞いました。

「貴方に師として命じます。石の裂け目山の深くにある光の宝玉を手に入れるのです」

 銀の君もドギンも決意に満ち溢れた顔をしていました。

 ドギンは急いで自宅へと帰り、旅の支度を始めました。

 こうしてドギンは森人の命運をかけた大いなる旅へと挑むことになるのです。

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